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第十話:初心者向け迷宮

◆迷宮出口〜街道/カイ視点


 迷宮の入口から一歩外に出た瞬間、足元の感触が、がらりと変わった。


 ひんやりした石から、ざらついた土。

 湿った魔力の匂いから、草と土と風の匂い。


「……生きて帰ってきたな」


 思わず、そんなありきたりな言葉が口から出た。


「おーい生還! 生還おめでとう俺たち!」


 レオが両手を広げて、意味もなく空を仰ぐ。

 夕方の光はまだ高く、俺たちをからかうみたいに眩しかった。


「……ほんとに帰ってこれたね」


 ミナが、ぽつりと呟く。

 さっきまで真っ青だった顔に、やっと血の気が戻りつつある。

 セラは、腰に手を当てて、大きく息をついた。


「……足、まだ震えてるけど。ちゃんと“外”だね」


 俺は、入口の黒い穴を振り返った。

 さっきまで、あの奥で、滑って転んで毒を食らってスライムに絡まれて、ゴブリンと殴り合っていた。

 いま見ていると、ただの不自然に整った穴にしか見えない。


「なあ」


 レオが、俺の横に立って同じように穴を見つめる。


「あのゴブリンさ。何体倒したっけ?」


「3……かな」


「でも、通路に立ってた数は、ずっと3体のままだったよね?」


「倒しても倒しても、同じようなのがまた出てくる感じだった」


「無限湧き……?」


 ミナの声が、少し震える。


「本当に無限かどうかは分からないけど……少なくとも、“そう感じるように作られてた”感じはする」


「“作られてた”?」


 セラが、考え込むように眉を寄せた。


「罠もそう。滑る床に、微妙に痛いだけの石の凹凸、毒針、スライム……

 どれも、死ぬほどじゃないけど、“ギリギリ嫌なライン”突いてきてた」


「セラ、たまに言葉選び容赦ないよな」


「事実だからね」


 レオが苦笑する。


「でも、最後の“灯りの点滅”は、なんか親切だったよね」


 ミナが、少しだけ笑った。

 迷宮の中で、出口方向に向かって順番に灯りが点滅した光景が、頭に浮かぶ。


「あれな」


 俺も、思わず口元が緩む。


「“さっさと帰れ”って言われてた気もするけどな」


「それ言うと台無しだからやめて」


 レオのツッコミに、セラとミナが小さく笑う。

 笑えるってことは、まだ大丈夫だ。


「……戻るか」


 俺たちは、街へと続く道を歩き出した。

 歩きながら、少しずつ、さっきの戦いを振り返る。


「カイ」


「ん?」


「さっきさ。3体目くらい倒したときに、“まだ行けるかも”って顔してたよな」


「……バレてた?」


「そりゃな」


 レオがニヤッと笑う。


「でも、“戻るぞ”ってはっきり言ったろ。あれ、結構勇気いったんじゃね?」


「まあな」


 認めるしかない。


「正直、もう一部屋くらい見てみたい気持ちはあった。

 でも、このまま進んだら、誰か動けなくなってたと思う。

 それが、“今の俺たち”の実力だって気がした」


「……うん」


 ミナが、小さく頷く。


「わたし、多分あのまま進んでたら、回復魔法、途中で切れちゃってた……」


「僕も、“ここだ!”って時に踏ん張りが効かなくなってたかも」


 セラも、苦笑しながら言う。


「だから、あそこで戻るって決めたのは、ほんとに“リーダーの仕事”だと思うよ」


「……ありがと」


 素直にそう言うと、レオが横から肘で小突いてきた。


「うわ、素直に礼なんて珍し」


「うるさい」


 そうやって、くだらないことを言い合いながら歩いていたら、いつの間にか街の城壁が見えていた。

 夕陽が傾きかけていて、門番たちが交代の準備をしている。


「よし。報告して、風呂入って、飯食って、寝る」


「いい計画だ」


「異議なし」



◆ギルド/リアナ視点


 夕方のギルドは、昼とは違う熱気に包まれる。


 日中に出ていたパーティが次々と戻ってきて、報告と精算でカウンターは混む。

 酒場ゾーンからは、もうすでに盛り上がった笑い声が聞こえていた。


「次の方、“灰色の風”の皆さんですね。大型狼の討伐依頼、報告お願いします」


「はいはい、こいつの毛皮と牙が証拠だ。……って、リアナちゃん今日も綺麗だねぇ」


「ありがとうございます。評価は後で日誌に書いておきますね、“冒険者としては優秀、でも軽口が多い”って」


