第五話:新人パーティ「夜明けの芽」、初クエストへ
◆ギルド/カイ視点
朝のギルドは、いつもざわざわしている。
酒場ほどじゃないけど、かなりうるさい。
「昨日の依頼、全部片づいたのか?」「うっせえ、こっちは徹夜明けだ」「お、今日の掲示板、討伐系多くね?」みたいな声が、あちこちから飛んでくる。
板張りの床と分厚い柱。
壁には、びっしりと依頼票が貼られた掲示板。
カウンターの奥では、受付嬢たちが忙しそうに書類を捌いている。
――その一角で、俺たちは固まっていた。
「……お、おい、カイ。あれ」
隣でレオが、掲示板の上の方を指さす。
そこには、昨日まではなかった依頼票が、一枚だけ目立つように貼られていた。
【新規発見迷宮の調査依頼】
対象:街から北西に一日の位置に出現した“未知迷宮”
目的:内部の危険度確認/構造の概要把握
推奨ランク:F~E
備考:発見報告によると「小規模」である可能性が高い
「……迷宮、か」
喉が、少しだけ鳴った。
ずっと、行きたかった。
でも、ずっと、行けなかった。
俺たち「夜明けの芽」は、つい最近ようやくFランクに上がったばかりの、ひよっこパーティだ。
それまでは、薬草採取とか、街道の小動物を追い払うとか、そういう“ギリギリ子供でもできそうな依頼”ばかりだった。
それはそれで、仕事だ。
ちゃんと金も出る。
文句を言える立場じゃない。
――けど。
「ついに、迷宮クエスト来たぁぁぁ……!」
俺の代わりに、レオが騒いでくれた。
茶色の髪をがしがし掻きながら、掲示板の前でぴょんぴょん跳ねる。
「おいレオ、静かにしろって」
「無理だろ! 迷宮だぞ、迷宮! なぁカイ、これ絶対行くだろ!」
興奮した声に、少しだけ周りの視線が集まった。
ベテランらしい冒険者が「お、若いのがいるな」とニヤニヤしている。
俺の後ろに隠れるようにしていたミナが、そっと袖を引っぱった。
「あ、あの、ほんとに……行く、の?」
大きな瞳が、不安そうに揺れている。
薄い金色の髪が、緊張で微かに震えていた。
「迷宮って、ほら、その……危ないって、聞くし……」
「推奨ランクF~Eって書いてあるし、大丈夫だって」
そう言いながらも、俺の胸の中にも、不安はあった。
迷宮は、危険だ。
油断したら死ぬ。
どれだけギルドが安全確認したって、“絶対”なんてどこにもない。
「でもさ」
そういう不安を、口の中で噛み潰すようにして、言葉を続けた。
「迷宮、いつかは行かなきゃなんだ。
俺たち、冒険者やるって決めたんだろ」
「……う」
ミナは、ぎゅっとローブの裾を握りしめる。
その横から、冷静な声が割り込んだ。
「推奨ランクF~E。危険度未評価。構造不明。
でも、“小規模である可能性が高い”って、ちゃんと書いてある」
セラだ。
短くまとめた黒髪に、薄い青のローブ。
手には、読み込まれた魔導書。
理屈っぽくて、なんでも数字や条件で整理しないと安心できないやつ――だけど、実は一番ビビりなのを俺は知っている。
「……つまり、ギルドとしても、いきなり全滅するほどの危険は少ないと判断してるってことだよ」
自分に言い聞かせてるのが丸分かりの声で、セラはそう続けた。
レオが、にやにやしながら俺の背中を叩く。
「ほら、セラも行く気満々だし?」
「ま、まあ……経験値は、稼がなきゃだし……」
視線を逸らしながら言うセラの頬が、ほんの少し赤い。
(……そうだよな)
誰だって怖い。
俺だって怖い。
でも、怖いからって、ずっと薬草摘みだけしてるわけにはいかない。
迷宮に行く。
そこで、生きて戻ってくる。
それができないなら、俺たちはたぶん、この世界で“凡人”のままだ。
――俺は、もう、凡人のままで終わるのは嫌だった。
前に組んでたパーティで、『悪いけど、カイって“可もなく不可もなく”なんだよね』って笑われたことを、まだ根に持っている。
「……よし」
小さく息を吸って、心を決める。
「ギルドに相談しに行こう。
これが俺たち四人に見合う依頼かどうか、ちゃんと聞いてからだ」
「お、さすがカイ。慎重派」
「慎重というか、ビビりというか……」
「セラ、それ自分のことだからな?」
「うるさい」
俺たちは、掲示板から離れ、受付カウンターへ向かった。
◆
「――というわけで、“夜明けの芽”としては、この依頼を受けられるかどうか、確認したいんです」
俺は、少し緊張しながらそう言った。
目の前のカウンターには、一人の女性が立っている。
