第42話 明音編 1
これは立儀愛莉が更生施設に入って間もない頃の話。
私は夢を見ていた。
それはとても心地よい夢。
快楽が体を駆け巡る。
大きな快楽が私の体を貫き、まともな思考を阻害する。
口から出る言葉はどれも馬鹿みたいな意味の無い言葉ばかりで、言葉としての機能を果たせていない。
それでも異性を興奮させるのには十分な効果があるみたいで、目の前の男は今も必死に腰を振っている。
男が腰を振る度に男の長くて大きな異物が体を支配する異質感を感じて快楽がこれでもかと押し寄せてくるのだから、私も口から意味の無い声を出てしまうのは仕方の無い事だ。
ただアレを出し入れするだけじゃない…
男はあの手この手で私に快楽を感じさせる。
私はそれが堪らず心地よくて…
その行為に身を窶した。
「うぎやぁっ!?へっ?」
朝目覚めると夢の内容が頭の中に克明に思い起こされて不快感で胸がいっぱいになる。
心は不快感でいっぱいなのに、体はあの頃の快楽を貪欲に求めていて尚更気持ちが悪い。
吐き気を感じてベッドの横に置いてあるビニール袋を被せたゴミ箱に向かって咳き込みながら嗚咽する。
あの頃感じていた快楽は本物だ。
私は純粋に快楽を貪っていた。
あのホラ吹男と快楽を貪り合う事に私はズッポリとハマっていた。
今はソレが兎に角気持ち悪い。
夏芽明音は自身の不幸を嘆いていた。
どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのかと…。
もう誰を恨めばいいのか解らない。
恨む対象が多すぎて解らないのだ。
私を裏切った雑魚男の琢磨、
私を騙したホラ吹糞男の智也、
私から琢磨を奪った泥棒女の秋菜、
そして私…自分自身。
少なくともその中には自分も含まれている。
もしもあの虚言癖があるホラ吹詐欺師の糞男に拐かされなければ、私はまだ普通の生活が送れていたはずだ。
もしもあの男の要望に応えず、ハメ撮りなんて許容しなければ、あんな動画が拡散される事にはならなかった。
もしも私が琢磨と出会わなければ…幼馴染なんかじゃなければ、あの男と接点を持つ切っ掛けは出来ないし、こんな事になる事なく普通の有り触れた日常を送れていたかも…。
もしも、もしも、もしも…。
もしもなんて考えても仕方の無い事だなんて解ってる…
でも考えずにはいられない…。
明日目覚めたら時間が巻き戻っていて、あの男と…なんなら琢磨と出会う前にまで時間が巻き戻ってたら私は琢磨とはもう縁を持たない…幼馴染なんてくそくらえだ!
他の普通にカッコいいそれなりの彼氏を見つけて普通に生きていくんだ…。
もしも…もしも…。
「はぁ…」
窓を遮る様にかけられたカーテンの隙間から朝日が溢れている。
どうやら私の心情とは裏腹に今日も空は晴れ渡っているのだろう、大変腹立たしい事だ。
学校をサボりはじめて今日で丁度一週間、といってもそれはサボりはじめた頃からのカウントで曜日はまだ水曜で週の真ん中だ。
しかし、そんな事は明音には特に問題ではない。
母親は既に諦め、私を学校に無理やり行かそうとはしない、もはや毎日が私にとっての休日だ。
土日の概念なんてもう私には関係ないのだ!