「えっ、そこまで……」


 軽口で返しつつ、リアナは手際よく報告書を処理していく。

 その合間に、ふと視線を入口の方に向けると――


「あ」


 さっき送り出したばかりの、四人組の顔が見えた。


 黒髪の剣士。

 茶髪の盾役。

 金髪の癒し手。

 黒髪の魔法使い。


 パーティ名、「夜明けの芽」。


 彼らが扉をくぐってくるのを見て、リアナは胸の奥がほっとするのを感じた。


(全員、戻ってきた)


 まず、それが何より大事だ。


「“灰色の風”の皆さん、清算が終わりましたら、右側の窓口でどうぞ。……はい、次の方」


 報告の列が一段落したタイミングで、リアナは手を挙げた。


「“夜明けの芽”の皆さん。こちらへどうぞ」


「お、お疲れさまです!」


 カイが、少し緊張した面持ちで頭を下げる。

 他の3人も慌てて会釈した。


 顔色は悪くない。

 傷も、ぱっと見は大きなものはない。

 ただ――服の汚れ方と、装備の傷み具合から、“かなりみっちりやってきた”ことが分かる。


(ブーツ……溶けかけてる?)


 リアナは、カイの足元に目をやって、内心で首をかしげた。


「“新規発見迷宮の調査依頼”ですね。お疲れさまでした。

 まず、“全員生還”、よく頑張りました」


「……ありがとうございます」


 その一言に、4人の表情が少しだけ和らぐ。


「では、詳細をお聞きしますね。

 わたしからいくつか質問しますので、分かる範囲で構いません。

 まず、迷宮の“入口からの構造”について教えてください」



 机の上に広げた簡易地図に、カイたちが鉛筆で印をつけていく。


「入口からまっすぐ通路が続いていて、最初の方に“滑る床”がありました。

 そこが……かなり、危なかったです」


 カイが、滑走罠ゾーンを指さす。


「床が急にツルツルになってて、気づかないとそのまま転んで、下の石にぶつかります。

 でも、そこまで深くは落ちません。痛いだけで……たぶん、それで死ぬことはないと思います」


「なるほど。“致命傷にならない”くらいの罠、ですね」


 リアナはメモを取る。


「次に……」


 セラが口を挟む。


「毒針です。床の石を踏んだらしくて、壁から針が飛んできました。

 致死性は低いと思いますが、体がだるくなるタイプです。

 回復魔法で痛みは抑えられますが、完全には消えない感じでした」


「毒、ですか……」


 リアナは、少し眉をひそめる。


「解毒ポーションを大量に持ち込む必要がある、というほどでは?」


「うーん、そこまでではないです。

 ただ、“帰るころには体力が削れている”ような、じわじわ来る感じです」


「罠の配置頻度は?」


「そんなに多くはないですけど……“忘れたころに来る”感じですね。

 だから、ずっと緊張しっぱなしで」


 そこまで聞いて、リアナは心の中で、罠構成のイメージを組み立てる。


(頻度は多くないが、“体力をじわじわ削るタイプ”……。

 一撃で殺す罠は、少なくとも入口付近にはない、と)


 次に、ミナが、おそるおそる手を挙げた。


「あの、それと……スライム、も出ました」


「スライム?」


「はい。足に絡みついてきて……靴が、ちょっと、溶けちゃいました」


「ああ、それでブーツが」


 リアナは、さっき気になった足元に視線を落とす。


「でも、わたしの小さい火の魔法でもなんとかなりました。

 ちょっと気持ち悪いですけど、そこまで強くはない、と思います」


「なるほど」


 スライムは、“初心者用迷宮”ではわりとよくある存在だ。

 気持ち悪いが、対処さえ間違わなければ、大事故にはなりにくい。


(今のところ、“極端な理不尽さ”は感じない)


 リアナは、内心でそう判断する。


「そして、魔物ですね。ゴブリンが出たと報告書にはありますが――」


「はい。ゴブリンが6体?……いや、ずっと3体いました」


 カイが言葉を選ぶように話し始める。


「最初から、通路の先に3体いて。

 こっちが近づくと、きちんと構えてきました。

 適当に突っ込んでくる感じじゃなくて、“連携を意識している”ような動きでした」


 レオも頷く。


「前の1体を下げて、後ろのやつが入れ替わったりな。

 盾で受けるときの角度とか、けっこうキツかった」


「ゴブリンの連携……」


 リアナはペンを止める。


(連携を取るゴブリン、ですって?)


