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第二十五話:黒霧の舞台と、中堅の覚悟

◆第3階層・ボス部屋前/ガルド視点


 休憩を終え、装備を整え直した俺たちは、再び黒鉄の扉の前に立った。


「……行くぞ」


 俺の声に、仲間たちが無言で頷く。

 恐怖がないと言えば嘘になる。

 だが、中途半端な気持ちで開けていい扉じゃないことは、肌で理解していた。


 ギィィ……。


 重々しい音と共に、扉が開く。


 そこは、水浸しになった広大な空間だった。

 そして、その中央。

 一段高くなったステージの上に、彼女はいた。


 黒い羽根の翼。真紅の瞳。

 以前よりも成長し、妖艶さを増した悪魔。


「――ようこそ、また来たのね」


 彼女は、ゆっくりと片手を上げた。

 その仕草だけで、空気が一段重くなる。


「“帰り道を捨てる勇気”は、持ってきたかしら?」


「……生憎、“帰り道は死守する”方針でな」


 俺は、喉の奥を乾いた笑いがこみ上げるのを感じながら、大剣を構え直した。


「今日は、“扉の向こうを見に来ただけ”だ」


「ふふ。

 “見るだけ”で済むと、まだ思っているのね」


 リリは唇の端を吊り上げた。


 その瞬間、水面を這う魔力の気配が、ぐっと濃くなる。


「トーラ、前へ! アンナ、側面から射線確保!

 シグは水場を利用して魔法防御だ!」


「了解!」


 俺たちは散開し、陣形を整える。


 リリは何でもないように指を鳴らした。


「では、試験開始といきましょうか。

 “あなたたちが、本当にここに来るべきだったのかどうか”」


 ――視界が、ふっと歪んだ。


「っ!?」


 足元の水面が、底なしの深淵に見える。

 平衡感覚が狂い、立っているだけで精一杯になる。


「幻惑……っ! シグ!」


「分かってる! 《精神統一マインドクリア》!」


 シグの魔法で、視界の歪みが少しマシになる。

 だが、それだけでは終わらない。


「ふふ。……いい反応ね」


 リリは両手を広げた。


「では――

 《黒霧の舞台ダークステージ》、開幕」


 水面から、黒い霧が立ち上った。

 霧に触れた肌が、じりじりと焼けるように痛む。


「毒じゃない……でも、体力が削られていく!」


 トーラが叫ぶ。


「長居は無用だ! 一気に詰めるぞ!」


 俺は水しぶきを上げて突っ込んだ。

 大剣を振りかぶり、リリへと肉薄する。


 だが――


「遅い」


 リリが指先をひょいと動かす。

 それだけで、俺の剣の軌道がぐにゃりと曲げられた。


「なっ!?」


 空を切った剣が水面を叩く。

 その隙に、黒い霧が鎖のように俺の腕に絡みついた。


「ぐっ……重い……!」


 物理的な重さじゃない。

 精神に直接負荷をかけてくる、呪いのような重圧。


「ガルド!」


 アンナの矢がリリを襲う。

 だが、それもまた、見えない壁に滑るように逸らされた。


「残念。

 あなたの力は悪くないわ。

 ただ――“ここでは当たらない”」


 赤い瞳が細められる。

 その目に宿るのは、獲物を弄ぶ悪意――だけではない。

 どこか、“値踏み”するような色だ。


(――こいつ、俺たちのことを試しているのか?)


