第三十六話:ハリボテのダンジョンマスター
◆第6階層・灼熱の回廊/アレン視点
「――熱いな。だが、耐えられないほどじゃない」
吹き荒れる熱風の中で、俺――アレンは額の汗を拭った。
身につけているのは、第5階層のドワーフ工房で大金をはたいて購入した『耐熱コート』と『対火竜鱗の軽鎧』だ。
前回、雪山からの温度差で装備を弾け飛ばされた悪夢は、もう繰り返さない。
「ボルド、盾の調子は?」
「最高だぜ! この『耐熱合金』、マグマの飛沫がかかっても変色すらしねえ!」
重戦士のボルドが、鈍く光る新しい大盾を叩いて笑う。
後衛のレンとミシェルも、冷却魔道具を懐に忍ばせ、暑さに耐えている。
「行くぞ。目指すは最奥だ」
俺たちは走り出した。
マグマの海から這い出てくるリザードマンの群れ。
だが、今の俺たちには通用しない。
「邪魔だッ!」
俺の剣が閃く。雷を帯びた刃が、リザードマンの硬い鱗をバターのように切り裂く。
ボルドが盾で押し込み、レンが氷結魔法で足を止める。
快進撃。
だが、この階層の主は雑魚じゃない。
「グルルルルゥ……!」
通路の先、マグマの滝の前に鎮座する巨体。
三つの首を持つ炎の番犬、ケルベロス。
「出たな、中ボス級!」
ケルベロスが三つの口から一斉に火炎弾を吐き出す。
「《聖なる防壁》!」
ミシェルが障壁を展開する。
炎が弾け、視界が揺らぐ。
「熱量が高い……! 長くは持ちません!」
「数秒でいい! ボルド、注意を引きつけろ! レン、目くらまし!」
「おうよ! こっちだワンちゃん!」
「《氷霧》!」
ボルドが盾を打ち鳴らし、レンが冷気を放って水蒸気爆発を起こす。
視界を奪われ、ケルベロスが苛立ち紛れに吠える。
その隙を、俺は見逃さない。
「《紫電・一閃》!」
俺は蒸気を突き破って跳躍した。
狙うは中央の首。
最大火力の雷撃を、脳天に叩き込む。
ズドンッ!!
雷鳴が轟き、ケルベロスの巨体が崩れ落ちた。
黒い煙となって消えていく番犬。
「……よし。突破だ」
俺は剣を納め、その先にある階段を見据えた。
この下。第7階層。
そこに、あの悪魔がいる。
「準備はいいかい?」
仲間たちを見回す。
全員、汗だくだが、目は死んでいない。
恐怖よりも、闘志が勝っている。
「行こう。
今度こそ、決着をつける」
◆第7階層・ボス部屋前/アレン視点
階段を降りきると、そこは静寂に包まれた石造りの回廊だった。
熱気はない。冷気もない。
ただ、張り詰めたような魔力の気配だけが漂っている。
そして、突き当たりにある巨大な扉。
第4階層の山頂にあったものと同じだ。
「……あいつ、また引っ越したのか?」
ボルドが軽口を叩くが、盾を持つ手には力が入っている。
「開けるぞ」
俺は扉に手をかけた。
ギギィ……と重い音がして、扉が開く。
中は、広大な円形のホールだった。
高い天井。整然と並ぶ石柱。
そして、部屋の最奥にある玉座に、彼女は座っていた。
「――遅かったじゃない」
リリが、退屈そうに頬杖をついて俺たちを見下ろす。
全身から立ち上る魔力が、陽炎のように空間を歪ませている。
「待たせて悪かったな。
雪山と灼熱の観光を楽しんでたもんでね」
俺は剣を抜き、切っ先を向けた。
「前回は逃がしてもらった礼、まだ返してなかっただろ?」
「ふふ。
口だけは達者ね、人間」
リリが立ち上がる。
それだけで、暴風のような殺気が吹き荒れた。
「いいわ。
ここまで来た褒美に――ボクの『全力』で潰してあげる」
バチバチバチッ!