 普通、ゴブリンはそこまで賢くない。

 せいぜい、群れで突っ込んでくる程度だ。


「そして、問題は……」


 セラが、少し顔をしかめる。


「“倒しても倒しても、数が減らない”ことです」


「減らない?」


「はい。

 カイが斬って、黒い煙と光に包まれて消えたゴブリンが、3体いたのですが……」


「そのあと、すぐにまた、同じ数だけ前に出てきました」


 ミナが、そっと補足する。


「同じゴブリンかどうかは、見分けがつきませんでしたけど……」


「実際、3体倒したけど、その度に増援が来てずっと3体のままだった」


 カイの言葉に、レオとセラも頷いた。


(無限湧き……?)


 リアナの中で、警戒度が一段階上がる。


 ただし、それは“危険度”ではなく、“異常性”に対してだ。


「最後に、“撤退を決めたタイミング”について教えてください」


 リアナは、手帳をめくりながら尋ねた。


「どの程度まで進んで、どのくらい削られたところで、戻る決断を?」


「通路のあと、開けた場所に出る前、ですね」


 カイが答える。


「全員、体力も魔力も、半分より少し下がったくらい。

 回復薬も、数本使いました。

 このまま進んだら、誰かが動けなくなると感じたので、そこで“今はここまで”と判断しました」


「……そうですか」


 リアナは、小さく頷く。


(撤退判断としては、悪くない。

 むしろ、初回としては十二分に慎重だ)


「それと――」


 ミナが、おずおずと手を挙げた。


「帰るときに……通路の灯りが、“出口に向かって”順番に点滅したんです」


「灯りが?」


「はい。

 “こっちへおいで”って言ってるみたいな……そんな感じでした」


 リアナは、思わず顔を上げた。


「帰りは、罠はなかったのですか?」


「はい。罠は、もうありませんでした。

 ただ、灯りだけが、出口の方に向かって、点いたり消えたりしてて」


「……」


 リアナは、ペンを止めた。


 罠構成。

 魔物の動き。

 無限湧きにも見えるゴブリン。

 そして、“帰り道の誘導灯”。


 それらを並べると、ひとつの可能性が浮かぶ。


(――意思)


 迷宮核そのものに意思がある、なんて噂話は、酒場でいくらでも聞く。


 だがそれは、大抵が与太話だ。

 実際に“迷宮の意志”なんてものを観測した者は、ごくわずかしかいない。


 リアナは、あえて言葉に出さずに、静かにメモを書き込んだ。


【新規迷宮・暫定報告】

・罠:頻度は多くないが、じわじわと体力・装備を削るタイプが中心。

・魔物:ゴブリン/複数体が連携。倒す度に増援が来る。

・死亡例:なし(今回の調査時点)

・撤退:パーティ判断により適切なタイミングで実施。

・特記事項:帰還時、通路の灯りが出口方向へ誘導する挙動あり。


(危険度そのものは、高くない。

 “初心者の実戦訓練場”としては、むしろ適しているかもしれない)


 だが同時に――


(“自然にできた迷宮”と考えるには、あまりに“出来すぎている”)


 リアナは、手帳を閉じた。


「詳しい報告、ありがとうございました。

 今回の情報を元に、迷宮の暫定評価をギルドとして出します。

 危険度そのものは高くありませんが、まだ最奥までは辿り着いていないので、今後向かうパーティにもそのように説明しますね」


「は、はい」


 カイたちが頭を下げる。


「皆さんには、調査分の報酬と、今回の冒険者ランクのポイント加算があります。

 それと――」


 リアナは、少しだけ表情を和らげた。


「いい戦いをしてきた顔をしています。

 今夜は、よく休んでください。筋肉痛は明日から来ますよ」


「うっ」


 レオが、図星を刺されたみたいな顔をする。


「……ありがとうございます!」


 カイたちは、少し照れくさそうに礼を述べて、カウンターを離れていった。


 その背中を見送りながら、リアナは小さく息を吐いた。


(“夜明けの芽”……悪くないパーティだわ)


