6.別れ その1
ちょい長いです。
――あの事件から、ひと月の時が流れた。
ボクとレミア、そしてリリスさんの三人は少女の館の中庭に集まっている。日傘をさしてしゃがみ込む赤髪の少女の前にあるのは、一つの簡素な墓だった。
華美な装飾などない。寂れているとはいえ、豪華な建築物の横には似つかわしくなかった。それでも、レミアがそれで良いと言ったのだ。
「――これで、よかったの?」
「あぁ。妾もようやく、別れを告げる勇気を持てた」
こちらの問いかけに、彼女は愛おしそうな声で答える。
それならば、ボクから言うことはこれ以上はない。レミアの隣に立つリリスさんに目を向けると、彼女の方はどこか落ち着かないのか、後ろ手を組んでそわそわしていた。視線を何度も館の方に投げては、大きく息をつくのだ。
「そんなに気になるなら、様子を見に行けばいいのに」
「あ、いえ。大丈夫です――はい」
そんな感じなので、気をつかってそう声をかけるのだが。
リリスさんは何故か背筋を伸ばして、どこかしんみりとして答えた。そしてしばしの間を置いてから、寂しげな口調でこう話し始める。
「あれから、もうひと月なのですね」――と。
それは、自身が怪物と化してしまったあの事件のこと。
彼女はふっと息をついて――。
「本当に、終わったのですね」
そう、口にした。
それを聞いて、レミアがピクリと反応する。
「あぁ、終わったのだ。妾の憂いも、リリスの憂いもすべてが、な」
「………………はい」
少女の言葉に、静かな同意を見せる女戦士。
そこにいつもの凛とした鋭さはなく、代わりに女性らしさがあった。
「きっと、あの馬鹿親父も納得している。リリスが不安に思う必要はない」
「ありがとう、ございます……」
二人はそう言葉を交わして墓標を見る。
一陣の風が吹き抜け、木々や草花を揺らした。
そうなのだ。すべてが終わったのだ。あの日を境に――。
「――あの、だね。これでは、私が死んだような空気ではないかい?」
と、その時だった。
男性の声が、こちらに投げかけられたのは。
ボクはその声のした方を見て、姿を確かめるとホッと息をついた。
「準備は出来たんですか? ――ヴィトインさん」
こちらの問いかけに、彼――ヴィトインさんは小さく笑んで答える。
「あぁ、これで。出立の準備は整った」
傷が癒えるまで一ヶ月。
今日はいよいよ、彼とリリスさんの旅立ちの日だった。
だがその前に、一つ振り返っておくこととしよう。
ヴィトインさんが何故、あの状況から生還するに至ったのか、を……。
◆◇◆
ボクの手から離れた光は、ヴィトインさんの遺体を包み込む。
そして見る見るうちに彼の傷を癒していった。
「う、そ……」
レミアが呆然としてそれを見つめる。
こちらの顔を、驚いた表情で覗き込んで震える声で言った。
「カイ、ル……? お主、治癒魔法を使えたのか?」――と。
そんなはずがない。
悲しいことだが、ボクには魔法の才能全般がまるでない。
攻撃魔法もそうなのだが、治癒魔法も同じだ。結局は扱う者――術者の才覚によって、すべてが決定される。もっとも理論によって底上げは可能だが……。
「……だとしても、こんな!?」
ボクは少女の言葉に応えて、首を大きく左右に振った。
そう、あり得ないのだ。ヴィトインさんは完全に息を引き取ったはず。
それなのに――。
「――私、は。生きて、いるのか……?」
光が収束したと同時に。
ヴィトインさんは、おもむろにその目を開いた。
そして、そう口にして静かに手を動かす。すると二人――レミアとリリスさんが、同時にそれを取った。細かいことはどうでも良い、と。
今はとにかく、愛しい『家族』の生還を喜ぶことにしよう――と。
◆◇◆
結局、あれは何だったのだろう。
間違いなくボクの中から溢れ出したあの光の正体は、今になっても分かっていなかった。ただ残されたのは、ヴィトインさんの命を救った、という結果だけ。
それ自体は一向に構わないのだが、気味が悪いことには変わりなかった。
「カイルくん、少し良いかな?」
「え、あ――はい。なんでしょうか、ヴィトインさん」
