第弐拾伍話 所有者の思惑
「道端じゃなんです、アンタたちの部屋へお邪魔しますよ」
御自分でこの場所に現れておいてこの台詞である。
相変わらずマイペースなお人だ。
その声と同時に潮の匂いがする表通りから、冒険者ギルドが手配してくれているやたらと豪華な『胡蝶の夢』貸切の宿、そこの俺たちの部屋へと強制的に転移させられる。
詠唱がないだとか、ご自身含めて俺、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の五人を聞かれてもいない俺の部屋へ一瞬で転移させるだとかにはもういちいち驚かない。
逸失技術のひとつとされる『大規模転移魔法陣』に魔力を充填しての魔法陣間の転移ではなく、個人の魔力で複数の人数を任意の場所にすっ飛ばせるなど規格外にも程がある。
ライファル老師とて御自身一人であれば所有者と似たようなことはおできになるだろうが、1パーティー組めるくらいの人数となればさすがに無理だろう。
それを自在に可能な所有者にとって、多分この世界は狭い。
にもかかわらず騎竜なんかをお持ちなのは、転移魔法では行けない場所がこの世界には点在するからなんだがな。
俺の魔力感知に全く引っかからないというのも俺が知る限り師匠――所有者だけだし、普通の魔法使いと考える方が無理があるんだこのお人は。
所有者と知り合う機会を得、ある程度の時間が経過した人間はみな「この人なら何でもありだなあ」と達観するようになるのが常なのだ。
それなりに付き合いが長い俺たちが、こんなことくらいでいちいち騒がなくなるのは当然と言える。
なんなら今セリス島に来ている胡蝶の夢の嬢たち全員を、一瞬で王都まで戻したとしても別段驚きはしない。
その理由が「ここにも飽きましたな」であろうことも含めてだ。
胡蝶の夢の嬢たちも『花弁なし』から『二枚花弁』の嬢たちは直接所有者と接点がないのも多いが、『三枚花弁』以上、今日セリス島へきている『四枚花弁』以上の『高級娼婦』ともなるとほぼ全員が存じ上げている。
普通じゃどうしようもないはずの己の願い。
それを所有者に叶えていただくことと引き換えに胡蝶の夢の嬢になったってのが多いしな、高級娼婦には。
そのときにみな、所有者の規格外さは嫌というほど理解することになる。
「はあ草臥れた」
そういって手近なソファに「よっこいしょ」とばかりに腰を掛けられる。
言葉遣いや仕草だけを捉えればただのおじいちゃんである。
だが俺はその言葉に嘘つけ、と反射的に思ってしまう。
この人がこんなことくらいで草臥れるわけがないからだ。
ガイウスの旦那が三日三晩竜種をぶっ倒し続けていた間に、所有者がどこで何をしていたかを知っている俺には、その言葉を素直に信じることなどできはしない。
まあこの約一年間、所有者がどこで何をしておられたのかは知らないから、この人をもってしても疲れる何かをしていたのかもしれないが。
――雰囲気がまるで疲れてないんだよな。
約一年ぶりにお会いしたわけだが、相変わらず見た目はお若い。
実際はガルザム老やライファル老師以上にお年を召されているはずなんだが、とてもじゃないがそうは見えない。
どう高く見積もっても俺には40代半ば以上には見えないし、見る人によっては下手すりゃ20代後半でも通用してしまいそうだ。
いかにもおじいさんっぽい話し方を聞かずに容姿だけ見ていれば、そっちの方が妥当かもしれない。
俺を含む所有者をよく知る人間にとっちゃ、その実力をはじめとしたいろいろな事実を知っていることによって、見た目がどれだけ若く見えようとも一定以下の歳だと判断しづらいのだ。
実際所有者のことを何も知らない、所有者が声をかけたりするきれいなお姉さんたちには何歳に見えているんだろうな。
噂だけで所有者を知る人たちは『伝説の』だの『かの』だのが頭に付くので、落ち着いて凄みの在る『老賢者像』を想像するようだが、実際の所有者はその想像からは程遠い。
まさに賢者の佇まいをお持ちであるライファル老師が惧れと敬意と親しみをもって語る相手となればやむを得ぬとも思うが、賢者の一番弟子が所有者と直接逢った日には腰抜かすんじゃなかろうか。
確かに黙って立っておられればそういう雰囲気は纏っておられる。
