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剣聖の弟子  作者: 二階堂風都
第九章 アリト砦攻略戦
99/155

小隊長ラズロウの呟き

この回は視点変更があります。

ご注意下さい。

 カノープス将軍配下、第一中隊。

 高い戦果に比べ、部隊の損耗率が低いことで知られるのがカノープス将軍の軍だ。

 そのことから結果的に兵の練度が高く、故に将軍の「不死身」の名に恥じない精強な軍を現在まで維持出来ている。

 しかし、その中で例外的に兵の損耗率が高い先鋒部隊に当たるのがこの第一中隊である。

 この部隊だけは兵士の入れ替わりが激しい。

 それでも配属希望者が後を絶たないのは、ひとえにカノープス将軍の人徳によるものである。

 そして、もう一つ。

 カストル・ポルックスの兄弟将軍も、この部隊で戦い抜いて出世の糸を掴み取った経緯があり、この部隊で生き抜くことが出来れば出世に繋がると言われている。

 そんな忠誠心と出世欲とが交錯する部隊の中で、俺は長い期間戦ってきた。

 小隊長を任されてこそいるが、俺の場合は今更出世欲はない。

 カノープス将軍が戦いを終えた時、俺もこの部隊から姿を消していることだろう。


「小隊長、時間です」


 小隊の規模は一つ三十人程度で、五つの小隊で中隊が構成される。

 なのでここはカノープス軍・第一中隊所属、第一小隊となる。

 補充兵三人も今日、新任の中隊長と共に配属されることになっている。

 語呂合わせと隊長である俺の姿から、ワンワン小隊などと揶揄やゆする者もいるが、断じて俺は犬ではない。

 俺の名はラズロウ。

 誇り高きおおかみ獣人である。


「よし、練兵場に向かうぞ。どんな奴が中隊長になるのか知らないが、我々はいつも通りに勤めを果たすだけだ」


 心配しなくとも、この部隊の居場所は常に戦場の最前線。

 無能な者であればどのみち直ぐに死ぬことになる。

 そうなれば、各小隊の判断で戦場を駆け回るだけだ。

 有能であるに越したことはないが、俺達としてはどちらでも構わない。

 そう思っていたのだが……。




「空席だった第一中隊の部隊長を紹介する。今回はガルシア王国の称号持ち、魔法剣のカティア殿が臨時で指揮を執られることに決まった」


 我々が敬愛するカノープス将軍が練兵場に姿を現していた。

 石造りで屋根が無い武骨な練兵場には、中隊員百五十余名が全員揃っている。

 カノープス将軍から直々の紹介というのにも驚いたが、よりにもよってガルシアからの客将。

 しかも人族だと……?

 余りにも馬鹿げている!

 周囲の部隊員からも不平不満の声が上がる。

 更に女であるということも宜しくない。

 獣人は強いオーラを活かした身体能力が武器であり、基礎となる肉体が弱いとオーラを十全に活かせない。

 エルフやドワーフの連中がどうなのかは知らないが、獣人国における兵士の男女比率は男の方が圧倒的に上なのだ。

 故に、女の下につくことに抵抗感を持つ者は少なくない。

 若くしてガルシアの英雄の象徴である称号持ちというのにはいささか驚いたが、それ以外の要素が余りにも足を引っ張っている。


「……」


 肝心のその女は、先程から目を閉じたまま微動だにしない。

 女性的なラインを多分に残しながらも不思議と均整の取れた体は、間違いなく戦士のそれだ。

 目をく長い赤髪が風になびいて揺れている。


「ふざけるな! 人族になんか従えるか!」

「ガルシアに帰れ! 人族の女!」


 誰が言ったか、その声を皮切りに一斉に「帰れ」の大合唱が始まる。

 俺とて不満が無い訳ではないが、これは余りにも……そう、下品だ。

 何よりもカノープス将軍直々の紹介であるというのに、これでは将軍の面目を潰していることになるのではないか?


「お前達、いい加減に――」


 ギィィンッ!

