傷痕
「では、この様によろしくお願い致します。二日後には中隊への顔見せが出来るかと思いますので」
カノープス将軍が話を締めるように言い、頭を下げた。
私達二人もそれに倣って頭を下げる。
出立は三日後なので、顔見せは前日、本当にぎりぎりの日程である。
即席指揮官で本当に大丈夫なのか不安だ……ミディールさんの策に期待しても良いのだろうか?
将軍が髭を撫でながら付け加えるように言う。
「若にはこの様な戦いで死んで頂きたくないのです。前線に立ちたがる気持ちは分からなくもないのですが」
「将軍も御存知でしたか。確かに臣下としては心配でしょうね」
ガルシア仕込みの前線指揮は諸刃の剣である。
兵の士気が高まる一方、指揮官がもし倒れたら部隊の崩壊は必至だ。
それ以上に今のライオルさんは一国の王なのだから。
「ガルシアとの共闘でお見かけした際は我が目を疑ったものです。教育係だった私にも責任はありますが、余程父上のなさりようが御不満だったのでしょうな……」
「将軍、私達でライオルさんが出るまでも無く戦いを終わらせれば大丈夫です」
ライオルさんの父王について関心が無い訳ではないが、私はそれ以上の追及を避けた。
今の獣人国の状態やライオルさんの考え方、それらを考慮すると何となくだが人物像が見えて来る。
それをこの老将の口から言わせるのは気が引けたからだ。
「ありがとう、カティア殿。貴女がガルシア所属でなければ、私の代わりに若を補佐して頂きたかった……」
どうやらそんな私の本心は簡単に見透かされたらしい。
優しい笑みで、まるで孫でも見るかのような顔をする将軍。
思わず、少し顔が熱くなった。
「買い被りですよ。私はそんなに大した人間ではありません」
カノープス将軍とミディールさんが顔を見合わせて笑う。
何だよ、その反応は。
「ふふ、では私もいま少しばかり老体に鞭打つとしましょうか。三日後に備え、今は体を十分に休ませて下され。期待しています、カティア殿、ミディール殿」
「「はい」」
話が終わり、そこでようやく解散となった。
ベヒーモスの洞窟から強行軍で戻ったので、割とハードな一日だった。
「あ、そうだ。孤児院に挨拶に伺わないと……」
忘れるところだった。
宿泊予定の部屋に向かう前に、城の入り口へと向かう。
廊下を歩くと忙しそうな獣人達の何人かがすれ違って行く。
ただ、その視線がどれも――。
「お姉さま!」
その時、背後から声が掛かった。
私をそんな風に呼ぶのは一人しか居ない。
ベヒーモス討伐で私の世話を焼いてくれた三人の内の一人。
「クーさ……ん!?」
そこに在ったのは羽が生えた壺のオブジェ……ではなく、何故か大きな壺に下半身がスッポリと嵌ったクーさんの姿だった。
何だこれ、意味分かんない。
「お姉さまが城に居ると聞いて探し回った結果がこれだよ!」
どれだよ!
どうやったらそうなるんだ?
(お、お兄ちゃん、一応助けた方が良いんじゃないかなあ?)
(……そ、そうだね)
このままでは話もままならないので、どうにか壺から引き抜こうと脇の下に手を入れた。
鳥系統の獣人の為か体温が高く暖かい。
「あっ……んっ……」
「変な声を出さないで下さい、壺ごと転がしますよ」
アカネの教育に悪いじゃないか。
影響を受けたらどうするんだ、ただでさえ私の前世の記憶から変な知識を持ってくるのに。
「お姉さまったら鬼畜ぅ」
ここぞとばかりに首に手を回して密着してくるクーさんに、若干の苛立ちを憶えながらも力を入れる。
うわっ、思った以上に体と壺との隙間が無い。
これは確かに自力では出られないか……。
壺自体にも高そうな模様が入っているし割ったら大変そうだ。
ここは慎重に、ゆっくりと。
「ぬ、抜けた……」
どうにか壺を破損させることなく引き抜き、近くに在った台座の上に置き直した。
汚れや傷の付き方から見て元々はここに在ったものだろう。
城の改修で床の上に動かして戻し忘れたのだろうか。
それにしても無駄に疲れた……。
「お姉さま、お疲れですか?」
「誰の所為ですか、誰の」
溜息を吐く私を不思議そうに見るクーさん。
そこで、ふと気付いた。
今の私は既に獣人の変装をしていないのだが、彼女の態度に変化は見られない。
ここまで廊下を歩いただけでかなりの嫌悪の視線を浴びたのに、妙な感じだ。
「スーさんは私が人族だと知っても変わらないんですね」
「ああ、知ってましたから」
知っていた?
彼女の顔をまじまじと見るも、嬉しそうに私の腕に絡みついてくるだけだ。
ええい一々くっつくな、話し難い。
引き離すと頬を膨らませて不満そうな顔をした。
「もうっ、いけず」
「知っていたって、どういうことです?」
「カイですよ。あいつ、図々しくもお姉さまのおみ足の匂いを嗅いでいたでしょう? 私も嗅いでいいですか?」
ベヒーモスの洞窟探索、二日目のアレか?
確かに匂いを嗅いでいたかもしれない。
「駄目です。すると、匂いで人族だと気付いたってことですか?」
だとしたら非常に優れた嗅覚だ。
鮫は聴覚と嗅覚が良いんだっけか? うろ覚えだが。
クーさんが頷いたので、どうやらそれで正解のようだ。
獣人の一部は匂いで種族を判別できるらしい。
そして、私が人族だと知った上でのこの態度だということは……獣人でも人族に対する意識に隔たりがあるらしい。
「まあ私達は元々人族に対して特に害意は持っていませんから。獣人国も危ないし、そろそろガルシアに移ろうか? なんて話もしていたくらいで」
なるほど。
まあミナーシャの様なタイプも居るし、もしかしたら若い年代はその傾向が強い気のかもしれない。
彼等三人も若いようだから。
それを裏付けるように、廊下で強い敵意を向けてきた獣人達は年嵩の者が大多数だった。
恐らくここ五年ほどは大きな戦争が無いことも影響していると思われる。
帝国は人族だけの国家だからな……仕方ないと思う反面、ガルシアの人族を一緒にするなと言いたい気持ちもある。
「そんな訳でお姉さま、何かありましたら私達三人に言いつけて下さい。お姉さまの中隊にも所属予定ですし、お姉さまを敵視する連中が居たら闇う――説教しますから!」
「お、お手柔らかに……」
この人は本当に闇討ちを実行しかねないから恐い。
余計なことをする者が現れないといいのだが。




