大切なあなたに
大通りに戻ると、日がもうじき沈む所だった。
自分で思っていたよりも武器屋で過ごしていた時間が長かったようだ。
大通りを行き交う人々は夕刻ということもあり、足早に目の前を通り過ぎて行く。
「ありがとうございました、ニールさん。おかげさまで無事に装備が整いそうです。何かお礼をしたいのですが……」
「いえいえ、お気になさらないで下さい! 自分で良ければ何時でも呼んでくれて構わないっす」
「お姉ちゃん、ちょっとお耳貸して」
「ん?」
ニールさんとの会話の途中、アカネに呼ばれて私は屈んだ。
小さな両手を口の横に添え、私の耳元に顔を寄せて来る。
――何々? うん、うん……成程ね、良いと思う。
そんな使い道があったのか。
捨てずに持ち帰っておいたのが功を奏したかな。
「良くそんなことを知ってたね? アカネ」
「きしだんちょーさんが教えてくれたよ」
アイゼン騎士団長が……?
見た目に似合わずロマンチストだな。
験とか担ぐタイプなのかな?
それにしても、アカネは顔が広いな。
いつの間に騎士団長と仲良くなったのだろう?
「ええと……一体、何の話っすか?」
「あ、すみませんニールさん。やっぱり何かお返しをしますよ。アカネも乗り気なので――」
「お姉ちゃん、丁度いいから必要な道具を買って帰ろうよ! はやくー」
「待って、引っ張らな――ニールさん、先に帰っていて下さい!」
「あ、はい! 了解っす!」
そのままアカネが私の手を引いてぐいぐいと進んで行く。
一応商店通りには向かっているようだけど、店の場所はちゃんと把握しているのだろうか?
……結局、迷った末に街の人に聞きながら店を探し、全ての買い物が終わったのは日が完全に沈んでからだった。
それらを包んだ布を抱え、昼間に使った城内のサロンの前を通りがかる。
そこにはグッタリとした様子で椅子に座ったミナーシャ、リクさん、カイさんの三人の姿があった。
アカネが近付いて行き、三人に向かって問い掛ける。
「どうしたの? 三人とも」
「アカネちゃん、カティア……今までずっと、話をしたりポーズを取らされたりしてたニャ……」
「今までって……絵の、ですか?」
おかしいな、出掛けてから優に四時間以上は経過しているんだが。
この様子だと休みなしか?
相変わらずフィーナさんは絵のことになると周囲のことが気にならなくなるようだ。
「お嬢、あのエルフの姐さん滅茶苦茶ですよ……洞窟の壁の細かな色なんて覚えてませんって。ベヒーモスだって生きている状態は、おっかなくてじっくり見る余裕ありませんでしたし」
「他には、おじょーの動きを憶えている限り全て再現してみせろって言われました……一番良い動きを切り取って絵にするからって。きつい体勢で何度も静止させられて……もう足が……」
それは……さぞかし辛い作業だっただろうな。
私だってベヒーモスの洞窟の詳しい様子なんて話せるかどうか怪しい。
壁、どんな状態だったかな……苔の量だとか、ヒビの入り具合、石や土の色……どうにも曖昧な部分が多い。
フィーナさんの絵は写実的で、背景までキッチリ書き込む傾向にあるからな……。
「ええと、とにかくお疲れ様で――」
「疲れている暇は無いわよ!」
大きな声に視線を向けると、ニールさんとクーさんを伴ってフィーナさんが現れた。
こちらの三人とは対照的に、フィーナさんとクーさんは元気なようだった。
昼間に見た様子と余り変わっていない。
「宴会やるわよ宴会!」
「宴会ぃ? 何言ってるニャ?」
ミナーシャが椅子の上からズルズルと、ずり落ちながらも聞き返す。
フィーナさんは腰に手を当てると、ささやかな胸を張って言い放った。
「歓迎会兼祝勝会兼慰労会よ!」
「「「???」」」
「解説すると、皆さんの歓迎会とアリト砦での勝利を祝ってが歓迎会と祝勝会っす。それから全員が使者関連で働いていたので、それらを纏めて少し豪華な食事会でもしよう、とそう言いたいらしいっす」
さすが弟……フィーナさんの言葉だけではサッパリだったが、要はここに居るメンバーで食事会をしようということらしい。
良い考えだとは思う。
「でも、近い内に大きな夜会が開かれるんじゃありませんでしたっけ? 会議の招待国の首脳を歓迎するための……」
確か、四国会議開催前夜会とかいう。
面倒なので準備に追われる使用人たちは単に「夜会」と話していた気がする。
そこまで話した私をフィーナさんが睨みつけた。
「そういう堅っ苦しい奴でカティアちゃんは本当に寛げるの? おぉ!?」
「い、いえ……寛げ……ない、です……」
そして物凄い剣幕で凄まれた。
言われてみれば、身内でやる宴会とは完全に別物か。
要は空気を読めってことだな……ごめんなさい。
そこで、リクさんが手を挙げてフィーナさんの方を見た。
「はい、リク君なにか?」
「リク君……た、確かに年下ですが。参加は是非とも、と言いたいのですが、兵舎の登録手続きだけは先に済ませてきてもいいですか?」
ちなみに年齢はリクさんが十八歳、カイさんが十九歳、クーさんは十六歳だそうだ。
フィーナさんは二十歳なのでこの中では年長ということになる。
若いな、みんな。
「面倒だけど、やっておかないと今夜の寝床が無くなっちゃうニャ。だから二時間後くらいに集合で良い?」
