過去と現在を見つめて
この回はライオル視点となります。
ご注意を。
その夜は寝苦しくて堪らなかった。
きっとそれが原因なんだろう。
まだ獣人国に居た子供の頃の事なんかを思い出しちまった。
「王子! ライオル王子! 危ないですって!」
「うるせえよルイーズ。ついてこなくていいって言ってんだろ」
「そうは行きません! 私は王子の従士ですよ、危険な場所に黙っていかせたとあっては――」
「お前の親父に叱られるってか? フン。ディランだってウチの親父について帝国と戦争だろう? 今は居ないんだからいいじゃねえか」
「帰ってきてから叱られるんですよ!」
俺達が来たのは王都の片隅……俗にスラム街と呼ばれる場所だった。
あれは大体二十年前、俺が十三くらいの時だったか。
まだ獣人国の第二王子という肩書を持っていた頃の話。
従士のルイーズは豹系の獣人で同世代。
スラムに向かった目的は単純、喧嘩相手を探すためだ。
既に街の道場などは出入りを禁止されている。
「俺に遠慮して全力でかかってこない稽古相手が悪い。お前だってそうだろ? あれじゃあ身にならん」
「それは勘違いというものです。王子がこちらの想定を超えてお強いだけです」
「にしてもだ。何故、一度負けただけであんなに怯えたような顔をする? どうして何度でも向かってこない」
「一度の負けであれば偶然だった、で済む話ですが……何度も負ければ武人として再起不能になるのです。それが、若干十三歳の少年が相手とあれば尚の事。兵士としての職を失いかねません」
俺の相手をしていたのは現役の兵達だった。
専属ではなく、手が空いている者から適当に選んで戦っていた。
「……分からねえ。負けたなら、勝てる方法を探すもんじゃねえのか? 何故、最初から諦める」
「それは……」
ルイーズも答えられないようだった。
強さや武力を商売道具にするなら負けた時の事だって考えるだろう?
それとも、そんなに一度の負けで失うものが多いって言うのか?
「――ルイーズ、お前は下がってろ」
「え、え? 何です王子、急に」
「囲まれてる……来るぞ!」
俺達は身形の良い格好をしている。
ここらをうろついていれば、こうなることは分かっていた。
ナイフや鈍器を持った見窄らしい連中が取り囲む。
そのくせ、獲物を見つけて目だけはギラギラしてやがる。
――お前たちは期待を裏切るなよ!
俺は集団に向かって跳躍した。
「く、つええ……」
「こんなガキに……」
結果は、王城の連中よりは腰が引けていない分マシだったが……期待を上回る様なものではなかった。
仕方ない、倒れた連中に他に強そうなヤツが居ないか聞いておこう。
「おい、お前ら」
「ひっ! やめろ、命だけは……」
「あ? 何言ってんだ」
「負けたら何をされても文句は言えねえのは分かってる! だが、命だけは――」
「……」
負けたら何をされても?
違う、俺はただ――。
「助けてくれ! 何でもする! だから」
「ライオル王子……帰りましょう……」
ルイーズの声に、ようやく自失の状態から戻ることが出来た。
握っていた拳を力なく降ろす。
「……ああ……」
「――助けてくれるのか! ありがてえ、ありがてえ……」
背を向けてスラム街を後にした。
俺はただ……全力で戦える相手が欲しいだけなのに。
胸の奥に苦い思いだけが残った。
スラム街から帰った後、王宮で俺は何もする気が起きなかった。
……強さってなんだ?
俺は何の為に今日まで強さを磨いてきたのだろう。
あんな風に下した相手を怯えさせる為か?
――違う。
それだけは絶対に違うと、確信を持って言える。
体を鍛えている時はとても気分が良い。
一打一打、拳を振るう度に心に充実したものが宿る。
その先にある戦いも、きっとそういうものの延長線上にあると思っていた。
だが結果は……あのザマだ。
そんな時だった。
ルイーズの父ディランが、俺の親父を庇って死んだという凶報を聞いたのは。
「……ルイーズ」
「王子……」
白い布が被せられた大きな体の前で、伏し目がちなルイーズが僅かに顔を上げた。
息が詰まりそうな沈黙の中、ルイーズが口を開く。
「……父は、立派に務めを果たしました。王を守って死んだのですから、王子も……王子も父を褒めてやって下さい」
気丈な言葉だと思った。
それと同時に空虚な言葉とも。
「ルイーズ」
「……何です、王子」
「俺の前でだけは……嘘を吐かなくていい」
「――!」
俯いたルイーズの体が震え、やがて固く握った拳の上に水滴が零れ落ちた。
「何故父が死ななくてはならないのです! 何故、何故! 父は得意の戦斧を振るうこともなく命を落としたと聞いています……王を守る盾となって……」
俺も聞いた。
多数の武器を体に受け、まるでハリネズミのような状態で絶命したと。
原因は王の采配ミス……相手の奇襲を本陣に受けるという余りにもお粗末な理由だった。
「理屈では分かっているのです! 王がいなければ国は成り立たない……ですが!」
「……ああ、おかしいよな。俺達の国の始祖、アニルは国で一番強い男だった。だからこそ、皆が後に続いて国が出来た」
始まりは逆なのだ。
だが今はどうだ?