少々飄々としすぎているのと、妙な色気があるのが困りものだが。
あとぱっと見が若すぎて、話だけで所有者を知っている人には絶対に御本人だと気づけないはずだ。
容姿は整っていて、男前だということに異を唱える者は誰もいないだろう。
所有者の正体をまったく知らない綺麗なお嬢さん方も、声をかけられれば結構ついてくるしなあ……
イケメンってやつがいろんな摂理を超えるのは、どこの世界でも共通らしい。
真っ白な髪を低い位置で纏めた総髪。
意外と大雑把な性格が影響してか、後れ毛がそこかしこに発生しているのはいつものことだ。
やたらと綺麗な金と碧の斑の瞳の色がわかるのは銀の方眼鏡をかけた右目だけで、左目はいつも瞑っておられる。
いつも和服の着流しっぽい服を着ておられて、今日もその例には漏れない。
なんか今日のは黒地に真紅の流水文が入っている派手めのものだ。帯も紋と同色。
羽織や鳶外套なんかを組み合わせていることも多いが、今は着流しのみである。
まあ夏だしな、妥当なところか。
愛用の煙管と、かぶっているところを見たことの無い狐面は帯にひっかけられている。
阿弥陀かぶりをしているところは見たことがあるが、ちゃんとつけることあるのかな、あの狐面。
なんかたまにしゃべるしな、あれ。
まともに会話したことはないけれど。
「なんだい? 気色悪い」
俺がじっと見ていることに気付いた所有者からの、相変わらずの毒舌である。
ほんとこの方は口が悪い。
「いえ、お変わりないなと思って」
「アンタたちも息災なようで何よりですよ」
おかげさまで。
この一年もいろいろあったが、後で所有者の名前を使わせていただいた案件は一通りご報告しなければならない。
特にヴェロニカ嬢の一件では数年前から許可をいただいて情報収集やなんやを行っていたが、今回が最大の動きとなった。
各国の『大物』が動いてくださったのは所有者の名前を使わせていただいたからなのは間違いない。
それに伴って相当の金も動いている。
取りつぶされた他国の侯爵家を再建するとなれば国家単位の権力が動かねば不可能だ。
それをあっさり可能とする『名』の重みというのはやはり半端なものではない。
まあそんなことを報告しても、いつも通り「そうかい」で終わるんだろうけどな。
だからと言って俺が報告しない理由にはならない。
所有者の身内であることを最大限に活かすのはかまわないが、それを当然と思ってしまうのはよろしくない。
所有者がどう思うかじゃない、俺が嫌なのだ。
俺は「親しき中にも礼儀あり」ってのは至言だと思っている。
「うぬう、きっちり年に一回は顔を見せるのう……」
「なにもこのタイミングでなくてもいいと思うんですけど」
「さーいーあーくー」
……お前らな。
確かに傍白ではあったけどな?
即座にそれを否定するような言動をとるのはどうにかならんか。
要らん時にはほぼ正確に読み取るくせに。
一緒に所有者の『転移』でこの部屋に戻ってきているルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢がこれもいつもの如く悪態をついている。
所有者とこの三人の、空気というか間合いというかは独特だ。
俺が所有者や三人と出逢うずっと前からの付き合いだろうから当然と言えば当然なんだが、妬くってのとはちょっと違うがなんとなく悔しいといかなんというか……
深く考えるのは止した方がよさそうか。
「アンタたちはまったく……仮にも雇い主に対してなんてェ態度だい」
ため息交じりに所有者が呆れた声を出す。
「所有者が顔出すと支配人が嬉しそうだからそれはいいんだけどさ~」
……そんな嬉しそうか、俺?
「せっかく元に戻りつつあったのがまた……」
ローラ嬢とリスティア嬢はセリス島にいるときに所有者が来られたことにそんなに文句があるわけでは無いようだ。
いや所有者なんだからいつ見えられても従業員が嫌な顔していいわけはないんだけどな。
じゃあ何が「何もこのタイミング」で「さーいーあーくー」なのか。
珍しく所有者も「じゃあ何が不満なんだい?」って顔をしておられる。
俺も似たような表情だろう。
――元に戻る? なんかいやな予感が……
「所有者の言葉遣いに影響されて、支配人の言葉遣いもなんか変になるのじゃ。……正直似合わん」
えええ?!!