学校でのアレコレが思い出される。
思い出したくもないのにだ。
頭にこびり付いて離れないのだ。
淫乱女、
牛女、
尻軽ビッチ、
乳デカビッチ、
頼んだらヤラしてくれそう、
頭ゆるそう、
頭も下もガバガバそう
その他色々…
男は私に卑猥な妄想をしてる事を隠そうともしないし、ワンチャンスあるかもと勘違いして言い寄ってくる。
下心を隠そうともせず股間にテントを張りながら、だらしない顔で気安く言い寄って来る。
女は私を軽蔑した目で見てくる。
友達はみんな私から距離を取った。
最初は気まずそうにしてたくせに今は陰口を嬉々として言い合ってる。
しかもあること無いことお構いなしに言い回られて私への誤解は留まる事を知らない勢いで広まっている。
お陰様で馬鹿で下衆な男が絶えず私を舌舐めずりしながら見てくる。
スマホを誰かが見てると拡散されたアレを見てるんじゃないかと思えて吐きそうになる。
互いのスマホを見せ合って笑い合ってる奴を見ると、アレについて話し合ってるんじゃないかと思えて嫌になる…。
ネットの広大な海に流れたアレは、もう私個人にどうにか出来るレベルを超えている。
もうどうしようもない。
泣いても叫んでもどうにもならない。
私は引き籠もって自分を守るしか無かった。
愛莉が羨ましい…
児童更生施設だかなんだか知らないが、そんな所に逃げ込むなんてずるい…
私も何処かに逃げ込みたい…
どうして私がこんな目に…どうして…どうして……。
何もかも琢磨のせいだ!
アイツが女々しい態度を取らなければ、私はいまでも琢磨の彼女でいられたんだ!
あの頃の私はまだ琢磨の事が好きだったんだから、アイツがしっかりしてたら飽きたりしなかったんだ!
琢磨が…琢磨がしっかりしてたら、私はあんなクズに拐かされたりしなかったんだ……。
そんな今更嘆いたところでどうにもならない事を考えていただけで、また今日も1日が終わった。
毎日がコレの繰り返しだ。
その日も私は何もせず、ずっとベッドに横になって体育座りの姿勢で布団を頭まで被ってベッドと一体化していた。
スマホは充電が切れて電源が落ちたまま放置してから触っていない。
ネットもSNSも見ていない。
見れるわけがない。
ネットの海には私のあられもない姿が拡散されて知り合いがそれについて笑い話を繰り広げているんだ。
そんなのは見たくもない。
これ以上私を追い詰めないで!
これ以上私を笑い者にしないで!
これ以上私をいかがわしい目で見ないで!
そうして朝から夜までずっとベッドの一部としての時間を過ごした。
深夜にお腹が空いて私はリビングに向かった。
かすかに尿意も感じる。
引き籠もりたいのに生理現象は感じる。
人間はなんて不便なんだろう…。
トイレを済ませリビングに入ろうとすると話し声が聞こえて来た。
ママとパパの声だ…。
二人は何かを話している。
声のトーンは低めだから集中しないと聞き取れない。
それほどにヒソヒソと話していた。
「単身赴任!?」
「ああ…」
「それって…まさか貴方の会社にまで、あの子の動画の事が広まってるの!?」
「違う、そうじゃない、拡散されたといってもアングラなサイトが中心だし、一般的な所しか見ない連中には縁のない話だ。仮に見られた所で、俺の娘だと紐付けられる程に会社の連中は俺達の事なんて知らない」
「そ…それはそうよね……っ!!…まさか貴方だけ逃げるつもりなの!?」
「落ち着け…まだ決まった訳じゃない…」
「決まった訳じゃって…でも単身赴任する事になるんでしょ?」
「会社側は単身赴任出来る人間を探している段階なんだ…基本的に単身赴任なんて誰もしたい訳じゃないからな…立候補すれば簡単に決まるだろう…」
「貴方はしたいの?」
「ここからが本題なんだが…俺と一緒に赴任先に来てくれないか?」
「え…?」
「赴任には立候補してはいるが、お前の了承を得ないとする訳にもいかんからな…今は保留にしてもらっている…どうだ…一緒に来てくれないか?」
「それは…でも…」
「単身赴任を受ければ今より地位も上がるし給料も上がる、それに赴任先が正式な所属になれば、ここから引っ越す事も出来るんだ…」
「引っ越し…それは…ねぇあの子はどうするの…?」
「明音はここに置いていくしか無いだろう…」
「そんな…でも…」
盗み聞いた会話はこんなモノだった…
