異端の修練
ライオルさんが倒れたニールさんに駆け寄る。
体を仰向けに寝かせ、呼びかけた。
「ここが勝負だ、ニール! しっかり意識を保て!」
「……何も、見えな……さむい、さむいっす……」
「ちっ、目の焦点が合ってねえな。カティア、何とかしろ!」
「何とかって……ああ、もう!」
とにかく、意識を何かに集中させなければならない。
私は掌に拳大の火を生み出してニールさんの顔の前にゆっくりと近づけた。
「ニールさん、しっかり……!」
特に深い考えがあったわけではない。
単純に寒いと呟いていたので、ならば熱を、ということで火を連想したに過ぎない。
「暖かい……これは……火……?……カティア、さん?」
果たして、その試みは成功だった。
熱を感じ取ったのか、火の光が目に刺激を与えたのかは分からないが、虚ろだったニールさんの目に力が戻る。
「駄目ですよニールさん。約束はちゃんと守らないと」
「そうっすね……ほんとにそうっす……」
「よし、安定したな……ニール、そのまま全身の力を抜け。おっと、目は閉じるなよ。呼吸を深くしろ」
言われたとおりに、ニールさんが呼吸を整えていく。
浅かった呼吸が徐々に落ち着いてくる。
私は火を消して邪魔にならないように一歩下がった。
「次だ。今度は目を閉じろ。いいか、脱力感が酷いだろうが絶対に眠るなよ? 今、お前の体はオーラが限りなくカラに近い状態だ。だが死ななかった以上、徐々にオーラの回復が始まるはずだ。その感覚を掴むんだ」
「はい……」
そのまま五分程が過ぎただろうか。
不意にニールさんが、何かに驚いたように半身を起こした。
「これって……」
「掴めたか?」
「……オーラって、こんなに暖かかったんすね……カティアさんの火と、一緒っす」
私の?
火を見せてしまったからイメージに引っ張られた、という訳では……なさそうか、大丈夫。
自分の内側へと深く集中出来ている様子だ。
ライオルさんが満足そうに頷いている。
「そうか、お前にとってのオーラはそうなんだな。オーラは普段、俺達と
共にずっとあるものだ。……近過ぎて見えないものもあるってことだ」
「うっす……その、すみません。もう自分限界みたいっす」
「もう寝ていいぞ。だが、今の感覚を決して忘れるな。寝て起きたら体はオーラで満たされた状態になる。わざわざ死にかけたんだ、無駄にするんじゃねえぞ」
「はい……」
返事を残して、ニールさんは糸の切れた人形のように意識を失った。
ライオルさんが頭を打たないように静かに支える。
「上出来だ、ニール。後は回復を待って成果を確認したら、俺の方の条件はクリアだな。ま、様子を見る限り間違いなく成功だが」
ライオルさんは成功を確信している様子。
だが、私としてはニールさんが生きていることの方を喜びたい。
フィーナさんが心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「カティアちゃん、ニールは大丈夫なの?」
「はい。血色も良くなりましたし、呼吸も規則正しいので、おそらくは」
「はぁーっ、良かったぁ」
安心したのか、力が抜けたようだ。
無事に終わって何より。
「カティア、例の約束忘れるんじゃねえぞ。本当は、今すぐにでも戦いたいのを我慢してるんだからな……」
そう言ってライオルさんが口の端を歪める。
その顔を見た瞬間、背筋が凍り付く。
「いい歳して玩具が待ちきれない子供みたいなことを言うんじゃないわよ!」
フィーナさんがライオルさんの尻に蹴りをいれまくる。
気が付くと、寒気のするような表情は何事もなかったかのように消えていた。
「おいやめろ、蹴んな。痛かねえがなんか屈辱的だろうが」
「うっさい! ほら、さっさとニールを部屋まで運びなさいよライオッサン!」
「さすがにおかしくないか、その呼称は! おい、蹴るのをやめろっつーの。言われんでも女二人に運ばせるわけにゃいかんだろうが」
これまでどんな呼ばれ方をしても特に気にしていなかったライオルさんが突っ込みをいれる。
さもありなんだが。
しかし、フィーナさんはライオルさんの後ろに居たから気付かなかったのだろう。
今すぐ戦いたいといった彼の様子に。
あれは、人が人に向けていい表情じゃなかった。
この人と立ち合って無事に済むのか、余計に不安になってきた。
ニールさんを部屋に運び終えた後、ライオルさんに食事に誘われたので一緒に行くことにする。
フィーナさんはニールさんの看護をしていると言って断った。
二人の夕食はひょっこり現れたミズホさんに頼んだ。
後で部屋まで運ぶと請け負ってくれたので問題ないだろう。
「しかし、無茶な方法もあったものですね」
門下生の大部分は食事を終えた後らしく、食堂内は閑散としていた。
話題はニールさんに施した修行法についてだ。
「まあな。だが、あれを考えたのは俺じゃねえぞ」
「え?」
違うの?