 俺は、奥歯を噛みしめた。



◆迷宮核の間/黒瀬視点


「……やっぱ、リリ、性格悪いよなあ」


 監視水晶に映る光景に、俺は頭を抱えた。


 視覚を狂わす幻惑。

 体力を削る継続ダメージ霧。

 動きを縛る精神拘束。


 物理的な一撃で殺すのではなく、じわじわと追い詰め、判断力を奪う戦法だ。


「ご主人、“性格悪い”って、この仕掛け考えたの、ご主人ですよ」


 横で、ナノがきっちりツッコミを入れてくる。


「“死なせないけど、限界まで追い込んで帰らせる”設計書、リリさんなりに忠実に実装してます」


「いやまあ、そうなんだけどさ……」


 画面の端には、【灰色の風】のステータスが表示されている。

 HPはまだ半分以上あるが、精神負荷ゲージが危険域に入りかけている。


「ガルドさんたち、まだ心は折れてませんね」


「ああ。さすが中堅だ。

 でも、そろそろ“引き際”を教えてやる頃合いだな」


「リリさん、お願いします」


 俺は通信機越しに合図を送った。



◆ボス部屋/ガルド視点


「――っは、は……!」


 息が上がる。

 体力の消耗よりも、神経の摩耗が激しい。


 攻撃は当たらない。

 足場は悪い。

 霧と鎖が、じわじわと俺たちを縛り付けていく。


「リーダー、きついぜ……!」


 トーラの動きが鈍る。

 シグの魔力も底が見えてきた。


(……駄目だ。このままだと、“削られて終わり”だ)


 俺は判断を迫られていた。

 このまま特攻するか。

 それとも――


「――ガルド!」


 アンナが叫んだ。


「まだ撃てる! 私が囮になるから、その隙に!」


「バカ言え!」


 俺は吠えた。


「ここまで来て、“誰か一人だけ致命傷”になってまで見る景色なんか、価値ねえだろうが!」


「……っ」


「この霧と、この圧と、この悪魔のおしゃべり。

 “ここから先は、一歩ずつ命削る場所だ”ってのは、もう分かっただろ」


 俺たちのやりとりを、リリは愉快そうに眺めている。


「いい顔をするわねえ、あなたたち」


 彼女が、くすりと笑った。


「“これ以上進めば誰かが死ぬ”って分かってて、それでも、“もう少しだけ先を見たい”って顔」


「悪いが」


 俺は剣を構え直した。


「俺たちは、“もう少しだけ”を、何度も繰り返してここまで来たんでね。

 今日の仕事は、“悪魔”の戦い方が分かった時点で達成だ。

 “扉の奥”は、また今度でいい」


「撤退?」


 リリが首をかしげる。


「生きて帰るって約束してきたんでな」


 俺は、短く笑った。


「じゃあ――帰るのね?」


 リリの目が、少しだけ見開かれた。


 次の瞬間――


 黒い霧が、ふっと濃くなった。


「っ!?」


 痛みが跳ね上がる。

 足がすくむ。


(――しまっ、逃がさない気か!?)


 俺が身構えた、その時。


 霧は、嘘のように晴れた。

 拘束していた鎖も、消え失せている。


「……え?」


 呆気にとられる俺たちの前で、リリは翼を畳んで座り込んだ。


「帰るなら、さっさと帰りなさい」


 彼女は、まるで興味を失ったかのように手を振った。


「“ここまで来た”ご褒美よ。

 今なら、背中は撃たないであげる」


「……」


 俺は、剣を納めた。

 見逃された。

 いや、“合格点”をもらったのかもしれない。


 リリは背を向けたまま言う。


「次に来るときは――

 “誰か一人でも欠けても構わない覚悟”を持ってきなさい」


 その言葉に、背筋がぞくりとする。


(――“そうはならないようにするための覚悟”を持ってくるよ)


 心の中でそう返して、俺は号令をかけた。


「撤退する!

 全員、生きて帰るぞ!」


「おう!」


 俺たちは、泥と汗にまみれながら、出口へと走り出した。



◆迷宮核の間/黒瀬視点


「……ふぅ」


 俺は椅子の背にもたれかかった。

 モニターには、撤退していく【灰色の風】の後ろ姿。


「全員、生きてるな」


「はい。致命ラインには届いていません」


 ナノが報告する。


「リリさんも、最後は綺麗に引きましたね」


「ああ。あいつにしては上出来だ」


 これで、“中堅パーティでも苦戦するが、死なずに帰れる”という実績ができた。

 この情報は、冒険者たちの間で広まり、さらなる挑戦者カモを呼ぶだろう。


「さて、今日の営業はこれで終了だな」


 俺は伸びをした。

 魔力は十分に溜まった。

 迷宮の評判も上々。


 だが――


「Dランクを退けたってことは、次はCランク、あるいはそれ以上が来るかもしれない」


 俺は迷宮核を見上げた。


「ここからが正念場だぞ」


 迷宮核が、答えるように静かに脈打った。

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