王女
「え、えと……よく分からないんですけど……おうじょさまって、あの、えらいおうじょさまですか……?」
フェリスは瞳をいっぱいに見開いて、恐る恐る尋ねた。
「あの偉い王女様ですわ」
うなずくジャネット。
「そ、そんな……」
フェリスは真っ青になった。
ということは、自分は王族に向かって友達みたいな対応をしてしまったのだ。道案内までしてもらって、お礼すら用意していなかったのだ。他にもたくさん、たくさん失礼なことをしていたたかもしれない。
「しょ、しょけいしないでください……」
フェリスはかたかたと震えながらお願いした。
「処刑などしません。我が王家はそれほど横暴ではありませんよ」
「でも、わたし、王女様のことをメイドさんって思ってて……」
「わたくしがメイドの服を借りて城を飛び出していたのですから、仕方のないことです」
「しょけい……しないんですか……?」
つぶらな瞳を潤ませて見上げるフェリス。そんなフェリスを見ていると、ロゼッタ姫は胸の中になにか不思議なものがざわつくのを感じる。
「しません。せっかく仲良くしてくれていたのに急に怯えられてしまったら、わたくしも悲しいですよ。もっと普通に接してください」
「分かりました!」
「分かっちゃったんですの!?」
素直なフェリスだった。そんな過度の素直さについていけていないジャネットだった。
ようやく状況が落ち着いたので、静観していたアリシアが切り出す。
「これで王女様も見つかったし、後はジャネットのお父様と合流して王都を脱出するだけね」
「また……お父様に叱られてしまう気がしますわ。ワシと合流する暇があるなら、さっさと姫殿下を連れて離脱しろーって……」
ジャネットが案じた。
「魔術師団長なら放っておいても問題ないでしょう。彼は強いですから」
微笑むロゼッタ姫。
アリシアは闇の中で雄々しく戦っていたグスタフの姿を思い出す。
「確かに、魔物にやられそうな感じには見えませんでした。まずは姫殿下を安全なところまで護送するのが先ですね」
「お願いします。わたくしは……早くここから離れなければなりません」
ロゼッタ姫は唇をきゅっと結び、荷物の袋を抱き締めた。
「じゃあじゃあっ、お外に案内しますっ! ついて来てください、ロゼッタさん!」
「ちょ、ちょっと、フェリス!? さすがにその呼び方は失礼ですわ!」
「よいのです。距離を置かれてしまうよりは、わたくしも嬉しいですから」
フェリスはロゼッタ姫の前に立って、鍛冶屋の中から駆け出した。
途端、辺りの闇が濃度を増し、物々しくざわめき始める。周囲から聞こえていた異形の唸りが、獲物を見つけたかのように騒がしくなっていく。
王女に万が一のことがあれば、取り返しがつかない。フェリス、アリシア、ジャネットの三人は、王女の周りを固めるようにして闇を駆けた。
「そういえば、どうしてロゼッタさんは王都に残ってたんですか? 他の王族の人たちは、脱出してたみたいですけど……お昼寝してたんですか?」
「フェ、フェリス!?」
姫殿下から頼まれたとはいえフレンドリーすぎるフェリスの物言いに、ジャネットはハラハラしっぱなしである。
「わたくしは……少し、取りに帰らなけばいけないものがあったのです。それで、護衛の輪から抜け出して、部屋に戻っていて……」
「忘れ物ですか……?」
「そうですね。忘れてはいけないモノ、でしょうか……」
ロゼッタ姫の美しい顔立ちは緊張を帯びている。
アリシアとジャネットは杖を握り締め、フェリスは五感を研ぎ澄まして、敵の襲撃を警戒する。
だが、グスタフを襲っていた影の異形たちは、フェリスたちの前に現れようとはしない。ただ物陰から声がするばかりで、なんの攻撃も仕掛けてこない。
やがて、進路方向に城門が見えてきた。城門の向こうは闇が途切れ、黄昏の光が射し込んできている。
「出口ですわ!」
「良かったですーっ!」
「助かりました。皆さんのおかげで――」
フェリスたちが安堵し、一気に大通りを駆け抜けようとしたとき。
恐ろしいまでの嵐が、少女たちの前に叩きつけてきた。
轟々と吹き荒れる風、禍々しい稲光、そして圧倒的な悪意。
闇よりも深い闇の中心に、ぎらぎらと眼を光らせる憎悪の塊がいた。
それは、黒雨の魔女。怨念の権化、邪悪の表象。
魔女は瘴気を吐きながら、じっとりとささやく。
「そこな小娘……そなたの持っているモノを、わらわに返してもらおうか。それは……わらわのモノじゃ」
「…………っ!」
黒雨の魔女に指差され、ロゼッタ姫は半歩後じさった。