いや、あの……確かにちょっと自覚はあるけどな?
それをご本人の前で言うとかルナマリアちょっとお前――
「……えらい仲良くなったもんだね。前回逢ったときァはまだ、アンタたちは借りてきた猫みたく支配人の機嫌伺ってるってな様だったてェのに」
一瞬ぽかんとした顔をなされて、そのあとくっくと笑われる。
いやそんな時期在りましたっけ?
確かにこの一年で遠慮ってのがなくなってきたのはお互い自覚くらいはありますけど。
しかしこれは恥ずかしいぞ!
恨むぞルナマリア、自業自得とはいえ。
お前だって顔に似合わぬ言葉遣いって点なら相当なもんだろうが。
――なんだお前ら、揃ってその言ってやったっていう満足そうな顔は!
「一丁前に目で会話するようになってんじゃないか、この子らは。ふぅん……」
前回お逢いしたときから俺たちの距離感が変わったと所有者は判断されたようだ。
確かにこの一年、いろんなことがあったからな。
今までは暗黙の了解としていたところへお互い踏み込んだっていう自覚もある。
――俺の場合は寝込みに土足で踏み込まれた感が拭い切れないが。おかげで我が『人工的賢者モード』の存在を知られてしまった。
所有者がご自分の趣味で作られた胡蝶の夢によく似た作りの部屋を見まわした後、滅多には浮かべない軽く驚いた表情を浮かべられる。
さっきのぽかんとした顔と言い、レアな表情を今日は見るな。
「こいつは驚れェた。拳骨馬鹿のやつが気を遣うにしてもやけに広い部屋だと思ってたらアンタたち同じ部屋なのかい……とうとうモノにしたてえのか?」
そ こ で す か !
確かに一年前までは出先で同じ部屋なんてことはなかった。
一緒に呑んでそのまま寝てしまうことなんかは稀にあったが、そういう部分はどっちかと言えば俺の方が拘って別の部屋にしていた記憶は確かにある。
それが同じ部屋に泊まっているとなれば、所有者だって多少は驚くのか。
いやそうじゃない。
俺は『支配人と嬢』の関係のまま、一線を超える気はないし、実際越えてない。
所有者にそこを誤解されるのは支配人としての沽券にかかわる。
とはいえ言われてみれば、しれっと同じ部屋にとまったりしている時点で緩んでいるといわれても返す言葉がない。
自分たちはきちんと一線を引いているとかそういう話じゃないのだ。
根も葉もない噂であるならまだしも、傍からどう見られるかの原因を自分から作っているとなれば愚の骨頂。
開き直りとしてもたちが悪い。
「ま、まだです!」
勢い余裕がなくなって噛み気味に答えてしまう。
「アタシが聞いたのはこの娘らにだったんですけどね……そうかい、まだってこた、お前さんにはそういうつもりはありますよ、と」
血相変えた俺を見て、にたりと所有者が笑われる。
――あ、ダメだこれ、悪い笑顔だ。
「野暮なこた言わないよ。仕事は仕事でキッチリやってくれてりゃぁ、アタシに言うことなんざなにもない。外野には好きに言わせときゃいいサ」
俺が何に血相変えたのかも充分ご理解の上で、手をひらひらさせて笑われる。
この人にはどうにも敵わないのはいつものこととはいえ、こういう方面で遊ばれるのは初めてなので勝手がわからない。
こういう時頼りになる三人は、所有者と俺の会話で絶句して赤面しているから今は使い物にならないしな。
「まったく。……時間ってやつは、きちんと流れてるもんなんだねえ」
俺、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の顔を順にしみじみとみたあと、ふと天を仰いで溢される。
俺なんかでは想像もつかない永い時間を生きてきて、おそらくはこれからも生きていく所有者にしてみれば、こういう時にふと時間の流れを実感するものなのかもしれない。
「それはそうと……外が騒がしいね」
いや所有者、そりゃ円環竜が水平線上に浮かんでれば人々は騒ぎますって。
「そうかい。――だとサ?」
俺の視線が円環竜の浮かんでいる方角を向いたのを見て理解してくださったようだ。
何でもないことのように、「消えとけ」という意思の言葉を口にされる。
ここで話しても聞こえるわけはなかろうと思うのだが――
『ですが我が主。主が現れる場に我が存在するのは当然の……』
