屋根裏部屋の絵本
翌日は大雨だった。
叩きつけるような土砂降りが、海を濁している。当然のことながら、砂浜に出ている者は誰もいない。
「うー、残念です。せっかくの海なのに……」
フェリスは別荘の窓から外を眺めて嘆いた。
火山によからぬことをしていた地脈喰いを倒し、ようやく安心して海水浴を楽しめると思ったら、この天気である。貴重な休暇をなにもせずに過ごすなんて、もったいなさすぎる。
「そんなに泳ぎたいの?」
アリシアが尋ねる。
「泳ぎたいです! だってだって、アリシアさんとジャネットさんと一緒に泳ぐの、すごくすごく、すごーく楽しかったですから! またジャネットさんに泳ぎ方も教えてほしいです!」
フェリスの言葉を受けて、ジャネットが奮い立つ。
「そこまで言うのでしたら……仕方ありませんわね! 雨天決行するしかないですわ!」
「外は嵐よ!?」
「嵐だろうが竜巻だろうが、関係ありませんわ! フェリスの笑顔を見るため……私は嵐に打ち勝つのですわーっ!」
やる気満々だった。
正直、ジャネットが地脈喰いを退治するときに泳げたのは火事場の馬鹿力といったところだから、フェリスに泳ぎ方をちゃんと教えられるか心配なのだが……求められるのなら応えるしかない。とりあえずフェリスの可愛い手を引っ張ってバタ足をさせる至福を味わいたいだけのジャネットである。
アリシアが苦笑した。
「さすがに今の天気で海に入るのは、自殺行為だと思うわ。今日は大人しく別荘で過ごしましょ」
「でも、なにをしたらいいんでしょう?」
小首を傾げるフェリス。魔法学校だったら図書館に行けば知的好奇心は満たされるが、人様の別荘ではどこになにがあるかも分からないし、勝手に本を探したら怒られる気もする。
「ここの屋根裏部屋ってね、いろんな玩具や本があるらしいのよ。私のお母様が子供の頃、よくこの別荘に遊びに来ていたんだけど、そのとき使っていた絵本とかを屋根裏部屋にしまっているんだって」
「アリシアさんのお母さんの玩具ですか!」
「そう。私が使いたいときは使っていいって言われてるから、ちょっと探してみましょうか」
「はいっ! なんか宝探しみたいでわくわくしますーっ!」
部屋から歩き出すアリシアに、フェリスは喜んでついていく。
二人に遅れまいと追いかけながら、ジャネットは、
「あら……そういえば、アリシアのお母様って……」
と小さな声で呟いていた。
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「けほっけほっけほっ……す、すごいホコリですわね」
「真っ暗ですーっ!」
「待って……今、カンテラをつけるから」
アリシアの提げたカンテラの光が辺りを照らし、屋根裏部屋の光景が浮かび上がった。
モノ、モノ、モノ。家具、本、杖、剣、防具、洋服。ありとあらゆる品々が積み重ねられ、あちこちに山を作り、屋根裏部屋を埋め尽くしている。
カンテラの光の筋を浴びてホコリがキラキラと輝き、周囲を舞っていた。カビくさい匂い、そして時間を煮詰めたような匂いが、少女たちの鼻をくすぐる。
「ずいぶん片付けをしていないみたいね……。私、ちょっと部屋に戻りたくなってきたわ」
「美しく……はありませんわね。下で本でも探すべきですかしら……」
生粋のご令嬢であるアリシアとジャネットは怯んだ。
しかし、フェリスは。
「わーっ、わーっ、わーっ! 宝の山ですーっ! いっぱい素敵なものがありそうですーっ! アリシアさん、ジャネットさん、頑張って探しましょうっ!」
大はしゃぎだった。魔石鉱山で泥まみれになって働いていたから、屋根裏部屋ごときではたいして汚いとは感じないし、それよりもむしろこの空間に潜む未知の気配に当てられていたのである。
アリシアとジャネットは顔を見合わせる。
「フェリスにこう言われたら……」
「しょうがないですわね!」
くすっと笑う二人。昔に比べてだいぶ仲良くなったアリシアとジャネットだが、そんな関係にジャネットはいまいち落ち着かない思いをする。
――なんですのー!? ライバルと微笑み合うなんて、わたくしってばどうしてしまったんですのーっ!?
などと、羞恥心に身をよじるばかりである。
アリシアはカンテラで周りを照らしながら、屋根裏部屋の奥に進む。
「じゃあ、頑張りましょう。お母様の玩具は白いタンスに入れてあるって言ってたけど……」
「あ、これじゃないですか! 真っ白なタンスですっ!」
フェリスが元気良く指差した。
可愛らしいデザインの子供用タンス。板は全面が白く塗られ、雑然とした屋根裏部屋の中で浮き上がって見える。猫脚や金属の彫り物はなめらかな曲線を描き、いまだにその美しさを失っていない。
ジャネットは惚れ惚れとタンスを眺める。
「なんて綺麗なんでしょう……わたくしの部屋に欲しいぐらいですわ」
「ジャネットが欲しいのなら、譲りましょうか? 多分、私が自由にしてもいい家具のはずよ」
「そ、そんなの悪いですわ! だってこれはアリシアのお母様の……」
口ごもるジャネット。
アリシアは肩をすくめて笑った。
「……気にしないで。お母様はどんな玩具で遊んでいたのかしら?」
タンスの引き出しを開き、カンテラで照らしながら中身を取り出していく。フェリスがそれをアリシアから受け取り、床に並べていく。
ヌイグルミ、人形、ボードゲーム、本、楽器のようなもの、杖、よく分からない道具のようなもの、様々だ。
「あっ、この絵本、可愛いです!」
フェリスは一冊の絵本に目を留めた。立派な装丁、秀逸な表紙絵、絵本とは思えないほどの重厚感。かなり読み古されているのか、あちこちに傷が入っているが、それでも目を惹くだけのオーラがある。
フェリスの左右から、アリシアとジャネットが絵本を覗き込んだ。
「『幸せなクマさん』って書いてあるわね」
「なんだか幼稚な題名ですわ」
「お、面白そうに見えるんですけど……わたしって、もしかして幼稚なんじゃ……」
「い、いえっ、それはっ……フェリスなら問題ありませんわっ!」
正直、フェリスは幼いし、幼いところが可愛いのだが、はっきり言ってしまったらへこみそうな感じがするので、ジャネットは言葉を選んだ。
ジャネットの慌てた様子を見て、アリシアはくすくす笑う。
「ええ、フェリスなら問題ないわ。ちょっと中身を見てみたい気もするしね」
「はいっ! わくわくですーっ!」
フェリスは絵本を開く。
途端、絵本のページから眩い光が溢れた。光は屋根裏部屋を激しく照らし、少女たちに降り注ぎ、その網膜を圧倒する。絵本から吹き出した風が荒れ狂い、辺りに積まれた荷物を吹き飛ばす。
「え、な、なんですのこの光はーっ!?」
「あ、危ない感じがするわ! みんな逃げてっ……!」
「ひゃあああああああっ!?」
三人の悲鳴が響き渡り。
轟々と渦巻く風と共に、フェリスたちは絵本に吸い込まれる。
少女たちが消えた屋根裏部屋に、カンテラだけが転がって、辺りは嘘のように静まりかえった。