ちなみに食事のメニューは門下生達と同じ物らしい。
肉、野菜、穀物とバランスの良いメニューだが、量が多いな。
「ありゃあザハト流――今は無くなっちまった、この町一番の道場だった所でできたもんだ」
「へえ。興味が沸きますね」
食べきれない分の食事をひょいひょいとライオルさんの皿に放っていく。
ちなみにライオルさんの皿は、もともと多い量よりも更に大盛だ。
見ているだけで胸焼けしそう。
「お前そんなんで足りんのか? いらねえならもらうが。……気になるなら詳しく話してやるから、後でニールにもお前から伝えてくれや。あいつには聞く権利があるだろうからな。フィーナにも話していい」
「はい」
修行の成否で頭が一杯で、出来た経緯なんて聞くほどの余裕はなさそうだったからな。
仕方ない。
ニールさんが目を覚ましたら二人には私から説明することにしよう。
「事の発端はザハト流道場の師範が三代目だった時のことだ」
ザハトは、この国の草創期に活躍した救国の戦士である。
いわば英雄だ。
槍一本で出世の道を駆け上がっていったという話は有名で、今でも芝居や本の題材として大人気である。
「三代目は少年時代に短期間だがザハトに師事していたらしくてな。ザハト本人から聞いた経験や逸話なんかも多く知っていたらしい。それを門下生達に話して聞かせることがあったとか」
「門下生達は、喜んだでしょうねえ……」
恐らくその頃には本人は亡くなっているだろうし、英雄を直接知る人の話はさぞ貴重だったことだろう。
「だろうな。だが、ここからが問題なんだ。ザハトの話の中で、一般には知られてねえ事実があってな……実は一兵卒だったころは、凡庸な強さしか持ち合わせていなかったらしい」
「え? でも、確か有名な話では少年時代に村を一つ救ったとか、軍の入隊試験で無能な隊長を打ちのめして最初から隊長だったとか……」
「創作だな。得てしてそんなもんだ、実像は」
夢のない話だなあ。
とはいえ、村に来た紙芝居を小さな頃に見たきりなので特に思い入れはないのだが。
話に尾ひれがつくのは何処でも一緒か。
「で、ザハトが頭角を現す転機となった事件が起きた。ザハトが所属する隊が、退却戦の殿を任されることになった」
退却戦の殿なんて、言ってみれば捨て石だ。
余程、運か実力が無ければ助からないだろう。
「ザハトの隊は壊滅したが、ザハトはどうにか生き残った。他の隊に救出されたとき、ザハトは怪我も勿論だがオーラ切れ寸前で瀕死だったらしい」
「あ、話が繋がってきましたね」
「だな。まあ、俺たちはあの訓練法を知っているからだが、当時の人間たちはそうじゃねえ。ザハト本人だって理解できていたかは分からん。そこから急に頭角を現したとしても、命懸けの体験をしたことによるもんだと思うのが普通だ」
「……確かに」
「だが、三代目から話を聞いた門下生の一人が一つの可能性に気づいちまった」
ライオルさんが暗い顔をしてためをつくる。
いつの間にかライオルさんの大盛の皿は空になっていた。
私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……というわけではないんだが」
「ちょっと!」
緊張感を返してほしい。
生唾飲んだりして、恥ずかしいじゃないか。
「単に、若くて向こう見ずだったんだろうな。憧れの人に近い状態になれば強くなれるのでは? なんて考えから、そいつはオーラを限界ギリギリまで使ってみた」
「無茶しますね。若いときって、何をしても自分だけは死なないっていう謎の万能感がありますよね……」
「おいおい、お前だってまだ十七だろ? 確か」
しまった!