 まだ粗削りだが、ちゃんと“撤退を選べる”程度には冷静さがある。


(……問題は、迷宮の方ね)


 リアナは、上司の顔を思い浮かべる。

 支部長にも報告を上げるべきだろう。


 新人向けの実戦場として最適かもしれない、

 だが同時に、“底の見えない違和感”を孕んだ、新しい迷宮の存在を。



◆迷宮核の間/黒瀬視点


 カイたちの姿が、監視水晶から完全に見えなくなったころ。


「――では、ご主人」


 ナノが、空中でくるりと回転した。


「第一回アクセス・ログ解析会議を始めます」


「おう」


 俺は、迷宮核の前に腰を下ろし、コンソールを並べた。


 滑走罠ゾーンのログ。

 毒針ゾーンのログ。

 ポヨの絡みつきログ。

 ゴブリン戦闘ログ。


 それぞれに、細かい数字とグラフが並んでいる。


「まずは、全体サマリーからどうぞ」


「はい。えーっと、“ナノ調べ”による今回の総評ですが――」


 ナノが、やたらと楽しそうに報告を始めた。


「侵入者満足度:74%(ナノ調べ)」


「満足してたか?」


「“生きて帰れた&成長実感あり”の顔してましたからね。

 “うわ二度と来たくねえ”って顔はしてませんでした」


「……まあ、たしかに」


 監視水晶に映った帰り際の四人の顔を思い出す。


 疲れていたが、どこか“やりきった”感じはあった。


「再訪意欲:71%(ナノ調べ)」


「具体的だな、おい」


「“またあのゴブリンに挑みたい”って目をしてましたよ、カイさん。

 レオさんも、“盾の練習になる”って顔してました」


「どんな顔だよそれ」


「総合評価:怖いけど、嫌いじゃない迷宮」


「キャッチコピーつけるな」


 ナノの主観まみれのレポートだが、妙に納得してしまう自分が悔しい。


「で、運用面の改善点は?」


「はい。

 まず、滑走罠の滑る距離が、ちょっと長かったですね。

 レオさん、あれ以上滑ってたら、多分頭を強く打ってました」


「それはマズいな。距離を二割短くして、凹凸の石も少し丸めるか」


「あと、毒針のゾーン。

 毒のじわじわ削りは悪くないんですけど、ヒーラーさんの負担が大きくなりすぎると、“精神的に折れる”リスクがあります」


「見た目以上に大変だからな、ヒーラーは」


 前の世界でも、裏方の負荷が一番えげつなかった。


「毒の持続時間を、今の七割くらいに短縮する。

 ただし、“減るダメージ量”は変更しない方向で」


「了解です。“じんわり嫌な感じ”は残存、ですね」


「表現やめろ」


「スライムのポヨさんは、いい仕事してました。

 足元を奪いすぎず、“気持ち悪さ”だけしっかり残す動きです」


「そこ評価基準なんだ……」


 でも、あれはたしかに良かった。

 足を絡め取るけれど、致命傷にはならない。

 装備だけじわじわ削る、いやらしい罠として優秀だ。


「あと、ご主人」


「ん?」


「休憩スポット、用意した方がよくないですか?」


 ナノが、別のウィンドウを表示する。


 さっき、カイたちが「ここで休もうか」と言いかけていた場所のログだ。


 平坦で、罠もなく、周囲の魔力の流れも安定している箇所。


「たしかに、あそこで一回ちゃんと休ませてやれば、もう少し余裕を持って戻れたな」


「今のままだと、“どこで休んでいいか分からない”状態です。

 “ここなら一息つける”って場所を、一つくらい明示してあげた方が、長期的には滞在時間も伸びますよ」


「……そうだな」


 俺は、少し考えてから頷いた。


「じゃあ、あの場所を“第一休憩スポット”にする。

 壁際に簡易ベンチと、魔力を薄くした小さな水場を設置。

 灯りをちょっとだけ明るくして、“ここは安全”って雰囲気を出しておく」


「いいですね、“最初のオアシス”」


「ただし、“休んだらその先の難易度がちょっと上がる”ように調整しておく」


「ブラック!」


「効率だって言ってんだろ」


 休ませるのはいい。

