激動
──時は少し遡る。港での戦闘は空気を震わせ、中央に聳える礼拝堂にいても尚、その激しさが伝わってくる。領主シュレイロードの屋敷には肩がぶつかり合う程の民衆が避難しており、普段の喧騒とは違う不気味な騒がしさが建物内に響く。不安で怯え端に座り込む者、大丈夫だとわざと明るく振る舞う者、その声に腹を立てて野次を飛ばす者、逸れた家族を探している者、恐怖で泣き叫ぶ子供の姿も複数見て取れた。
戦いの音が絶えず皆の不安が高まっていくその時、シュレイロードが壇上に立ち静かに声を上げた。
「皆さん落ち着きましょう。まずは隣の方の顔を見てみてください。未知の事態に不安な表情をしている事でしょう。では自身はどうですか? きっと同じ顔をしているはずです」
壇上に近い者達が顔を見つめ合う。シュレイロードの声はそのまま静かに、穏やかに空気を伝っていく。
「それぞれ不安への立ち向かい方が違います。わざと気丈に振る舞い自分を落ち着かせようとしたり、気持ちを隠さずに放つ事で自分を守ったり、人は無意識の内にそうして心を保とうとするのです」
彼の落ち着いた言葉が、未だ不安が木霊する民衆の心を優しく塗り替える様に届いていく。彼の声は近くの民に届き、喧騒が収まればまたその後ろの民の心に響いていく。その様子はシュレイロードの近くにいるソラとリーネの目にも映った。
「ただ、不安な気持ちは皆同じです。ここで荒立てても事態は好転しないでしょう。今、港では勇気ある護衛団達がこの街を護る為に戦っています。その中には親愛の、希望の魔法使いもいます。彼らを信じましょう。私達にはそれしか出来なくても、その心はきっと彼らの力になるでしょう」
そして、礼拝堂の中はシュレイロードを静かに見つめる人達で溢れ喧騒は収まった。そのおかげか逸れた家族も互いの無事を確認し合え、子供の泣き声も静かになっていく。皆の心にシュレイロードの声が届いた。
「魔物の侵攻に私達は無力かもしれません。でも、隣の人の心に寄り添い手を差し伸べる事はできます。恐怖に支配されてはなりません。未曾有の事態だからこそ、感情に寄り添い皆で助け合うのです」
混乱を鎮め民衆をまとめ上げるその様はソラの心に強烈に刻まれた。
「すごい……シュレイロードさんだって不安なはずなのに、自分を顧みずに周りの心に寄り添えるなんて」
その視線に気がついたシュレイロードはすぐ近くのソラとリーネに微笑み、再び話を続けた。
「彼らはこの街を愛で包み込み希望で照らしてくれます。それは皆さんが一番分かっているでしょう。さぁ、彼らの為に祈りま──」
──その時、シュレイロードの隣の空間に穴が開いたと思うと、中から不気味な二人の姿が現れる。
「君が領主かい? 素晴らしい演説に僕はとても感動したよ! 通りでこの街は魔物では堕ちない訳だ」
その内の一人、白髪の魔族が貴族の様にお辞儀をする。横では獣耳の生えた整った顔立ちの女性が無表情で小さく拍手をしていた。
ようやく冷静さを取り戻したその場所に再び不安がちらつき出す。エンシーレは不適な笑みを浮かべ顔を上げると背中の翼を大きく広げた。
「その紋章は……七つの波紋ですね? 祈りに来たのなら歓迎いたしますよ」
突然の出現に民衆が騒めく中、シュレイロードは領主たる風格を失う事なく対応する。しかし、目の前の魔族は明らかに邪悪な雰囲気を醸し出していた。
「そんな訳ないだろう? 僕は僕以外に祈らないたちなんだ。実は少しばかりめんどくさい仕事を頼まれてしまってね。強い感情を集めないといけないんだ……僕の美しさに陶酔し支配されても良いと言うのならば大歓迎。でも、それを拒否するのであれば──」
緩んだ表情から一転、エンシーレは鋭い眼光を彼に向けると人差し指を突き出す。
「──恐れ慄き感情を覚醒させろ」
彼の指先に光が集まり出す……!! この場で戦えるのは一人しかいない。ソラは駆け出し腰にかけた剣に手を掛ける……が、間に合わない!
「陶酔の魔法……狂酔の弾丸」
「うぐ、ぐぁぁぁあ……!!」
指先から放たれた魔法は光を放つと一瞬でシュレイロードの肩を貫く!! 彼は堪えきれず苦痛の声を漏らした。民衆はその光と衝撃に触発され叫び出し錯乱し逃げ惑い再び混乱の渦へと陥れられた……!!
直後、ソラが駆け寄り二人の間に立ち塞がる。少し遅れてリーネもシュレイロードに寄り添い彼を庇う。
「シュレイロードさん……!! く、なんて事をするんだ!!」
「しっかりして。これで応急処置を──」
大混乱の中でエンシーレは手を広げ高揚した様子で声を荒らげる!
「はっはっは! いいぞもっとだ! 悲鳴を! 恐怖を! 怒りを!! もっと己の感情をぶち撒けろ!! 戦いこそが心の奥底を刺激し感情の魔法を発現させる……!!」
(……キァシャァァァアアアアアアア!!!)
礼拝堂に恐怖が伝達し我先に外に逃げようと人が犇めき合う。遠くでは魔物の甲高い叫び声が空気を伝わり鳴り響き戦闘が加速する。
「強い感情のその全てを僕がいただこう! さぁサンティオーネ諸君、美しいまでに完璧なこの僕に全てを差し出せ!!」