案の定、当たり前のように円環竜には所有者の声が聞こえているようだ。
念話を俺たちにも聞こえるようにしているのは所有者なのか、所有者の身内と認識している円環竜なのかは不明だが。
「だとよ」の一言で所有者の意を組めているのも大したものだろう。
人を超える存在である魔獣、それも竜種に対して不遜な物言いではあるが。
「主と呼ぶのであれば、その言には従え」
『……失礼いたしました』
所有者の意に不服そうな円環竜を一喝したのは所有者の声ではない。
その帯にかけられている狐面だ。
やっぱりあれしゃべるよな、おっかない。
円環竜が素直に従うあたり、正体は大層な魔獣であると見て間違いないだろう。
なんだって所有者のお面なんかになっているのかは謎だが。
外の騒ぎがひときわ大きくなった。
水平線上の円環竜が忽然と消えれば、確かに驚きの声くらいは上がるわな。
「……セリス島の迷宮最深部を再封印に来られたんですか?」
とりあえず当面の騒ぎは収まりそうなので、所有者が突然俺たちの前に現れた理由を聞いておく。
確かに約一年に一回は胡蝶の夢に顔を出されてはいるが、今回のセリス島迷宮の最深部発見に絡んでここへ来られたら、たまたま俺たちがいたということも考えられるからだ。
「いいや? 久方ぶりにお前さんに会おうと思ったら、セリス島にいたから来ただけですよ?」
だが帰ってきた答えは意外なものだった。
確かに所有者が封じた最深部が解放されたということは、それは偶然とか所有者の力が弱まったからではなく、所有者が封印しておく必要がなくなったと判断したからだというのが一番納得できる。
所有者の封印を勝手に解ける存在がいるとしたらそっちの方が大問題ともいえるので、世界としてはホッとするべき情報なのかもしれない。
「いいんですか?」
とはいえ何らかの理由があって最深部を封じておられたのは確かなはずだ。
あれだけの結界を特に意味もなく展開し、維持するとは考えにくい。
「いいんですよ」
またしても帰ってきた答えはあっさりとしたものであった。
「別にアタシぁ冒険者の皆さんが危険だからて迷宮の最深部を封じていたわけじゃありません。ただアタシの目的のために誰一人立ち入らせないことが必要だったからです。その必要がなくなったから解いたまでですよ」
セリス島だけではなく、俺も一度は一緒に行ったことのある六ヶ所の迷宮、そのすべての封印も解かれたらしい。
その事実が広がるのは時間の問題だろう。
日々冒険者たちは迷宮に潜っており、今は「最深部だと思われている階層」にたどり着いているものはかなりの数に上るのだ。
更なる最深部で得られるであろう未知なるものにギルドの出資者たちは金をつぎ込み、冒険者たちはそれに応えるべく迷宮に潜る。
六迷宮すべての「更なる深層」が発見されたとなれば、冒険者ギルドは確かに活気づきはするだろう。
だがこのセリス島の深層ですら、今の冒険者たちのほとんどには手に負えまい。
その結果、本来出るはずではなかった犠牲も……
「それはアタシがとやかく言うことじゃァないでしょう。はっきりいや知ったこっちゃありませんよ。餓鬼じゃァねえんだ、手前で決めて手前の命を賭けるのは好きにすらいい」
……それはまあその通りだ。
所有者はご自分の何らかの目的のために封じておられて、その必要がなくなったから解いたまで。
上から目線で「お前たちには危険だから封じておいてやる」としていたわけではないのだから、おっしゃることはもっともだ。
だけど……
「でもリンを送ってくれましたよね?」
「アタシのいないところで勝手におっ死なれちゃ困る連中も居るもんでね」
なるほどそれなら理に適う。
ガルザム老がその「勝手におっ死なれちゃ困る連中」のお一人なんだろうが、確かにリンと組んでいればセリス島の最深部とはいえまず問題ないだろう。
「あの子は元気にしてるのかい?」
「元気ですよ。今日も大魔法の暴走を喰ってました。……初めて逢ったときは死ぬかと思いましたが」
本当の意味で所有者の弟子になれるような存在はちょっとやそっとじゃ元気じゃなくなったりはしませんよ。
なんか最近は『舞』にえらくご執心だが、踊る魔獣なんて聞いたことがない。
「あの子じゃまだまだこの娘らにゃ敵わないでしょうが」
