2.家族に出来ること。
「院長は、どうして孤児院を開いたの?」
「ん、急にどうしたのかしら。カイルちゃん」
「なんとなく思ったんだ。ボクたちみたいな子供を預からなければ、院長はもっと楽しく生活できるはずなのに――って」
それは、ボクが物心ついてしばらく経った頃のこと。
不意に思いたって、院長に問いかけた。どうして、この孤児院を開いたのか――と。質問に質問で返すしかなかったのだろう彼に、ボクは首を傾げてそう言った。
不思議で仕方なかったのだ。
毎日、院長は忙しそうにお金の工面をして、家事をやって……。
ボクたちさえいなければ、もっともっと、多くの幸せをその手に出来ていたのではないか、と。それなのにどうして、ボクや他の子のように、身寄りのない子供を集めたのか、と。
「カイルちゃん……」
ボクの言葉に、院長は泣きそうな顔をした。
いいや。それはもう、泣き顔だ。それを見て、胸の奥がキュッとしたのを憶えている。たぶんボクも不安で仕方なかったのだ。
ボクは院長の足を引っ張っているのではないか、と。
そんな存在はいつか、切り捨てられてしまうのではないか、と。
だって、この世界はあまりにも不条理に満ちている。
生きる者はすべて、弱肉強食の理の下にある。弱い存在は抵抗する暇もなく、ただその命を食い散らかされる。その思考が、当時のボクの中にはあった。
だから、院長のやってることが――怖かったのかもしれない。
理解できないから、怖かった。
「ごめんね、カイルちゃん」
「院長……?」
そんなボクを、院長はそっと抱きしめた。
その意味が分からずに、困惑する。言葉を失っていると、彼は言った。
「不安だったわよね。でも信じて? 私とカイルちゃんは――」
それは、ボクの中にある疑問に対する答え。
「『家族』だから、ね」――と。
温もりが、どこか冷めていた心を満たしていった。
「『家族』……?」
「互いに助け合って、一緒に暮らす人たちのことよ」
「それってボクと院長や、孤児院の他のみんなみたいに……?」
無言で頷いた院長に、ボクは納得する。
あぁ、そうか。きっと『家族』というのがすべてなんだ、と。
院長がどこまで考えてボクにそう伝えたのか、それは分からないことだけど。それでも、少なくとも孤独だったボクの心を救ったのは、それだった。
だから、あの日から。
ボクにとって『家族』という言葉は、特別になったんだ……。
◆◇◆
夜の風を受けながら、ボクは束の間の想起に身を委ねていた。
こんな状況で昔を懐かしむような、そんな余裕がある自分に驚きだけど。それでも間違いなく今、院長との過去は大切を感じるものに違いなかった。
「院長……」
ベランダで、綺麗な丸い月を見上げる。
街を一望できるこの家の立地は、なかなかに贅沢なものだった。
「眠れないのか? ――カイルよ」
「ん、レミア……?」
さて。そうしていると、不意に少女の声がした。
右を向くと、そこにはボクと同じように。ベランダに出て夜風に身を晒すレミアの姿があった。淡い赤のワンピースを身にまとった彼女は、風になびく髪を抑えつつ優しげに目を細める。心配している、というよりも共感している、といったところだろうか。
「妾も少し、思うところがあって、な……」
その証拠に、レミアはふっと息をつきながらそう口にした。
「……なぁ、カイルよ」
そして、少し考えてからボクの名を呼ぶ。
こちらはあえて返事をせずにそれを認めて、彼女の言葉を待った。
「お主にとって、ダース――『家族』とは、なんなのだ?」
「……………………」
すると、続いたのはそんな問い。
ボクはとくに驚きも受けず、じっくりと考えた。
彼女が云わんとするところは、分かっているつもりだ。それはきっと、院長の過去に犯した罪を知ってでもそちらを選ぶのか、ということ。
「ココから、レーナの過去を聞いてな。妾は少し分からなくなった」
レミアは正直に、そう打ち明けた。
それも当然といえるだろう。罪は、過去に犯したそれは、どう足掻いても消すことが出来ない。院長がかつて多くの命を殺めたのは、事実としてあった。
そして、その被害を受けたのは他でもないレーナだ。
「ココも、心の奥ではダースを恨んでいるはずだ。それなのに――」
――妾には、理解できない。
風に乗ってレミアの声が、ボクの耳に入ってきた。
それはそうだと、ボクも思う。でも、院長とのことを水に流そうと、そう決意したのは他でもないココさん自身だった。他人にはきっと、理解できるものではない。
だけども、その決意は苦渋に満ちていると同時に。
とても、尊いものなのではないか。
そう、思わされた。
「――ねぇ、レミア?」
だからボクは、ボクの考えを通すのだ。
それを伝えるために、レミアに真っすぐ向き直った。
「レミアは――『家族の条件』って、なんだと思う?」
「家族の、条件……?」
こっちの問いかけに、少女は面食らったような表情を浮かべる。
そして、しばし考えてから……。
「きっと、共に協力して生活する者たち、ということだろうな」
そう、自信なさ気だが口にした。
それにボクは頷いて、街の明かりに目を向ける。
「そうだね。きっと、この明かりの数だけ、そういう人たちがいるんだと思う」
「だが、その条件が今の状況と関係あるのか……?」
レミアの疑問にボクは答える。
一つ息をついてから、真っすぐにこう伝えるのだ。
「協力や助け合い、それってきっと――その人のことを受け入れる、ってことだと思うんだ。その人のすべてを受け入れて、間違いを犯したならちゃんと叱って、その解決に向かって手を取り合う。それは血の繋がりとか関係なしに、心の繋がりで、それを『家族』って呼ぶんだと思うんだ」
赤髪の少女は息を呑んでいた。
そんな彼女に、ボクは微笑みかけながら続ける。
「過去は変えられない。院長の罪は消えないし、レーナの悲しみも消えない。それでもボクたちに出来ることって、決まってるんだ。院長を助け出して怒ってから、一緒に手を取り合って、贖罪の方法を考える――」
ふっと、感情が漏れる。
吐き出す息に、熱がこもったのが分かった。
でもそれを押し留めることはせず、ボクは最後にこう告げる。
「それが、きっと『家族に出来ること』だから」――と。
迷いはない。
その決断には、迷いなんてなかった。
ボクを抱きしめてくれた院長の、あの温もりは本物だった。だからボクは、それを信じ続ける。過ちもまた事実だとしても、それもまた事実なのだから……。
「カイル、お主……」
レミアはボクの名を口にして、しかしすぐに首を左右に振った。
そして、いつものように力強い眼差しをこちらへ向ける。
彼女は拳を突き出して、こう言った。
「――ならば『家族の家族』もまた、助け合わなければ、だな!」
それは、なんとも心強いもの。
ボクは少しだけ泣きそうになってから、レミアへ向かって、同じように拳を突き出した。直接に繋がりはしないけれども、彼女ともまた、ボクは繋がっている。
心でしっかりと。
家族としての絆を、間違いなく――。
だからもう、レーナと相対しても気後れすることはない。
そう思うのだった。




