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第三十二話:第5層のリゾート

◆迷宮核の間/黒瀬視点


「――来たな、最初のお客様だ」


 監視水晶の前で、俺はカップを置いた。

 画面に映っているのは、白と青の騎士装束に身を包んだ四人組。

 Cランクパーティ、“霹靂へきれきの剣”。


 彼らは迷宮入口の広場で、新設された『転移ゲート』の前に立っていた。


「装備、バッチリですね」


 ナノが画面を拡大する。

 リーダーのアレンをはじめ、全員が分厚い毛皮の付いた防寒コートを羽織っている。さらに、関節部分には凍結防止のオイルが塗られているのが、魔力光の反射で見て取れた。


「前回、ずぶ濡れからの急速冷凍で酷い目に遭ったからな。

 今回は『乾いた状態』で、かつ『防寒対策済み』で挑むつもりだ」


 俺はニヤリと笑った。

 正しい攻略法だ。

 だが、彼らが目指している「リリとの再戦」は、今の第4階層にはない。


「さあ、ゲートをくぐれ。

 そして驚愕しろ。

 地獄の底に、『楽園』があることにな」



◆迷宮入口広場/アレン視点


「準備はいいかい?」


 俺の問いかけに、ボルド、レン、ミシェルが力強く頷いた。

 前回の敗走から数日。俺たちは徹底的に準備をした。

 装備を整え、魔力を蓄え、雪山対策を練り上げた。


 あの悪魔に、今度こそ一泡吹かせるために。


「転移ゲート起動。行き先――第4階層」


 俺が告げると、ゲートが青白く輝いた。

 一瞬の浮遊感。

 次の瞬間、肌を刺す冷気が襲ってきた。


「……到着だ」


 第4階層、氷結の雪山。

 前回は満身創痍でたどり着いた場所だが、今回はスタート地点だ。

 体力も魔力も満タン。服も濡れていない。


「寒いけど……前回ほどじゃないわ!」


 ミシェルがコートの襟を合わせながら言う。


「行くぞ。あの扉の前まで一気に駆ける!」


 俺たちは雪原を疾走した。

 ホワイトウルフの群れが現れるが、今の俺たちの敵ではない。

 イエティの雪玉投擲も、万全の状態なら回避は容易だ。


 山岳地帯を抜け、山頂へ。

 そこには、前回俺たちが逃げ帰った、あの重厚な扉があるはずだった。


「……あれ?」


 先頭を走っていたボルドが足を止める。


「扉が……ねえぞ?」


「なんだって?」


 追いついた俺も、目を疑った。

 あの圧倒的な威圧感を放っていたボス部屋の扉。

 それが、跡形もなく消えていた。


 代わりにそこにあったのは、地下へと続く大きな階段だった。


「逃げたのか……? いや、さらに奥へ引いたのか?」


 レンが警戒しながら杖を構える。


「どうする、アレンさん」


「……行こう。

 罠かもしれないが、リリほどの使い手が、ただ逃げるとは思えない」


 俺たちは、警戒レベルを最大に引き上げて、階段を降り始めた。

 冷たい風が吹き上げてくる。

 緊張で、喉が渇く。


 この先には、どんな地獄が待っているのか。

 灼熱か、毒の沼か、それとも――


 階段を降りきった瞬間。

 俺たちの視界に飛び込んできたのは、予想もしない光景だった。



◆第5階層/アレン視点


「……は?」


 俺は、間の抜けた声を出した。

 ボルドが、ポカンと口を開けて盾を下ろした。


 そこは、明るかった。

 天井が高い。

 擬似的な空には、柔らかな陽光のような光が満ちている。


 足元は、綺麗に整備された石畳。

 道の両側には、煉瓦造りの可愛らしい建物が並んでいる。

 街灯があり、ベンチがあり、花壇まである。


 地獄どころか、どこかの避暑地のような光景。


「な、何ここ……? 迷宮の中、よね?」


 ミシェルが混乱して周囲を見回す。


 その時だ。


「いらっしゃいませニャ!」


 建物の陰から、ひょこっと何かが飛び出してきた。

 二足歩行の猫。いや、猫の獣人。

 ふわふわの毛並みに、エプロンドレスを着たケット・シーだ。


「敵ッ!?」


 ボルドが反射的に剣を抜こうとする。

 だが、ケット・シーは武器を持っていなかった。

 持っているのは――お盆と、湯気の立つカップだ。


「敵じゃないニャ!