確かにあっさり尻尾巻いてましたけどね、文字通り。
ああ、あのタイミングでどうあれ俺はルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の正体に気付く算段だったというわけか。
はっきりご報告してはいないのに、もう俺が知っていることを前提で話されるってのはどういうものかね。
どこまで所有者の思惑が絡んでいるのか知れたものじゃないな。
しかしリンはせっかく所有者が顔を出されたんだし、呼んでやらねば後で拗ねるかもしれないな。
あいつ拗ねるとやたらと尻尾で叩いてくるから面倒だし。
とにかくまあ、セリス島迷宮の封印が解かれたことに関係なく来られたってことになれば、この後の行動はいつもと同じってことだろう。
つまりは俺を連れまわして、呑んで騒ぐ。
ガルザム老もこちらにおいでだし、知ればライファル老師も王都から跳んでくるだろうしな。
それはまあいいんだが、ここにきて「封印が必要なくなった」という所有者の最終的な目的ってやつも聞いておきたい。
俺は支配人に着任するまでは方々くっついて回ってはいたものの、所有者の目的というやつをはっきり教えられたことはない。
まあ聞いてもいつも通り答えてはくれないんだろうけど……
「所有者の最終的な目的ってなんなんですか?」
「まだ内緒」
おや、これまでとは違って「まだ」が付いた。
今まではどんなタイミングで聞いたって「内緒」としか答えてはくれなかったのに。
何がどうなれば「まだ」が取れるんだか知らないが、いずれは教えてくださるってことでいいのかね?
「お前さんがこの世界で生きてく軸足を持ってるのはもう知ってる。どうやら大事なもんてェのもきちんとできたようだ」
思いが顔に出たのだろう、所有者がいつになくまじめな表情で俺にだけ聞こえるように耳元で話される。
本来であればルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢にそんなことくらいで聞かれなくすることは不可能なのだろうが、この人が「聞かせたくない」と思っているのであれば何人たりとも今の言葉を聞くことは叶わないだろう。
『胡蝶の夢』の『支配人』であること。
ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢をはじめとして、胡蝶の夢の嬢たちや、シルヴェリア王女殿下、カリン王女殿下、ガルザム老やライファル老師、三馬鹿トリオなんかも含めた俺にかかわりを持ってくれる多くの人たち。
仰るとおり、俺にとっての世界ってのは今はもうここのことだ。
「あとはお前さんの『一番』ってやつを決めることだね。それが定まってない人にゃあ教えちゃやれない」
いつもの人をからかうような表情で口調でもない。
滅多には見ない、所有者の真剣な表情。
金と碧の斑の瞳が、至近距離から俺の魂を覗き込むように見つめている。
所有者の中にはそれがあることがはっきりとわかる瞳だ。
『大事』だとか『好き』ってやつは、選ぶからこそのものだってのはよくわかる。
そこをぼやかしたまま過ごせるというのは、ある意味においては追い詰められていないからこそなのだろう。
ギリギリの最終局面で、自分にとって何が一番かを決められていない人間は必ず揺れる。
そんな人間には所有者の『目的』を共有することは許されないってわけだ。
よくわかる話だ。
ただ所有者の目的が何であれ、世界を滅ぼしたりするようなものでないことくらいは確信できる。
その程度には、俺だって所有者を知っているとは言える。
であれば俺はまだ、温くても一番を決められない状態で過ごさせてもらう方が性に合っている。
少なくとも、今はまだ。
所有者が俺を必要とする場面――そんなものがあるとはとても思えないけれど――があれば、その時の俺ができることをすればいいだけだしな。
「相も変わらず、のんびりした野郎だよ」
すいませんね。
こっちへ来てから人に恵まれて過ごさせてもらったものでして。
「まあそれも人それぞれさ。……実際今んとこじゃ誰が一番に近いんだい?」
ちょっと呆れたようにため息をついた後、いつもの様な悪い顔になって聞いてこられる。
