目覚め
魔物の統制が崩れた。
男の制御から解放されたワーム達は、方々に散って行く。
だが、興奮した状態のワーム達がまだニールさんとフィーナさんを取り囲んでいる。
私は急いで二人の元へと戻る。
――お願いだ、生きていてくれ!
二人を囲んでいるワームの群れの中に入って行く。
逸る気持ちを抑え、包囲の薄い場所から突破していく。
居た、居てくれた!
二人ともしっかり立って戦っている!
「ご無事ですか!?」
「カティアちゃん! そっちも無事?」
「はい!」
良かった、本当に。
二人とも額に汗が浮かび、疲労は色濃く見えるものの怪我はしていないようだ。
「カティアさん、奴を倒したんすね!」
魔物を統制していた男は、私が殺した。
首を刎ねて。
「……はい。ですから魔物の統制も解けたはずです」
「……?」
「あ、ワーム達の動きが遅くなったっすよ!」
「二人とも、まだ動けますね? 押し返しますよ!」
「当然!」
「はいっす!」
「行きましょう!」
戦いが終息へと向かう。
統制を失ったワーム達は弱く、溶解液もバラバラに吐く程度なら脅威にならない。
ほとんどのワームは戦わずに逃げ去ったので、数も大したことはない。
これが、最後の一体!
「でやっ!」
ワームが体液を溢しながら倒れる。
ようやく終わった。
「はー、終わった。カティアちゃんのおかげで何とかなったわね。生きてるよ、アタシ達!」
「そうっすね。お疲れ様っす、カティアさん。……カティアさん?」
「あ、はい。何ですか?」
しまった、聞いていなかった。
戦いが終わって気が抜けたのか、それとも疲れているのか。
「どうしたの、カティアちゃん? 何か変よ?」
「ええ。どうして、剣を納めないんすか?」
「え?」
気付かなかった。
私は右手に剣を握りしめたままだった。
しかもその手が、今頃になって震えて――。
ニールさんとフィーナさんが、顔を見合わせているのが横目に見える。
「……ニール、あの男が居た辺りを調べて来てくれる?」
「……はいっす、フィー姉。その、カティアさんのことを……」
「うん。アタシに任せて」
ニールさんが離れて行った。
フィーナさんが、私の右手をそっと握った。
「!!」
体が強張る。
「もう終わったのよ、カティアちゃん」
「で、でも、手が震えて」
止まらないのだ。
自分の体なのに、いうことを聞かない。
「ごめんね、一人で背負わせて。でも、それはアタシ達三人で背負うものよ。勝手に一人で持って行かないで頂戴」
何が起きたのか、既に察しているようだ。
だが。
「わ、私は!」
自分で勝手にやったことだ。
二人が責任を感じることなんかない!
「アタシがカティアちゃんの立場でも同じことをしたと思う。そうなったら、カティアちゃんはアタシを放っておくの?」
「そんな言い方、ずるいですよ……」
「だから、聞かせて。どうしてそんなに苦しそうな顔をしているの? どうしてそんなに、泣きそうな顔をしているの?」
そう言ってフィーナさんは、私を抱きしめた。
幼子をあやすように、柔らかく。
剣が、手から離れてカランと音を立てた。
「気持ちが悪いんです」
「うん」
「奴の首を斬った時の感触が、命を断ち切った時の感触が、いつまでも手に残っていて……」
「うん」
「斬られる直前の顔が、何度も何度も脳裏に浮かぶんです」
「うん」
背中を優しく撫でられる。
特別な返事は何もしてくれない。
私の意味のない呟きをただただ聞いてくれている。
どうしてこんなに心が渇くのだろう。
何故、こんなにも心が磨り減っているのだろう。
「フィー姉、やっぱり……」
ニールさんが戻ってきたようだ。
「……そう。ご苦労さま」
何も考えられなくなる。
ああ、なんだか、意識が遠く――。
「――アちゃん! カティアちゃん! しっかりして!」
「どうしたんすか、フィー姉!?」
「分からないわよ! 急にぐったりして――」
声が聞こえる。
あれ?
私、こんなに言葉を知っていたっけ?
自分の気持ちが言葉にできている。
この知識は、どこから?