 ここは『迷宮都市』。冒険者さんのための休憩所だニャ」


 ケット・シーは、長い尻尾をゆらゆらさせながら、にっこりと笑った(ように見えた)。


「寒いところ、お疲れ様だニャ。

 まずは温かいスープでもどうニャ?

 あっちの宿屋には、温泉もあるニャよ」


「お、温泉……?」

「スープ……?」


 俺たちは顔を見合わせた。

 罠だ。絶対に罠だ。

 魔物がこんな親切なことをするはずがない。

 このスープには毒が、宿屋には落とし穴があるに決まっている。


 だが――鼻をくすぐるコンソメの良い香りが、極寒の雪山で冷え切った体に、暴力的なまでに訴えかけてくる。


「……毒見を」


 俺は慎重にカップを受け取り、一口だけ含んだ。

 温かい。

 野菜の旨味が染み渡る。

 毒はない。痺れもない。ただただ、美味い。


「……美味い」


「えっ」


「めちゃくちゃ美味いぞ、これ」


 俺の言葉に、仲間たちの緊張の糸が、ぷつんと切れた。


「こっちのお店では、武器の修理もやってるニャ!

 ドワーフの旦那が良い仕事するニャよ〜」


 別のケット・シーが、手招きをしている。

 その先の看板には、ハンマーの絵と『グラン工房・第5階層支店』の文字。


「ドワーフの工房だと!?」


 ボルドが目を輝かせて吸い込まれていく。

 ミシェルは温泉という響きに抗えず、レンは食堂のメニュー表に釘付けだ。


「ま、待てみんな! 警戒を……!」


 俺は止めようとしたが、正直、俺自身も限界だった。

 雪山の緊張感から、この緩和。

 暖かさ。匂い。もふもふの猫。


「……少しだけ、休憩するか」


 それが、陥落の合図だった。



◆第5階層・宿屋/アレン視点


 一時間後。

 俺たちは、宿屋のラウンジで骨抜きになっていた。


「天国だ……」


 風呂上がりのボルドが、フルーツ牛乳を片手にソファに沈んでいる。

 ドワーフ工房で盾を修理してもらい、さらに補強までしてもらってご機嫌だ。


「信じられないわ……ここ、本当に迷宮なの?」


 ミシェルが、ツヤツヤになった肌をさすりながら呟く。

 温泉には疲労回復の効能があったらしい。魔力の回復速度も段違いだ。


「恐ろしい場所だね」


 俺は、焼きたてのパンをかじりながら言った。


「ここは『安全地帯セーフティ』じゃない。

 冒険者をここに縛り付けるための、甘い『檻』だ」


 快適すぎる。

 地上に戻るのが馬鹿らしくなるほどに。

 ここで装備を直し、腹を満たし、また奥へ挑めと言われているようだ。


「……でも、拠点としては最高だ」


 レンが、真剣な顔で地図を広げた。


「ここをベースキャンプにできれば、わざわざ地上から潜り直す必要がない。

 万全の状態で、さらに奥の階層へアタックできる」


「ああ。

 この階層を作った奴は、とんでもない策士だ」


 俺は、ふと視線を感じて窓の外を見た。

 石畳の街並み。行き交うケット・シーたち。

 その平和な光景の先に、さらに下へと続く階段が見えた。


「……よし。

 少し休んだら、次の階層を偵察に行くぞ」


「ええー、もう行くんですかぁ?」


 ボルドがだらしない声を出す。


「偵察だけだ。

 ここが『5階層』なら、次は『6階層』があるはずだ。

 どんな場所か、空気だけでも掴んでおく」


 俺たちは、名残惜しさを振り切って宿屋を出た。



◆第6階層・入口/アレン視点


 第5階層の奥にある階段を降りる。

 石造りの綺麗な階段だ。


 だが、降りるにつれて、空気が変わった。

 暑い。

 さっきまでの快適な空調が嘘のように、熱気が吹き上げてくる。


「……嫌な予感がするな」


 階段を降りきった先。

 扉を開けた瞬間、俺たちは熱風に叩かれた。


「うわっ、熱っ!?」


 目の前に広がっていたのは、煮えたぎるマグマの海だった。

 赤黒い岩肌。噴き上がる火柱。

 視界が熱で揺らいでいる。


「灼熱地獄かよ……!」


 ボルドが叫ぶ。

 そして、異変はすぐに起きた。


 パキッ。


 俺の防寒コートの留め具が、音を立てて弾け飛んだ。


「防具が……!」


 雪山用に塗りたくった凍結防止オイルが、熱で変質し、異臭を放ち始めている。

 さらに、冷え切っていた金属鎧が急激に熱せられ、きしんだ音を立てる。


「ヒートショックか!