リリの周囲に、黒い雷球が無数に浮遊する。
「総員、散開ッ!!」
俺の号令と同時に、戦いの火蓋が切られた。
◆第7階層・決戦/黒瀬視点
「……始まったな」
俺は迷宮核の前で、固唾を飲んでモニターを見つめていた。
リリは、黒雷を雨のように降らせながら、自身も高速で移動し、魔法と格闘を織り交ぜて攻め立てる。
Cランク上位の実力を持つアレンたちですら、防戦一方だ。
「リリさん、強くなりすぎじゃありません?」
ナノが心配そうに言う。
「いや、アレンたちも負けてない」
俺は画面を指さした。
一見、押されているように見えるが、致命打は避けている。
ボルドが盾で攻撃の芯を逸らし、ミシェルが絶妙なタイミングでバフ(強化魔法)をかける。
レンが牽制魔法でリリの足を止め、その一瞬の隙に、アレンがカウンターを狙う。
連携だ。
個の力ではリリが勝るが、チームとしての完成度は彼らの方が上だ。
「……拮抗してる。
だが、持久戦になれば魔力量の差でリリが勝つ」
アレンもそれを分かっているはずだ。
だから――
「来るぞ。勝負に出る」
◆ボス部屋・決着/アレン視点
「はぁ……はぁ……ッ!」
俺の剣が、リリの黒雷に弾かれる。
手が痺れる。
化け物だ、こいつは。
前回戦った時よりも、数段強くなっている。
「どうしたの? もう終わり?」
リリが笑う。余裕の笑みだ。
だが、俺は見た。
彼女の肩が、わずかに上下しているのを。
魔力の光が、一瞬だけ揺らいだのを。
(――今しかない)
俺は、仲間に目配せを送った。
言葉はいらない。何度も繰り返した作戦だ。
「ボルド、レン! 全開だ!」
「おうらぁぁぁッ!!」
ボルドが盾を捨て、両手で戦斧を振りかぶって突っ込む。
防御を捨てた決死の特攻。
「《グラビティ・プレス》!」
レンが残った魔力をすべて使い、リリの足元に重力魔法を叩き込む。
「小賢しい!」
リリが迎撃しようとする。
その意識が、二人に向いた瞬間。
俺は、自分の心臓に雷を打ち込んだ。
心拍加速。神経伝達速度限界突破。
寿命を削るほどの過負荷。
「《雷神・神速》!!」
世界がスローモーションになる。
俺は光となって戦場を駆けた。
リリが気づいて振り返る。
だが、遅い。
「――終わりだッ!!」
俺の剣が、雷鳴と共にリリの胸元へ突き刺さる。
手応えあり。
「が、ぁ……ッ!?」
リリが目を見開き、血を吐いた。
黒い雷が霧散していく。
膝をつく悪魔。
俺は追撃の構えを取る――が、その必要はなかった。
ブォン……。
リリの体が、光の粒子に包まれ始めたのだ。
「……やる、じゃない……」
リリは、悔しそうに、けれどどこか満足げに微笑んだ。
「人間の分際で……ボクを、ここまで……」
カッ!
閃光の派手なエフェクトが広がる。
俺たちが腕で顔を覆う間に、リリの気配は完全に消滅していた。
「……勝った、のか?」
ボルドが、信じられないという顔で呟く。
「ああ。倒した……いや、撤退させた?」
俺は剣を下ろし、荒い息を吐いた。
「俺たちの、勝ちだ……!」
歓声が上がる。
ミシェルが泣き崩れ、レンが座り込む。
俺たちは、悪魔の壁を超えたのだ。
「……だが、まだ終わりじゃない」
俺は、視線を奥へと向けた。
玉座の後ろ。
そこに、さらに奥へと続く扉がある。
この迷宮の最深部。
迷宮核があるはずの場所。
「行こう。
この迷宮の『正体』を確かめに」
俺たちは、最後の力を振り絞って、その扉を開けた。
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「リリ、回収完了しました」
ナノの声と共に、回復部屋のモニターにリリが転送されてくるのが見えた。
胸を押さえてうずくまっているが、命に別状はない。
HP3割を切った瞬間の強制離脱システムが、完璧に作動した。
「よくやった、リリ。
十分な時間稼ぎと、最高の『前座』だったぞ」
