表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖の弟子  作者: 二階堂風都
第十二章 血の道
155/155

とある帝国兵の記憶 後編

 長を失った我らの小隊だったが、一人の脱走者を出すこともなく防戦している。

 防壁内なので逃げ場がない、と言うこともできるが。

 自分を含めて残った五名のうち、洗礼を受けて使徒化した者は三名。

 既に過去形だが、小隊長を含む部隊の約半数が人間、もう半数が使徒という構成だった。

 中にはかなり早い時期に使徒化され、既に二度の戦闘経験を持つ者もいる。

 破壊された壁の近くに立つ彼がそうだ。

 階級的に隊の指揮権を受け継いだのは、あの人のはずだが……。


「か、各自応戦っ!」


 具体的になにか指示する余裕はないようだった。

 無理もない。

 とはいえ、これは自分にとっては好都合。

 連絡通路に続く扉をできるだけ長く封鎖し、中央が防衛を厚くする時間を稼ぐ。

 避難民の移動が間に合うかどうかは賭けだが、そればかりはどうしようもない。

 神に、バアル神に祈って――いや。


「お相手願うっ! 赤毛の魔女!」


 自分が、持てる力のすべてを使ってどうにかするのだ。

 目の前には、敵部隊の中核にして指揮権を持つ女戦士が立っている。

 正直、まるで自信はないが……。

 このカティアを長く場に留めることができれば、相手全軍の足が止まると言っても過言ではない。

 裂帛の気合、とまではいかずとも精一杯の叫びで気を引く。


「……どこからでもどうぞ」


 驚いた。

 意外にも、彼女は応じる構えを見せた。

 こんな雑兵に構う必要など、あちらにはまるでないというのに。

 応じてくれるなら、間合いの取り合いで時間稼ぎを――!?


「っ……!」


 無理だ。技量に差がありすぎる。

 どう向かっても構えた二振りの剣が、自在に動いてこちらの身を斬り刻んでくる。

 その想像を振り払うことができない。

 しかも、立っているだけでこの圧力。

 どこにも無駄な力が入っていないような自然な立ち姿なのに、先程から汗が止まらない。

 今すぐにでも背を向けたい気持ちと、背を向けたらどうなるかわからないという恐怖に挟まれている。

 動けない、逃げたい、進まないと、後ろには――。

 目の前に崖があるとわかっているのに、自分は今からそこに飛び込んでいかねばならない。

 限界まで見開いた目から出た涙で視界が霞み、歯の根は合わず、手先が冷たくなっていく。

 だが……。


「であああああっ!!」


 まとわりつく幻覚を振り払うように、叫びつつ前へ!

 目の前にあるのは崖ではない!

 自分よりも若い女騎士が、一人! 一人、立っているだけだ!

 槍と剣、長さの違いを活かせば即死することはない!

 ……そう、思っていた。


「!?」


 何度も何度も、手の豆が潰れても練習を続けた基本の突きの型。

 普通の精神状態ではないにも関わらず、体に染みついた通りの動きができた……はずだった。

 しかしカティアは、短剣――マン・ゴーシュで簡単に槍先を払うと、使徒の動体視力でも見失いそうな速度で接近。


「見事な一撃でした」


 そう間近で声が聞こえた、次の瞬間。

 みぞおち付近に衝撃を受け、自分の体は九の字に折れた。

 まとっていたオーラが霧散し、遅れて痛みが襲ってくる。

 自分はまともに呼吸もできずに、無様に口の端から唾液を垂れ流しつつ咳き込んだ。

 ……時間、稼ぎ? そんな次元の相手じゃない……。

 一瞬だった。

 剣の柄で腹部を殴打されたのだと思うが、それ以外のことはわからない。

 呼吸がままならないためか、聴覚も視覚も麻痺している。

 と、扉は!? 連合の侵入は、まだ防げているのか!?


