7.もう一つの夜、そして邂逅
レオ視点→クリム視点です。
イリアはまだ、目覚めない。
クリムの話によると、ヒュドラの毒は通常の治癒魔法では解毒不可。俺の大切な少女は、その毒に身体を蝕まれているのだ。苦しみながら、眠り続けて……。
「…………くそっ」
俺は処置室の中にある椅子に腰かけ、声を漏らすのであった。
そんなことしか出来ない自分が情けない。見守ることしか出来ない自分が、憎くて、憎くて憎くて仕方がなかった。悔しい。無力な自分があまりにも悔やまれた。
何故なら彼女を、イリアを救う方法はあまりにも非現実的だったから。
「ヴァンパイアによる、吸血――」
――そう。
クリムは言っていた。
『仮にヒュドラの毒を消し去ることができるとすれば、それは伝説に語られるヴァンパイア――その眷属となる他にないのかもしれません。一説によるとヴァンパイアは永遠に近い命、そして毒への耐性を持つといわれています。ならば、もしかすればイリアを救うことも……』
彼女が語ったのは、あまりにも都合の良い絵空事。
おそらくは、俺を勇気づけるために話した、夢物語であった。
「それでも……!」
俺には、少女を救うには、その選択肢しか残されていない。
だから俺は立ち上がった。ベッドの傍らに移動し、腰を落とす。
目の前に、イリアの青ざめた顔が現われた。その幼気な顔立ちに浮かんだ苦悶の表情は、見るに堪えない。しかし今ばかりは、俺はまっすぐに見つめた。
「……イリア。俺は、お前を救ってみせる」
そして、誓う。
必ずやヴァンパイアを見つけ出してみせる、と。
それは何とも幼稚な判断で、しかし自身の生涯を賭しても構わない決断だ。だからこそ、俺は奮い立つのであった。それこそヴァンパイアの現われそうな、そんな夜空を窓から見上げて――。
◆◇◆
私――クリムは処置室の二人を見て、爪を噛んでいた。
「本当に、しぶといですね……!」
その理由は明白。
あの少女こと、イリアがくたばらないこと。
そしてレオが私を頼るではなく、ヴァンパイアという偶像を選んだことについてであった。
――――あぁ、それでも!
私は自分の身体を抱きかかえる。
そうだった。あのレオは、あまりにも――。
「――なんて、可愛らしいのかしら……!」
無様で、あまりにも愛おしい。
私のためではない、というその一点だけは不満だ。しかしありもしない幻想を求めて苦心する姿、そして、いつかは絶望に打ちひしがれることになる。そんな姿を思い浮かべると、思わず身震いをしてしまう。
そんな彼を私が、救い出す。
そうすれば、レオの心は確実に私のものとなる。
――――あぁ、考えただけで身体が火照ってしまう!
「でも、まだよクリム。まだ笑ってはいけない……」
私は思わず口元を歪めかけている自身に気付き、そう小さく口にした。
あぁ、でも。やっぱり駄目だ。このような愉悦を目の前にして、どうして笑うことを我慢できるのでしょうか。できるはずがありません。
「少しだけ、夜風に当たってきましょうか」
そうだ。
今この場で、このような姿をレオに見られるのは不味い。
ふと冷静になった私は、ギルドから出ることとした。すると雲一つない満天の星空が私のことを出迎えてくれる。そのことに、つい私は小躍りしてしまう。
誰もいない深夜の街の中。
私は一人、ダンスをするのであった。
いつかはレオと共に、手を取り合って踊ることを夢見て……。
「む……なんだ、こんな夜中に珍しい。大道芸人かなにかか?」
「…………え?」
その時だった。
私に、偉そうな口調で話しかける少女が現れたのは。
見ればそこに立っていたのは、暗闇でも分かるほど鮮やかな赤き少女であった。その瞳は、どこか私を値踏みするかのようなそれ。
外見の年齢は、十四歳程度といったところか。
「しかし、それにしては完成度が低いな。違うのか?」
口振りは尊大。
しかし不思議と似合うと、そう表現すればいいのだろうか。とにもかくにも、彼女の口調に違和感は覚えなかった。
私は居住まいを正し、少女に向き合う。
「残念ながら、大道芸人ではありませんよ? 残念でしたね」
「ふむ。それなら、それでもいいがな」
そして、そんな言葉を返すと、あっさりとした答え。
少女はとくに興味はないと、そう言いたげな表情で私の隣を通り過ぎようとした。けれど、どういった考えだったのだろうか。私はこう少女に忠告した。
「気をつけて下さい。このように深い夜には――もしかしたら、ヴァンパイアが出るかもしれませんよ?」――と。
きっと、気分が高揚していたのだろう。
だから思わず、先ほど考えていた下らない妄想を口にしてしまった。
自分で自分に呆れてしまう。このようなことでは、計画も頓挫しかねない。私は自分を省みて、次いで少女の方を確認した。すると、そこにあったのは――。
「――――――――」
――息を、呑んだ。
月明かりに照らされた赤き瞳が、私を射抜いていた。
身動きが、取れない。いや、これは身動きが取れないのではなく、身体がそれを拒否しているのだ。動いたら殺されると、身体が恐怖に縮こまっていた。
少女の目には、なにかしら不思議な魔力がある。そう思われた。
しばしの沈黙。
その後に、少女はニヤリと八重歯を覗かせてこう言った。
「あぁ、それなら気をつけるとしよう」――と。
そして、少女は立ち去った。
私は一人でそこに取り残され、呆然と立ち尽くす。
心臓が早鐘のようになっていた。呼吸も、無意識のうちに止まっていた。
私は、きっとこの夜の出来事は忘れられない。
そう思うのであった……。




