第十二話:ギルド公認「新人研修所」
◆訓練場フロア/ジグ視点
そのころ、訓練場フロアでは――
「よし、次! 盾持ち前、槍後ろ!」
「ギャッ!」
「間合いを詰める前に、一回引け! 前に出すぎるな!」
ジグが、喉をからしながら叫んでいた。
前回の戦闘から、ゴブリンたちの訓練は一段階きつくなった。
冒険者たちの動きに合わせて、位置取りを変える。
盾役をどう崩すか。 回復役にどうプレッシャーをかけるか。
ご主人――迷宮主から渡された“シナリオ”を、何度も何度も繰り返している。
「ぜぇ……ぜぇ……」
自分の胸も、もう破裂しそうだった。
でも――
(オレたちが前に出ないと、ご主人が困る)
前の戦いで、“死ぬかと思った”感覚は忘れられない。
けれど同時に、あの時、ご主人が言った言葉も、ちゃんと残っている。
『お前の仕事は“死ぬこと”じゃない。“生きて戻って、また前線に立つこと”だ』
「ジグ、あの……」
後ろから、若いゴブリンが声をかけてきた。
「なんだ」
「“隊長”って呼んじゃっていい?」
「ギャ!?」
変な声が出た。
「ご、ご主人が“班長”って言ってたし…… この前の戦い、カッコよかったし……」
「ジグが前に立つと、みんな動きやすい」
「ロクも、よく褒めてる」
横で、ゴーレムのロクがこくりと頷いた。
ジグの顔が、熱くなる。
「べ、別に……」
うまい返しがまったく出てこない。
そこに――
「――何、このゆるい空気」
冷たい声が落ちてきた。
「ひっ」
ジグを含め、ゴブリンたち全員が肩を跳ね上げる。
振り向くと、そこに、小柄な少女が空中に浮かんでいた。
暗紫色の髪。 赤い目。 コウモリの翼。
一目で分かる。“上”の存在。
「あんたたちが、この迷宮の前線?」
リリが、ゆっくりと降りてくる。
「初めまして……?」
「ボクはリリ。今日からこの迷宮の“中ボス”やる悪魔。 よろしくね、“ジグ隊長”」
にやり、と笑う。
「ひぃっ」
「ちょ、隊長、しっかり!」
「お、おう……!」
ジグはなんとか背筋を伸ばした。
背中に冷や汗が流れる。
(や、やばいの来た……!)
「で。アンタたち、前の戦いのログ、見せてもらったけど」
リリは、手をひらひらさせながら続ける。
「悪くはなかった。 連携もしてたし、撤退ルールもちゃんと機能してた」
「ほ、ほんと……?」
「ただし」
赤い瞳が、すっと細くなった。
「“怖がらせ方”がまだ甘い」
「……え?」
「いい? アンタたちの役目は、“冒険者を倒すこと”じゃない。 “ここは簡単には通れない”って、骨身に刻みつけること」
「……」
「次に来たとき、“ああ、あの迷宮か”って思い出して、無意識に足が重くなるくらいにね」
怖いことを、さらっと言う。
「そのためには――」
リリが、指を鳴らした。
訓練場の一部が、ぐにゃりと歪む。
「ボクが、ちょっと“演出”手伝ってあげる」
通路の影が、少しだけ濃くなる。
灯りの明滅タイミングが変わる。
ゴブリンの出入りのルートが、より複雑に組まれていく。
「ご主人、若干ブラック度上がってません?」
ナノの呟きが、遠くから聞こえた気がした。
「安心して。ご主人の“死なせないライン”は守るから」
リリが、肩をすくめて笑う。
「その範囲で、全力で“怖がらせてあげる”だけ」
「……」
ジグは、無意識に自分の喉をさすった。
怖い。 でも――ご主人と同じ匂いも、少しだけする。
なんとなく、そう思った。
「というわけで、ジグ隊長」
「は、はい」
「アンタ、ボクの部下ね」
「ギャ!?」
「ボクは中ボス。アンタは前線隊長。 “冒険者がここまで来る”ってことは、“そこそこの手練れ”ってこと。 適当に突っ込んで死なれたら困るの。理解した?」
「は、はいっ!」
「いい返事」
リリは、満足げに頷いた。
「じゃ、訓練メニュー、倍にしましょうか」
「え!?」
◆ギルド上階・会議室/リアナ視点
その頃、街のギルドでは――
「――というわけで、“北西の新迷宮”の初回調査報告です」
リアナは、支部長バルドの机の上に、まとめた報告書を置いた。
分厚い手。 短く刈った髪。 傷跡だらけの顔。
見た目は完全に“現役を引退した武人”だが、書類仕事の量は、一番この人が多い。
