火の試練
「……では、今度こそ……喚び出します……」
リリ姫様が手を掲げ、先程のように火が宙で踊る。
やがて人型に集束し、部屋の中の空気が震えた。
顔は無く、ただ人の形を成すだけの火の塊。
これが火の大精霊か……。
熱さは感じない。
「我々ヲ呼ンダカ? 姫ヨ」
ノイズ混じりの、ひび割れたような声。
男のものとも女のものともつかない、不可思議な響きを帯びている。
精霊という言葉から連想する神聖さなどは感じない。
寧ろ、荒々しい力の塊という印象だ。
これは火の大精霊だからなのか、他の大精霊なら違うのかは分からないが。
しかし、ルミアさんが会えば分かると言った通りだ。
魔法を使うときに感じる「何か」が形を成して今、目の前に居る。
間違いなくそれが、同じものであると感覚に訴えかけてくる。
「……呼んだか、じゃないです……白々しい……もう、気づいているのでしょう……?」
姫様が大精霊に、無表情ながらも厳しい言葉を投げる。
「ソノ者ノ内ニ居ル、成リ損ナイノ事カ?」
成り損ない……。
もう、既に人ではないと……?
だが、それでも言わねばならない。
言う必要がある。
「……お願いします! 彼女を、彼女を助けて下さい! 自我を残したままの、精霊化を……!」
必死に大精霊に懇願する。
どうか、彼女を――。
大精霊が数秒停止する。
そして、
「対価ヲ、差シ出スナラバ」
「たい、か?」
承諾でも拒否でもなく、対価を要求した。
対価だって?
一体何を支払えというんだ?
「……どうして? ……いつも魔法の発動には……対価を求めたりしないのに……」
「いや、姫よ。考えてみれば儂らはいつも払っておるじゃろう?」
ルミアさんの言葉に、スパイクさんが得心したような表情になる。
「おお、そうか。魔力であるな。しかし何故精霊は魔力を求める? 存在の維持には必要ないのであろう?」
「魔力ハ精神ノ力。精霊ニナリシ後モ、カツテノ自身ニ近シイモノニ惹カレ、欲スル。魔力ニ対シテハ、魔法ニ変換スルコトデ対価トシテイル」
「人だった頃の残滓か。そう聞くと何とも物悲しい事じゃが……」
精霊の性質ということか。
しかし、大精霊は魔力を要求しているわけではなさそうだ。
ということは、
「今回は魔法を発動する訳じゃない。精霊が存在する力を分けるのだから、別の対価を払えと、そういうことですか?」
「肯定スル。ドンナ対価デアロウト、支払ウ覚悟ガアルカ?」
私は大精霊のその問いに、
「はい」
即答した。
「待つのじゃカティア! どんな対価か聞いてからでも――」
ルミアさんの言葉を最後に、私は大精霊の炎に包まれた。
スパイクさんとリリ姫様の驚愕の表情が目に入ったが、もうどうにもできない。
姫様でもそんな顔、するんですね……。
意識が遠くなる――。
気が付くと、私は暗闇の中に居た。
――まさか、また死んだのか?
……いや、違う。
あの時には感じなかった手足の感覚も、体の感覚もある。
地面の様な感触も。
何処だ、ここは?
「ココハ、我々ノ領域」
頭に響く、例のざらざらとした不可思議な声。
理屈は分からないが、大精霊の中に居るということか?
「我々ハ火ニ属スルモノ……求メシハ、活力、情熱、怒リ、愛情……ソシテ闘争」
闘争……?
闘いが好き、と?
「我々ノ力ヲ欲スルナラバ、我々ノ心ヲ満タシテミヨ!」
今更引く気はない。
例えどんな事でもあっても。
「何をすればいいんですか?」
「我々ノ記憶ノ残滓カラ選ビシ、最モ強キ者ト戦イ、勝利セヨ。サスレバ我等ガ半身ヲ与エン」
「最も強き者……?」
不意に、暗闇に光が溢れる。
その中から人影が現れた。
コツコツと、硬質な足音を響かせてこちらに近づく。
「お、御指名か。いやー、死んだ後まで出番があるとは、流石俺様。王の中の王!」
身長百八十センチほどで逞しい体をし、白い軽鎧に長いマント、更に見覚えのある黒い剣……私と同じ、オリハルコンの剣を持った、茶色の髪をした男性だった。
ギラギラとした熱い眼差しが、私を捉える。
「貴方は、誰ですか?」
「無礼者が。名を聞くときは自分からだと教わらなかったのか?」
大精霊が生み出したとは思えない程、しっかりとした自意識を持った相手の様だ。
余りにも普通な人間の姿に一瞬、呆気に取られてしまった。
話が進まないので、自分から名乗る。
「――すみません。私はカティア・マイヤーズです」
「そうか、カティアか。良い名だ」
「……ありがとうございます。で、貴方は?」
しかし派手な赤いマントだ。
黒剣も気になるし……ん?
軽鎧の胸部分に、一角獣の紋章が……?
「俺様はジーク・ガルシア・ステュクス。初代ガルシア王国国王だ」
初代、国王?