 だが、休ませっぱなしにはしない。

 そのぶん、ちゃんと働いてもらう。


「あと、帰り道の灯り誘導、あれはやりすぎでしたかね?」


 ナノが、気まずそうに言う。


「ご主人に言われた“撤退ライン”を超えた瞬間、“さあ帰って”って感じで点滅させちゃいましたけど」


「別にいいだろ。あれで迷わず戻れたんだし」


「でも、“迷宮に意思がある”って勘づかれるリスクもありますよ?」


「完全に気付かれるのはマズいが、“なんか不思議な迷宮だな”くらいに思わせておくのは悪くない」


 俺は、ニヤリと笑う。


「“意味ありげだけど正体不明”って、一番気になるからな。

 あの迷宮、また行ってみるかって気にもなる」


「ご主人、そういうところだけ妙にマーケ脳ですよね」


「それ褒めてんの?」


「二割褒めてます」


 そんなやり取りをしながら、ログ解析は続いていく。


 罠の微調整。

 ゴブリンの訓練メニューの更新。

 ポヨの再配置。

 第一休憩スポットの設計。


 やることは山ほどあるが――やっていて、楽しい。


「……なあ、ナノ」


「はい?」


「ダンジョンコアが壊れたら、俺、死ぬんだよな」


「はい。ご主人の意識は迷宮核と紐付いてますから。

 核を破壊されたら、迷宮も、ご主人もまとめて“終了”です」


 ナノはさらりと言う。


 俺は、迷宮核を見上げた。


 黒い結晶は、さっきよりも少しだけ大きくなっている気がした。


 どくん、どくん、と鳴る鼓動も、さっきより力強い。


「……だからこそ、か」


 呟きが漏れる。


「冒険者を殺せば、一時的には危険は減る。

 でも、それじゃあ魔力の回収が一度になってしまって、迷宮を育てきれない。

 育てなければ、強い連中が来たときに、守りきれない」


「はい。短期的安全と、長期的成長のトレードオフですね」


「だから、“長く付き合ってくれる挑戦者”を育てる必要がある」


 それは、ブラック企業とは真逆の発想だ。


 使い捨てではなく、いかに長く回すか。

 死なせず、壊さず、ギリギリまで働かせる。


「結果として、“死なないけどじわじわ削られる迷宮”になってるわけです」


「ナノ」


「はい」


「これ、ホワイトなのかブラックなのか、正直どっちだと思う?」


「えー……」


 ナノは、わざとらしく悩む素振りを見せてから、にっこり笑った。


「“ブラックに見せかけた、ホワイトよりのグレー”……ですかね?」


「評価困るやつだなそれ」


 でも、悪くない。


 完全にホワイトでもない。

 でも、完全にブラックにも落ちない。


 そのギリギリのラインを攻め続ける。


「ご主人」


「なんだ」


「こういう迷宮、けっこう好きですよ」


 ナノが、ぽつりと言った。


「魔物さんも、冒険者さんも、生きて帰ってくる。

 でも、そのたびに、ちょっと強くなって帰ってくる。

 ご主人も、そのログを見てニヤニヤしてる」


「……ニヤニヤはしてない」


「してます」


 否定しきれないあたりが悔しい。


「じゃあ、ご主人。次のタスクです」


 ナノが、新しいウィンドウを開いた。


 そこには、「中ボス召喚/悪魔系」というタブが光っている。


「“中ボスさん”の準備、進めましょうか」


「そうだな」


 俺は、指を伸ばした。


 これから先、“夜明けの芽”がもう一度ここに来たとき。

 ゴブリンたちの先に、初めて“ボス感のある敵”として立ちはだかるための存在――


 それに、ちょっとだけ多めの魔力を投資するのも、悪くない。


 「中ボスにかける経費は惜しんだらダメだからな」


 そう言いながら、俺は〈召喚〉のボタンに触れた。


 “初心者向け迷宮”としての顔と、

 “底の見えない迷宮”としての顔。


 その二つを兼ね備えた場所へと、この迷宮を――俺のダンジョンを、育てていくために。

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