 まずい、このままじゃ装備がダメになる!」


 第4階層の極寒装備のまま、第6階層の灼熱へ。

 最悪の相性だ。

 対策なしで踏み込めば、熱中症になる前に装備が全損する。


「撤退だ! 戻るぞ!」


 俺たちは、扉から数歩進んだだけで、慌てて引き返した。


 逃げ帰った先は、快適な第5階層。

 涼しい風が、火照った体を冷やしてくれる。


「……なるほどな」


 俺は膝に手をついて、汗を拭った。


「雪山で凍らせて、都市で休ませて、油断したところでマグマで焼く。

 性格が悪すぎるぞ、この迷宮の主は」


 だが、同時に理解した。

 この第5階層にある『ドワーフの工房』。

 あそこで耐熱装備を揃えろ、ということだ。


「……勝てないな、本当に」


 俺は苦笑し、仲間たちを振り返った。


「帰ろう。

 ギルドに報告しなきゃならないことが、山ほどできた」



◆ギルド・カウンター/リアナ視点


「――迷宮の中に、街があった?」


 夕方。

 報告に来たアレンの言葉に、リアナは持っていたペンを取り落とした。


 周囲の冒険者たちも、ざわざわと騒ぎ始める。


「はい。第5階層です」


 アレンは、まるで夢でも見てきたような顔で語った。


「宿屋も、食堂も、工房もありました。

 猫の獣人たちが働いていて……信じられないくらい、快適でした」


「温泉もありました!」

「ごはんが美味しかったです!」


 後ろのメンバーも口々に証言する。

 その肌艶の良さが、何よりの証拠だった。

 死地から帰ってきた冒険者の顔ではない。リゾート帰りの観光客の顔だ。


「……わかりました」


 リアナは、震える手で報告書にペンを走らせた。


 【北西迷宮・第5階層にて『迷宮都市』を確認】

 【友好的な魔物によるサービス提供あり】

 【拠点としての利用価値:極大】


「これは……世界が変わりますね」


 迷宮の中に、安全な拠点がある。

 それは、冒険のあり方を根底から覆す事態だ。

 日帰りではなく、泊まり込みでの攻略が可能になる。


「アレンさん、第6階層は?」


「覗きましたが、灼熱のマグマエリアでした。

 雪山装備では自殺行為です。

 第5階層で準備を整えないと、攻略は不可能でしょう」


「なるほど……アメとムチ、ですね」


 リアナはため息をついた。

 この報告が広まれば、どうなるか。


 恐怖よりも、好奇心と利便性が勝るだろう。

 「迷宮都市に行ってみたい」という冒険者が殺到する未来が、ありありと見えた。


「ありがとうございます。

 この情報は、すぐに共有します」


 アレンたちが去った後、リアナは支部長室へと走った。

 また、胃の痛くなる日々が始まりそうだ。



◆迷宮核の間/黒瀬視点


「大成功だな」


 アレンたちの反応、そしてギルドでの騒ぎをモニターで見ながら、俺はガッツポーズをした。


「Cランクパーティを完全に骨抜きにしましたね」


 ナノも楽しそうだ。


「これで情報は広まる。

 次は、『夜明けの芽』や『灰色の風』もやってくるだろう。

 そうなれば、第5階層は名実ともに『地下の拠点』になる」


 俺は、コンソールの『商業区画拡張』プランを表示させた。


「さあ、忙しくなるぞ。

 地上の商人たちを誘致する準備だ。

 この迷宮を、世界一の『地下都市』にしてやる」


 迷宮核が、呼応するように力強く脈打った。

 搾取と癒やしの楽園が、いよいよ本格稼働を始める。

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