 俺のその言葉は最後まで言い切れずに、剣を石畳に突き刺す音に遮られた。

 甲高く澄んだ残響を発する、黒く妖しい輝きを放つ剣。

 それにその場に居た全ての者達の視線が釘付けになる。

 場内は完全に静まり返っていた。

 女が、長い睫毛に縁取られたまぶたをゆっくりと開く。

 その瞬間だった。


「!?」


 鮮やかな髪色よりも尚赤い、紅玉の様な瞳に射抜かれた俺は思わず一歩後ずさった。

 途方もない密度のオーラが女の体を覆う。

 今日まで培った戦士としての経験が、何よりも獣人としての本能が告げる。

 コイツには、絶対に勝てない――。

 一瞬で場が完全に赤毛の女、カティアに支配された。

 誰も口を開くことが出来ず、足は根を張ったかのように動かなかった。


「……貴様等が何を思っていようが私は一切興味が無い。私がこれから貴様等に与えるのは、三つの選択肢だけだ」


 尊大な口調だが、鋭く引き締まった容姿も相まって不思議と良く似合う。

 大音声には程遠いというのに、落ち着いたその声は練兵場の端の端まで届いているようだった。

 その姿は、まるで創作の本に出て来る魔王のようですらある。

 美しく、まるで男を誘うような蠱惑的なその体つきも今はただ恐ろしい。

 部下の一人が震える声で呟いた。


「せ、選択肢……?」


 全く歯の根が合わない様子だったが、声が出ただけでも立派なものだ。

 その刹那、ほんの一瞬だけ女に苦笑の様な表情が見えたのは俺の気のせいだろうか?

 しかしそれも、幻だったかのように直ぐに掻き消えた。

 依然として冷たい闘気が場を圧迫している。


「そうだ。一つ目は、ここで私に刃向かって殺されること……」


 闘気が殺気に変わる。

 黒い剣から「オーラと共に」炎が巻き起こった。

 そう言えば、先程将軍がこいつの称号を口にしていなかったか?

 魔法剣のカティア、と。

 ……ならばこれが、その魔法剣だというのか!?

 遂にそこで震える足が言う事を聞かず、尻餅を着く者が現れた。

 幾人かの呼吸が激しく乱れている。

 そんな状況で、逆らおうとする命知らずはこの場には居なかった。

 俺達は前線部隊であり、生死が関わる局面には敏感なのだ。


「今すぐに死にたい者は居ないようだな? ……よろしい、では二つ目。表面上私に従ったふりをして、戦場で無様に死ぬこと」


 その心算つもりがあったのか、視界の隅に入る一人の小隊長が震えながら冷や汗を流し始めた。

 これをやった場合、この女が無能だった場合に小隊の生存性が上がる可能性こそあるが、中隊としては機能しなくなる。

 俺はというと、女に最も近い最前列に立っているためにそんなことを考える余裕は微塵もない。


「犬死したいと言うなら止めはしないが、考え直す気があるなら三つ目の選択肢をやろう。私の指示に従い、勝利を得ること。ただそれだけだ」


 簡潔に、自信に満ちた声で赤毛の女が宣言する。

 俺達は全員、唖然とした様子でそれを見た。

 女が言葉を続ける。


「言っておくが、貴様等の生死までは保証出来ない。私は神でも悪魔でもないからな。だが、もし私に従うというのなら……この戦いに確実に勝利すると約束しよう。何ならこの首を賭けてやってもいい」

「……!」


 今更ながらに悟った。

 この女は、何一つ虚言を交えていない。

 全て本気で発言している。

 勝てなければ死んでもいいと、こうも平然と言い放ったのだ。

 今から散歩に行く、とでも言うかのように自然に、何でも無い事の様に。

 俺達はそんな彼女に何と言った?

 それだけの覚悟を持って目の前に立っている者に「帰れ」などと……感情的になって、例え従えないにしても戦士として恥ずかしい行いではなかったか?

 ――俺達は負けたのだ。

 兵士として、戦士として、完全に目の前の女に屈服させられた。

 誰も口を開けないが、赤毛の女は答えをじっと待っている。

 ならば俺が、俺達が今すべきことは一つ。

 息を大きく吸い込んだ。


「……獣人国に勝利を!」


 俺は力の限り大声で叫び、敬礼の姿勢をとった。

 せめて、獣人国の為に束の間だけ従うという意思を示す。

 そう思わないと納得出来ない。

 この女、カティアがどんなに素晴らしい戦士であったとしてもだ。

 人族である限り、反発する感情が抑え切れないからである。

 その一方で、この人族の女が帝国ではなくガルシアの生まれだったことを心から幸運に思う。

 俺の声に同調する者達が次々に後に続いていく。


「獣人国に勝利を!」

「カノープス将軍に栄誉を!」


 やがては中隊全員にその声が伝播した。

 赤毛の女は、俺達の素直とは到底言えない意思表明を気にした様子も無い。

 それを見て不敵に笑ってみせた。

 剣を石畳から引き抜いて天高く掲げる。


「それでいい、今は己の国を守ることだけを考えろ! 獣人国に勝利を!」

「「「おおーっ!!」」」


 俺達は上手く乗せられたのだろう。

 無論分かっている、分かってはいるのだ。

 しかしそれでも、彼女はもう魔王には見えなかった。

 まるで兵を鼓舞する聖女のような気高さに、叫びつつも俺は瞬きを忘れて見入っていた。

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