『おに……おねえちゃん。この人……』

「……わかってる。アカネ」


 カティアと、幼い少女のような声が聞こえる。

 またか? これも幻聴なのだろうか?

 こんな戦場で、小さな女の子の声が聞こえるはずもない。

 周囲の様子を確認していたカティアが、自分に向き直るのがわかった。

 鈍った視界でも、しっかりと認識できた。

 ……ああ、ここまでか。

 結局、誰にとっても自分はあまり役には立てなかったな……。


「少し熱いですよ」


 聞こえた言葉に、若干の疑問が浮かぶ。

 熱い? まさか、炎で焼くつもりなのだろうか?

 一思いに楽にしてほしいという考えと、こうなってはどうされても一緒だという諦念が混ざりあう。

 敗れた相手をどうするかは、勝者の権利だ。

 ……もう目を閉じてしまおう。さすがに怖い。

 そう思い、実行に移そうとした刹那。


「あ……」


 懐にしまっていたはずのボロ布が目に入る。

 倒れ込む際に飛び出してしまったのだろうか?

 手を伸ばして落ちた布を引き寄せ、胸に抱いて目を閉じた。

 暖かい……。

 その熱は柔らかく、全身に広がっていくようで。

 その感覚を最後に、自分はかろうじて繋がっていた意識を手放した。




 ……。

 …………。

 ………………?

 あれから、どれくらいの時が経ったのだろうか?

 不思議と、時間の感覚があった。意識が繋がっている。

 それほど長い眠りではなかったように思う。

 体の感覚も……?


「生き、ている?」


 声が出た。かなりかすれていたが。

 瞼に光を感じ、ゆっくりと開けていく。

 天井……? 薄く目を開けると、木製の天井が見えた。

 背中には縦方向への振動を感じる。

 これは……もしや荷車かなにかで、どこかに運ばれている……?


