1.新たな歪み
日が落ちて、夜が訪れる。
一日の終わりを告げる時間の始まりであるそれは、今日に限っては特別な意味を持つように思われた。これまでの憂いを洗い流すような、そんな緩やかな時間が流れている。このギルドにも今朝のような緊張感はなく、遺恨などなく和気藹々とした空気があった。
「あれ? リリスさんは……?」
「リリスって、あの戦士か? それだったら、さっき外に出て行ったぜ?」
そんな中で、ボクは仲間の一人がいないことに気付く。
レオがこちらの呟きに反応して、そう情報を提供してくれた。
「あ、そうなんだ。どうしたんだろ……ちょっと見てくるね!」
「おう! この後は酒場に行くから、そこで合流な!」
「分かった。先に行ってて!」
レオとそう会話を交わし、ボクは彼女が向かったという方向を目指す。
ギルドの外へ出て左へ真っすぐ進む。すると、そこには天を見上げて立ち尽くすリリスさんの後ろ姿があった。どこか所在なさ気にも思われたが、ひとまずは安心する。ボクは声をかけようとし――。
「――ん? あれって……」
もう一人、誰かがいることに気が付いた。
その人影は、おぼろげながらも圧倒的な存在感を放つ。
間違いない。あそこにいるのは――魔族、アビスだった。彼はリリスさんと真正面から向かい合って、何かを離している様子。思わず、ボクは物陰に身を隠した。
そして、静かに聞き耳を立てる。すると聞こえてきたのは、こんな会話。
「貴方は、いかがするおつもりですか? ――リリスさん」
「どうもこうもしない。私は、今まで通りに……」
「そうはいかないでしょう? 貴方の立場上」
「……………………」
アビスに問われて、リリスさんは黙した。
ボクはとりあえず耳を傾けるものの、その内容はハッキリと理解できない。
リリスさんの立場とは何だろうか。たしか、彼女はヴァンパイアハンターを名乗っていたけれど、それと何か関係があるのだろうか。
しかしそれは、今のボクには理解が出来なかった……。
「まぁ、貴方が決めることです。私は面白くなれば、それでいい」
「ふん。ずいぶんと良い性格をしているらしいな」
「おやおや。ありがとうございます」
「…………ちっ!」
去り際、アビスはリリスさんとそんな会話を交わす。
明らかな敵意を彼に向ける彼女は、こちらにも聞こえるほど大きく舌を打った。
「おや。そのような素行の悪いところを、彼に見られても良いのですか?」
その時だ。アビスが、唐突にボクの方へ視線を投げたのは。
「え……っ!? カイル、さん!」
それに導かれるようにして、リリスさんもこちらを見た。
どうやらもう、隠れていても無駄らしい。ボクは観念して、姿を見せた。
「ごめん。盗み聞きをするつもりはなかったんだ」
「カイルさん……」
すると、どこか居心地の悪そうな表情を浮かべるリリスさん。
しかしそんな彼女を尻目に、アビスはボクの方へと歩み寄ってきた。そして横に立ち、こう囁く。だけども彼の言葉の意味は――。
「――せっかくの仲間。また、失わないようにご注意を」
「え……?」
まったく、分からなかった。
仲間を失う――それはいったい、何のことを言っているのだろうか。
「くくくっ。この問題に、私は不干渉でいきましょう。それでは……」
しかし、その答えを聞く前に。
アビスは霧となって消えてしまうのであった。
残されたボクとリリスさんは、互いに無言のまま。しばしの時が、無意味に流れて行ってしまうのであった。すると、そんな静寂を破る人物が現れる。
それは、レミアだった。
「うむ。二人とも、いったい何をしているのだ? みな、待っているぞ」
「――――――――――!」
少女は、頬を膨らませてそう抗議する。
おおかた早く生肉が食べたくて仕方がないのであろう。そう思った。
しかしそんな彼女の登場に、大きな反応を示したのはリリスさん。彼女は肩をビクつかせると、突然に駆け出すのであった。レミアの脇をすり抜け、見えなくなってしまう。呼び止めることも出来ずに、後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「…………ふむ」
しかし、レミアはどこかその様子に心当たりがあるのか。
そんな風に息をつき、うなずいた。そして――。
「――いまなら、もう告げても良いか」
そう、ボクに向かって言うのであった。
「え? レミア、それって……」
「なに、大した話ではない。いずれは伝えねばならぬこと、だったからな」
ボクの困惑を余所に、少女は歩み寄りながら続ける。
目の前まで来て、静かにこちらを見上げた。
「カイルよ。もしかしたら気付いておるかもしれん。それでも、言うぞ?」
風が舞う。
ボクらの周囲を回る。
その最中でレミアは、ボクにこう告げるのであった。
「妾は、おそらく――」
意を決したように。
「――この世界に存在する、最後のヴァンパイアだ」
そう、辛く悲しい現実を。
「え……? それって……」
それを聞いて、ボクの中では一つ納得がいった。
どうしてリリスさんが、あのような反応を示したのか。
そして、あのアビスの残した言葉の謎。それの示す未来のことを……。
また一つ、風が強く舞う。
ボクとレミアの足元を裂くように駆け抜けたそれ。
それはどこか、ボクたちの間に壁を作っているようにも思われた……。