「ふむ」
バルドが書類に目を通す。
「“滑る床”“毒針”“スライムによる装備破壊”“連携するゴブリン”……」
「はい。 罠の質としては、“即死系”ではなく、じわじわと体力・装備・精神を削るタイプです。 ゴブリンも、無秩序ではなく、“連携”を取り入れた行動をとります」
「連携?」
「盾を持つ個体が攻撃を防いだら、別の個体と入れ替わり攻撃をするような動きです。 また、“倒しても倒しても数が減らない”という報告がありました」
「……ふむ」
バルドの眉間に、しわが寄る。
「危険度そのものは?」
「低い、と判断します。 今回のパーティ“夜明けの芽”はFランクですが、自力で撤退判断をし、“全員生還”しています。 罠・魔物の構成上、“即死”する場面は少なく、撤退ラインを見極めれば、新人でも死ぬことはなさそうです」
「撤退、ね」
バルドがその言葉を繰り返す。
「“自然に生まれた迷宮”にしては、できすぎている」
「はい」
リアナも頷いた。
「入口付近だけを見るなら、“新人向け訓練場”として理想的です。 ですが同時に、“意図的にそう組まれている”印象も強い」
「……迷宮主か」
バルドが低く呟く。
リアナは、黙っていた。
迷宮主――迷宮の内部で、それを“運営”する存在。
伝承では、何度かその名が出てくるが、実際に存在を確認した者はほとんどいない。
「まあ、今は仮説でしかない」
バルドがそう言って、報告書を閉じた。
「それで、ギルドとしての評価は?」
「はい。“危険度:低”。 ただし、“攻略度:極めて低”。 入口から少し進んだ地点までしか、まだ確認できていません」
「ふむ」
バルドは腕を組む。
「新人向けの実戦場として、推奨する価値はあると思います。 ただし、“必ず撤退判断をできるパーティに限る”という但し書き付きで」
「初心者向け推薦迷宮……か」
支部長の太い指が、机をとん、と叩く。
「いいだろう。ギルドとして、“新人向け訓練迷宮”として暫定推薦する」
「ありがとうございます」
「ただし」
バルドは指を一本立てた。
「必ず、一度は“中堅以上”のパーティを正式に送り込む。 深層の情報がまったくない状態で、完全に“安全だ”と言い切るのは危険だ」
「……承知しました」
「“灰色の風”あたりに頼むか」
中堅のDランクパーティ。
扱いは難しいが、いざというときに自分で判断できる連中だ。
「それと、迷宮前に臨時の詰め所を出す。 簡易テントでいいから、“ギルドの目”があると示しておけ」
「はい」
リアナは、素早くメモを取った。
(これで、この迷宮は“街の外れの不気味な穴”から、“ギルド管理下の訓練場候補”になる)
その変化は、冒険者たちの動きにも直結するだろう。
「リアナ」
「はい」
「さっきのパーティ、“夜明けの芽”だったか」
「はい」
「どう見る?」
短い質問。
リアナは、少しだけ考えてから答えた。
「粗削りですが、“撤退を選べる”程度には冷静です。 方向性を誤らなければ、今後も伸びる可能性があります」
「そうか」
バルドの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
「新人向け迷宮と、新人パーティ。 両方、うまく回せるといいな」
「はい」
リアナは頭を下げた。
◆酒場ゾーン/カイ視点
「――でな! 入口はどう見てもただの穴なんだけどさ、中が妙にきれいでよ!」
「床がつるっつるなんだよ。油でも塗ったみたいにな!」
ギルド一階の酒場は、夜になると別世界になる。
昼間は事務所のざわめき。
夜は、酒と笑い声と、時々怒鳴り声。
その一角で、俺たちはテーブルを囲んでいた。
「……筋肉痛」
ミナが、テーブルに突っ伏してうめき声を漏らす。
「明日、絶対起きたくない……」
「僕も……腕と足が……」
セラも、珍しくぐったりしていた。
そんな不毛なやり取りをしていると、隣のテーブルから声が飛んできた。
「お前ら、“北西の新迷宮”行ってきたって?」
さっきちらっと見かけた、中堅っぽいパーティの一人――片目に傷のある男が、こちらを見ている。
「あ、はい」
俺が返事をすると、男はニヤリと笑った。
