ギザル村
「あ、そうだアカネ。窮屈だと思うけど……」
「うん。お姉ちゃんの中に居ればいいんだね?」
「ごめんね。でも国外の人が見たらびっくりするだろうし……それこそ不要なトラブルが起きるかもしれないから」
アカネは半透明だし、更に少し発光しているから一目見ておかしいと気付かれてしまう。
水の大精霊もそうだったから人型の精霊はそういうものなのだろう。
火の大精霊に至っては形以外は完全に火の塊だったことだし。
「あやまらなくていいよ。お姉ちゃんの中に居るとホッとするし、何だがポカポカするんだよ」
「そ、そうなの?」
「うん。あ、それと、ちょっと疲れたから中でお昼寝するねー」
アカネが体に入っていく。
道中、割と長時間実体化していたから疲れているのは本当なのだろう。
完全にその姿が見えなくなった所でミディールさんが軽く手を上げた。
「では、参りましょうか」
検問所を問題なく通過した私達は、初日に宿泊予定の村……ギザルを目指すことになる。
「おい、そろそろ変装しといた方がいいんじゃねえか?」
「あ、そうですね」
馬を引いて歩いていると、ライオルさんが変装を促してきた。
横目でミディールさんの方を見ると早くも犬耳を付けている。
まだ検問所を出たばかりなのだが……もしかして気に入っているのだろうか。
巾着を広げ、耳と角を付ける。
「どうですか?」
「あー、そうだな。確かに体型的にはピッタリ――」
「……何か言いかけました?」
「……いや、何でもねえよ。と、とにかくだな、お前は目つきが鋭いからなあ。牛系の獣人で角が小さいタイプはもっとのっそりしてるっつうか……だから印象を補うために尻尾も付けといた方がいいかもな」
「……分かりました」
流石に尻尾はその場で付ける訳にもいかず、近場の木陰に入ってどう付ければいいか良く見る。
んー、服に挟んで……なるほど、こうか。
確かにこれなら落ちない。
装着を終えて、二人の元に戻る。
それを見たミディールさんが首肯を一つ。
「ふむ……確かに尻尾があると違和感が減りますね」
「だろう? 獣人ってのは元になってる動物の印象が割と出る。どうしてか性格も引っ張られ易いしな。まあ、カティアは穏やかな方ではあるから性格的にはちゃんと牛らしさは出るだろ。顔はしょうがねえ」
ライオルさんのお墨付きを貰ったが……喜んでいいのか、これ?
確かにライオルさんを見ていると、内面も外面も如何にも「獅子」という感じの印象は受ける。
そのらしさ、というのが恐らく大事なんだろう。
「んじゃあ行くか。ギザルまでは後二、三時間程度なんだろ? だったら夕暮れまでには着くだろ」
ライオルさんの言葉が疑問形なのは幼い頃に国を出ているからだ。
以来一度も戻っていないらしく土地勘はないに等しいとか。
どうにも何故国を出たのか、その辺りの事情を聞くのは躊躇われる。
今も、その背中が余計な事は聞くなと言っている気がする。
ギザル村は寒村というほどでは無いが、規模の小さい村だった。
数件ある宿だけが立派で、国境を行き来する宿泊客からの収入が主な村の財源らしい。
とはいえ、人族は差別が激しいので泊まるのは獣人族だけだ。
国交があると言っても人族がガルシアから他国に行くことは滅多になく、一方的に三国からガルシアにそれぞれの種族が流れて来る。
結果、差別的な者は三国に多く残り、それ以外の者はガルシアに出て来るという二極化が起きている。
「あら、闘武会とやらの見物の帰りかい? あんたらどこの出身だい?」
宿の女将さんらしい熊獣人のふくよかな女性が宿帳に記載していく。
ある程度の個人情報を明かすのがこの国の宿の決まりらしい。
「我々は王都ルマニ出身です。闘武会は中々の盛り上がりでしたよ」