「カティアちゃん! 良かった、目が覚めたのね。びっくりしたわよ!」
誰だろう? このお姉ちゃんは。
金髪の、翠色の瞳がきれいな人。
「カティアさん! どこも痛くないっすか?」
また、知らない人だ。
茶色の髪と瞳の、優しそうな男の人。
「カティアちゃん? 何だか、いつもと雰囲気が――」
私、助かったの?
お父さんとお母さんが死んじゃって、それから真っ暗な場所に流されて。
それから、そうだ!
あのお兄ちゃんは?
私を守ると言ってくれたお兄ちゃん。
あの人の胸に飛び込んで、それから――。
「あ、頭が、頭が痛い!」
頭が割れそうに痛い!
何かが、大量に流れ込んでくる。
耐えられずにうずくまった。
「カティアちゃん! しっかりして! 魔法を!」
「フィーナさん」が治癒魔法をかけてくれる。
痛みが和らいでいく。
……そっか、そうなんだ。
お兄ちゃん、ちゃんと約束守ってくれてたんだ。
うれしいな。
ううん、今はお姉ちゃんだね。
ちょっと面白いかもね、ふふ。
今のは記憶だ。
この体が過ごしてきた、今日までの記憶だ。
知識も、体のものを使えているみたいだ。
「ありがとうございます、フィーナさん」
取り敢えず、もう平気だよって意味も込めて立ち上がった。
わ、背、おっきいよね、これ?
遠くまで見えそう。
あと、体が背中の方より前の方が重たいかも。
ちゃんと背筋伸ばさないとバランスが取れない。
「う、うん。もう大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ニールさんも、ご心配をお掛けしました」
「は、はいっす」
この二人を守って、お兄ちゃんの心は疲れて眠ってしまったみたい。
だったらお兄ちゃんがまた起きるまで、ばれないようにお兄ちゃんのふりをしてみせる。
もう私は、この体が私のだって言うつもりはない。
あの時、お兄ちゃんが来なければ私は死んでいたと思う。
生きることをほとんど諦めていたから。
だから、この体はもうお兄ちゃんのだ。
でも、きっとお兄ちゃんも体を返すって言うんだろうなあ。
記憶を通じてどんな人かは分かってしまうからこまっちゃう。
私の今の唯一の願いは、お兄ちゃんとお話ししてみたいってことくらいかなあ。
でも何となく、お兄ちゃんと一緒に起きているのは無理だってことが分かる。
だから、いつか。
いつか、叶うといいな。
と、そこでふさがっていた入口の方から音が聞こえてくる。
記憶によると待っていれば助けが来るかも、とあった。
だから、てきとうにそんなセリフを言ってみよう。
「救助が来たみたいですね」
「そうね。でも、この振動まずくない?」
普通に答えてくれたから、こんな感じで大丈夫?
「こ、これって」
落ちた岩を何とかしているから、当然ゆれも大きいみたい。
んと、それにつられて気配? が寄ってきている。
「やっぱりワームが来たっす!」
「あー、もう! でも、これで本当に最後よね! 後は他の兵士に任せるわ」
この体の知識によると、音と振動に敏感、みたい。
でっかいみみずの魔物、ワームが二十匹くらい近付いてくる。
どうしよう、私、お兄ちゃんみたいに剣なんて使えないよ!?
「カティアさん? どうしたっすか、構えないと!」
「ニールさん、魔法を使います!」
「魔法って、火魔法っすか?」
「この空洞は広いから、酸欠にはならないだろうけど。カティアちゃん、中級までしか使えないんじゃ?」
「そうっすよ。中級じゃ、一匹焼くのが関の山っすよ!?」
むっ、馬鹿にしないでよね!
この体のオーラの才能はお兄ちゃんが、魔法の才能は私が持っているんだ。
だから私は剣は上手く使えないけど、魔法は別だ!
魔法もそこそこ使えるお兄ちゃんが器用過ぎるだけだ。
「見ていて下さいっ!」
体の中の熱い力を、両手から一杯に放出する。
全部、燃えちゃえ!
火が渦巻いて、地面からぐるぐると昇って行く。
ワーム達は真っ赤な、洞窟の天井まで届く火柱に包まれた。
「な、なっ」
「これ、中級じゃない! もしかしたら、上級も越えてるんじゃ――」
あ!?
お兄ちゃんのふりなのに、魔法をこんなに使っちゃ駄目じゃん!
私が後悔したのは、ワームがぜんぶ灰になった後のことだった。




