6.二人の過去
数分が経過した。
一時的に接近した二人には今、エリオが数歩下がることで距離が出来ている。
だが瑠璃色の瞳に射抜かれ、ニナは完全に委縮していた。
蛇に睨まれた蛙。その言葉が似合うだろうか、少女はその細い肩を震わせる。――動けない。足の甲から杭を打ち込まれたように、その場から一歩も動けなくなっていた。
「僕だって、これでも冒険者なんです。ランクはCですけど、戦闘経験のない一般人なら簡単に殺すことが出来ます。試してみますか……?」
「ひっ……!」
腰元に装備していたダガーナイフを抜き、眼光を微かに陰らせる。
感情というものを殺し、相手の命を狩る。少年の目からは間違いなく、その意思が感じ取れた。だからこそニナは短く悲鳴を上げるしか出来ず、息を詰まらせる。
――逃げないと、本当に殺される!
直感した。
生存本能が警鐘を鳴らしている。
少女の幼い思考回路には、その考えだけが渦巻いていた。その時だ。
「お待ちください、エリオ様」
「……ココさん、ですか」
助け舟が出された。
落ち着いた声色で、獣人娘の背後に現われたのはエルフの給仕長。
ココはふっと息をついてから、優しくニナの頭を撫でた。それによってようやく、少女は緊張から解放されたのだろう。ぺたんと、その場にへたり込む。
「事情は、私の口から説明いたしましょう」
「分かりました。ひとまずは聞きます」
「ありがとうございます」
そう言葉を交わし少年がナイフを仕舞うと、ココは恭しく頭を下げた。
そして、真剣な面持ちでこう話し始める。
「私たちは――」
それは、少年の予想を超えるものだった。
「――いまは亡きヴァンパイアに仕えていた『眷属』の子、その生き残りです」
ココの目の色が変わる。
その輝きはどこか、レミアのそれを思わせた。
◆
ココとニナは、ある日すべてを失った。
住んでいた家も、それぞれの家族も、なにもかも。
『眷属』である各々の両親がヴァンパイアハンターの手にかかり、二人はそれこそ死にもの狂いで逃げ出した。奪われて、捨てて、そして失って。
そうでもしないと、生き残れなかった。
泥水を啜ってでも走り続けないと、生き残れなかったのである。
『くそっ、くそっ……!!』
ココはまだ赤子だったニナを抱えて、森の中を駆けていた。
悪態を吐きながら。それは、何に対しての呪詛であったろうか。
いや。言うまでもない。されど、口にせずにはいられなかった。
『ヴァンパイア、ハンター……っ!』
自分たちから、何もかもを奪った存在――ヴァンパイアハンター。
己が欲望、富と名声だけのために、無抵抗な命を蹂躙する亡者たちだ。
ココはたしかにその目で見ていた。自分の両親が殺されるところ、そしてニナの父親が何度も何度も、不必要なまでに銀の剣で串刺しにされるところを。
目に焼き付いて離れなかった。
もう一生、忘れることのないであろうあの男の顔。
『いつか、必ず……っ!』
復讐を果たす。
彼女はその時に、心に誓ったのだ。
◆
「それが、あの孤児院の院長さん――って、ことか」
「はい。この街に潜入して、ついに見つけたのです」
エリオの静かな声に、ココは頷いた。
ダースの顔立ち、その特徴はニナも嫌というほどに聞かされていた。
そのため、先ほどカイルたちが孤児院に向かった際に彼を見て、そう口にしたのである。隣にいたココも頷き、それを肯定した。
間違いない――自分たちの仇敵は、あの男だと。
「ですが、私は少々困っています。まさか主とした方の恩人である、など……」
そう言って、ココは目を伏せて胸に手を当てた。
自分たちに仕事を与えてくれたカイル。まさかその親代わりの人物が、ダースだったこと。その事実は彼女とニナの心に、暗い影を落としていた。
感情を優先すべきなのか、否か。どちらを捨てるべきなのか。
答えは出なかった。
失うこと。そして、削り落とすことで生きてきた二人には答えを出せない。
「……分かりました」
そんな二人の様子を見て、エリオは一つそう口にした。
さらに続けて、こう言うのである。
「ひとまず、保留としましょう。今はそれどころではない――それは、二人も分かることでしょう? 考えるのは、決めるのはまだ先でもいい」
「………………………………はい、そうですね」
少年の、似つかわしくない冷静な声にココは同意した。
ニナにも目配せをして確認を取る。獣人の少女が小さく首を縦に振ったのを見てもう一度、今度は少し長い時間、目を伏せるのであった。
そして目を開いた時、彼女はエリオにこう言うのである。
「いまは、リリス様のことに集中することにしましょう。ただ――」
ほんの少し。
敵対心を見せながら。
「――その先については、どうするか分かりません」
それは、静かな空間に溶けていった。




