第一話:過労死エンジニア、ブラック適性でダンジョンマスターに採用される
――ピピピピピピピピ。
鳴りやまないアラート音が、頭蓋骨の内側を直接殴ってくるみたいだった。
「……はは、また鳴ってるよ……」
時刻は午前三時。
日付は……見ないでおこう。どうせ昨日から今日に変わったところで、家に帰ってない事実は変わらない。
冷気が絶えず吹き出すラックの隙間に、俺――黒瀬功はへばりつくように座り込んでいた。
モニターには真っ赤な文字。
> 【本番環境:レスポンス遅延】
> 【一部ユーザーからの接続タイムアウト】
そして別モニターには、チャットツールの通知がひっきりなしに流れてくる。
> 「まだ直らないんですか?」
> 「リリースは明日の朝イチって言いましたよね?」
> 「とりあえず“原因調査中”で返しておいて」
――うん、知ってる。全部見えてる。見えてるけど、手が追いついてないだけだ。
「……原因調査と切り分けは終わってるんだよなあ……」
独り言が漏れる。
本番と検証で設定が微妙に違う。
リソース制限の閾値が、本番だけ妙に厳しい。
それを誰かが「仕様です」の一言で押しとおした結果がこれだ。
つまり、いつものパターン。
「“想定外のアクセス集中”ね。はいはい、想定できてたわ」
口だけは悪くなっても、身体はちゃんと動くあたり、社畜の習性は恐ろしい。
ログを見る。
スクリプトを叩く。
負荷を逃がすための設定変更案を頭の中で組み立てて、リスクを並べて、
――でもその前に、上長とクライアントへの説明文面を考え始めてしまうあたりが、俺の悪い癖だ。
まず謝罪から入り、次に現状、原因、対策案、再発防止策……。
「……俺、何やってんだろ」
ふ、と意識が一瞬だけ遠のいた。
眠い。
目の裏側が、砂を塗り込まれたみたいに痛い。
最後に家に帰ったのは、いつだったか。
最後にちゃんとした食事を摂ったのは……あれ、何日前だ?
思い出そうとしたところで、スマホが震えた。
> 上司:「まだか?」
その一言で、かろうじて繋がっていた何かがぷつんと切れる。
「あー……はいはい。まだですよ。分かってますよ」
もちろん、そんな返信をするわけにはいかない。
文章にできるのは、いつものテンプレだけだ。
「……ただいま、対応中です」
指が勝手に打ち込んで、送信ボタンを押す。
――俺は、いつまで、誰の“対応中”でいればいいんだろう。
モニターの光が、やけに眩しく見えた。
サーバールームを冷やす空調の音が、遠くなる。
あれ。おかしいな。
視界の端が、暗く……。
(あー……だめだ。これ、本気で……)
頭のどこかが、冷静に警告を鳴らす。
救急車? いや、そんなことしたらプロジェクトが――。
そこまで考えて、笑ってしまった。
(ああ、そうか。俺、まだ“プロジェクト”優先で物事考えてんのか)
間抜けだな、俺。
せめてもの抵抗に、心の中でだけ毒づく。
(もし……もし次があるなら、だ)
暗く沈みかけた意識を引きずり上げて、最後の悪あがきみたいに願う。
(今度生まれ変わったら、絶対こっちが搾取する側になってやる……!)
