姉弟
ライオルさんが提案した修行法は「限界までオーラを放出し、回復するオーラを感じ取る」というものだ。
疑似的にオーラを持たない状態を作り出すことで、オーラに対する感覚を鋭敏化させることができるらしい。
だが、この方法には問題がある。
「オーラが底を尽くまで使うと死ぬなんて、子供でも知ってることじゃない」
というフィーナさんの言葉通りだ。
このことから、オーラは生命エネルギーの一種という推論がたてられている。
もっとも、オーラが極端に体内から減ると体調が酷く乱れるので、死ぬまで使うような者はそうそう居ないのだが。
「俺が言ってるのはその一歩手前の状態だ」
「一緒よ、死ぬ可能性があるのは!」
「そうだな。だが、それがどうかしたか?」
「なっ……」
ライオルさんは至って平静だ。
まるでフィーナさんの反応を予想していたかのように。
「決めるのはニールだ。もっとも、効果が薄くてもいいなら他に穏当な手段もあるが――」
「やります。いえ、やらせてくださいっす!」
ニールさんが即答した。
本気、なんだろうか?
「ニール!? どうしてよ!」
「自分には、予感があるんすよ。帝国が不穏な動きを始め、国内情勢も未だ不安定。このままなら恐らく、今までよりも厳しい任務を言い渡されることもあるでしょう。その時に、今の実力のまま戦っていれば…………自分は、遠からず死にます」
「そんなの、分からないじゃない……」
「フィー姉だって本当は分かっているんじゃないっすか? この前の坑道だって、カティアさんが何とかしてくれなかったら自分達は死んでました。それどころか、倒したワームの数で言えば自分はフィー姉以下っす。武器だけ立派になっても、劇的に改善されるとは思えません」
「……」
「それに……」
ニールさんの顔が歪む。
普段から明るい彼らしくない、苦々しく険しい表情。
「それに、男として、剣士として、人に護られ続けるなんて死ぬよりもずっと惨めっすよ……!」
胸の内に溜め込んでいたものを吐き出すような、そんな声。
平気な筈がなかったのだ、民を守る騎士という身の上で、自分の命すら覚束ない今の状況が。
私は気づけなかった、彼の葛藤に、苦悩に。
前世は男で、今は剣士なのに――。
ああ、自分が嫌になるな。
「……っ! 分かんないわよ、そんな理屈! 格好悪くても、弱くても、死ぬよりはずっとマシじゃない!」
「フィーナさ――」
堪えきれなくなったのか、フィーナさんが背を向けて走り去ってしまった。
私は、追いかけるべきなんだろうか……?
「カティアさん、姉をお願いしてもいいっすか? 姉はカティアさんには気を許している様子ですし、今自分が行っても逆効果っすから……」
幾分、内心を晒したことですっきりした顔になったニールさんが私に言う。
「はい、でも何を言えば……」
フィーナさんの気持ちもちゃんと理解できているわけではない。
男の気持ちも女の気持ちも分からないとは、本当に私は駄目だな……。
悩んでいると、腕組みをしていたライオルさんが口を開いた。
「何も言わなくていいだろ、フィーナの話を聞いてやれば。それから、自分の感じたままに素直に答えりゃいい」
「そんなことでいいんですか?」
「ああ、いいんだよ。おら、行ってこい」
ライオルさんにしては、優しい声でそう言った。
他所者の私たちが行ける場所は限られている。
あてがわれていた客室に戻ると、ベッドの上でフィーナさんが膝を抱えて座っていた。
「フィーナさん」
「カティアちゃん……」
そのまま隣に静かに座る。
拒絶はされなかった。
そのまま沈黙が場を支配し、静かに時間が過ぎていく。
私は、フィーナさんが話すのをじっと待った。
「……昔ね」
「! はい」
フィーナさんが何かを語りだす。
昔?
「上の姉……レン姉さんは、母さんが亡くなった後はニールの母親代わりをやってくれてたの。アタシは絵に夢中で、レン姉さん程は構ってやれなかったんだけどさ」
「はい」
「ニールは小さいころは今よりも気が弱くてね。公園でよく同年代の子にいじめられてたらしいんだ。ほら、子供に身分なんて関係ないから。貴族だろうとおかまいなし。かえっていじめの原因になってたのかもね」
「……」
「それでレン姉がよく駆けつけて、いじめっ子達を蹴散らしていたらしいんだけどさ。家に泣きべそかいたニールを連れ帰ってくると決まって言うんだ。男なら、誰かを守れるくらい強くなれ、負けるなって」
「素敵なお姉さんですね」
「うん。ちょっと暴力的だったけど、とっても強くて格好良かったよ。あの子が……ニールがその言葉を憶えているかは分かんない。でも、根っこの所にはちゃんと残ってるんだなって。……まさか、あんなこと言うなんてね」
「……」
「ねえ、カティアちゃん。アタシはどうしたらいいんだろう? やっぱり、同じ姉として、弟が強くなりたいっていうんなら応援した方がいいのかな?」
「分かりません。でも」
「うん?」
「レンさんはレンさんであって、フィーナさんはフィーナさんです。だから……フィーナさんらしい言葉をかけてあげればいいんじゃないかと」
「……そっか」
フィーナさんがベッドから降りて大きく伸びをした。
これで、良かったのだろうか?
