第十一話:悪魔リリ、華麗に着任したい
◆迷宮核の間/黒瀬視点
「さて、ナノ。最終チェックだ」
迷宮核の前に立ち、俺は管理コンソールを呼び出した。
「はい、ご主人。現在の迷宮の状況をサマリー表示しますね」
ナノが光を瞬かせると、目の前のコンソールに数値がずらりと並んだ。
【迷宮名】 未命名(野良迷宮)
【魔力残量】 41/100
【魔力獲得】 +34(前回アクセス前比)
【中ボス召喚コスト】 30
「……うん、予想より伸びてるな」
思わず口元が緩む。夜明けの芽の4人組が残してくれた魔力が、予想以上に多かった。
滑走罠や毒針、スライムによる装備溶解、そしてゴブリンとの戦闘。
そのすべてが、確かに迷宮の血肉になっている。
「ゴブリンさんたちの頑張りと、ご主人の『死なせないギリギリライン調整』の成果ですね。冒険者さんの命を担保にした、極めて優秀な運用結果です」
「言い方!」
ナノの言葉は毎回心臓に悪い。
「ともかく、この41という数値は、この迷宮の成長期においてどれほどの価値があるか。今の段階で30ものリソースを一つの召喚に投じるのは、かなりのハイリスク投資だぞ」
「でもご主人。『中ボスにはケチりたくない』って言ってました」
「……言ったわ」
言ったなら仕方ない。
初期メンバーであるゴブリンたちが、全員生存かつ高い稼働率で貢献してくれたおかげで、この投資が可能になったのだ。ここは、次に繋げるための“顔”を用意するべきだろう。
「よし。中ボス召喚の優先度は最高。リソースを全振りする」
俺は、〈中ボス召喚/悪魔系〉タブのボタンを、迷いなく押し込んだ。
召喚タブのボタンを押した瞬間、迷宮核の鼓動が一段階、深くなった。
どくん。 どくん。
黒い結晶の内部で紫色の光が激しく渦を巻き、魔力残量のバーが一気に減っていく。
【魔力残量】41 → 11
「……おお、けっこう魔力持っていかれるな」
「中ボス級ですからねえ。」
頭上でナノがくるくる回りながら、さらりと言う。
迷宮核の前の空間が、じわじわと歪み始める。
黒を基調にした魔法陣が、床一面に描かれていく。
外周は古代文字、内側はループと分岐の入った複雑な魔導スクリプトだ。
その真ん中から、赤黒い炎が噴き上がった。
「――汝の召喚に応じ、この地に降り立つ」
低く、よく通る声が響く。
「血と炎と契約の名のもとに――」
炎の中から、細いシルエットが一歩、前に出た。
小柄な少女。腰まで届く暗紫色の髪。頭には小さな角が生え、背中からはコウモリのような翼が畳まれている。
目は、赤く、よく光る。いかにも「悪魔です」という見た目――だが。
「……ちょっと、狭くない?」
開口一番、それだった。
少女が、迷宮核の間をぐるりと見回し、ため息をつく。
「もっとこう、『巨大な玉座があって、下僕がうじゃうじゃいて、血の池が広がってて』みたいなところかと思ったんだけど」
「いや血の池はちょっと」
「悪魔さん、いきなりコンプラ的にアウトですよ?」
ナノが横からツッコむ。
悪魔がこちらを振り向いた。赤い瞳が、じっと俺を見据える。
「アンタが、この迷宮の主?」
「一応な。黒瀬功って言う」
「ボクはリリ。悪魔。……で、アンタがボクを呼び出した理由は?」
腰に手を当てて、ぐい、と身を乗り出してくる。
「まさかとは思うけど――」
唇の端を持ち上げて、にやりと笑った。
「『このヤワい迷宮で、中ボス役やってください』なんて言わないよね?」
「どストライクでそれなんだが」
「うわああああああ!」
リリが頭を抱えた。
「聞きたくなかったぁぁ! 召喚された時から嫌な予感してたけどさぁ!」
「ご主人、最初に希望条件確認した方がいいですよ?」
「求人じゃないんだけどな、これ……」
俺は、ひとまず落ち着いて状況説明することにした。
「――つまり、この迷宮は今、冒険者を生かさず殺さずみたいな立ち位置にしようとしてる」
滑走罠。毒針。スライム。ゴブリンのローテーション。HP三割での強制退避と再配置。
今の運用方針をざっと説明すると、リリは顔をしかめっぱなしだった。
「……甘っ」
きっぱり言われた。
「何それ。『死なないギリギリライン』? 『帰り道の灯りで優しく誘導』? どこの慈善事業よ」
「ご主人、悪魔さんに慈善事業認定されてますよ」
「うるさい」
自覚はある。
俺だって、『もっとガチガチに殺しに行く迷宮』の方が、短期的には効率いいだろうってことくらい分かってる。
でも――