「あっ!」


 すぐ近くで声がした。

 体を起こすことはできなかったが、それが自分に向けられた声だということは理解できた。

 声の主は右往左往してから、助けを求めて移動していく。


「ばあちゃん! ばあちゃん!」


 子どもの……男の子の声のようだった。

 ……無理もない。

 こんな姿の人間に、使徒に、好んで近づこうと普通は思わない。

 信仰心を植え付けられる前の子どもは正直だ。


「おや、起きたのかい」


 聞こえた声に、今度は跳ねるように上体を起こした。

 身体中が軋むように痛み、体勢を維持できなくなりそうなところで――支えるように、背中と胸に手が回される。

 間違いない、あの避難民の老婆だ。

 とすると、先程の声は……そうか、老婆の背に隠れるようにしていた少年のものか。


「あなたは……そうですか。ご無事でしたか……」

「あんたのおかげでね」


 老婆が労るようにゆっくりと、体を支えて横たえてくれる。

 自分は逆らわずに背を預け、再び仰向けの状態に戻った。

 ……あの後、帝国側が時間を稼ぎ切り、避難民ともども城塞都市を脱出した。

 そんな状況でないのは、老婆に確認せずともわかった。

 他の同乗している避難民、負傷兵の様子から一目瞭然だ。

 ……きっと連合側の荷車の中なのだ、ここは。


「自分は……生きているのですか?」

「そうさね。仲よく死んでいるのでなければ、そうなるね」


 足はある、とばかりに老婆がばんばんと己の足を乱雑な手つきで叩いた。

 その後、隙間のある歯を見せ、自分に向かって笑いかける。

 つられて、こちらも小さくだが笑みが漏れた。


「運がよかったね。お互いに」

「ええ。本当に」


 どうやら連合側は、避難民や捕虜を虐殺する気はないらしい。

 こうしてわざわざ移送していることから考えても、間違いなさそうだ。

 無論状況が確定するまで、楽観視はできないが。

 やはり、軍が事前に提示していた情報とは大きく食い違うな……。

 連合の兵士たちは、みな残虐で悪魔のようだと――


「ありがとう、お姉ちゃん」

「え?」


 ――これまでこちらを怖がっていた少年が、おずおずとだが話しかけてくる。

 まさか礼を言われると思っていなかったので、自分は……私は、大いに面食らった。


「お姉ちゃんが僕たちを守ってくれたんだって、赤い髪の人が……」

「……その人、美人だったでしょう?」

「え? う、うん……とっても」

「二本の剣を腰に差していた?」

「た、多分。長い剣と、短い剣」


 カティアだ。間違いない。

 避難民の一人に話しかける時間を持てるほど、連合にとって余裕のある勝利だったようだ。

 しかも、自分が扉を守ろうとする意図まで全て知られていたらしい。

 敵わないな……完敗だ。


「なに言ってるんだい。あたしに言わせれば、あんただって負けちゃいないよ」

「……それは、容姿の話でしょうか? そんな。自分はもう、こうして人とはかけ離れた姿になってしまいましたから……」


 使徒化に至っては、肌の色も髪の色も、瞳の色すらも変わってしまう者が大半だ。

 自分もその例に漏れず、多少の面影は残しつつも異形と化している。

 しかし老婆と少年は顔を見合わせると、少年は首を傾げ。

 老婆は笑みと共に、両の手で私の手を取った。


「……自分の手を見てごらん?」

「え?」


 見たくない、というのが本音だ。

 黒紫とでも言えばいいのだろうか? そんな、色黒の者とも違う不気味な色となった肌。

 それを直視するのは、正直辛い。

 だが、老婆がそっと両手を離した際に見えた己の手は――


「え? あれ?」


 ――使徒化の際に消えたはずの、手の甲の傷跡が見える。

 だってこれは、実家の農具で引っ掻いた時の……。

 色だって、使徒の肌は紫や黒に近いはずで……。


「……ほら、手鏡。なんでか、これだけは没収されなくてねぇ。あの赤い髪のお嬢ちゃんが、必要になるからと」

「――」


 ……戻っていた。元の自分の肌に。

 母譲りの栗色の髪も。

 父譲りの翠色の瞳も。

 もう会えない二人からもらった、大事な……大事な……!


「あ、はは……こんなことって……」


 失われたはずの、自分の――私の、体。

 気づけば、身体の芯に感じるあの冷たい感触も消えている。

 代わりに感じるのは、暖かな日差しのような熱だった。


「よかった、って言っていいんだよね? ばあちゃん」


 周囲を気にしつつ、少年が小声で老婆に問いかける。

 この荷車の中には、私たち以外にも捕虜や避難民が載せられている。

 だが、私たちの会話に目立った反応は見せず……おそらくだが、この中に熱心な信徒はいないのだろう。

 あるいは、敗戦の影響で話す気力も失っているか。


「この子の顔を見りゃわかるだろう? そういうのは、教義じゃなくて自分の頭で考えるんだ……もっと早く、そう言ってやれりゃよかったんだがねぇ」


 老婆が、聞かれても構わないという毅然とした態度で少年にそう告げる。

 ……ああ、私は幸せだ。

 この先、なにがあろうともそう言える。

「やはり捕虜は邪魔だから殺す」と無慈悲に言われても、きっとそう言えるだろう。

 なぜなら……。


「よかったね、お姉ちゃん!」

「うん……うん……!」


 使徒のものではない、本来の自分の体がここにある。

 そして、戦時下という過酷な状況でも、他人を気遣える優しい人たちとの出会い。

 その二つだけで、こんなにも心が満たされている。

 溢れた涙はしばらくの間、止まらなかった。




 ……この日、城塞都市において帝国は連合に敗れた。

 後に伝え聞いた話では、この戦いで目覚ましい活躍を遂げたカティアはこう称されたという。

 曰く『剣聖の弟子、師に代わり再び城塞都市に旗を立てん』――と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
もっと読まれていても良い作品。 とりあえず続きは?
[一言] 剣聖の弟子 執筆復活して嬉しいです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