成果
「起きないですねえ、ニールさん」
「起きないわね」
修行から丸一日経過した。
ライオルさんによると、そろそろ目覚めてもおかしくないらしい。
いつ目覚めても良いようにニールさん用に食事は毎回用意されているのだが。
今のところ、それらは全てライオルさんの胃の中に収まっている。
私達も必然的に部屋で缶詰となった。
「カティアちゃん」
「なんですか? フィーナさん」
「飽きたわ」
「はい?」
「飽きた。看病するの」
……飽きちゃったかー。
そういう問題じゃないと思うんだけど。
「では私が様子を見ていますから、フィーナさんは――」
「起こそう」
「え? あ、あの、無理に起こしても大丈夫なんですか?」
「分かんない。でも起こす」
丸一日寝ているので、そろそろ水くらいは飲むべきなんだろうけれど。
ニールさんは深く寝入っているのか、身動き一つしない。
まっすぐ仰向けで、綺麗な寝相である。
「取り敢えず、ほい」
フィーナさんが、ニールさんの鼻の穴を塞ぐように摘まんだ。
全く遠慮も迷いもない手つき。
「んがっ……スーッ……んむ……」
ニールさんはやや苦しそうな顔をした後、口呼吸に移行した。
効果なし。
起きない。
「じゃあ次は――」
今度は頬を摘まんで伸ばし始めた。
爪先が白くなるくらいに割と全力で。
「うーん。固い、伸びない……カティアちゃんのはこんなに柔らかくて伸びるのに」
「いらいれふ、ふぃーなふぁん」
ニールさんは痛そうに眉間に皺を寄せたが、やはり起きる様子はない。
私も理不尽な巻き添えを受けた。
その後フィーナさんが頬をペチペチと叩きながら大声で呼びかけたが、反応なし。
「ふーむ。こうなったら最終手段よ! カティアちゃん、そこに立って」
「?」
「もうちょい前、ニールの真横」
ベッドのすぐ傍に立つよう、フィーナさんに指示される。
一体何をする気だ?
「ワーアシガスベッタワー」
「ぅわっ!」
良い感じに体重の乗ったタックルを背中に受けた。
私は堪えきれずに体勢を崩し、ニールさんの寝ているベッドに手をつく。
「……あっ」
ニールさんにのしかからないように上手く避けて手をついたつもりだった。
しかし、上半身で一番前に出っ張っている部分がニールさんの顔の上に――。
二、三秒ほど固まった後、ゆっくりと体を起こす。
「何するんですか! 何するんですか!? フィーナさん!」
「い、いやあ起きるかなって」
「起きるわけないじゃないですか!」
あれだけ色々やっても起きなかったのに、この程度で――
「何すか今の幸せな感触は!? 夢? 現実!? 魂が起きろと叫んだ気が!」
私の思いを裏切るかのように、背後からハイテンションな声が響いた。
起きたぁ!?
……嘘でしょ?
「ほ、ほらね! 起きたんだから結果オーライでしょ!?」
……。
フィーナさん、今の貴女にそんなことを言う権利があるとでも?
悪戯にだって、超えてはいけないラインがあるのだ。
今のは……。
「……」
「ちょっ、何で無言なのカティアちゃん! な、何か言ってよ」
アウトだ。
この体をあの娘に返す時まで、不用意に異性に触らせる気はない。
それが割合親しい間柄のニールさんであっても。
「えっ、えっ、何すかこの状況?」
「ニールさん、知らない方が良いこともあるって思いません?」
「か、カティアさん?」
起き上がったニールさんに一言だけ応え、私はフィーナさんに再び向き直った。
「……」
「こ、怖いわよカティアちゃん……無表情だと、目元が鋭いんだから迫力が……ひいい!」
ニールさんが目覚めてから三日後。
今日はニールさんの成果のお披露目と、私とライオルさんが試合を行う予定だ。
同日に設定したのはライオルさんで、ニールさんの成果に余程自信があるらしい。
三日の内の二日間はニールさんの体力回復に、昨日は修行の詰めが行われた。
今はライオルさんとニールさんが向き合って立っている。
場所は道場の一番広い修練場。
「よし、こいや!」
ライオルさんが歯を剥き出して笑う。
門下生との模擬戦では付けていなかった鉄製のガントレットを装備している。
確か、あの時は素手だった。
「はい、胸をお借りします!」
ニールさんは例のダマスカスの大剣を下段に構えた。
見守るのは大勢の門下生たち。
それから、どこで聞いたのか街の住民たちも多数見物に来ている。
広い道場なのだが、今は観衆が多すぎてやや狭苦しい。
周りが見物人だらけでも、中心に立つ二人はいつも通りに見える。
神経が太いようで羨ましい。
私は、うん。
いやだなーこの状況で試合するの。
「フィーナさん、やっぱり帰っても――」
「駄目よ」
「……」
即答ですかい。
先程からそわそわしているのがバレていたようだ。
ま、まあ言ってみただけだよ?