とどのつまりは明音を置いて両親は何処か遠い所に逃げる算段を立てているのだ。
こんな話を聞いてしまっては悠長にしてはいられない。
「ちょ!ちょっとまってよ!」
「明音?!」
「……。」
「わ…っ、私も連れていってよ!私をこんな所に1人にしないでよ!」
「駄目だ…お前はここに置いていく。」
「はぁ!?何勝手な事言ってんのよ!そんなの無責任よ!育児放棄よ!」
「お前ももう18…大人だ、自立していても十分不思議じゃない年齢だ。」
「ふざけないでよ!いきなり自立なんて出来る訳無いでしょ!」
「琢磨君は自立しているじゃないか、お前は琢磨君の事を女々しいガキだとよく貶めているが、お前はどうなんだ?お前は彼を貶すだけの資格があるなら1人暮らし程度訳ないだろう?」
「そ…そんなの屁理屈じゃない…」
「なんとでも言え…今回の事でお前がどれだけ俺達の信頼を損なったか理解しろ、長年連れ添った幼馴染を裏切り、剰えあんな犯罪者共と一緒に貶めて笑い者にし、自分の大事な体すら傷物にしている自覚すら無い馬鹿者が!」
「なっ…なによ!私だってそのくらい解ってるもん!」
「解ってないから、こんな事になってるんだろ!」
「そんなの…そんな…の…うぅ…うぅぅゔゔぅ…うわぁぁああぁぁ」
「はぁ…」
明音は子供の様に泣き喚く。
ここ最近のストレスをこの場で一気に吐き出す勢いで泣き喚いた。
勿論そんな事で何かが好転する事はない。
泣けばそのやり場の無い気持ちだけは多少落ち着ける事も出来るだろう…
しかし抜本的解決など見込める訳もない。
彼女のデジタルタトゥーがこの世から消える訳もないし、両親がこの家を離れるのも変えられない。
事実上明音は両親から捨てられたのだ。
両親の決断を批難する者も現れるだろう。
しかし彼等はもう限界だった。
眼の前に明音がいれば、母親の方は意味も無く泣きたくなるし、父親の方は殴り飛ばしたくなる。
そういった感情を抑える為にも彼等は実の娘と距離を空けたかったのだ。
勿論懸念は大量にある。
自分達が目の届かない所に放し飼いも同然の状態にすれば、この馬鹿は今以上の災厄を振り撒くかも知れないと言う懸念が。
だからこそ父親は賭けに出る事にした。
希望に縋る賭けに。
自分達の娘がそこまで愚かなわけは無いと…そう信じたくて…。
「まずは高校にちゃんといけ。今は良くても高校中退だとか留年なんて事になれば、将来後悔するのはお前だ。」
「そ…そんな…今私が学校でなんて言われてるか知らないで、そんな無責任な事を言わないでよ!」
「何が無責任だ、お前の行動が招いた結果だろうが!全て自業自得だ!全てお前自身が撒いた種だ!」
「そ…そんな…事…」
「わかっているなら覚悟を決めろ…残り数ヶ月の高校生活を完遂してしっかりと受験に備えろ…俺の単身赴任期間は2年だ、その2年の間、何事も投げ出さず全て完遂するんだ。それができないなら親子の縁を切られる覚悟をしておけ!」
「そ…そんな…」
明音は予定していた大学に進学する気概を既に失っていた。
元は大学に行ければ彼氏だった智也とイチャイチャ出来るからと言う下らない理由があったが、いまやその理由が彼女の首をしめて止まない。
しかし今更進路を変えて他の大学に狙いを定めても何処をどう勉強して良いのか分からない。
付け焼き刃が通用する程優しくは無いだろうと…。
滑り止めにいくつか受験するのは当然として、皮肉にも入念に下調べしていてある程度自信があるのが智也がいた大学だけなのだから、たちが悪い。
行きたく無いのに行かなければならない。
父が一度決めた事を途中で撤回する事は基本的に無い事は、長年親子をやって来た自分には痛い程理解している。
理解してしいるからこそ、明音はこの状況に絶望していた…。
智也がいた大学とは、つまり智也がいたという過去があると言う事だ。
何を当たり前の事をと思うかも知れないが、私にはその事実がこれ以上ない程の地獄に感じられる。
高校という地獄を乗り越え苦労して辿り着く場所が新たな地獄。
明音は両親からの信頼を再び得るために地獄の道を歩まねばならない。
ついこの間まで高校を卒業して受験に挑み、そして大学に行くという当たり前の目標を掲げていたのに、今はその目標が彼女を苛む理由となっていた。
彼女はこれから何度もこう言うのだ。
どうしてこんな事にと。




