使者
「あー帰りてえ……」
「またですかライオルさん」
「しょうがねえだろうが、行きたくねえんだからよ……」
ライオルさんが馬上で何度目になるか分からない愚痴をこぼした。
私達は獣人国を目指し、馬に揺られていた。
私の前には小さな赤い頭が見える。
「お兄ちゃん、あの鳥は?」
「ん? あれはイエスズメ。それと外に出てる時はお兄ちゃんは駄目だって」
「あ、そっか。ごめんねお姉ちゃん。あれは?」
「たぶんツバメ」
「呑気ですね……一応、周囲の警戒もお願いしますよ」
「心配し過ぎだろ、ミディール。こんなに見晴らし良いんだぜ」
「ですが、我々の使命は――」
「あーうるせえうるせえ。ったく、行きたくねえなあ……」
夏鳥が平原を飛んで行く。
国境までは、まだまだ掛かりそうだ。
事の始まりは一週間前。
姫様の戴冠式と私の称号授与が終わり、王都のお祭りムードが収まりつつあった頃の事だ。
余談だがその直前に行われた、精霊に関しての情報公開。
それによる市民の混乱は予想されたよりも小さく済んだ。
闘武会で姫様に憑いた水の大精霊……青い髪の淡く輝く神秘的な女性を見たという噂が広まっていたということもあり、結果的に市民が受け入れる下地を作れていたことも大きいが。
「四ヶ国会議?」
「……そう。四ヶ国会議っていうのは、えっと…………ミディール、説明……」
王城の会議室に呼び出された私は、姫様とミディールさんの前に居た。
姫様が説明途中でミディールさんに話を振っていく。
というよりも、説明役をぶん投げたという方が正しいか。
ミディールさんが溜息交じりに話を始める。
「四ヶ国会議は、簡単に言いますと対帝国の情報交換及び連携の確認等を行う為のものですね。各国の距離の問題から基本的には中央に位置する我が国で毎回開催されます」
対帝国の情報交換の場という事は、この前の一件についてかな。
確かに周知徹底しておいた方がいい類のものだろう。
「つまり、バアルの眷属に関する情報を同盟国同士で共有しておきたいと?」
「そうなのですが……姫様の顔見せという面も多少ありますかね。それと、帝国はそれほどの時間を置かずに攻めて来るでしょう。王子が動いた以上、期は熟したと見て間違いないかと」
「戦争になった場合の準備全般、色々ありますものね……どちらにしても各国の首脳陣を一度集める必要があるという事ですか」
「ええ。その使者に、カティア殿も赴いて頂きたいということですね」
しかし良いのだろうか?
私は近衛兵になったばかりだし、一応姫様の護衛なのだが。
私の疑問の顔にミディールさんが補足を加える。
「カティア殿、称号持ちの役目はですね……戦争時の戦意高揚だけでなく平時は外交が主です。ですから今回の件は元々の使命だと思って頂いて結構です」
「……うん。カティが居ないのは寂しいけど……私は大丈夫……」
「まあキョウカさんも居ますし……それに姫様は王城から出ないのでしょう?」
その場合、姫様の安全については然程心配はいらないと思う。
それに同僚であるキョウカさんは闘武会の戦い以後、大分態度も表情も柔らかくなったように思う。
一人で行っていたという修練も、積極的に他の近衛兵に混じって行うようになった。
と言っても生真面目な部分は変わらず、今でも時々姫様とは言い争いになったりしているが。
「はい、姫様には代替わりで起きた諸々の手続きを済ませて貰いませんと。当分は執務室に缶詰です」
「……うう……」
「はは……姫様、頑張ってください」
「……カティ……帰ってきたら、沢山甘いものを作って……」
「承知しました、何か考えておきます」
最近の私は護衛と言うよりも姫様のおやつ係になりかけている。
ホットケーキを作って以来、姫様の要望で色々なお菓子を提供している。
毎回違う種類の料理を作るのは結構大変だ。
折角だから、何か新しいレシピでもついでに探してこようかな。
「カティア殿は獣人国に行って下さい。私とライオル殿がお供します」
「あれ? 私とアカネと御二人……四人だけで、ですか?」
「称号持ちを使者にするのは、護衛を極力減らして経費を削減する為です。ですから少人数で正解なんですよ」
「他の二国は?」
「ルミア殿とフィーナ殿はエルフの国に。フィーナ殿は何の役職もないのですから、ルミア殿のお供として働いて貰いましょう。ドワーフの国へはスパイク様とニール、それと古参の近衛兵達が。こちらは帝国に接している国境の範囲が狭いですから、大きな危険はないでしょう」
老齢のスパイクさんまで使者として動くのか……。
確かにドワーフの国は比較的安全で、有事の際は大量の武器を各国に供給することで他の国を納得させている。
勿論兵も出すが、普段の危険度を考えると釣り合いが取れない、ということらしい。
それにしても親しい人達と暫く会えなくなるのは姫様じゃないが私も少し寂しい。
「では、頼みますよ。「魔法剣」のカティア殿」
ミディールさんの言の通り、私の称号は魔法剣という事に決まった。
てっきり爺さまと同じ「剣」になるものだと思い込んでいたのだが。
姫様曰く、
「……カティは、アカネと二人で一人だから……この方がいいでしょ……?」