肩で切りそろえられた栗色の髪。
落ち着いた緑の瞳。
無駄のない動きで書類を捌いていた彼女は、俺たちの話を一通り聞き終えると、にこりと微笑んだ。
「“夜明けの芽”の皆さんですね。書類は拝見しています。受付のリアナです。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします!」
全員で慌てて頭を下げる。
リアナさんは、ギルドの受付嬢の中でも、特に有能で有名だ。
ベテラン冒険者たちからも信頼されていて、「リアナのお墨付きがあれば安心だ」と言われるくらいだ。
そんな人に、初めてまともに話しかけている。
緊張するなという方が無理だった。
「皆さんのこれまでの依頼履歴は――薬草採取、街道警備の補助、小型魔獣の駆除。
報告書も、きちんと提出されていますね」
ぱらぱらと書類をめくりながら、リアナさんは淡々と確認していく。
「戦闘で大きな怪我をしたことは?」
「な、ないです」
「ないです!」
「骨折とかは、まだ……そもそも、モンスターを倒したこともないので」
「セラ、それはどっちかというと、ないことの方が悪いやつだからね」
俺たちのやり取りに、リアナさんが少しだけ口元を緩めた。
「そうですね。皆さんは、慎重に行動する傾向があるようですし、パーティとしての連携も、報告書からは悪くないと判断しています」
「ほんとですか」
「レポート、ちゃんと読んでるんですね……」
「もちろんです」
リアナさんは即答した。
「ギルドとしては、皆さんの“命”を預かっているつもりですから。
どの依頼を、誰に回すか。そこを間違えないようにするのが、私たち受付の仕事です」
その言葉に、ミナが少しだけ表情を緩めたのが分かった。
「で、件の“新規迷宮”ですが――」
リアナさんは、別の書類束から、一枚の報告書を取り出した。
「発見者は、近隣の猟師です。獣道の奥に、“不自然に整った洞窟の入口”を見つけたとのこと。
簡易調査の結果、内部から魔力反応が確認され、迷宮核の存在がほぼ確実となりました」
「やっぱり迷宮なんですね……」
セラが小さく呟く。
「ただし、現時点では“入口付近”しか確認されていません。
奥行きや構造、内部の魔物の種類など、詳細は不明です」
リアナさんの表情が、ほんの少しだけ厳しくなる。
「推奨ランクF~Eとしたのは、入口付近の魔力濃度が低いことと、位置的に他の大規模迷宮との干渉が少ないと判断されたからです。
ですが、“未知”であることには変わりありません」
「……」
ミナが、ごくりとつばを飲む音がした。
レオでさえ、冗談を挟まなくなっている。
「なので、この依頼を受ける条件は、ひとつです」
リアナさんは、真っ直ぐに俺たちを見る。
「――危険を感じたら、即撤退すること。
“戻る勇気”のないパーティには、この依頼は出せません」
その言葉は、重かった。
でも、同時に、どこかで聞いたことがあるフレーズでもあった。
(……“撤退は、敗北じゃない。手札を次に残すための選択だ”)
前に、一緒に組んでいた先輩から聞いた言葉だ。
その先輩は、今、別の街でパーティリーダーをやっている。
俺は、小さく息を吸った。
「撤退します」
「カイ?」
「危ないと思ったら、そこで引き返します。
それが、俺たちの実力ってことですから」
レオが、にやっと笑った。
「まあ、カイが“撤退しよう”って言うくらいなら、相当やべー状況ってことだろ」
「その時は、僕も全力で逃げる魔法を考えるよ……」
セラが、苦笑混じりに付け加える。
ミナは、少し迷った後、ぎゅっと拳を握った。
「わ、わたしも……ううん、“わたしこそ”撤退って言います。
みんなが死にそうだったら、泣いてでも止めますから!」
「ミナが泣いて止める前に、俺が止めるけどな」
「それでも止まらなそうなら、僕が止めるよ」
「いや俺も止め――」
「みなさん」
リアナさんが、くす、と笑った。
「そこまで言えるなら、大丈夫そうですね」
そう言って、俺たちの前に依頼票を滑らせる。
「“新規発見迷宮の調査依頼”、パーティ“夜明けの芽”に発行します。
報酬は、迷宮の危険度評価に応じて変動します。
……無事に戻ってきて、詳しい話を聞かせてくださいね」
「……はい!」
四人の声が重なった。
◆
ギルドを出た後、俺たちは準備のため、一旦街の中に散った。
革の胸当てを補修しに行くレオ。
