炎上
孤児院の外は赤く染まっていた。
出火は富裕層の住宅街近辺からの様だったが、既にかなりの範囲に火の手が回っている。
上空には黒い影が多数。
あれは――。
「バアルの眷属!」
目を凝らすと人型で、捻じれた角と黒い皮膚を持っていた。
ガルシアでは既に国境付近で対空監視が厳しくなっているが、どうやら獣人国ではまだその体勢が整っていなかったようだ。
闘武会の事件後、情報だけは獣人国を含めた各国に送られたが……やはり俄かに信じられないようなものばかりだった。
危機感を高めて貰う為の四国会議だったのだが、また帝国の後手に回ってしまったようだ。
「カティア! 奴ら城に!」
ライオルさんが叫ぶ。
城の一角に空いた大穴に向かって眷属達が雪崩れ込んでいく。
狙いは明らかだった。
「行くぞカティア!」
「はい! ミナーシャさんは孤児院のみんなを!」
「う、うん! 任せるニャ!」
騒ぎを聞きつけて起きてきた子供達も不安そうな顔をしている。
誰かが残って守ってやらなければならない。
「待ちなさい! 私も行きます!」
「ルイーズ!? お前も此処に居ろ、文官に何が出来る!」
「見くびらないで下さい、自衛くらい出来ます! それに私が居なければスムーズに城まで辿り着けませんよ。時間がありません、行きましょう!」
「あ、おい!」
有無を言わせずルイーズさんが先導を始める。
私達は慌てて後を追った。
ルイーズさんの取ったルートは適切だったのだろう。
火事で混乱する城下町を遅滞なく通ることが出来た。
消火に協力し合うのではなく、罵り合うような声が多かったのが嫌な気分だった。
火を放っていた数人のバアルの眷属を斬り伏せて進む。
消火に当たっていた兵に見咎められた時も、ルイーズさんのおかげで足止めされずに済んだ。
穴の出来た城門が見えて来る。
堀に架かる橋を抜け、城に入ると多くの兵士が倒れていた。
背中に傷を負った者が少ないのは勇猛さの現れだろうか、それとも逃げる暇もなかったのか。
いずれにせよ、そんな具合に死体の山が積み重なっている。
「カティア殿、ライオル殿……!」
静かな声で私達を呼んだのはミディールさんだった。
暗闇の中から足音をさせずに歩いてきた。
「ミディールさん、御無事でしたか!」
「隠れるのと逃げるのは得意ですので。奴らは玉座を目指して行ったようです。兵達が守りを固めていますが、突破されるのも時間の問題かと」
「くそっ! 俺は先に行くぞ!」
「あっ、ライオルさん!」
奥に見える階段に向かって走って行く。
ルイーズさんが一つ溜息を吐いた。
「……私はここまでの様ですね」
「ルイーズさん?」
「自分の分は弁えているつもりです。これ以上は足手纏いですから、私は混乱している市街の指揮に入ります。後は頼みましたよ、魔法剣のカティア殿」
やはり、という思いとどうやって知ったのかという思いが入り混じる。
私の事に関しては、まだ新しい情報なのでそれなりの情報収集力が必要な筈だ。
彼女の態度から知っていることを薄々は感じていたのだが。
私のそんな顔を見た彼女が話を続ける。
「使者の素性くらい調べますよ。それからミディール殿、でしたね? 貴方にも手伝って頂きたいのです」
「おや? 私はただの情報部員ですよ?」
ミディールさんが肩を竦める。
こんな時にまで余裕があるとは、見上げた根性だ。
「この急場にお惚けにならないで下さい。情報部はガルシアの実質的な内政機関……それに貴方は次期情報部長の最有力候補でしょう?」
「獣人国の未熟な諜報能力でそこまで御存知とは、貴女は中々恐い人の様だ……いいでしょう。兵を数人貸して頂けるなら混乱を最小限に抑えてみせます」
立場が近い者同士、通じる部分があるようだ。
戦うことしかできない私は、市街に関しては彼らに任せるしかない。