「いいよ。……で、何でクーちゃんは悔しそうな顔してんの? ちょっとアタシには理解不能なんだけど」
「あー、気にしないで下さい。大方こいつ、登録を忘れたふりしてお嬢の部屋にでも押し掛けるつもりだったんでしょう。ほら、いくぞクー……あでっ! おい、八つ当たりすんな!」
クーさんがカイさんに肘打ちを叩き込み、肩を怒らせて先に歩いて行く。
そのままリクさんとカイさんは私達に軽く頭を下げて、ミナーシャは手を振ってからクーさんを追いかけて行った。
「あ、自分が兵舎まで案内した後で店に連れて来るんで。御三方は少し時間を置いてからゆっくり来てください!」
そう言うと、ニールさんが四人を追って早足で歩き出した。
五人全員がサロンから出ていくのを見届けると、私はフィーナさんの方を窺った。
「私達は空いた時間どうしますか?」
「アタシは絵をもうちょっと仕上げておこうかな。二枚とも下書きは終わったんだけどね」
サラッと二枚とか言い出したよ……察するに、ベヒーモスの洞窟とアリト砦の絵だろうか。
仕事が早いなぁ。
と、そこでアカネも両手を頭の上に出しながら跳ねて存在をアピールする。
どうやら会話に混ざりたいようだ。
「はいはい! フィーナちゃん、わたしも後で絵を見に行ってもいい?」
「いいよ。今回の絵にはアカネちゃんも描いてあるからね。乞うご期待!」
「ほんと!?」
そのフィーナさんがどこで絵を描いているのかと言えば……。
フィーナさんは王室の御用絵師という役職になり、王城内に部屋とアトリエを持っている。
王都に来てからは主にそこで絵を描いている。
私の絵だけでなく、王室の広報から出される新聞のようなものに絵をつけたり、女王になったリリ姫様の肖像画を描いたりもした。
他には、手が空いている時はルミアさんの補佐をしたりということが多いかな。
「その前に……カティアちゃん、ちょっとその荷物降ろして」
「……?」
「いいから」
言われるままに、私は布の包みをテーブルの上に置いた。
中で金属が擦れる音が小さく鳴った。
荷物を置いて振り返った瞬間――甘い花の様な香りが鼻腔をくすぐった。
「フィーナさん……?」
彼女は答えない。
ただ、私の存在を確かめるかのように腰に手を回し、強く抱きしめたまま黙っている。
「――無事で、良かった……」
いつもの茶化すような空気は感じられない。
皆が余りにもいつも通りに振る舞うから忘れていたが……成り行きとはいえ、私も皆も戦争に行って帰ってきたんだ。
――その全員が死んでいても、何もおかしくなかったのだ。
フィーナさんのたった一言でそれを思い知らされた。
「……フィーナさんは、どうして私にいつも優しくして下さるんですか……?」
思えば、こんな風に近い距離で話すのは初めてではない。
坑道での目覚めた時、アカネを精霊化させた時、獣人国へと向かう出発時……。
私の言葉に僅かに逡巡するような仕草を見せた後、フィーナさんは少し顔を上げて口を開く。
「一つは身勝手な理由だよ。カティアちゃんの存在をこうしてしっかり感じ取れると、不思議と自分が安心できるっていう、ただそれだけの理由」
「……」
「でも、もう一つは――」
そこで目を私に合わせてくる。
緑色の双眸が私の瞳を至近距離でしっかりと捉えた。
それがぞっとするほど美しく、思わず私は息を詰まらせた。
「カティアちゃん、自分の価値を直ぐに低く見るでしょ。だから、貴女は大事な人なんだよって、ちゃんと分からせるため……かな」
「そんなことは……」
「無いって言える?」
強い意志を込めた視線が私を貫く。
私はフィーナさんの言葉を反芻した。
……この命はアカネに貰ったものだ。
だから大事に大事にして――あれっ? でも、もしもあの時、アカネが私の目の前に現れなかったら……?
元の、前世の俺自身の魂に一体どれだけの価値が――
「……ほらね」
言われて気付く。
何時の間にか私は目を逸らしてしまっていた。
悲しみの色を帯びて、エメラルドの瞳が伏せられる。
そのまま自然と体も離れ……
「二人共、こっち向いて!」
「「?」」
精一杯の呼ぶ声に顔を向けると……何とアカネの周囲に無数の赤い光が浮かんでいた。
火ではない、これは――
「綺麗……」
フィーナさんが呟く。
蛍が舞う様に、幼い大精霊を中心にほのかな煌きがサロン内に広がっていく。
アカネが両手を広げると、光が静かに動きながら明滅した。
「火の精霊達に手伝ってもらったの。……焦らないで、フィーナちゃん。きっと、いつかお兄ちゃんにも気持ちは伝わるから」
「焦って……? そうかもね……ありがとう、アカネちゃん」
軽く頭を振ると、フィーナさんは私を見て不敵に笑った。
アカネのお蔭で悲し気な雰囲気が払拭されたのはいいのだが、何やら嫌な予感がしてくる。
「伝わらないなら何度でも、だよね! という訳で――アタシと一緒にハグだ、アカネちゃん! 突撃ーっ!」
「とつげきー! あはは!」
二人からの抱き着き、というよりもタックルを受けた私は、強かに後頭部を床に打ち付けて悶絶した。
それにも構わず、私の体に二人分の体重がのしかかる。
輝く精霊達が見守るサロンの中で、二人は暫くの間、私を解放してくれなかった。