何とか誤魔化さないと――。
「って爺さまが言ってました!」
「お、おう。で、偶然にも、そう、偶然にもだ。そいつの試みは成功した。数日寝込んだらしいが、オーラの制御が格段に良くなったらしい。ザハトと違ってオーラだけを使った訳だから、如何に知識不足でも何がどう作用したかは簡単に理解できただろう」
ふう、危なかったぜ。
いや、バレっこないんだけど一応ね?
「……その後に、何か起きるんですか?」
一般にその話が広まっていないということは、何かある。
ライオルさんに続きを促した。
「そいつは、他の若い門下生達に自慢して回った。強くなった方法も込みで、ただし師範には秘密にするよう言い含めつつな。実際に模擬戦でも連戦連勝、半信半疑だった他の門下生達も信じ始めた。師範は若いのだからと、急に地力が上がったその門下生のことを特に気にしていなかったようだ」
うーん、嫌な感じだ。
町一番の道場だったなら、門下生の一人一人に気がいかなくとも仕方ないのだろうか。
「ある時、十人の若い門下生達が師範に秘密で例の修行法を一斉に行うという事件が起きた」
「……もう、悪い方にしか想像出来ませんが。それで?」
「十名の内で生き残ったのは二名だけだった。夜が明けた道場に、複数の骸が」
「うわ……」
「つうわけで、めでたくこの修行法は情報部によって秘匿。この件が尾をひき、ザハト流道場も閉鎖となったってわけだ」
何とも壮絶な……。
ん、でも待てよ?
「ライオルさんはそんな事件を、どうして知っているんですか?」
「悪用しない条件でな、情報部に武術に関する秘匿情報を幾つか無理矢理に開示させたことがある。その中の一つだな」
「……」
「なんだ、何か言いてえのか?」
「いえ、別に。ライオルさん自身は、その修行法――」
「勿論やったが。やっぱり何か言いたそうだな?」
「いえ、特には」
「でだ、生き残った奴らには共通点があった。それが、平均よりも多いオーラ量だ。つってもニールほどじゃねえだろうが」
「つまり、ニールさんは最初から成功する芽があったと?」
一応成功率は考えていたのか。
無茶なのか違うのか分からない人だな。
「ああ。条件の一つを有り余るほどクリアしているわけだからな。もう一つが、限界点の見極めだ。死んだ奴の中にもオーラが多い奴が居なかったわけではないらしいから、ギリギリで止める必要がある」
そこは、今回ライオルさんが担当した部分だ。
達人なのは間違いないだろうから、あれが適切なタイミングだったのだろう。
ザハトの道場で生き残った門下生は、単純に運が良かったと見るべきか。
「そこまで勝算があったのなら、先に話せば良かったのでは?」
結果的には、あれも必要なことだったのだろうけど。
葛藤を吐き出し、フィーナさんと話した後のニールさんは良い表情をしていた。
「いや、分かってて言ってるだろう? 決意も覚悟も、ニールには足りてなかったからな」
「人の覚悟について語れるほど、私は偉い人間ではありませんよ」
「お前、割と嫌な奴だな。話を戻すぞ。生き残った三人ともオーラの感じ方は違ったらしいから、誰にでも適用可能な初の修行法ってことになるか。ただし、今話した事件のせいで広まってねえし、普通の奴にはハイリスクだ。リターンもでかいがな。分かっていると思うが、ニールとフィーナ以外の奴には話すなよ?」
「はい」
有用だろうと危険性を孕んだ修行法ならば、軽々に話す気はない。
駄目だといってもやる人間は山ほどいるだろうし。
それにしても、ザハトの道場が潰れた理由はそんなだったのか。
ザハト本人も自分が遠因になるとは夢にも思わないだろうなあ……。




