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十歳の最強魔導師  作者: 天乃聖樹


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ラインツリッヒのお屋敷

「ううぅ……どうしましょう……」


 大きなお屋敷の前で、フェリスは怯んだ。


 高い塀、重厚な建物、見事に手入れされた庭園。


 いかめしい門扉は固く閉ざされていて、とても自分のような奴隷が受け入れてもらえる雰囲気ではない。


 バラの茂みのあいだをメイドが掃き掃除をしているし、鉄扉の前には全身鎧の門番が仁王立ちしているが、フェリスは話しかける勇気などなかった。


 困り果ててうろうろしていると、番兵が気付いて声をかけてくる。


「なにをしている? 当家に用事でもあるのか」


「ふえっ!? よ、用事、っていうか……そのっ、あのっ……」


 自分の何倍も背丈がある屈強な兵士から見下ろされ、フェリスは震え上がった。


「なんだ? お前、怪しいな……。もしや、盗賊ギルドの手の者か。こんな小さな子供を使って閣下を暗殺しようとは、相変わらずえげつない……」


「あ、暗殺!?」


「こっちへ来い。魔術師団の調査部を呼んで、尋問してもらう」


「ご、ごごめんなさあああいっ!」


 フェリスは逃げ出そうとするが、兵士に襟首を掴まれて逃げられない。宙づりにされ、泣きながらジタバタともがく。


「ちょっとーーーー!? なにやってるんですのーーーーーーっ!?」


 そのとき、怒りの声が響き渡った。


 見れば、アリシアと一緒に走ってきたジャネットが、ぜぇはぁと肩で息をしながら番兵を睨みつけている。


 番兵はフェリスをぶら下げたまま答える。


「……ジャネット様。不審な輩が屋敷の前をうろついていたので、閣下の安全のため捕獲したところです」


 捕縛ではなく捕獲と表現してしまうところが、犯罪者というより子ネズミ扱いだった。


「その子は不審者じゃありませんわ! 即刻下ろしなさい! 許されざる蛮行ですわ!」


 ジャネットが地団駄を踏むと、番兵はフェリスをそっと地面に下ろした。しかしまだ警戒しているのか、フェリスを解放しようとはしない。


「……? どういうご関係なのでしょう?」


「そ、それはっ……わわわわわたくしの大切な人ですわっ! 今日からこの屋敷に泊まってくれるのですわっ!」


「なる……ほど……?」


 怪訝げな番兵、真っ赤な顔のジャネット。


「ふええええええんっ! アリシアさん、ジャネットさあんっ!」


 拘束を解かれたフェリスは、泣きながら二人の背中に逃げ込んだ。


 フェリスに後ろからしがみつかれ、ジャネットは一気に鼓動が速まってしまう。これはこれでいい……などと思うが、怯えているフェリスに申し訳なくて即座に甘い気持ちを振り払う。