「ありがと、カティアちゃん。一緒にニールの所に戻ってくれる?」
「はい、もちろん」
少し元気が出たようだ。
良かった。
「カティアちゃん、変なこと言ってもいい?」
「はい?」
「ああいう風に静かに話を聞いてくれてさ……何か、こう見守ってくれてる感じが、お父さんっぽいていうか、頼りになる年上の男の人みたいに見えちゃった。不思議ね」
「いいいいやまままさかそんな」
馬鹿な!
男らしさなんて微塵も出したつもりはないぞ!?
ライオルさんの言う通り話を聞いただけなのに!
「アハハハハ! 何でそんなに動揺してんの、おっかしーなあ。うん、気のせい気のせい。こんなに女らしさが主張してるもんねー」
「どうしてお尻を撫で回すんですか!」
「うへへへ、良い尻してますなあ」
どちらかと言うとフィーナさんのその所作の方がオヤジくさいと思うんですけど!
道場に戻ると、ライオルさんとニールさんが待っていた。
他の門下生の姿は見えないので、もう今日の日程は終了したのだろうか。
ライオルさんが最初に口を開いた。
「魔法もそうだが、オーラも精神状態に左右されやすい。心残りがないようにな」
「心残りとか縁起でもないこと言わないでよね、オッサン! ニール、私から一つだけ言っておくわ!」
フィーナさんのライオルさんに対する呼び方がランクダウンしている……。
ライオルさんは全く気にしていない様子だが。
「はい、フィー姉」
「男としての意地も、剣士としての誇りもアタシには正直よく分からない。でも……」
フィーナさんが言葉を探るように一呼吸置いた。
自分の気持ちが一番伝わるであろう言葉を、選ぶ。
「でも、それと同じくらいに自分の命も大事にしてほしい。アタシが言いたかったのは、それだけ。それだけなんだ」
万感の思いを込めた言葉。
少なくとも、私にはそう聞こえた。
捻ったものでもない、難しくもない、陳腐と言ってしまえばそれまでの言葉。
でも、そこには紛れもなく真心があった。
家族を、弟を思う姉の真心。
果たして、フィーナさんの言葉はニールさんに伝わっただろうか?
「――焦ってたんすかね、自分は。フィー姉には見抜かれてたんすね。命を投げ打ってでも強くあろうとすることと、強く生き抜こうとすることは違うんすね……」
「ニール」
「もう大丈夫っす、フィー姉。ありがとう」
ニールさんの目に先程までとはまた違う、決意の色が窺える。
勿論、フィーナさんも気づいている様子だ。
「……でも、それでも、やるのね」
「はい。心配しないでください、フィー姉。自分は必ず生き残るっすから」
「……ん。嘘ついたら、許さないから」
この二人の姉弟の絆は、私が思っているよりもずっと強いのかもしれない。
今も昔も一人っ子の自分には少し羨ましい、かな。
「さて、そろそろいいかニール。……多少はマシなツラをするようになったな。準備が出来たら、オーラの放出を始めろ。限界の見極めは俺がやるから、合図があるまでは放出を続けてくれ」
ライオルさんが修行の開始を促す。
そういえば、一応聞いておこうか。
「他の門下生の方々は?」
「あいつらは晩飯。今頃は全員寮だろう。もうここには入らんように言ってあるから心配はいらねえぞ」
成程、好都合だ。
オーラに集中するなら雑音は少ない方がいい。
「す-っ、ふぅーっ。では、いくっす!」
ニールさんが深呼吸し、オーラの放出を始める。
いつも以上に遠慮なしの、外に出すだけのオーラ。
しかし、これは。
「まるで、滝のような――」
思わず声に出てしまう。
まさしく、オーラの奔流とも言うべき放出量。
圧巻だ。
「全くだ。普通の人間ならとっくに死んでいる量だな」
若干の呆れすら混じったライオルさんの発言。
だが、五分も経つ頃にはニールさんの限界を見極めようと緊張を帯びた顔に変わる。
オーラの放出量が減り始める。
「ライオルさん」
「まだだ」
「しかし」
「今止めたら、意味がなくなっちまう」
ニールさんが肩で息をし始めた。
顔からは血の気が引いている。
フィーナさんは、静かに見守っている。
「まだ、ですか」
「まだだ、もう少し……!」
滝のようだったオーラも、今は小川程の勢いもない。
徐々に、もはや見えない程にか細くなっていき、そして――
「そこまでだ! ニール、今すぐオーラを止めろ!」
ライオルさんがそう叫んだ瞬間、オーラの放出を止めたニールさんが膝から崩れ落ちた。