俺は立ち上がり、黒いマントを翻した。
全身を覆う漆黒の鎧。
顔を隠す禍々しい鬼の仮面。
そして、体に漲る、1200もの魔力を注ぎ込んだ『Aランク相当』の力。
「さあ、仕上げだ。
彼らに、『絶望』と『目標』を与えてやろう」
俺は、最深部の部屋――迷宮核の手前に作られた『謁見の間』へと転移した。
◆最深部・謁見の間/アレン視点
扉の向こうは、静謐な空間だった。
装飾のない、広大な石造りの広間。
その最奥に、一人の男が立っていた。
黒い全身鎧。
顔には、笑っているようにも泣いているようにも見える、不気味な仮面。
武器は持っていない。
ただ、腕を組んで仁王立ちしているだけ。
なのに――
「っ……!?」
足が、止まった。
本能が警鐘を鳴らしている。
リリと対峙した時とは比べ物にならない、圧倒的な『死』の予感。
「よ、よく来たな、人間たちよ」
仮面の男が口を開いた。
重厚で、腹の底に響くような声。
「我は、この迷宮の主。
ダンジョンマスターである」
「ダンジョン……マスター……!」
俺は息を呑んだ。
伝説上の存在。迷宮を作り、魔物を統べる王。
それが、実在したのか。
「お前が、ここの親玉か!」
ボルドが吼える。
だが、足は震えて前に出ない。
「いかにも。
我が眷属を退けたその手腕、見事であった。
Cランクの身でここまで辿り着いたこと、褒めて遣わそう」
男が、ゆっくりと片手を上げた。
それだけで、空気が凍りつくような魔力が膨れ上がる。
Aランク……いや、それ以上か?
底が見えない。
「だが――今はまだ、我に挑む時ではない」
男の手から、黒い波動が放たれた。
攻撃ではない。ただの威圧。
それなのに、俺たちは立っていられず、その場に膝をつかされた。
「ぐっ……うぅ……!」
重い。空気が鉛のようだ。
満身創痍の俺たちには、呼吸をするだけで精一杯だ。
「力の差は歴然。
今ここで戦えば、貴様らは塵も残さず消え去るだろう」
男は、諭すように言った。
「命を粗末にするな。
生きて帰り、さらに力をつけ、再び挑んでくるがよい。
その時こそ――我が相手をしてやろう」
慈悲、なのか。
それとも、強者の気まぐれか。
だが、俺は悟った。
勝てない。
万全の状態でも、今の俺たちでは、この男の足元にも及ばない。
「……分かった」
俺は、血の滲む唇で答えた。
「今日のところは……俺たちの負けだ」
悔しさが涙となって滲む。
だが、全滅するよりはマシだ。
生きていれば、また強くなれる。
「総員、撤退ッ!」
俺たちは、這うようにして扉を出た。
背中で、仮面の男が見送っている気配を感じながら。
(覚えてろよ……ダンジョンマスター!
いつか必ず、その仮面を剥いでやる!)
新たなる目標を胸に刻み、俺たちは迷宮を後にした。
◆謁見の間/黒瀬視点
アレンたちの気配が完全に消えたのを確認して、俺はその場にへたり込んだ。
「……ふぅぅぅぅぅ」
全身から冷や汗が吹き出す。
膝がガクガクと震えている。
「怖かったぁぁ……!
あいつら、殺気バリバリじゃねえか!」
「お疲れ様です、ご主人!
素晴らしい魔王っぷりでしたよ!」
ナノが飛び出してきて、ポンポンと俺の肩を叩く。
「Aランク相当の威圧スキル、効果てきめんでしたね。
あそこで戦ってたら、ボロが出てたかもしれませんけど」
「ああ。
中身はただの『ステータスを盛っただけの素人』だからな。
実戦になったら、テクニックで負ける」
だからこその、威圧による不戦勝。
「格が違う」と思わせれば、賢い彼らは勝手に引いてくれる。
「これで、『ダンジョンマスター』の存在が確定しました。
ギルドも国も、もう無視できませんよ」
「……ああ」
俺は仮面を外し、天井を見上げた。
「賽は投げられた。
ここからは、国家規模の『攻略戦』が始まるぞ」
恐怖と、少しの高揚感を感じながら、俺は迷宮核の間へと戻っていった。