「冒険者殺したら、二度と魔力落とせないだろ。長く回すなら、『何度も来させてじわじわ削る』方が長期的には効率がいい」
「理屈だけ聞いたら、えげつなさは十分なんですけどね」
「で、アンタはボクにその『じわじわ削る迷宮』の中ボスやれって?」
リリが、じろっとこちらを見る。
「そう。最深部の手前に、『ここから先は別格だぞ』って印象を刻む役がほしい」
「……」
リリは、腕を組んで考え込む。その姿は、小柄なのに妙に『上司感』が出ていた。
「条件」
「はい?」
「ボクが『中ボス』やる条件」
リリは、細い指を一本立てた。
「一つ。ボクの部屋は、ちゃんと『それっぽく』作りなさい。光と闇のコントラスト、多段構造、魔法陣。あくまで『通りすがりの小悪魔』扱いは絶対に嫌」
「要求レベル高ぇな」
「ボスなんだから当たり前でしょ」
「ご主人、中ボスの『演出フロア』ですね。負荷は多少上がりますけど、魔力余裕あります?」
「……まあ、演出くらいなら」
俺は迷宮の簡易マップを出す。
「この部屋一つを、リリ用のボス部屋にする。高さを取って、階段作って、視界を開いて――」
「魔法陣を床と天井に。入ってきた冒険者の度肝を抜くくらいの」
「コスト……」
「『中ボスにかける経費は惜しむな』って、自分で言ってましたよねご主人」
「言ったな……」
過去の自分、黙ってくれないかな。
「二つ目」
リリが、指を二本立てる。
「ボクの『居住スペース』は、ちゃんとプライベート確保。四六時中ボス部屋で仁王立ちとか、絶対やらないから」
「誰がそんな昭和な勤務体系に」
「ご主人、前職の口癖が漏れてますよ」
「うるさい」
でもまあ、居室はあってもいい。
「分かった。ボス部屋の奥に、『仮眠室兼控え室』を用意する。簡易ベッドと、魔力供給用の水晶と、適当にお菓子でも置いとくか」
「分かってるじゃない」
リリの表情が、ちょっとだけ和らいだ。
「そして三つ目」
立てられた三本目の指には、ほんの少しだけ力がこもっていた。
「『殺しちゃだめ』っていう縛り。それ、ボクの判断で『例外』を作れる条件を、一個だけちょうだい」
「……例外?」
背筋がすっと冷える。
「例えば、核を狙ってまっすぐ突っ込んでくるヤツとか。明らかに、迷宮を『壊すためだけ』に来たようなヤツとか。そういうのにまで、『死なない程度に手加減しろ』って言われても、無理」
「……」
ダンジョンコアが壊れたら、俺は死ぬ。それは最優先の防衛ラインだ。
「ご主人。『例外処理』、必要だと思います」
「……分かってる」
俺は、迷宮マップの一番奥――コアがあるこの部屋の周囲を表示した。
そこに、太い赤線で囲った『最終防衛フロア』を設定する。
「リリ」
「なに」
「このフロアより先に入ってきた奴は、『例外対象』だ。それがどんな事情であろうと、『迷宮を壊しに来た』って判断する」
「……」
リリの目が、すっと細くなった。
「そこから先は、『死人が出ないように』なんて気にしなくていい。むしろ、『生かして帰すリスク』の方が高い」
「ふーん」
唇が、冷たく笑う形に歪む。
「ようやく、『悪魔の使い方』分かってきたじゃない」
「ただし」
俺は、もう一つ条件を足した。
「そのフロアに挑む前に、『こっちが逃がしたい奴』は別ルートに誘導する。ギルドに協力してるパーティとか、『迷宮の循環に重要な奴』とかはな」
「つまり、『本当に敵だけ』をそこで迎え撃てってこと?」
「ああ」
「……いいじゃない」
リリの口元が、楽しそうに吊り上がった。
「その条件なら、『殺す側』でいていいんでしょ?」
「……まあな」
神様に「ブラック適性高いね」と笑われた身としては、完全に善人やるつもりもない。
「――契約成立、ってことで」
リリが、ぱん、と指を鳴らした。
次の瞬間、彼女の足元に赤黒い契約陣が浮かび、俺と迷宮核にも同じ紋様が一瞬だけ重なった。
「悪魔リリ。この迷宮の最深部及び最終防衛フロアの管理を、一定範囲で委任されました」
「ナノ」
「はい、ご主人」
「今の契約、ちゃんとログに残しとけ。『例外処理』周りは特に」
「了解です。『殺していい条件』ですね」
「言い方ぁ!」
どくん、と迷宮核が脈打った。リリへの投資は、必ずや迷宮の効率を次のステップへ引き上げてくれるだろう。
中ボス召喚により、迷宮は『初心者向けの実戦練習場』の顔と、『核を狙う者を決して生かさない防衛システム』の顔を併せ持つことになった。
新たな運用フェーズが始まる。