そう考えていると、談笑している輪を抜けてヴィトインさんが声をかけてきた。
ボクは首を傾げながら、彼の手招きに従う。そして、レミアの母親の墓の前に立った。少しの間を置いてから、妻の墓を見守りながら相手は口を開く。
だが、その内容というのは突拍子もないもので。
「キミの力――私を救ったアレは、おそらくだが『神々の力』だ」
「へ……? 神々、のですか?」
ボクは間の抜けた返答をしてしまった。
真剣な面持ちのヴィトインさんとは、正反対の表情となる。しかしそれでも、彼は気にした素振りもなくこのように続けるのだった。
「あぁ、そうだ。私も確証あってのことではないが――」
彼は顎に手を当ててうなずく。
「アレは、人が扱うにはあまりに強大過ぎる。現に私は一度死んだ。その自覚がある。それを救ったとなれば、それは奇跡以外の何物でもない」
「だから、神々の力だ、と……?」
「いいや、それだけではないが……」
そこで言葉を切って、ヴィトインさんは眉間に皺を寄せた。
「……これはまだ、判断するには早い、か」
「え、それって……?」
ボクは彼の漏らしたそれに、疑問符を浮かべる。
だが、それを振り払うようにしてヴィトインさんは豪快に笑うのだった。
「なに、とにかく私はキミに命を救われた! これは変わりのない事実だ!!」
「いたっ!?」
そして、背中をバシバシと叩いてくる。
なんだろうか。ボクのあずかり知らぬところで、また話が進んでいるような気もする。それでも、こちらはどうすることもできないので、切り替えよう。
そう、思っていると――。
「だが、これだけは言っておこう」
「なんです……?」
不意に声を低くして、彼は耳元でこう囁くのだ。
「魔族も、神々も信用するな。敵か否かは、自分の目を信じろ」――と。
それには、有無を言わせぬ響きがあった。
ボクは思わず息を呑んで、レミアたちのもとへ歩んでいく彼を見送った。それしか出来なかった。彼の言葉にはそれ以上の重みがあるように思えたから。
「カイルさん、どうされたのですか?」
「え、あ……リリスさん」
だから、リリスさんに声をかけられるまで息が出来なかった。
答えると彼女は不思議そうにこちらを見て、しかしすぐにこう口にする。
「あの、カイルさん。短い間でしたが――本当にありがとうございました!」
それは、感謝の言葉だった。
それを聞いて、ボクはようやく思い出す。
あぁ、そうだった。彼女と歩むのは、ここまでなのだ、と。
「うん、気にしないで。元気でね……リリスさん」
これは、彼女の決めたことだ。
この一ヶ月の間、ヴィトインさんの看病をしながら、リリスさんは再び旅に出ることを決心したのである。なんでも、世界の情勢を二人で調べて回る、とか。
これまでのこと。そのわだかまりがなくなった今、もう一度ヴィトインさんと歩むのも悪くないのではないかと、ボクも賛同した。
でも、そこでふと思うことがあった。
それというのも――。
「ところで、どうして一度この街に根を張ろうとしたの?」
――そうなのである。
リリスさんは、この街に住むことを決意したはず。
ヴィトインさんを探すという目的を一度でも曲げて、そう決めたのだった。過去のことだけど、ボクには少しだけ引っ掛かりがあったのである。
「あ、それは……」
「…………ん? どうしたの、顔を真っ赤にして」
だが、それを訊くと彼女は少しだけうつむいてしまった。
そして上目遣いに――。
「あの、カイルさん。少しだけ目を瞑って下さい」
そう、言った。
ボクはどこか疑問を抱きながらも、目を閉じる。すると――。
「――――え?」
「こういう、ことですよ」
柔らかい感触が、頬に触れて離れていった。
リリスさんの優しい声を耳元に感じながらボクは、呆然とするしかない。
「うふふっ、それではまた!」
そして、笑顔で去っていく彼女を。
少女のような微笑みを浮かべる彼女を、ボクは静かに見送った。
頬に感じるその名残りをたしかめながら、今度はこちらが顔を真っ赤にする。どうにもこうにも、ボクは鈍感で仕方のない男だったらしい……。
長かったので、分けることにしました。
近々、その2を上げますね。




