炎の化身
「さっさと傷を塞げ! 直ぐに戻ってポルックスの仇を……仇をっ!」
「無茶です、将軍! そんな体で!」
誰かが言い争う声で目を覚ました。
どうやら俺は気を失っていたらしい。
体を抑えつけられたリザードマン……カストル将軍が、衛生兵を怒鳴りつけている。
胸を斜めに深く斬りつけられたらしく、血塗れの布が周囲に散乱していた。
魔法使いが水魔法で傷を塞いでいるが、深い傷はそれだけ治癒に時間が掛かる。
戦場で見かけないと思ったら負傷していたようだ。
士気の低下を懸念して隠していたのだろうが、本人がこんなに大声を出してはな……。
後方支援の兵が鬼気迫る表情で行き交うのを、俺は地面に横になったままぼんやりと眺めた。
「……気が付いたか? ラズロウ」
「カノープス将軍……」
すぐ傍に人が立つ気配に顔を向けると、見慣れた上官の姿があった。
その直ぐ後ろには、自分の部下である小隊員達の姿も確認出来た。
人数は減ってしまっているが……。
将軍だけでも無事だったことに安堵したものの、寝たままでは失礼にあたる。
俺は、右手を突いて体を起こそうと――
「っ!」
バランスを崩した上体を、将軍が支えて下さる。
そうだったな。
もう俺の右腕は……。
思い出した途端、斬られた肩口が酷く痛み出した。
このジリジリとした痛み、傷口を焼いたのだろうか?
清潔な包帯が巻かれ、処置は既に終わっているようだった。
「すまん……すまん、ラズロウ」
一兵卒に過ぎない俺の為に、将軍は悔いるように震えながら頭を下げた。
この人はいつもそうだ。
だからこそ、皆が慕って付いていく。
俺のような彼に拾われた戦災孤児なら尚更だ。
「……命令を無視したのは俺です。こんなもの、自業自得ですよ」
王をお連れして逃げろ、という将軍の命令を聞かなかったのは俺だ。
将軍が斬られそうになった瞬間、何も考えずに割って入ってしまった。
後悔はしていないが、兵士としては完全に失格だろう。
「王は御無事で? 場合によっては、俺は直ぐにでも死んで詫びる必要がありますが」
「心配ない。ミディール殿が、カティア殿が戦い始めた直後にお連れして退いてくれた」
「……そうですか」
確かに意識を失う直前、赤く鮮やかな影が守るように目の前に立ったのは覚えている。
彼女には感謝している。
配置換えを許可してくれなければ、俺は将軍を御守りすることは出来なかった。
そして、俺のミスを帳消しにしてくれたミディール殿にも感謝を。
……ガルシアの人材とは、何と優秀な事だろうか。
「しかし、あの状況で良くもそんな冷静に。ミディール殿こそ真の副将と呼ぶに相応しいかもしれません」
「全く。前線に居ながら、一歩引いた位置で戦場を俯瞰しているかのようだ。羨ましいな……ガルシアは。未来を託せる若者が、あれだけ育っているのは」
「ええ……そうですね」
将軍は八十を、俺も四十を越えている。
彼女達くらいの年の頃は……まだまだ半人前だった記憶がある。
出来る事なら、無事に国へ帰してやりたかったところだが。
……ここまでで、自分が肝心なことを将軍に聞いていないのは分かっている。
それは前線が今どうなっているのか? ということだ。
勝ったにしては緊張感が漂っており、経験から違うと直ぐに分かる。
何故、我々は後方で小康状態で居られるのだろうか?
俺は答えを求めて周囲を見回した。
「包帯もう無いのか!?」
「誰か手を貸してくれ! 骨がグシャグシャだ!」
こんなにゆっくりと話しているのは俺達だけだな……切迫した様子で兵が動き回っている。
どこかの部隊が足止めをしているとしても、主要な指揮官は軒並みこの場に揃っているように感じる。
俺は何を見落としているんだ?
「急げ、隊列を組み直せ! 動ける奴だけでいい! カストルは来るな! そのまま寝てろ!」
「ぐっ、仰せのままに……くそっ!」
大喝に思わず振り向くと、そこに立っていたのは何とライオル王だ。
彼とて、直ぐに立てるような状態では無かった筈だが……。
重い鎧を脱ぎ捨て、全身に包帯を巻いた状態で指示を飛ばしている。
その不屈の闘志には瞠目するばかりである。
ほとんどの期間をガルシアで過ごしたと聞いているが、今までの王族とは精神構造が根本的に違うらしい。
もし生きて帰れたら……今後の政治に期待しても良いのだろうか?