ルイーズさんが私を見つめた。
「カティアさん、ライオル様をお願いします! あの人を……死なせないで下さい」
「はい……!」
二人と別れ、血の匂いが益々濃くなる王城の奥へ。
ライオルさんが通った階段を駆け上がる。
その途上で目の前に現れたバアルの眷属と数合打ち合った後に、魔法剣で持っていた剣ごと首を刎ねた。
明らかに闘武会に現れた眷属達よりも強い。
どうやら素体となっているのが訓練された兵士らしい。
そして更に数人の眷属達が現れる。
「今更のこのこ一人で来た所で!」
「待て、剣に炎が!? 魔法剣だと……何故貴様がここに!?」
「話がちがうじゃ――がっ!」
動揺を突いて一人の息の根を止めた。
そのまま残り二人を両手の剣で細切れにする。
倒れた三人分の死体が燃え上がった。
(お兄ちゃん、この人たち)
(元ガルシア人みたいだ……ということは……)
幾ら何でも帝国が動き出すのが早過ぎるとは思った。
だったら率いているのは一人しか居ない。
階段を昇り切り、血に染まった豪華な装飾の扉を開く。
そこには――。
「誰だ? ああ、魔法剣士か……これは予想外だったな」
成人男性らしき人物の首を、髪を掴んで無造作に持った銀髪の青年が大窓の傍に立っていた。
やはり裏切りの王子、エドガーの姿に相違なかった。
ライオルさんは十人を超える眷属達に囲まれている。
「お前はリリの傍を離れないものだと思っていたんだがな。ライオルだけはここで仕留めるつもりだったんだが……」
エドガーがさっと片手を上げるとライオルさんを囲んでいた眷属達が退いていく。
そのままエドガーの脇を通って次々に大窓から飛び去って行った。
「エドガー! 逃げる気か!」
ライオルさんが髪を振り乱して叫ぶ。
その両手も体もおびただしい量の返り血に染まっていた。
「目的は達した。帝国への手土産としては上等だろう……リード!」
大窓の外から激しい風が吹き付ける。
風が収まった時、黒い鱗に覆われた巨大な竜が窓の外に滞空していた。
何だ、あの竜は?
四大竜と呼ばれる、火、水、土、風のどれにも当て嵌まらない姿。
その背にオカリナを持った従士のリードが乗っていた。
「エドガー様!」
「撤収だ。称号持ち二人の相手は、まだ無理だ」
エドガーを乗せた黒竜が羽ばたき、背を向けた。
私はランディーニを突きの体勢に持ち上げる。
(アカネ!)
(!)
私達は阿吽の呼吸で凝縮された炎の矢を放つ。
黒竜の翼に当たる!
そう思った瞬間、エドガーが血の様に赤い剣を抜いた。
剣が脈打ち魔法が消失し、銀髪の青年が薄く笑った。
ライオルさんが窓枠に足を掛ける。
駄目だ、もう届かない!
「待ちやがれ!」
「ライオルさん、もう無理です! ここからではいくら貴方でも届きません!」
「離せっ! 離してくれっ!」
エドガーの言葉が気になった私は必死にライオルさんを抱き留めた。
ライオルは仕留めるつもりだったという言葉と、称号持ち「二人」の相手は無理だ、という言葉。
まるで一人だけなら倒す手段を持っているかのような言い方だった。
追撃を防ぐためのブラフだったとしても、ここでライオルさんを失う訳にはいかない。
黒竜の背が夜の闇に溶け込むように見えなくなる。
室内に静寂が広がる。
後には私とライオルさん、多数の遺体だけが室内に残された。
「くっ……」
窓枠から足を降ろし、よろめくライオルさんがとある遺体の前で膝をついた。
鍛え上げられた大柄な体に豪奢なマント、装飾品の数々……。
そしてその遺体には頭部が無かった。
この遺体が恐らく……。
「――っ!」
ライオルさんが言葉にならない叫びを上げた。
拳を床に叩きつけながら。
何度も、何度も。
私はその痛ましい様子に、何も掛ける言葉が見つからなかった。