「新人にしては良い顔して帰ってきたな。 あそこの迷宮、“即死はないけど、地味にキツい”って噂、もう回ってきてるぞ」
「噂、早っ」
レオが素で驚いた。
「昼間、受付で聞いた。 “危険度低め、でも油断すると体力を持っていかれる”ってな。 新人の初陣には悪くねえ、って話だ」
男は自分のジョッキを一口飲んでから、続ける。
「“夜明けの芽”だっけか。 最初に潜ったの、お前らなんだってな」
「……はい」
「へえ。なら、後に続く奴らのために、いい線引いてきたんじゃねえの」
「線……?」
「“ここまで行って、ここで帰る”っていう目安だよ。 最初に潜る奴の判断は、後から潜る奴にも効いてくる」
男は、俺の肩を軽く叩いた。
「新人にしちゃ、上出来だ。 ……ま、無茶して死なれたら、こうやって話聞くこともできねえからな」
「……ありがとうございます」
素直に礼を言うと、男は「おう」と雑な返事をして、仲間の方へ戻っていった。
「カイくん」
ミナが、顔を上げる。
「なんか……すごいね」
「何が」
「“後から行く人たちの目安”とか言われるの、なんか……かっこいい」
「……そうか?」
「そうですよ」
セラが、真面目な顔で頷いた。
「“最初に潜って、ちゃんと帰ってくる”。 それだけで、けっこう大したことなんだと思う」
「まあな」
レオも、珍しく真面目な声を出した。
「次は、もうちょっと奥まで行ってみるか?」
「……まあ、筋肉痛が治ってからな」
俺は、水の入ったジョッキを軽く掲げた。
「“夜明けの芽”、初迷宮、生還に」
「かんぱーい!」
「乾杯!」
「か、乾杯……!」
水の音と、一瞬だけ、周囲の喧騒が重なる。
ギルドの壁には、今日貼られたばかりの新しい紙があった。
【新人向け訓練迷宮候補】
街北西の新迷宮 危険度:低(入口近辺)
※自ら撤退判断を行えるパーティの実戦訓練に推奨
その紙をちらりと見ながら―― 俺たちは、初めての迷宮帰還の夜を、少しだけ誇らしい気持ちで過ごした。
◆迷宮核の間/黒瀬視点(夜)
「――というわけで、ご主人」
ナノが、嬉しそうに報告してきた。
「ギルドの掲示板に、“新人向け訓練迷宮候補”って貼られました」
「おお」
監視水晶に映し出されたギルドの様子の中に、その紙がしっかり映っている。
新人冒険者たちが、それを指さして話しているのも分かる。
『危険度低めらしいぜ』『でも罠多いって』『練習には良さそうだな』――などなど。
「アクセス見込み数、明日から一気に増えそうですね」
「そうか……」
ダンジョンコアの鼓動が、少しだけ速くなる。
魔力収支が、がらりと変わる予感がした。
「ふふふ……」
思わず笑いが漏れる。
「これで、“冒険者から延々と魔力を搾り取るブラック迷宮”の基盤は――」
「“新人向け訓練迷宮”として整いましたね、ご主人!」
「そこ強調するな!」
完全にホワイト方向に評価されてるの、どうなんだろう。
でも――
「まあ、結果的に魔力はちゃんと集まるし。 魔物たちも、冒険者も、死んでないし」
「ご主人も、前世みたいに死にそうな働き方はしてませんし」
「いや最近ちょっと睡眠削ってるけどな」
「ダメです」
ナノが、ぴしっと言った。
「ボク、もう一回“過労死ログ”見るの嫌ですからね」
「ログって言うな」
でも、その声には、ちょっとだけ本気が混じっていた。
「……分かったよ。今日は早めに寝る」
「ログに残しました。“就寝時間厳守フラグ”オンです」
「どこのヘルスケアアプリだお前は」
そうぼやきながらも、悪くない気分だった。
この世界で、二度目の人生。
“搾取される側”から、“搾取する側”になるはずだったのに。
気づけば、“死なせないライン”ばかり気にしている自分に、苦笑いが漏れる。
「……まあいいか」
結局、こういうやり方しかできない。
だったら――徹底的にやってやろう。
世界一効率がよくて、 世界一死ににくくて、 世界一“また来たくなる”迷宮運用を。
「ご主人、ニヤニヤしてますよ」
「ニヤニヤしてない。ちょっと笑っただけだ」
ナノがくすくす笑う声を聞きながら、
俺は、次にやって来るであろう冒険者たちのログを想像しつつ、 ようやく――前世よりは少しだけ早めの就寝時間に、目を閉じた。




