第十五話:中ボスのお出迎え
◆ゴブリン前線フロア/ジグ視点
「――来る」
訓練場の片隅で、ジグは耳をぴくりと動かした。
地面を通して伝わってくる、足音の揺れ方。 前の“ちびっこ冒険者たち”とは違う重さ。
「ジグ隊長、どうする?」
仲間のゴブリンたちが、そわそわと周囲を見回す。
訓練で使い込まれた木製の棍棒。
以前より、みんなの構えがちょっとだけ様になってきた。
「ご主人から“今回は中堅の連中だ”って」
耳の奥で、ボス――ご主人の声が響く。
『お前らの訓練にもなる。 ただし、死ぬな。 HP三割切ったら、ちゃんと逃げろ』
「……分かってる」
ジグは、棍棒をぎゅっと握った。
「みんな、聞け」
「ギャッ」
「前のやつらより、強いのが来る。 でも、オレたちだって、前より強くなってる。 オレたちの仕事は、“簡単には通さねえこと”だ」
「殺すんじゃなくて?」
「ああ」
「それで、殺さずに帰らせる。それで、また来るようになったら、ご主人も喜ぶ。 そしたら、飯もうまくなる」
「大事!」
途端に、みんなの目が真剣になった。
「じゃ、行くぞ」
ジグは、一歩前に出る。
暗い通路の奥から、灯りが近づいてきた。
◆ゴブリン前線フロア/ガルド視点
「――ほう」
通路の先に見えたのは、3体のゴブリンだった。
潰れた鼻。 黄色い目。 粗末な棍棒。
よく見る“雑魚ゴブリン”――のはずだが。
「……立ち方が違うな」
俺は、自然と大剣を構え直した。
腰を落とし、棍棒を斜めに構え。 足は半歩引いて、いつでも動けるようにしている。
明らかに、“訓練された構え”。
「新人が見たら、ビビって引き返すかもね、これ」
アンナが小声で言う。
「3体。 だけど、後ろにも気配がある。 交代しながら戦うタイプだね」
「――行くぞ」
俺は、床を蹴った。
前衛のトーラも、俺に合わせて左右に広がる。
ゴブリンたちも、棍棒を構えたまま前に出てきた。
最初の一撃は、ただの試し合いだった。
大剣と棍棒がぶつかり、衝撃が腕に伝わる。
(軽い。けど――)
棍棒の角度が、妙に良い。
力をいなすように受けて、すぐ後ろのゴブリンと入れ替わる。
「入れ替わり、早いな」
「訓練受けてるね、これ完全に」
シグとアンナの声が飛ぶ。
トーラも、足さばきでゴブリンの攻撃をかわしつつ、隙を狙って盾で小突く。
ジグたちは、決して深追いしない。 こちらの反撃の間合いに無闇に踏み込まない。
「小賢しい……」
新人なら、ここで心が折れるだろう。
だが、俺たちには――“ちょうどいい相手”。
「ゴブリンの足元、少し滑らせてくれ」
「《風の弾》!」
足元に小さな風の球をぶつける。 ゴブリンの足が、ほんの一瞬だけ横滑りした。
「――ッ」
そこを、トーラと俺で一気に詰める。
棍棒を叩き落とし、胴を浅く斬る。
ゴブリンの体が、ぐらりと揺れ――
「ギャッ!」
黒い煙。 光。
「……倒したか」
トーラが、目を細める。
死体が残らない迷宮。 珍しくはないが、“効率良すぎる”感はある。
それに――
「消えた直後に、前方奥から別の気配」
シグが、魔術用の杖で通路の先を指した。
黒い煙が晴れたところに、また別のゴブリンが一体、前に出てくる。
「数は、減ってない」
「無限湧き……?」
ミナが言っていたのと、同じ感想が喉元まで出かかった。
「……減ってはいないが、“増えもしない”」
俺は、ゴブリンの足運びを見ながら言う。
「3体の枠を維持したまま、やられたら誰かが補充される。 でも、一気に数を増やそうとはしてない」
アンナが、矢を番えながら言う。
「これ、“訓練場にはぴったり”だよ」
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「ご主人、“中堅にも訓練場扱い”されました」
「だからログをだな」
「だって、“訓練場”って見抜かれたの、ちょっと嬉しいでしょ?」
「……まあ、コンセプト通りではある」
ジグたちは、ちゃんと“生き残る動き”をしている。
HP三割を切ったやつから順番に、黒煙エフェクト付きで退避。
回復部屋でポーションを飲まされ、別ルートからローテーション。
冒険者から見れば、“倒しても倒しても減らない”。
でもこっちにとっては、“効率のいい前線ローテーション”。
「ガルドさんたちも、完全にそれを“仕様”として受け入れましたね」
