孤児院との別れ
クーさんと別れた私は、街に出て孤児院を目指した。
時刻は宵の口なので、まだ街は活動的で人通りもそれなりにある。
大通りをやや早足で進んで行く。
「……おいっ……あれ……」
「……なんで……が……ここに……」
陰口とセットで、変装を解いた私に鋭い視線が突き刺さってくる。
最初は私の姿に違和感を覚えるのか、じろじろと見られる。
その後、獣人らしき特徴が何もないことに気付くや視線が厳しいものに変わる。
嗅覚で気付く者も私の姿を見て、「ああ、やっぱりか」という顔をする。
これに関しては、今迄は耳と尻尾のお蔭で半信半疑の状態で済んでいたのだろう。
勿論、ほとんど人族と見た目が変わらないような、体の服で見えない部分に特徴を持つ獣人も居るので気付かずに通り過ぎていく場合もある。
あるのだが……。
(結構、堪えるな……。アカネ、大丈夫?)
アカネがこれだけの嫌悪の視線を浴びたのは初めてだろうから、少し心配だ。
私も経験がある訳ではないが、年齢を考慮すればアカネの方がキツイ筈。
(う、うん。ちょっと恐いかも……)
彼等が直接何かをしてくる訳ではない。
しかし表情や視線は思ったよりも雄弁で、今の状態は正しく針の莚だった。
……む。
(お兄ちゃん、そっちは遠回りじゃない?)
(いや、勘違いならそれでいいんだけど……)
(?)
私はオーラを足に溜めた。
跳躍して壁を蹴り、三角飛びの要領で上へ。
二階の窓の縁に足を掛けて更にもう一度跳ぶ。
「よっ、と」
屋根の上に乗り、念を入れて下から見えないように身を潜めた。
家の間隔が狭いが故の芸当である。
石の壁の為、強く蹴ることが出来たのも良かった。
「くそっ、どこに行きやがった!」
「まだ近くに居るはずだ!」
裏路地に入ってきたのは余り特徴のない、一般市民にしか見えない獣人二人だった。
手には何か鈍器のような物を持っている。
(お兄ちゃん……あの人達)
(まあ、殺気に限りなく近い害意を感じたから。案の定か……)
二人は路地の入口周辺を見回した後、裏路地の奥へと歩いて行った。
私は前世で刺殺されて転生してから、何度も殺される前後のフラッシュバックを味わった。
幼い体での夜泣きの様な状態でそれが現れ、子育て初心者の爺さまの手を焼かせたものだ。
それが収まりだすと、他者の殺気や害意に対して非常に鋭敏になっていた。
魔物や獣、人を問わずにである。
戦闘にも危険察知としてそれが役立つことは多いが、今回はその能力の応用だ。
「……もういいかな?」
彼等が戻ってこないことを確認して、屋根から大通りへと一気に飛び降りた。
周囲の通行人がギョッとした顔をしたが、気にせずにそのままスルスルと前へ。
堂々としていれば案外大丈夫なものだ。
――それにしても失敗したな、せめてフード付きのコートでも借りるべきだったか。
まさか実力行使に出る者まで居るとは思わなかった。
姿を隠す努力を怠ったのは、言い訳出来ない失敗だ。
(……)
アカネが怯えているのが伝わってくる。
闘志を湛えて向かってくる相手と、憎しみを持って向かってくる者には別種の恐さがある。
これまでの戦闘では圧倒的に前者が多かった。
幼く感受性が豊かなアカネは、私以上に憎しみの感情による影響を受けているのだろう。
(アカネ、辛かったら感覚を遮断しておいてもいいんだよ?)
(――! やだ!)
(……どうして?)
(わたし、お兄ちゃんを置いて自分だけ逃げるようなことしないもん!)
怯えながらも震える足で立つように、必死に。
そんな声だった。
――健気で泣かせるね、ホント。
彼女は常に私と一緒に戦おうとしてくれる。
良い子過ぎて、私はそれに見合うように行動しようと必死の毎日だ。
勿論、全然それが嫌ではないのだけれど。
その後も何人か危ない連中が居たが、上手く回避して孤児院まで辿り着くことが出来た。
「何で私を置いて行ったニャ! ガルシアも戦争になっちゃったから直ぐに戻るか迷うし、でも孤児院も放っておけないし、それでもやっぱりチビ達の相手は疲れたしーー! ってあれ、カティア耳と尻尾は?」
「……」
それに比べて、このニャンコ……少しはアカネを見習って欲しい。
自分の言い分を物凄い勢いで捲し立ててきた。
孤児院に着くやミナーシャが絡んできてこの状態である。
場所はいつもの応接室だ。
ヒルダさんの姿が見えないが、一体どこに行ったのだろう?