王は後ろでふんぞり返り、当然のように兵が壁となって死んでいく。
「……王子?」
ルイーズが泣き腫らした目で、俺を不思議そうに見る。
「……ルイーズ、俺は分からねえんだ。王族が兵の後ろに居るだけの存在なら……俺は何の為に鍛えているんだ? いつ、この力を振るえばいいんだ?」
「……王子、それはいざというときに――」
「いざという時に死なない為。それだけか? 後ろに居る王族が戦闘しなけりゃならん状態なぞ……もう負け戦だろう、それは。今回のように」
「……」
「すまねえな、ディランが亡くなった直後に混乱させるような事を言って。だがな、ルイーズ。俺はこのままでいいとは思っちゃいねえ」
「王子……?」
ディランに手を合わせて黙祷した後、静かにルイーズの家を出た。
確かにこのままでいいとは思っていないが……具体的に何か考えがあるわけではなかった。
その暫く後の事だった。
帝国との戦争はガルシア王国――例の多人種が住まう変わり種の国家だ。
俺達の国の南に位置し、四国同盟の盟主でもある。
ガルシア王国軍の活躍により、帝国に大損害を与えて撤退させたという。
そして先頭に立って戦ったのは何とスパイクという王、自らだという話だ。
傍らには常に剣聖と呼ばれる剣の達人がついていたのだとか。
その話を聞いた時、俺の体は雷にでも撃たれたような心地だった。
これこそが、俺が理想として思い描いていた王としての姿そのものだと。
――会ってみたい、その人が治める国を見てみたい!
日に日に高まる欲求に、ついに俺は国を出る決意を固めたのだった。
その手段は随分と強引なものだったが。
「あれから二十年、か」
ガルシア王国は俺の期待を遥かに超える国だった。
まず、人族とエルフとドワーフ……そして獣人が仲良さそうに歩いている光景は衝撃的だった。
喧嘩はするが差別はしない。
そして喧嘩をしても終わったらスッキリ仲直りをしている。
獣人同士でも差別が絶えない俺の国とは大違いだった。
ただ、王国に来てから俺を最も鍛えてくれたティムとは二年足らずで別れることになったのは残念だった。
「この国にも魑魅魍魎の類は居るのさ。ま、そいつらの恨みを全て持っていけるんだ。悪い退き方じゃないさ」
と、そう言っていた。
思えば俺が全力で向かっていけた初めての相手だった。
それで他の連中が退屈だったかというと、そうでもなかった。
何よりも気に入ったのは稽古や模擬戦などの戦闘に関することだ。
この国の連中は素直に負けを認め、必ず次の糧にする。
負けて失うものがないどころか実戦で生き残るための経験になるというのだ。
そして勝った方は、訓練が実ったというささやかな充足感のみを得る。
「これだ」と、そう思った。
勿論、勝つのは気持ちがいいもんだ。
だが勝ったら何をしてもいいのか?
それはダオ帝国と同じだ。
理屈じゃなく、感情から俺は叫びたい。
あいつらと一緒になってたまるか! と。
獣人国は帝国が俺達にしてきたことと同じことを自国民に向けて行っている。
そしてそのことから必死に目を背けている。
気に入らない、心の底から。
「ライオルさん、起きてますかー? そろそろ朝食ですよ」
ティムの弟子、カティアがドアの外から声を掛けて来る。
彼女をトバルで一目見た時、俺にはまるで何よりも尊い宝が、姿を成して歩いているかのように見えた。
暫く付き合う内にそれは確信に変わった。
実力が言語を絶するほどの領域にあるにも関わらず、こいつはその実力を誇らない、驕らない。
そして守る対象が居る時は決して力を振るうことを躊躇わない。
「ああ、今行くぜ」
スパイクの親父さんや、まだ未熟ではあるがリリを俺の中の理想の王とするならば、こいつは理想の騎士といった所か。
ティムの薫陶の賜物と言えるだろう。
出来るなら、今後も近くでその成長を見守ってやりたい。
……しかし腹が減ったな。
柄にもなく真面目な事ばっかり考えちまった。
ベッドを降りて衣服を引っ掴み、ドアを開いた。
――取り敢えずメシだメシ!