「お、それ俺様の相棒じゃねえか。今はお前が持ってんのか? 最高の剣だろう、どうだ?」
まだ抜いていないが、鞘越しでも分かるらしい。
己が持つ剣と同じだと見抜いた。
「ああ、はい。折れず、曲がらず、溶けず、良く斬れて言う事は無いです。……貴方の剣だったのですか。驚きました」
「そうだろう……ん? 溶けずって何だ?」
「いえ、こちらの話です」
「? まあいいが。さて、御指名とあらば早速やるか?」
「あの、本当に本物の国王様なんですか?」
おかしい。
余りにも、そのまま過ぎるのだ。
この国にある本、「建国物語」の英雄、初代国王のイメージに。
あの本の発刊は国王の没後……本当に実物なら、多少の差が出来てもおかしくないのに。
挿絵と全く同じ容姿なのは、何故だ?
「何だ、疑ってんのか? ……フッ、だが正しいぜ、お前の勘。俺様はな、多くの者達が持っていた国王のイメージの結晶だ。こうだったらいいなあ、という
民衆が描く英雄の、想像の産物だ」
「つまり、本物ではないと?」
「本物では無いとも言い切れんな。例えばこの剣に、お前は驚いていただろう?」
「はい」
「つまり、後世に俺様がこの剣を持っていた事は伝わっていない。本物を知る者の記憶か、はたまた本人の記憶そのものが入っているかもしれん」
「頭が混乱してきました」
「フッ、難しく考えることはねえさ。簡単に言えばお前は――」
ジークが剣を抜いた。
お喋りの時間は、もう終わりの様だ。
周囲の火が灯り、戦闘に充分な視界が確保される。
「最強の英雄と戦えるということだ!」
黒剣と黒剣がぶつかり合う。
剣撃の重さと体格差で、数歩後ろに下がる。
「どうした! その程度じゃ俺様の相棒は預けておけねえぞ!」
初代国王、ジーク・ガルシア・ステュクス。
帝国から独立したガルシア領主である父を助け、幾多の戦場で活躍した英雄。
父の死後はその遺志を継ぎ、ガルシア王国を建国。
四国同盟成立の為に諸国を駆け回り、情勢の安定後は東へ。
跋扈する魔物の大群相手に一歩も引かず、没するその時まで戦い続け、大きく国土を広げた。
確か、こんな人物だったか。
油断できない。
マン・ゴーシュを引き抜き、一気に間合いを詰める!
「お、二刀流か。だが、まだ甘え!」
潰した間合いをものともせず、上体を逸らしながら剣撃を放ってくる。
器用なっ……!
マン・ゴーシュのガードで流すが、手が痺れる程には重さを残している。
「どうした、負けてもいいのか!? この空間で死ねば、お前の魂も消えるぞ!」
……やはりそうか。
己の命が掛からない闘争など、火の精霊達が望むわけもない。
黒剣に火を灯す。
「――それか、溶けないって言ってた理由は。面白い奴だな!」
魔法剣を見てもジークに動揺は見られない。
凄まじい胆力だ。
「行きます……!」
二本の剣で、ジークを攻め立てる。
金属音が間断なく暗闇に響く。
ジークは、一本の黒剣で二本の剣を防御し続けている。
「ハハ、凄いなお前は。俺の時代には、お前程の使い手はどこにも居なかった!」
「だったら……さっさと、倒れて……下さい!」
ジークの言葉とは裏腹に、私の剣はまだ一度もその体に達していない。
「真の英雄は追い込まれてからが本番だ。そうだろう?」
そう言うと、ジークは思い切って距離を取った。
追撃に行けない、絶妙なタイミング。
……巧い。
「この一撃に、全てを賭ける!」
ジークが、全オーラを開放した。
後先を考えない捨て身の体勢。
「……馬鹿ですか、あなたは」
「おうよ、大馬鹿だぜ?」
こんなもの威力の高さは兎も角、避けられたらおしまいだ。
避けるだけで、オーラを出し切った相手は勝手に倒れる。
「王ってのは常に仲間が傍に居るもんだ。だから、こんな無茶もできる。必ず味方が助けてくれる……ならば前だけを見て進めるってもんだぜ!」
ジークが突進する。
私は、受けて立たなければならないだろう。
大精霊が見ている。
だが、それだけでもない。
「そういう気持ちの良い馬鹿は、嫌いじゃありませんよ!」
人望なのだろう。
仲間なら、つい助けたくなってしまう。
敵なら、正々堂々と勝負したくなる。
それがこの男の英雄としての本質。
私もオーラを高める。
高らかに、剣と剣がぶつかり合う音が響いた。
「どうるああああああぁぁ!」
「ぐううううううっ!」
ジークの黒剣を、二本の剣を使って上下で受け止めた。
重い、言語を絶する余りにも重い一撃……!
思わず膝を屈しそうになる。
「うううあああああああああっ!」
だが、負ける訳にはいかない。
必ず……必ず彼女を迎えに行く!
全力でジークの黒剣を受け止め、オーラを保ち続ける。
二メートル程も押されただろうか。
ようやく剣が、止まった……!
「何だとっ!?」
ジークが初めて動揺を見せる。
私はジークの黒剣を、力の入らない両腕の剣で左に払う。
そして右足にありったけの魔力とオーラを込めた。
腕の感覚は全力の剣を受け止めたことで、もう失われている。
だから、
「っ!」
私は剣を捨て、跳躍する。
体を捻り、顔面に燃え盛る足をぶつける!
「沈めええええええっ!」
ゴリッ、という頬骨が砕ける感触が伝わり、ジークが回転しながら地に伏した。