との事だ。
至極もっともなので、ありがたく「魔法剣」という称号を受け取ることになった。
使者としての出立は二日後の早朝に決まり、翌日は旅支度で慌ただしく過ぎていった。
出発の朝、妙にやる気のないライオルさんといつも通りのミディールさんと合流した。
見送りにはフィーナさんだけが来てくれた。
他の人は忙しいらしく、昨日の内に挨拶を済ませてある。
「何でアタシはカティアちゃんと一緒じゃないの?」
「いや、私に言われても……」
「ミディール! カティアちゃんに手ぇ出したら埋めるからね」
「保証はできかねますね。カティア殿は魅力的ですから」
ミディールさんも私が男だったと知っても態度が変わらなかった内の一人だ。
どうしても行動を共にする機会も多いので、彼には事情を話すことになった。
アカネに関する情報操作もあることだし。
その時の彼は「それが今の貴女に何か関係が?」などと、ある意味男らしい台詞を残した。
フィーナさんが歯噛みする。
「アカネちゃん、しっかり見張るのよ! いざとなったら燃やしていいから!」
「おー、燃やしちゃうの? ミディールくん悪い子?」
「うん。だから悪いことしたらやっちゃいなさい! アタシが許可する!」
いや、アカネ単体じゃ火魔法は出せないんだけどね。
ちなみにアカネは、精霊に関する情報の公開後はこうして実体化している時間が増えた。
城内をとてとて歩き回っている姿は「癒される」と兵からも使用人からも評判がいい。
アカネは愛嬌もあるので、城内ではちょっとした人気者だ。
ただ、詳しい事情を全て話す訳にもいかず「大精霊の亜種で私の姿を模倣したものである」という説明で周囲を納得させた。
この辺りはミディールさんの仕事の結果である。
そんな訳でアカネ一人で自由に歩き回っている時間も増えたが、私から余り離れる過ぎると非常に疲れるらしい。
どういう原理なのだろう?
「フィーナさんもお気をつけて。ルミアさんが一緒なら、何かが起きても大丈夫だとは思いますが……」
「うん、私もカティアちゃんが誰かに負けるとは思えないからそっちの心配はしてない。たださあ……寂しい! 寂しいぞ、アタシは!」
フィーナさんがギュッと抱き着いてきた。
その不意打ちに私は完全に硬直する。
ナニコレ? ハズカシイヨ?
「カティアちゃん成分補給中ー……いやー満たされるぅ……」
「何やってんだか……ほれ、行くぞー。行きたくねえけど」
ライオルさんが呆れた声を上げた。
なんとかごねるフィーナさんを引き剥がし、予定時間通りに王都を出発することが出来た。
……そろそろ国境付近か。
ガルシア王国と獣人国は同盟国なので国境には簡単な検問所があるだけだ。
ダオ帝国側に多くの砦を造る必要があるという事情も、無論あるのだが。
ミディールさんの提案で国境を越える前に小休止を取ることになった。
馬から降りて水を飲んでおく。
「さて、カティア殿。国境を越えたらこれを付けて下さい。今の内に渡しておきます」
「何です、これ?」
街道脇の木陰で休んでいるとミディールさんが小さな巾着袋を渡してきた。
受け取ると、重さはほとんど感じないが……。
「これはですね……こう、頭の上に……」
「――わあ、ミディールくん犬耳!」
アカネの言葉通りに、獣耳をミディールさんが頭に付けていた。
似合うけど……何してんの、この人。
「あの、それに一体何の意味が?」
「これから赴くのは獣人国です。我が国の様に人族に寛容な者ばかりでは無いのですよ。故に、無用な衝突を避けるための偽装です」
「はあ、獣人に化けるってことですか。ですが、仮にもしこれで人族だとバレたらもっと酷いことになりませんか?」
「バレなければ良いのですよ、何事も。ちなみに尻尾も用意してありますが……耳だけの獣人も多数居ますから、こちらは別に付けなくても構いません」
だったら何故用意したんだ……。
しかし本当に凄いな、情報部の謎技術。
犬耳はミディールさんの頭にしっかり張り付いていて、継ぎ目も見当たらない。
これ、どうやってくっつけているんだ?
材質もごく自然に見えるもので作ってあり、一見して偽物だと見抜ける人間は居ないだろう。
「お姉ちゃんの耳は何?」
「ん? 見てみようか」
アカネの疑問に、巾着を漁ってみる。
出てきたのは……楕円形の黒い耳と小さな角、それから白地に毛先と根元が黒い尻尾だった。
「これって……」
「牛さん? お姉ちゃん、牛さんかー」
「ぶひゃひゃひゃ! マジかよカティア! お前それ絶対胸で判断されてんぞ! クククッ、情報部の奴も分かってんなー、腹いてえ」
もしライオルさんの言う通りなら、ただのセクハラじゃねーか!
私は思わず巾着を地面に叩きつけた。
顔が熱いから多分真っ赤なんじゃないかな、今の私。
こんな屈辱的なチョイスじゃなく、もっとマシな――。
「駄目ですよカティア殿。予備はありませんから」
「ゑ?」
「他の変装用品は、ありません」
言葉を先読みしたミディールさんから絶望的な言葉が投げられた。
……私は仕方なくいそいそと叩きつけた巾着を拾うのだった。
誰だか知らないけどこれを作った奴、後で覚えてろよ……。




