第三十七話:迷宮の脅威と違和感
◆ギルド・支部長室/リアナ視点
深夜のギルド。
普段なら静まり返っているはずの支部長室は、重苦しい煙草の煙と、張り詰めた緊張感に包まれていた。
「……間違いないんだな、アレン」
支部長のバルドが、低い声で念を押す。
その視線の先には、全身ボロボロの状態でソファーに座る“霹靂の剣”のリーダー、アレンがいた。
応急処置は済ませているが、その表情には深い疲労と、拭いきれない恐怖の色が残っている。
「ああ。見間違えるはずがない」
アレンは、震える手で温かいミルクを口に運び、一息ついてから語り出した。
「第7階層の奥。迷宮核が安置されているはずの場所に、奴はいた。
黒い鎧。鬼の仮面。
そして――肌が粟立つほどの、圧倒的な威圧感」
アレンはCランクだ。並の魔物や冒険者相手に怯むような男ではない。
その彼が、思い出すだけで顔を青ざめさせている。
「奴は名乗ったよ。『ダンジョンマスター』と」
「……ッ」
同席していたリアナは、息を呑んだ。
ダンジョンマスター。迷宮の主。
お伽噺や伝説では語られるが、実際に遭遇し、会話が成立した事例は極めて稀だ。
「強さは?」
「測定不能だ。だが……少なくとも、俺たちが戦った悪魔よりは格段に上だ。
あの悪魔ですら、奴の『眷属』に過ぎないと言っていた。
推定だが……Aランク、あるいはそれ以上か」
バルドが、吸っていた葉巻を灰皿に押し付けた。
「Aランク以上……か。
この辺境において、それは“災害”に等しい戦力だ」
空気が重くなる。
もし、その戦力が地上へ敵意を向ければ、この街などひとたまりもない。
だが――バルドは、手元の報告書を指で弾いた。
「だが、奇妙だな」
「え?」
「そいつは、お前たちを見逃した。
『出直してこい』と言ってな」
バルドの鋭い視線が、リアナが集計したデータに向けられる。
「この北西迷宮。
新人が殺到し、Cランクパーティが深層で壊滅寸前まで追い込まれているにも関わらず――
未だに、『死者ゼロ』だ」
「……はい」
リアナも頷く。
それは、異常な事態だ。
普通の迷宮なら、これだけ人が入れば、事故や実力不足で毎日死人が出る。
だが、ここでは全員がボロボロになりながらも、必ず帰還している。
「Aランク相当の力を持つ主がいて、殺す力がありながら、殺さない。
それどころか、第5階層のような安全地帯まで提供している」
バルドは腕を組み、天井を仰いだ。
「奴の目的は、“侵略”や“殺戮”じゃねえ……。
少なくとも、今すぐに軍を動かして潰しにかかるのは悪手だ。
下手に刺激すれば、眠れる獅子を起こすことになる」
「では、様子見ですか?」
「ああ。だが、ただの静観じゃねえ」
バルドの目が光った。
「相手がAランク相当なら、こっちもそれ相応のカードを切る必要がある。
Cランクのアレンたちじゃ、荷が重すぎるからな」
「カード……ですか?」
「本部へ要請を出せ。
中央から、『Bランク』および『Aランク』の冒険者を派遣してもらう」
Aランク。
それは、数千、数万の冒険者の中に一握りしかいないエリートだ。
世界の脅威に対抗するため、国やギルド本部は常に一定数のAランク戦力を抱えている。
「調査依頼だ。
『主の目的』と『正確な戦力』の査定。
そして万が一、牙を剥いた時のための抑止力としてな」
「分かりました。
“高難度迷宮”としての認定申請と合わせて、手配します」
リアナは部屋を飛び出した。
全面戦争ではない。だが、緊張の糸は極限まで張り詰めている。
“本物”の実力者たちが、この街に集まってくる。
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「――ふぅ」
俺は、重たい黒鎧を脱ぎ捨て、ソファに深く沈み込んだ。
身体強化の魔法が解け、反動で全身が鉛のように重い。
「お疲れ様です、ご主人。
地上の方、ざわついてますけど、パニックって感じじゃないですね」
ナノがモニターに映し出されたギルド周辺の様子を見せる。
伝令は走っているが、街の明かりが消えたり、避難勧告が出ている様子はない。
「だろうな。
アレンたちを生かして帰したのが効いてる。
『話が通じる相手』だと思わせることに成功したわけだ」
俺は、コンソールを開き、自分のステータス画面を表示させた。
【黒瀬 功】
身体能力:Eランク相当(基礎)+Aランク相当(魔力ドーピング時)
魔力消費効率:極悪
「……しかし、コスパが悪すぎる」
俺はため息をついた。
今回のアレンたちへの威圧。あれだけで、俺は疲れ果てていた。
「それに、所詮はAランク『相当』だ」
この世界の常識を、俺はエルドラから教わっていた。
Aランクは確かに強い。一騎当千の英雄候補だ。
だが、上には上がいる。
SSSランクのエルドラのような神災級。
それに比べれば、Aランクはまだ「常識の範囲内」の強者でしかない。
「中央には、Aランク冒険者がゴロゴロいるって話だしな……」
もし、国が本気になってAランクの討伐隊を複数送り込んできたら?
Sランクの英雄が出てきたら?
俺個人のドーピングなんて、紙切れのように破られるだろう。
「俺が前線に出るのは、やっぱり悪手だ」
結論が出た。
俺が強くなるのは、あくまで「最後の最後の保険」でいい。
メインの戦略に組み込むには、あまりにもリスクが高すぎる。
「方針転換だ、ナノ」
俺は体を起こし、真剣な眼差しでナノを見た。
「俺自身への投資は、これで一旦ストップする。
これ以上魔力を注いでも、費用対効果が見合わない」
「では、溜まった魔力は?」
「迷宮へ回す」
俺は、迷宮全体のマップを空中に展開した。
「ギルドは、次は『調査隊』を送ってくるはずだ。
アレンたちよりも格上の、BランクやAランクの連中をな」
彼らは、新人たちのように甘くはない。
迷宮のギミックを力技で突破し、隠し部屋を見抜き、最短ルートで核を目指してくるだろう。
「それらを迎撃するには、俺一人が強くても意味がない。
迷宮全体を、高ランク冒険者すら飲み込む『システム』へと進化させる必要がある」
第6階層の強化、リリの親衛隊の配備、そして――
俺は、まだ空白のまま残されている『第8階層』以降の領域を見据えた。
「もっと深く、もっと凶悪なエリアを作る。
個の力ではなく、数と環境と理不尽で殺す(追い返す)。
それが、元社畜SEである俺の戦い方だ」
「はい!
ご主人は、やっぱりデスクワークで指揮を執ってる方が輝いてます!」
「現場に出たくないだけだと言え」
軽口を叩きながらも、腹は決まった。
魔王の仮面は、必要な時だけ被ればいい。
俺の本分は、このダンジョンという巨大なシステムの管理者だ。
「さて、次のアップデート計画を立てるぞ。
中央のエリート様たちが顔を青ざめて帰るような、とびきりの『おもてなし』を準備してやる」
俺は、徹夜覚悟でコンソールに向き直った。
恐怖よりも、ワクワクが勝っていた。
この世界に来て初めて直面する、高ランク帯ユーザーへの対応。
腕が鳴る。
――こうして、迷宮都市の裏側で、静かに、しかし激しい軍拡競争が始まろうとしていた。