CPUファンの回転音が、遠ざかっていく。
――そこで、ぷつん、と世界が途切れた。
◆ ◆ ◆
真っ白、という表現は、たぶん違う。
目を開けると、そこには「色が存在しない空間」が広がっていた。
上下も左右も分からない。地面も空も曖昧で、俺は何もない場所にただ“浮かんで”いた。
「……は?」
スーツ姿だったはずなのに、いつの間にかラフなシャツとパンツに変わっている。
感覚も妙に軽い。徹夜明け特有の体の重さや、胃の痛みもない。
「お目覚めかな?」
不意に、声がした。
視線を向けると、そこに「人の形をした何か」が立っていた。
年齢不詳。性別不詳。
顔は、ぼんやりとしたモザイクがかかったみたいに、はっきりとは見えない。
けれど、そこから伝わってくる空気だけは妙に生々しい。
――あ、この感じ、知ってる。
「……人事?」
「人事?」
ぼやいた俺に、その“何か”は首をかしげてから、楽しそうに笑った。
「まあ、そう言ってもいいかな。死んだ君の魂の次の“配属先”を決める係だからね」
「死んだ?」
胸がすっと冷えた。
ああ、もう死んだのか、俺。
意外なほど、ショックはなかった。
あのサーバールームで倒れた時点で、なんとなく、そうなる気がしていたからだ。
「えっと……ここは、いわゆるアレですか。死後の世界?」
「そう解釈してもらって構わないよ」
人事っぽいものは、肩をすくめた。
「まずは自己紹介からにしようか。僕は――そうだね、この世界を回している“システム管理者”みたいなものだと思ってくれればいい」
「神様とかじゃなくて、システム管理者なんですか」
「神様って呼ばれることもあるけどね。細かい権限管理とかバージョン管理とか、そういうのもやってるから、システム管理者の方がしっくりくるかなあ」
なんか、一気にありがたみが減った。
「で、黒瀬功くん」
ぴくりと肩が跳ねた。
「君は死んだ」
「……ですよね」
「過労死。いわゆる“働きすぎだね。心筋梗塞、脳卒中、細かく分類すれば色々あるけど、まとめて扱うことにしてる」
「雑だな」
「細かくログを取っても、君の今後にはそんなに影響ないしね」
ログ。
妙に耳に馴染んだ単語に、思わず苦笑する。
「君のログは一通り読ませてもらったよ。炎上プロジェクトの火消し、徹夜続き、仕様変更祭り……まあ、よく持った方じゃないかな」
「褒められてる気がしないんですが」
「褒めてるよ? ブラック企業であそこまで“運用”できる人材は貴重だ」
しれっと「ブラック企業」と言うな。
それでも、その声には本気の色があった。
「君ね、“運用能力”と“根性”の評価がすごく高いんだよ。設計よりも、仕様の穴や負荷の偏りを見つけて、現場で回し続けるスキルに特化してる」
「……褒めてます?」
「褒めてるってば」
神は、クスクス笑う。
「で、だ。君はさっき、死ぬ直前にこんなことを考えていた」
空間に、文字列が浮かび上がった。
> 『今度生まれ変わったら、絶対こっちが搾取する側になってやる……!』
……うわ、やめてほしい。
死に際の心の声、ログに残されてるの、恥ずかしすぎない?
「とてもいいね。実に前向きだ」
「どこが前向きなんですか」
「“上に立つ意志”がある、ってことだよ。少々歪んでるけど」
神は、ぱんと手を叩いた。
「そこで提案なんだけど」
「嫌な予感しかしない」
「君、“迷宮主”やってみない?」
一瞬、耳を疑った。
「……今、なんて?」
「ダンジョンマスター。迷宮主。ダンジョンコアに仕え、その迷宮を運営・拡張していく管理者だね」
人事神の背後に、いくつもの画面が浮かび上がる。
そこには、石造りの通路、うごめく魔物たち、冒険者らしき人間たちの姿。
ゲームやラノベで見たことのある、“ダンジョンっぽい光景”がいくつも映っていた。
「この世界――アルケイン・テラには、各地に“迷宮”がある。迷宮の中心には“迷宮核”があって、そこから魔物や構造が生まれている」