「どうして行っちゃ駄目なの!? 一人で戦ってるんだよ!」
「行った所で炎に巻き込まれるだけです。我々に出来ることは、彼女が稼いだ時間を如何に有効に使うかでしょう」
この争う声は、確か中隊長殿に近しい立場の者達だったか。
女性兵士が少ない獣人国軍では、こういった甲高い声は目立つ。
ガルシア所属の猫獣人ミナーシャと人族のミディール殿が何やら言い争いをしている。
ミナーシャの方が感情的になっているのは言うまでも無いが、ミディール殿も冷静な口調とは裏腹に握った拳が震えている。
それをやや遠くからリクとカイが案ずるように見つめている。
そして時折、隣に立つ虚ろな目のクーに何か呼び掛けている。
妙だな、彼等の中心である肝心の中隊長殿……カティアの姿が見えない。
「将軍、カティア殿は……?」
「カティア殿は――」
将軍が何か言い掛けた瞬間、高く昇る火柱が宵闇を照らした。
周囲の者が全員、一時手を止めてそちらを見る。
……まさか、あそこに?
待てよ、今ミナーシャが妙な事を言っていたな。
確か「一人で戦っている」と、そう言わなかったか?
「立てるか? もはや戦力になれない私とお前は、彼女の戦いを見届ける義務があると思うが」
「戦力になれない? 将軍、どこかお怪我でも!?」
「いや、若にお前はもう前線に出るなと釘を刺されてな。もし何かあって、これ以上士気が落ちたら立て直せないと……仕方あるまい」
そういう意味か……確かに王の意向は尤もだ。
それに、残存兵力を考えると指揮系統は一つでいい。
こう言っては何だが、俺としても将軍にはそうして貰いたい。
――それにしても、見届ける義務ときたか。
余程、将軍は彼女の事を買っているらしい。
羨ましい事だ。
「……行きます。臨時とはいえ、カティア殿は俺の上官です」
「うむ、手を貸そう」
将軍の手を借りてどうにか立つと、血が足りていないのか眩暈がした。
僅かな距離を進むと、姿勢を低くして木陰に身を潜めた。
思いの外、戦場が近い。
この距離でよく敵が一人も寄ってこないものだ。
偵察役の兵士が数人、固唾を飲んで見守っている。
本当なら我々は、邪魔にならないよう砦に引っ込むべきなんだろう。
しかし、ここで負ければどちらにせよ――
「何だ、あれは……」
目に飛び込んできたのは炎の化身――そうとしか形容できなかった。
魔法剣というものを最初に見た時にも驚いたが、今見ているのはもっと異質な何かだ。
彼女が発しているのは、そんな生易しい次元のものではない。
全身からオーラと炎が混じり合って立ち昇っている。
結んでいた長い髪は既に解けており、炎と共に揺らめいていた。
「むう、あの威容。予想以上の……」
将軍もそこから先は言葉にならない様子だった。
彼女は敵との間合いを一瞬で潰すと、剣を横に一閃する。
直撃を受けた眷属が肉の一片も残さずに燃え尽きる。
更には熱の余波を受けただけの周囲の者が、為す術も無く火達磨になった。
誰も今の彼女には近付けないだろう。
敵も、更には味方でさえも。
「アレ」と相対している帝国兵はどんな心境だろうか?
漏れ聞こえて来る悲鳴から、恐慌状態にあるのが伝わって来る。
「しかし幾ら何でも一人では」
俺が心配なのはカティアの精神面での疲労だ。
どれだけ戦闘能力が優れていても、彼女は若い兵士に過ぎない。
同じ様な若い兵は、その輝やかしい強さに目が眩んで騙されたままだろうが……。
しかし、経験のある兵から見たら直感的に分かってしまう。
戦場で現れる僅かな仕草や態度、特に敵を倒した瞬間の表情。
指揮を行っていた時の強硬な態度は恐らく演技だろう。
戦場に慣れていない者は、慣れている者に比べ急速に消耗する。
この激しい炎の中で、彼女自信も直ぐに燃え尽きてしまうのではないのだろうか?
「彼女は一人ではないよ」
「将軍? 何を仰って……」
どう見ても彼女は一人だ。
その背に獣人国全軍の命という重荷を背負い、こうして一人で戦っている。
二本の剣を振り回し、次々と敵を焼き尽くしていく。
「……!?」
なんだ!?
今、一瞬誰かの影がその背に重なって見えた。
彼女と良く似た、しかし彼女よりも幼い少女の影。
肩の痛みと、そこから生じる熱で幻覚でも見たのだろうか?
残った左手で思わず目をこすった。
「どうして彼女はあんなに必死に……」
俺は思わず呟いた。
負けたら自分の命を差し出す必要があるからか?
それとも、獣人国が崩壊すれば次はガルシアが危ういから?
分からないが、どちらも違う気がする。
ただ、彼女の戦いを見ていると、心の奥に燻る何かを感じるのも確かだった。
例え片腕がなくとも、今直ぐに駆けつけて彼女と共に戦いたい――。
そんな気持ちが湧き上がってくる。
だが、その余りにも苛烈な戦い様は人という枠組みから徐々に離れて行っているようにも見える。
間断無く巻き起こる炎を見つめながら、俺は彼女の姿に言い知れない不安を覚えた……。




