3.レミアの過去とカイルの思い
――ある日、母様が死んだ。
理由は分からない。ただ、誰かに殺されたということは分かった。
ミリア・レッドパール。妾の母様は、ヴァンパイアの一族の中でも有数の名家の出だった。多くの配下を従え、繁栄を極めていたのである。そんな母様がある日、館を出てから消息不明となった。後に死を伝えられたが、普通に死んだのではないのは明白だ。
また父様は、その頃から行方知れずとなった。
憶えているのは、何かを決心したようなその表情。
そして、もう会えないかもしれない、という悲しい別れの言葉だった。
『――妾は、一人だ』
たった一人の洋館で、妾は膝を抱えて生きてきたのである。
いいや。正確には僅かに残ってくれた母様の配下もいた。それでも妾の胸に空いた穴はあまりに大きく、その者たちのことを考える余裕がなかったのである。
妾はまだ幼かった。百を超える時を重ねても、傷は癒えない。
『このまま、妾はここで生涯を終えるのであろうか』
齢を二百も数えると、そんな言葉が口癖となっていた。
そんな折である。少しずつ散っていく配下の一人に、こう言う者があった。
『人間の一部は冒険者と名乗り、世界を旅するらしい』――と。
何の気なしに耳に残っていたそれ。
妾はだんだんと気持ちを惹かれていった。
世界を旅する冒険者――それになれば、もしかしたら父様を見つけられるかもしれない。そして、母様の死の真相も分かるかもしれなかった。
そして、何よりも――。
『もしかしたら、一人で死ぬことはなくなるかもしれない』
――そう。
この孤独感から、解放されるかもしれなかったから……。
◆◇◆
今思えば、それが最も大きな理由だったのかもしれない。
妾はつまるところ、寂しかった。
「なるほど、ねぇ……」
それをダースに話していて、ようやく理解する。
掻い摘んだ過去話を聞いた彼は、顎に手を当てて何かを考え込んでいた。
「これで満足か? 妾はこれ以上のこと、話すつもりなどないぞ」
「うふふ。それで、結構よ」
妾の言葉に、ダースは表情を解く。
「これで安心して、レミアちゃんにカイルちゃんを任せられるわ。もしカイルちゃんになにか、危害を加えるつもりなんだったら、殺そうと思ってたけどっ!」
「……………………はは」
そして、そんな物騒なことを言うのであった。
こちらとしては、それがどこまで本気なのか分からないので、苦笑するしかない。いや、目が笑ってないので本気だったのかもしれなかった。
とにもかくにもダースを敵に回さずにすんだので、良しとするか……。
「……それで。冒険者になってみて、レミアちゃんはどう思った?」
「どう思ったか、だと……?」
そう考えていた時だ。
ダースは突然にそんな問いかけをしてきた。
「さぁ、どうだろうな。まだ数日だから分からない」
しかし、ハッキリした答えをもたない妾は言葉を濁す。
そうすると彼は、くすっと笑ってから質問の内容を変えるのであった。
「……そうね。じゃあ、カイルちゃんのことはどう思ってる?」
「カイルの、こと……?」
それは、いま子供たちに囲まれて暢気に笑っている青年のことについて。
この問いになら、もしかしたら答えられるかもしれない。カイルをどう思っているか。それならばきっと、この一言に集約されるのだろう。そう――。
「――とんでもない、お人好しな馬鹿だな」
出会ってからまだ数日だ。
しかし、それでもカイルの性格は嫌というほど分かった。
圧倒的強さを持ちながらも自覚しない間抜けさに、見ていて思わず心配になってしまうほどにお人好しなそれ。妾の口にした表現は、きっと誰もがうなずくもの。そう思われた。
「ふふっ! そうね、間違いないわ」
すると、ダースもやはりそれに同意を示す。
吹き出すように笑った様子から、こちらの言葉が少しばかり辛辣だったのが分かるが。それでも彼は否定することなく、妾の顔をじっと見つめ返した。
「でも、それがどうしてか分かる?」
「どうして……?」
そして、次はそんな問いかけ。
妾は眉間に皺を寄せてしまい、答えることができなかった。するとダースはカイルの方へと視線を移しながら、こう言うのである。
「どうしてカイルちゃんはお人好しなのか――それはね? 自分の手の届く範囲の人のこと『全員が家族』だと思ってるのよ。カイルちゃんは、ね」――と。
それは、少しばかり耳を疑う言葉だった。
「『家族』……?」
だから、つい口に出して繰り返してしまう。
何故ならその響きは、妾がこの数百年の時間の中で――失ったものだったから。
「そう、家族なの。だからカイルちゃんは、誰かのためになろうとする」
――冒険者として、そうあろうとするの。
ダースはそう言って優しく、本当に優しく微笑むのであった。
カイルは冒険者として己を律する他に、大切なものを持っているのだ、と。それは意図的なものなのか、はたまた無自覚なものなのか。それは、本人にしか分からないそれであったが……。
「なるほど、な……」
あぁ、それでか――と、妾は思った。
何故かアイツのことを放っておけないと感じたのは。
それは直感や偶然に近いものであったかもしれないが、あの夜に出会ったのはきっと、何があっても変わらない必然だったのだろう。そう思うのであった。
「運命なんか、信じないが。それでも、悪くないかもしれないな」
妾はそう呟いた。
そして、改めてカイルの方へと視線を投げる。
楽しげに笑うその姿からは、なんの邪気も感じられなかった。それはすなわち、それだけ彼が真っすぐに生きている、その証明だったのだろう。
「だから、レミアちゃん? ――お願いがあるの」
「む? なんだ、ダース。改まって……」
思わずその姿に笑っていると、不意にダースは真剣な口調で言った。
妾は不思議に思って彼を見る。すると、そこにあったのは間違いなく――。
「――カイルちゃんが困っていたら、助けてあげて」
あぁ――それは、親の顔だった。
心から息子を心配している、性別は関係なく、親の表情。
それは、妾の記憶の奥にある母様や父様のそれと重なるものだった。
「……あぁ。妾に、出来ることならな」
だから、そう胸を張って答える。
これはもしかしたら、妾にとっての初めての『約束』なのかもしれない。これを守るためならば、どんな犠牲を払ってもいいと。そう思えるほどだった。
――――それほどまでに、胸の空く思いだったのである。
数百年の沈黙から解放された感情は、ついに動き始めた。
そして思う。妾はもう――一人ではない、と。
「あぁ、そう言えば。行方知れずのお父様の名前――聞いてもいいかしら?」
「む? ……まぁ、いいか」
ふと、その時にダースがそう訊いてきた。
どうやら捜索を手伝ってくれる、ということらしい。
だから、妾はなんの警戒心もなく。父様の名を口にするのであった――。
「――ヴィトイン、という名だ」
しかし、思ってもみなかった。
なんの因果か。これが不可思議な繋がりを持っているなどと……。