「ふむ」
「表向きには“迷宮は勝手に生まれる”ってことになってるけど、実際はね。裏側で、“迷宮主”が運用してるんだ」
画面が切り替わり、「管理室」らしき場所が映る。
巨大な結晶と、その前で腕を組む人影。
モニターのような魔法陣に、迷宮の各階層や魔物の配置が映っている。
「魔力というリソースを集めて、迷宮を成長させる。罠や魔物を配置し、侵入者――つまり冒険者を傷つけることで、魔力を“回収”する。そういう仕事だ」
……待てよ。
「それってつまり」
「つまり?」
「俺が、冒険者から“搾取する側”になれるってことですよね」
「搾取する、という表現はどうかと思うけど、まあ概ね合ってるね」
神はニヤリと笑った。
「しかも君には、“運用エンジニア”として培った経験がある。ログを見る目、ボトルネックを見抜く感覚、炎上プロジェクトの鎮火スキル――」
指折り数えながら、
「正直言って、“迷宮主”に向いてるよ。ブラック適性、高いし」
「ブラック適性って、普通は褒め言葉じゃないんですが」
「このポストに限っては、最高の褒め言葉だよ」
人事神は肩をすくめる。
「もちろん、リスクもある。さっき軽く言ったけど――」
空間の真下に、黒い渦が開いた。
「迷宮核が破壊されたら、その迷宮は崩壊し、迷宮主も“退職”――つまり消滅だ」
「……けっこうえげつないですね?」
「運用ポストって、責任重いでしょ? 今さらじゃない?」
ぐうの音も出ない。
「だが、その分、裁量もある。どんな迷宮にするか、どこまで成長させるか、“搾取の仕方”だって、君の自由だ」
「……」
胸の奥で、何かがざわついた。
もちろん、危険もあるだろう。
強い冒険者が来れば、コアを狙われる。
守りを固めて誰も通さないという選択もある。だが、それでは迷宮は成長しない。
魔力を集め、成長しなければ、いつか本当に強い奴が来たときに一撃で終わる。
それは、炎上プロジェクトと同じだ。
先送りにしたツケは、いつか必ず倍返しでやってくる。
「……いいですよ」
自分でも驚くほど、すっと言葉が出た。
「そのポスト、やります」
「お、即決だね」
俺は神をまっすぐに見た。
「今度は俺が、搾取する側になります。
――前の世界で俺を潰したみたいな“ブラック”を、今度はこっちがやってやりますよ」
神は、一拍置いてから、楽しそうに笑った。
「いいね。実にいい」
ぱん、と手を鳴らす。
「それじゃあ、君を新しい迷宮核と紐付けよう。場所は――そうだな、大陸の外れに生まれたばかりの、小さな“野良迷宮”にしようか」
「野良迷宮?」
「まだ誰にも管理されていない迷宮ってこと。君が一から育てられる」
悪くない。
むしろ、その方がやりがいがある。
「最後に確認だけど、後悔しない?」
「前の人生を続けるよりは、確実にマシそうなので」
「了解。じゃあ――」
足元の“無”が、ぐらりと揺らいだ。
「これより、君を迷宮主として“配属”します。行き先は――アルケイン・テラ、“迷宮核”の間」
視界が傾く。
身体が、下へ、下へと落ちていく。
白い空間が遠ざかり、代わりに、闇の中にぼうっと輝く何かが近づいてきた。
それは、黒い結晶だった。
透き通った黒。
中心部が、心臓の鼓動みたいに、どくん、どくんと脈打っている。
(……あれが)
迷宮核。
俺の新しい“職場”であり、“心臓”であり、同時に“命綱”でもある存在。
意識の端で、神の声が聞こえた。
「そうそう、最後にひとつだけアドバイスを」
(今言う?)
「無茶な炎上を鎮火させるのは得意だと思うけど、今度はちょっとだけ、“自分の身体”も大事にね」
その言葉に、思わず苦笑する。
「それは……検討します」
「検討で終わらせないことを祈ってるよ。じゃあ、がんばって」
視界いっぱいに、黒い結晶が広がった。
どくん、と鼓動がひときわ強く鳴る。
そして――俺の意識は、脈動する迷宮核の闇に、飲み込まれていった。




