3.闇夜の出会い
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
日はすっかり傾き、リリスさんたちに告げていた帰宅時間も近付いてくる。
そろそろ頃合いだろう。ボクはそう思って、立ち上がった。そして、レミアに声をかけようとしたのだが、そこで院長からこんな言葉が投げかけられる。
「……カイルちゃん? 申し訳ないけれど、レミアちゃんにお話ししたいことがあるの。少しだけお借りしても良いかしら」――と。
いつもと変わらない満面の笑みで。
彼はボクに向かってそう言ったのであった。
「え、はい。レミアがいいならそれで。ボクは先に帰りますね?」
ちらり。
少女の表情を確認して、ボクは答えた。
レミアももうSランクの冒険者だ。夜道を一人で帰らせるのは多少の不安はあるものの、それでも大丈夫だろう。そう思われた。
それに何よりも、レミア自身が院長の話を望んでいるように思えたのである。口ではそう語らないが、真っすぐな視線はそう語っていた。
「済まないな、カイル」
「ううん。大丈夫だよ――気をつけて帰ってきてね?」
なので、ボクはそう言い残して孤児院を出る。
そうして歩くことすでに、一時間ほど。もうじき我が家にたどり着くという頃合いだが、すっかり世界は闇夜に囚われてしまっていた。頼りになるのは、建ち並ぶ家々から漏れ出す明かりくらい。
そんな中をボクは、どこか気持ちを泳がせるように歩いていた。
その時だ。
「やあ、そこのキミ。少しお聞きしたいことがあるのだが、いいかな?」
「……ん。ボク、ですか?」
ボクへと声をかけてくる人物があったのは。
その人は深い闇の中から、しかしそれでもハッキリと分かる存在感で。微かな明かりに照らされているだけなので、顔立ちはよく分からない。しかし、真紅の瞳から抱く印象は――何故だろうか。どこか、既視感があるようにも思われた。
背丈はボクよりも一回り大きく。
しかし、全体的にほっそりとした方だった。
黒の外套を羽織り、近すぎず遠すぎずの距離を保っている。
「そうだよ、キミだ。最近この街に一人の女の子が訪れなかったかな?」
そして彼は、ボクに向かってそう問いかけたのであった。
◆◇◆
「それで、話というのはいったい何なのだ? ――ダース」
「……………………」
妾が問いかけると、孤児院の主は神妙な面持ちとなる。
両手を組んで口元を隠し、視線はこちらに合わせようとしなかった。
だがそれでも決心はしているらしい。おもむろに、このように話し始める。
「前に、レミアちゃんは最後のヴァンパイアだと思う――そう、言ったわよね?」
それは妾の出生についてのことだった。
妾は以前、ダースに話したのである。自分の過去と、そして自身がヴァンパイア唯一の生き残りであろうという憶測を。そのことを改めて掘り返されるのは、個人的には一向に構わなかったのだが、それ以上にダースの様子が気にかかった。
「あぁ、そうだが。それが、どうしたというのだ?」
そのことに気を配りつつも、しかしどこか気が逸る。
つい語調を強めてそう問い返してしまった。すると彼は、ふっと息をつく。
そしてようやく妾に視線を向けて。いつもの女々しい口調ではなく、大剣のような重い声色でこう告げるのであった……。
「……いるわよ。まだ、もう一人」――と。
それは、思いも寄らぬ言葉。
「なに……?」
妾とダースの間には、鋭い刃のような空気が漂うのであった……。
◆◇◆
「女の子……? いえ。この街は出入りが激しいので、特徴がないと……」
「ふむ、そうか。たしかに言われてみれば、そうだな」
「すみません。お力になれず……」
「いや、いいよ。大丈夫」
おそらくは年若い男性だと思われる人物は、ボクの言葉にそう答えた。
なかなかに気さくな人柄らしく、どこか浮かべる表情も明るいように思われる。
「でも、もしかしたら何かしら協力できるかもしれません。例えば、そうですね――その女の子の名前とか、背格好とかを教えて下されば!」
「ふむ。名前に背格好、か……」
そう思えたからだろうか。
ボクは、ほぼ無意識のうちにそう提案していた。
すると彼は、少し考え込んだようになり、しかし最後に小さくため息をつく。
「済まないが、名前も分からないのだ。背格好も、今ではどうなっているか……」
「そう、ですか。それだとちょっと、難しいですね」
「申し訳ない。時間を取らせてしまって」
「あぁ、いえいえ!」
謝罪するその人に、ボクは首を左右に振りながら答えた。
しかしそれにしても、名前も背格好も分からない人物など、どれほどの時間をかければ見つけられるのであろうか。つい、そんなことを考えてしまった。
それこそ、レミアのようなヴァンパイアでない限りは……。
「あっ! そう言えば、自己紹介がまだでしたね。ボクはカイル、って言います」
と、そこで不意に大切なことを思い出した。
ボクたちはまだ名前を交わしていない。まず、その一歩を踏み出さなければ、これから協力しようにも色々と不便ではないか。
「そういえば、そうだったね。私の名は――」
相手も、そう思ったらしい。
ボクの名乗りに応えて、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
そしてその綺麗な顔立ち、美しい銀色の髪を露わにしながらこう言う。
「――私の名は、ヴィトイン・アルテミオという」
言って、ヴィトインさんは手を差し出した。
ボクは自然、その手を取る。白く、まったく日に焼けていないその手を。
これは、ほんの些細な出会い。
この時のボクは、そう思っていた。
だからこそ、思いもしなかったのである。
この出来事を発端に、新たな歯車が動き始めた、などということを――。