「と、とにかくっ! この子に、フェリスに謝りなさい! 前にわたくしが誘拐されたときも、フェリスが救ってくれたんですのよ!」


「なんと……。大変失礼いたしました。最近、閣下を狙う事件が多いもので。どうかご容赦ください」


 番兵はフェリスに深々と頭を下げた。


「い、いえ……だ、だいじょぶですけど……」


「当家によくいらっしゃいました。ジャネット様の恩人は、私の恩人です。ご滞在のあいだ、フェリス様の身の安全は私が責任を持ってお守りさせていただきます」


「は、はい……」


 誤解が解けたのは嬉しいが、大の大人に膝まで屈められると、落ち着かないフェリスである。


 ジャネットが先に立ち、フェリスとアリシアを屋敷へと案内していく。


 美麗な庭園を抜け、館の扉をくぐると、吹き抜けのエントランスホールに足を踏み入れた。


「ふわ……すごいお屋敷です……」


 見ているだけで首が痛くなるような高い天井から、燦々と陽光が降り注いでいる。


 あちこちに張り巡らされたステンドグラスは色鮮やかで、名匠の絵画や彫像が内装を彩っている。


 反ラインツリッヒ派からは成金趣味と揶揄される派手なインテリアも、偏見のないフェリスにとっては素直に美しく感じられた。


「まずはお部屋に案内しますわ。ついてきてくださいまし」


 そう言って、ジャネットが玄関正面の大きな階段を上っていく。


 廊下で仕事をしている召使いたちは、ジャネットが通りかかる度にうやうやしく挨拶を送ってくる。


「お帰りなさいませ、お嬢様!」「今日もお綺麗ですね!」「お連れの方はどなたですか?」「まさか……友達……なんてことはありませんよね?」「まさかお嬢様が……ね?」


 などと、結構な愛されぶりだ。


「まさかってどういう意味ですの!?」


 ジャネットは噛みつくが、召使いたちはにまにまと生温かい視線を注ぐばかり。


 皆の対応に、フェリスが目を丸くする。


「ジャネットさんって、本当にお嬢様だったんですね……」


「それもどういう意味ですの!?」


「え、えっと、悪い意味じゃないんですけどっ……」


「だったらどういう意味ですの!?」


「私も驚いたわ……。ジャネットって、本当にお嬢様だったのね」


「アリシアは昔から知っていますでしょう!? パーティーで嫌というほど顔を合わせていたんですから!」


 誰からもあんまり令嬢らしい尊敬をしてもらえず、ちょっと涙目のジャネットだった。


 二階に上がり、廊下沿いの扉を開いていく。


「こっちがアリシアの寝室ですわ。そして、こっちがフェリスとわたくしの部屋ですわ」


「え……わたし、アリシアさんと一緒じゃないんですか……?」


「ダメ……ですかしら」


 ジャネットは緊張しながら尋ねた。


 フェリスと二人きりの夜。二人きりでたくさんおしゃべり。


 そんな夢のような時間を過ごせたらと思ったのだけれど、ちょっと強引すぎたかもしれない、と心配する。


「だめじゃ、ないですけど……ちゃんと眠れるかなあって……」


「大丈夫ですわ! わたくしがしっかり眠らせてさしあげますわ!」


 ジャネットは胸を叩いて請け合った。


----------------------------------------------------------------------


 その夜。


 女の子らしい調度品で満たされた寝室で、ジャネットは心臓をばくばくさせていた。


 クイーンサイズのベッドの上には、フェリスがちょこんと座っている。


 その正面に座って凍りついているのが、部屋の主たるジャネットである。


 二人ともシフォン生地のワンピースを身に着けたペアルック。ジャネットがこの日のためにお抱えの針子に用意させた特製だ。


 寝室に引っ込んでから、フェリスはひたすら王都で見かけたものの話を夢中でしゃべっていたが、明らかに疲れが見えてきている。


 よっぽど王都が刺激的だったのか、既に二時間もしゃべり通しなのだ。


 あまりフェリスに無理をさせたくないので、ジャネットは名残惜しい思いをしつつも切り出す。


「そ、そろそろ、眠りましょうか……。明日も朝早いですわ」


「は、はい。すみません、わたしばっかりおしゃべりして」


「いいえ、とっても楽しいですわ」


 フェリスはもじもじしながら告げる。


「その……わたし、いつもアリシアさんに……してもらわないと、寝つけないんですけど……」


「なにをしたらいいんですの? わたくしが代わりにしてさしあげますわ」


「え、えと……ぎゅってして寝てもらわないと、眠れないんですけど……」


「ハ、ハグですの……? フェリスを、わたくしが……?」


「は、はい……」


「が、ががががががんばりますわ……」


 ジャネットはぎこちない動作で横たわり、フェリスの方を向いた。ころりと、フェリスがジャネットの胸の中に潜り込んでくる。


「……………………っっっ!!!!」


 そのやわらかい感触、ミルクのような甘い匂いに、ジャネットは気絶しそうになった。


 破裂しかける心臓を抑え、恐る恐るフェリスを抱き寄せる。


「フェ、フェリス……? あ、あのわたくしっ、こういうこと慣れてなくてっ……もしきちんとハグできてなかったら遠慮なくそのっ……」


「すう……すう……」


「眠るの早すぎますわ!!!!」


 愛くるしい寝息を漏らすフェリスを抱え、ジャネットはドキドキで死にかけた。


----------------------------------------------------------------------


 コンコン、とアリシアの寝室の扉が外からノックされる。


 ベッドで日記をつけていたアリシアは、顔を上げた。


「……フェリス? どうぞ入って」


「………………………………」


 枕をぎゅっと抱き締めて部屋に入ってきたのは……ジャネットだった。


 ディナーの後はものすごく浮き浮きして元気いっぱいだったのに、見るからに消耗しきっている。


「ジャネットじゃない。いったいどうしたの?」


「ね……ね…………」


「ね……?」


 涙目で震えるジャネットに、小首を傾げるアリシア。


「眠れませんの!! フェリスが! フェリスが可愛すぎて! ぜんっぜんっ寝つけませんの!!」


「……なるほど」


「なるほどってなんですの!?」


「少し予想してはいたけれど……ジャネットらしいわね」


「わたくしらしいってなんですのーーーー!?」


 ジャネットの悲痛な叫びが響き渡る中、フェリスは隣室ですやすやと安眠していた。


----------------------------------------------------------------------


「ふわーーーー、朝ごはんもおいしーですーーーー」


 翌朝。


 陽光溢れる屋敷の食堂で、フェリスは元気な声を上げていた。


 テーブルには焼きたてのクロワッサンやローストビーフ、新鮮なフルーツなどがたくさん並んでいる。


「フェリス、よく眠れたみたいで良かったですわ」


 にこにこと見守るジャネット。


「ジャネットもよく眠れたわね」


 くすりと笑うアリシア。


「そ、そうですわね……」


 ジャネットは怯えたようにアリシアを見やった。


「眠れない眠れない騒いでいたのに、私が膝枕をして頭を撫でてあげたら、すぐに眠ってしま――」


「それは言わないでくださいましーーーーーーっ!!」


 ジャネットは大慌てでアリシアの口を塞いだ。


「ひざまくら……?」


 フェリスは小っちゃな手でパンを握ったまま、きょとんとする。


 ジャネットは急いで話題を変える。


「なんでもありませんわ! きょ、今日から行動開始ですわよ! 黒雨の魔女が狙っているかもしれない宝物庫を探さないと!」


「まずはミランダ隊長に相談に行くといい、ってロッテ先生が言っていたわよね。いろいろと都合をつけてくれるからって」


「はい! わたし、がんばります!」


 フェリスは意気込んだ。

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