息を吐くように嘘を連ねるミディールさんだった。
頼もしくはあるが、少し居心地が悪い。
「ふんふん。ルマニ……っと。あ、全員の名前と系統を教えてもらってもいいかい?」
「私はミディール。犬系ですね」
偽名に関しては使わない事に決まった。
噂の拡大は国境を越えると極端に遅くなることと、些細な所でボロを出さない為、ということらしい。
ここでは赤毛の魔法剣士は知られていないので堂々と本名を名乗っても大丈夫だ。
ライオルさんに関しても時間が大分経っているので王族と結びつける人間も居ないだろう、ということらしい。
何にせよ、情報のプロであるミディールさんが言うのであれば私達は従うだけだ。
「俺はライオル、獅子系だ」
「犬と、獅子ね。あんたは?」
「あ、私はカティアです。系統は――」
「ああ、牛でしょ。分かる分かる」
「……」
納得いかない。
いや、変装としては正解なんだろうけれど。
それからライオルさんの肩が小刻みに震えている。
笑ってんじゃねーよ。
ミディールさんが宿代を払い、部屋を三つ取る。
――と、その時だった。
外から歓声と野次が混ざったような声が上がった。
なんだ?
「ああ、喧嘩でしょ。まあ宿に迷惑かけないんなら別に構いやしないけどね……ほら、部屋の鍵。もう手続きは終わりだから気になるなら見て来たらどうだい?」
別に喧嘩などに興味は無いが……。
ミディールさんが周囲に聞こえないように小声で私に話しかけて来る。
「……カティア殿、アカネ殿はまだ眠っておられますか?」
「え? ええ。まだ寝ていますね」
「ならば見ておいた方が良いでしょう。この国がどういう国か……理解できると思います」
喧嘩でどういう国か理解出来る?
……話が見えないが、一応見ておくか。
ミディールさんは意味のない事は基本的に言わない人だから。
「では、見に行きますか。ライオルさんは?」
「……ああ、まあ、見るさ」
あれ?
喧嘩もバトルも大好きなライオルさんらしくないな。
反応が鈍い。
どうしたんだろう。
宿の外では、人だかりの中心で二人の男性の獣人が殴り合っていた。
背の高い馬面の獣人と、猿の様な毛が顔にある獣人だった。
クリーンヒットが出る度に歓声があがる。
二人は既にボロボロで、今にも決着が付きそうだ。
「トバルの決闘とは雰囲気が違いますね」
「当たり前だ! 一緒にするんじゃねえ!」
ライオルさんの大声に、一瞬野次馬の視線が集まる、
「どうしたんですか、ライオルさん……?」
「すまん……だが、最後まで見てれば分かるぜ……」
その時、一際大きな歓声が上がった。
馬面の方の獣人が相手の顔面を捉え、猿系獣人は地面に崩れ落ちた。
そのまま倒れた獣人に向かって歩いて来る。
決着も付いたのだし、助け起こすのだろうか?
そう思っていた次の瞬間だった。
「なっ――」
私は絶句した。
あろうことか、勝者が倒れた敗者の頭を笑いながら踏みつけている。
地面に擦り付けるように。
「……カティア殿。獣人国では、勝者はどんな横暴も許されるのです。見て下さい、見物人たちの表情を」
周囲の野次馬たちは特に何も感じていないようだった。
それが却って私には恐ろしい。
つまりこの光景は日常的なものなのだ。
「無論、この国にも最低限の法はあります。ですが……小さな諍いなどはああした決着が黙認されているのが実情です。強い者が正しい、というのがこの国の原理になっているのです」
ミディールさんがアカネが起きているかを気にした理由が分かった。
確かにこれは彼女には見せたくない類のものだ。
「ちっ、胸糞わりい……だから……」
だから戻ってきたくなかったんだ――ライオルさんがそう呟いたように聞こえた。