「さすがに、“何かある”とまでは気づいてるみたいだが」
顔つきが、“遊び感覚”から“調査モード”に切り替わっている。
「さて。そろそろ、リリの出番かな。でも、ここから先は、今回は無理しねえだろうな」
「どうしてそう思うんです?」
「依頼が“調査”だからだよ。 中堅は、“仕事と冒険”をちゃんと分ける」
◆中層手前・巨大扉前/ガルド視点
ゴブリンゾーンを抜けた先――空気が、変わった。
「……ん。ここから先、魔力密度が跳ね上がるね」
シグが、小さく眉をひそめる。
「扉」
トーラが、前方を指さした。
そこには、巨大な黒い扉があった。
金属製。 縁には、淡く光る紋様。
「“ボス部屋”だな」
俺は即座にそう判断した。
扉自体が、“ここから先は別格だ”と主張している。
「どうする?」
アンナが、訊ねてくる。
魔力残量。体力。スライムとゴブリン戦で削れた防具。
全部考えて――
「今回は帰る」
はっきりと言った。
「依頼は“危険度確認”だ。 “ボスを倒せ”とは言われてない」
そう言って踵を返そうとした、その時だった。
ギギィ……。
重厚な音が響き、巨大な扉がゆっくりと内側へ開いた。
「――あら」
冷ややかな声が、扉の奥から漏れ出た。
「せっかくここまで来たのに、ご挨拶もなしかい?」
「ッ!」
俺たちは一斉に振り返り、武器を構える。
扉の奥――薄暗い空間に、階段のような段差が見える。 その一番高い場所に、小柄な人影が浮かんでいた。
紫色の髪。 頭には角。 背中にはコウモリのような翼。 そして、暗闇の中でらんらんと赤く輝く瞳。
魔力が、膨れ上がるように空間を満たす。
「あ、悪魔……!?」
シグの声が裏返った。
その姿は、俺たちの知る“迷宮の魔物”とは一線を画していた。
明らかに格が違う。 “ここにいていいレベル”の存在じゃない。
「初めまして、人間たち」
悪魔は――リリは、楽しそうに俺たちを見下ろした。
「ボクはこの迷宮の番人。 まあ、ちょっとした“おもてなし”役ってところ」
ぱちん、と指を鳴らす。
瞬間、部屋中の魔法陣が一斉に赤く輝き出した。
床から、壁から、無数の光の筋が走り、複雑な紋様を描き出す。
それは攻撃魔法の予兆――ではない。
ただの威圧。 だが、その威圧だけで、足がすくむには十分すぎた。
「な、なんだこの威圧感は……!」
シグが青ざめて後ずさる。
「こいつ……マジでヤバいぞ」
俺の本能が、警鐘を鳴らしまくっていた。
戦って勝てる相手じゃない。
少なくとも、“今の装備と消耗具合”で挑んでいい相手じゃない。
「どうする? 遊んでいく?」
リリは首を傾げ、妖艶に微笑む。
「それとも――“お利口に帰る”?」
その問いかけに、俺は即答した。
「――撤退だ!」
「了解!」
アンナとトーラが即座に反応する。
「シグ、煙幕!」
「――《煙霧》!」
白い煙が視界を覆う。 俺たちは、一目散に通路を駆け戻った。
背後で、リリの笑い声が聞こえた気がした。
「あはは。いい判断。 またおいで、“灰色の風”」
その声は、嘲笑ではなく――どこか、満足げだった。
◆迷宮出口付近/ガルド視点
迷宮を出た時には、全員、肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……なんだったんだ、あれ……」
トーラが膝に手をつく。
「悪魔、だよね。間違いなく」
シグが、震える手で眼鏡を直す。
「あんなのが、あんな浅い階層のすぐ奥にいるなんて……」
「……新人向け、撤回だな」
俺は、額の汗を拭った。
「いや、違うか。 “新人向けだけど、奥には化け物がいる”迷宮だ」
「タチが悪いわね」
アンナが、苦笑交じりに言う。
「でも――」
俺は、振り返って迷宮の入り口を見た。
「あいつ、追っては来なかった。 殺そうと思えば、あの場で全員黒焦げにできたはずだ」
「……見逃された?」
「たぶんな」
俺は、腰の手斧を指で弾いた。
「“まだ早い”って言われた気分だ」
「悔しい?」
「そりゃな」
でも、同時に思う。
(面白いじゃねえか)
ただの雑魚狩りじゃ終わらない。 ただの新人いびりでもない。
奥には、ちゃんと“目指すべき壁”がある。
「報告書、書き直さねえとな」
「だね。“危険度:低(ただし奥は測定不能)”って」
俺たちは、疲労感と共に、妙な充実感を感じながら街への道を歩き出した。