居ないなら居ないで都合の良い面もあるといえばあるのだが。
「ミナーシャさん、細かいことは後で話しますから。それよりも聞きたいことが」
「ニャ?」
「ヒルダさんって人族ぎらいだったりしますか? それによっては直接会わずに置手紙でもしようかと思うのですが……」
「う、うーん……院長の旦那さんは帝国との戦いで……だから、嫌いじゃないって言ったら嘘になると思うけどニャ……」
「御心配には及びませんよ、カティアさん」
「!」
人が歩いて来る気配は察していたが……どうやら足音の主はヒルダさんだったらしい。
私は、まず話よりも前に頭を下げた。
「姿を偽ったことをお許し下さい、ヒルダさん。事情があったとはいえ許されないことをしました」
快く宿泊させてくれた恩人にして良い行いではない。
しかし、ヒルダさんは私の言葉に首を横に振った。
「娘から――ルイーズから事情は聞いております。それに大丈夫ですよ、孤児院の子供達には人を見掛けで判断するなと常々指導してきましたから。それを私が実践できないで何としますか。ね、ミナーシャ」
「確かに言われたけど……院長、本当に大丈夫? 頭で分かってても割り切れない事ってあるニャ?」
ミナーシャのその言葉を受けたヒルダさんは、困ったような笑みを浮かべた。
憂いと疲れを感じさせる、悲しい表情だった。
「夫を殺した帝国を、人族を、そして獣人国を恨んだことは勿論あるわ。でもね、ミナーシャ。誰かを憎んで生きるっていうのは、とても辛い事なの……皆、いずれ気付くことだわ」
「ニャ……」
孤児院の優しい空気の源は、この人が作り出しているものだ。
ただ、それが諦観にも似た感情から出ていることが少し気がかりだった。
そんな私を見て彼女が言葉を続ける。
「他の人もきっとそう。切っ掛けを待っているだけなのよ。憎む心を手放す後押しが欲しいのね。ガルシア王国という国は、その種を沢山蒔いてくれた。でも、それが芽吹くにはまだ時間が足りないみたい……」
ガルシア王国が成立したのはおよそ百年前。
対して、帝国が人族単一の国家に変貌を遂げてから既に三百年以上経っている。
その禍根は予想以上に深い。
たった今、通ってきた市街の様子を考えれば分かることだ。
「私は心が磨り減るまで、泣いていることしか出来なかった。でも、子供達にはそんな思いをして欲しくないの。だから私はガルシアという国にはとても期待しているのよ、魔法剣のカティアさん」
言葉を飾ってこそいるが、今話した内容は全てヒルダさんの本心なのだろう。
彼女は私を通して、ガルシアという国に対する思いを打ち明けてくれている。
それを聞かされる位に称号持ちの責任は重いようだ。
「はい、微力ながら力を尽くします……数日間お世話になりました、ヒルダさん」
「カティアさん……貴女ならきっと大丈夫。貴女が焼いてくれたクッキーは、とても美味しかったわ。料理上手な女はイイ女って昔から決まっているんだから」
そう言って、上品な老婦人は皺を更に深くして私にウインクをくれた。
この一言だけは、私個人に向けて贈ってくれた激励の言葉だ。
私はもう一度頭を深く下げると、そのままミナーシャと共に静かに孤児院を辞した。
子供達には別れの挨拶が出来なかったが、今はその方が良いような気がした。
孤児院を出た後は、ミナーシャの今後の相談の為にミディールさんの所に彼女を連れて行った。
何処の出身であろうと彼女もガルシアの兵士には違いない。
ミディールさんはこの急場において一兵たりとも遊ばせておく気はないらしく、私の補佐に回る様にミナーシャに指示を出した。
それを聞いたミナーシャは一言、
「お給料、ちゃんと出るのかニャ……?」
とのことだった。
戦いを忌避している様子がないのは結構だが、どこまでもマイペースな反応だった。
この戦いが獣人国や孤児院を守ることに繋がる点は喜んでいたので、きっとしっかり働いてくれることだろう。