「ん?」
ふと、見覚えのある人影が視界の端に入った。
「どしたん? カティアちゃん」
「いえ、今ナナシさんが……」
「え、どこどこ?」
観衆の中に、ナナシさんらしき人が見えた気がした。
あの人が一枚噛んでいるとすれば、この観客の数も納得なのだが。
「気のせいですかね? 自信ないです」
「あいつうっすいからねえ。本当に居たとしても、もう見つからないんじゃない?」
「ですね」
まあ、仕方ない。
それよりも今はニールさんの方だ。
その時、ダンッと力強く床を踏み切る音が道場内に響いた。
道場内が静かになる。
ニールさんの体がライオルさんに向かって加速する。
――おお、速い!
以前とは大きく違う。
荒く無作為に放たれていたオーラが、今は確かな意志を持ってニールさんの体を前進させている。
両者が交錯し、甲高い金属音が鳴り響いた。
ニールさんは斬撃の勢いのままライオルさんの背後、間合いの外へ。
速度を保ちつつ斬り抜けた形だ。
対してライオルさんは開始位置から一歩も動いていない。
ニールさんの剣を防御し、その上でもうワンアクションしたのみ。
「合格だニール。俺はカウンターはあまり得意ではないが……今のを躱せるなら、問題ないだろう」
以前の会話の中にあった相手の反撃に対する備えに対する、その答え。
今の一連の動きがそうだということだろう。
ニールさんは攻撃開始から離脱まで速度を緩めなかったことで、カウンターを受けずに済んだ。
「威力の方も――」
ライオルさんが軽く腕を振った。
すると……。
パキパキと音を立てて、ガントレットが砕けて割れた。
「おう、申し分ねえな。どうよ、カティア?」
文句はあるまい? といった表情。
ライオルさんがこちらに呼び掛けた途端、周囲からの視線が殺到した。
……うう。
早く慣れなくては。
と、とにかく防具を破壊したということは、ライオルさんのオーラを瞬間的に上回ったということだ。
並の使い手ならば剣を受け止めたガントレットごと、体が真っ二つになっていても不思議はない。
それほどの一撃だったと思う。
その上でカウンターを受けなかったということは、速さと威力を両立出来ている証拠でもある。
ニールさんが得た充分な成果に、私からは何も異論はない。
「凄いですね、四日間で出した成果としては破格だと思います。いずれはライオルさんも超えるかもしれませんよ?」
「ハハッ、そいつは良い! そうなったら俺と戦って貰おうか?」
「いやいや、勘弁してくださいよ! 本気で戦ったら自分なんて瞬殺っすよ!?」
「今すぐとは言ってねえよ。ククッ、いずれ、な。楽しみにしてるぜ」
「は、はい……その、ライオルさん、カティアさん、ありがとうございました。今回の修行、忘れないっす」
最早、大抵の状況でニールさんが遅れを取ることはないだろう。
さて、次は私が約束を果たす番か。
「待ち侘びたぜ、カティア。準備は出来てんだろうな?」
「やる気満々ですね、ライオルさん。ルールは?」
「無論どちらかが死ぬまで……おい、冗談だよフィーナ、睨むな。先にでかいのを一撃入れた方が勝ち、一本勝負だ。武器は真剣を使え」
「真剣を?」
「心配すんな、防具はつける」
ライオルさんの発言に門下生達がざわめく。
恐らく普段は防具をつけない、ということなんだろう。
私を過大評価し過ぎではないのか。
前にも思ったが、相手にならなかったらどうするんだ。
「手は抜かん。お前にはこれ位の備えは必要だ、と俺の勘が言ってる」
「期待に沿えるといいですけどね……」
私は対人経験が少ない。
故に相手が強いのか、自分がどの程度の強さなのかイマイチ分からない。
取り敢えず、戦ってみるしかないか。
ライオルさんがガシャガシャと防具をつけていく。
金属製のようだが、これは……?




