9.変化
最初だけカイルくんです。
――夢を見ていた。
ボクは雨の中、誰かに抱かれている。
分かるのはそれだけだった。小さなボクを大切に抱きしめて走る、その人の顔は分からない。けれどもどこか、懐かしいと思った。そんな不思議な感覚。
『ごめんね……』
その人――女性は、一言。
そうボクに対して謝るのであった。
どうして謝られているのか、そもそも今がどういった状況なのか。さらに言ってしまえば、これは夢なのか、はたまた記憶の断片なのか。それすらも曖昧だった。
だけど、ボクはこう伝えたく思う。
怒ってないよ、と。この先に何があるか分からないけれど、きっとボクは後悔しないと思うから。だから、ボクは必死になってそう口にしようとした。
しかし、そこで。
ボクの意識は、再び闇の中へと落ちていくのであった――。
◆◇◆
第十一階層に到着。
そこは、異様な静けさに包まれていた。
妾はあの地獄のような状況を思い返して、違和感を覚えながら奥へと進んでいく。あまりに暗いので【ファイア】を使用して明かりを灯した。
すると、そこに広がっていたのは――。
「これ、は……?」
――――血の海。
魔物のモノであろう、様々な色をしたそれが壁全体にべったりと塗り付けられている。魔素の欠片や結晶が無造作に落ちているところからも、それは間違いなさそうであった。漂うのは、腐った生ゴミのような刺激臭。妾は思わず眉間に皺を寄せて、手で顔を覆った。
何が起こったのか、それを思わず考えてしまう。だが、今はそれより……。
「……カイル。そうだ、カイルは!?」
そうだった。
今はなによりも、大切な――仲間の生存を確かめねばならない。
妾は血濡れた地を蹴って、あのお人好しな青年を探す。先ほど感じた魔力の残滓を頼りに、その微かな手がかりを頼りに、妾は歩を進めるのであった。
そして、階層の中腹に辿りついた時だ。
「――――カイル!?」
薄暗い闇の中に、人影のようなモノをみつけたのは。
妾は思わず声を上げて、その者のもとへと駆け寄った。しかし、ふらりと奥へと進んでいくそれに、全速力で駆けているのにも拘わらず、追いつくことは出来ない。それどころか、どんどんと離れて行っているのではと、そんな錯覚すら抱かされた。
「待ってくれ、カイル! 待って――っ!」
妾は叫ぶ。
また、置いていかれてしまう。
また、一人ぼっちになってしまう。
そんな風に考えてしまい、焦燥感に駆られた。
足がもつれる。何度か血によって滑り、転倒してしまう。
「カイル、まって……」
それでも、立ち上がった。
まるで子供のような声を発しながら。そして、ようやく――。
「――カイル! やっと、追い付いて……」
彼のもとにやってきた。だが、
「――――――――――――――っ!?」
絶句する。
何故ならそこにいたのはカイルだが、カイルではなかったから。
そう。そこにいたのは――。
「カイル? ……いや、お前は誰、だ?」
――血に濡れた、一人の魔族であったから。
「……………………」
そいつは、虚ろな瞳でこちらを見た。
灰色と黒色が入り混じった髪に、黒と赤のオッドアイ。
返り血を全身に浴びた、カイルに良く似たそいつは妾をただ、静かに見ている。何をするでもなくその場に立ち尽くしていた。
身にまとう気配は、独特なもの。
爆発的に高まりを感じたその魔力と同一ながらも、どこか弱々しいそれ。それだとしても、少なくとも妾が知っている中でも最も異質で、かつ強いものであった。
先ほどのアビスという魔族など、比ではない。
いま目の前にいるのは、もっと規格外のなにかであった。
「カイル、なのか……?」
それでも立ち姿から、隠せない優しさを感じてしまう。
妾はそれに誘われるようにして訊ねた。すると目の前の魔族は、彼と同じ声でこう言うのである。
「レミ、ア……」――と。
それを聞いた瞬間に、妾の中には言葉に出来ない感情が渦巻いた。
間違いない。この者はカイルに違いない、と。そう思った時の歓喜と、しかし同時に抱いた恐怖は筆舌しがたいモノであった。
彼であって、彼でない者。
妾はこれまでの生涯において、最も大きな衝撃を受けていた。
「カイル……」
向かい合ったまま、膠着状態が続く。
だが、永遠かと思われた時間は、不意に終わりを告げるのであった。
「カイル――!?」
カイルは、唐突に倒れたのである。
とっさに駆け寄ってその身体を受け止めた。
すると次の瞬間には、いつもの彼の姿形に戻っていたのである。
「カイル、カイル!」
その不思議な現象にも、妾は構わず声を上げた。
いつもの彼の姿に戻った。そのことへの安心感と同時に、今度は不安が顔を出したのである。妾は即座にカイルが呼吸していることを確認した。
そして、ほっと息をつくのである。しかし――。
「――カイル……。お主は、いったい……」
大きな疑問は消えることはなかった。
今日のことは、きっと忘れることはない。
妾は静かに眠る青年の顔を見つめながら、そう思うのであった――。