杖に魔法石を追加するために、魔道具店へ向かうセラ。
回復薬と包帯の追加購入に、薬屋へ走るミナ。
俺は、一度自分の部屋に戻り、剣の手入れをした。
よく磨かれた剣は、見た目だけなら一人前に見える。
でも、中身――俺自身が一人前かどうかは、まだ分からない。
「……よし」
柄を握る手に、力を込めた。
柄頭には、小さな傷がある。
一度、戦いの最中に手を滑らせて落とし、その時についた傷だ。
(あの時みたいに、慌てなきゃいい)
深呼吸を一つ。
鏡に映った自分を見る。
黒髪。
どこにでもいそうな顔。
平凡。凡人。可もなく不可もなく――。
その評価を、今日、塗り替えてやる。
「……行くか」
剣を背に背負い、部屋を出た。
◆
街の北西へ向かう街道は、思ったよりも整備されていた。
迷宮発見の報告があったからか、途中まで馬車の轍も多い。
俺たちは徒歩で進みながら、途中で出てくるスライムや小型魔獣を軽くあしらっていった。
「調子いいな、カイ」
レオが、横で笑う。
「いや、まだ入口にも着いてねーから」
「そうだけどさ。
前より、剣の振り、ちょっとだけ無駄が減った気がするぞ」
「……ほんと?」
「僕もそう思うよ」
後ろから、セラの声が飛んできた。
「前は、がむしゃらに振ってる感じだったけど、今はちゃんと“当てにいってる”っていうか」
「ミナは?」
「えっ、えっと、その……」
急に振られて、ミナが慌てる。
「カイくん、前より……その、背中、たよりがいある……かも?」
「お、おう」
素直な言葉に、逆に変に照れた。
レオが、ニヤニヤが止まらない顔で俺の肩をガンガン叩く。
「おーおー、モテモテじゃねーか、リーダーさんよぉ?」
「お前は黙って前見て歩け」
そうやって、軽口を叩きながら歩いていると――
森の雰囲気が、少しずつ変わっていった。
空気が重くなる。
風が、ひんやりとしてくる。
木々の間から漏れる光も、どこか色が沈んだように見えた。
「……魔力、濃くなってきた」
セラが、立ち止まって周囲を見回す。
薄い青の瞳が、木陰の奥をじっと探るように動く。
ミナも、杖を握り直しながら、小さく頷いた。
「なんか……空気が、ざわざわしてる感じがします」
「ってことは、そろそろか」
レオが、前方を指さした。
獣道の先。
そこだけ、ぽっかりと黒く口を開けた穴があった。
「……あれ、か」
近づくと、その違和感はさらに強くなる。
普通の洞窟なら、岩が崩れたような、ランダムな形の入口になっているはずだ。
でも目の前のそれは、妙に“きれい”だった。
左右対称。
角度も滑らかに整っている。
まるで、“誰かが意図して”削ったみたいに。
入口の奥は、暗い。
けれど、完全な闇ではなく、うっすらと白い光が見える。
その光は、自然光ではなく――
「……やっぱり、迷宮だね」
セラが、少し青ざめた顔で呟いた。
胸の奥で、心臓がどくんと鳴る。
「カイくん……」
ミナが、不安そうに袖をつかむ。
レオは、一度だけ深呼吸をして、盾の位置を直した。
「なあ、カイ」
「なんだ」
「ビビってる?」
「……当たり前だろ」
即答した俺に、レオが一瞬きょとんとして――からかうように笑った。
「だよな。でも」
レオが、俺の肩を軽く小突く。
「俺たち四人、一緒にビビってるなら、何とかなるだろ」
「理屈になってないけど、ちょっと分かる」
セラが苦笑する。
ミナは、袖を握る手に少しだけ力を込めてから、ぱっと離した。
「こ、怖いけど……でも、行こう」
俺は、目の前の“出口なのか入口なのかよく分からない穴”を見つめる。
ここから先は、未知だ。
何が待っているか分からない。
でも、このまま引き返したら――たぶん俺は、一生後悔する。
「……よし」
剣の柄を握りしめる。
「レオ、先頭頼む。俺がそのすぐ後ろ。
ミナは俺の背中。セラは、一番後ろから全体を見る。
何かあったら、すぐに引き返すぞ」
「了解」
「分かった」
「う、うん!」
四人で視線を交わし合う。
俺たちのパーティ名は、「夜明けの芽」。
いつか、大きな木になって――なんて大層なことは思ってない。
ただ、今はまだ“芽”のままでも。
この一歩が、きっと何かを変える。
「行くぞ」
レオが一歩、足を踏み入れる。
俺も、その背中を追う。
ひんやりとした空気が、肌を撫でた。
暗闇の中、うっすらと白い光が、どこか遠くで揺れている。
――俺たち「夜明けの芽」の、初めての迷宮攻略が、今始まる。