ルナマリアか、リスティア嬢か、ローラ嬢なのか。
意外に他の嬢なのか。
言い寄られてるって聞いておられるらしい、シルヴェリア王女殿下《砂糖菓子頭》あたりか。
離れていたってすべての情報は掌握しておいでのようで、興味津々の態で質問攻めにされる。
頼むからルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に聞こえるようにするのは勘弁してくれませんかね。
所有者はまたすぐどこか出て行ってしまうんでしょうけど、俺は明日以降質問攻めになるわけなんですが。
「まあ本人たちさえよけりゃ「みんな一番なんです」なんてぇ温くて狡い答えでもかまやしませんけどね。アタシはそういうのは性にゃ合わないねえ」
返す言葉もございません。
蔑んだような表情ではなく、苦笑いで言われるのが余計応える。
これ以上俺をいじっていてもしょうがないと思われたのだろう、表情も雰囲気もがらりと変えて、いつも通りの所有者に戻られた。
「さあて支配人。今夜は遊ぶよ。拳骨馬鹿もこっちに来てんだろ? まずは合流するとしましょうかね」
所有者に言われて断る雇われはおりませんな。
酒の席にはややこしい話を持ち込むことのお嫌いな所有者の酒席は、本気で楽しいものだしな。
酒量が過ぎるのが問題と言えば問題なのだが。
「……黙って連れて行ったりはせぬな?」
所有者が顔を出せばこうなることはわかっているので、ルナマリアたちもそこはもうあきらめている。
だがなにか思うところがあるものか、いつもはしない質問をルナマリアがしている。
いやルナマリアお前、俺も子供じゃないんだから……
「ことわりゃいいのかい?」
その言葉に肩眉を上げて、おかしそうに所有者が答える。
「ダメです!」
「アンタたちが決めることじゃないねえ」
即答するリスティア嬢に、悪い笑顔になりながらの返事。
「……支配人が納得してなければ、取り返すよ?」
いやあの、ローラ嬢?
そんな真剣に、いつもの口調がなりを潜めてまで言う様な事か?
ただいつも通り呑みに行くだけなんだが。
「アタシから? アンタたちが?」
所有者もその顔に獰猛な表情を浮かべて挑発するように笑う。
いやちょっとお二人とも……
「――取り返すよ」
どっちかっていうといつも怖めなのはリスティア嬢なのに、ローラ嬢のこんな様子は初めて見る。
いやそうじゃない。
ヒロインのように俺を扱うのを止めろ!
いいからやめろ。
なんだこの居た堪れない気持ち。
「……オットコ前になったもんだねえ」
一転して表情をにやけたものに変え、所有者が大笑される。
何がどうしてさっきの空気になったんだか、俺にはまったく理解できない。
「私たちは女じゃ!」
「女に、なったんです」
「してもらったの」
一瞬だけ緊張した空気は霧散し、所有者の言葉にルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢が顔を真っ赤にして言い返している。
「語弊が!」
その言い方!
くっそ、所有者がおられるとこっちもあっちもいつものペースが乱されっぱなしだ。
所有者にしてみれば小僧っ子と小娘だからやむを得ないとはいえ、高級娼館の支配人としては忸怩たる思いであるとともに遺憾の意を表明する所存である。
「アンタたちにそう言わせる支配人に言ったんですよ。相変わらず大事なとこで締まらねえみてえだけどね」
一言でなで斬りにされて、四人揃って俯くしかない。
「心配しなくても勝手につれてきゃしませんよ。支配人がアンタたちを大事にしてんのはよく知ってるからね。――さっさと大事以上になんなさいよアンタたちも」
追撃の一撃で、俺を含めて誰も二の句が継げなくなっている。
この人には絶対勝てないんだろうなあと正直俺は思う。
ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の表情も、おそらく俺と似たようなことを考えているのだろう。
なあ。
もしも万が一本気でこの人に勝つ必要ができた時は、とりあえず俺たちは団結しような。
それもでも勝てる気なんてまるでしないが、一矢くらいは報いてみたいからさ。
昨夜の酒席は所有者、ガルザム老、駆けつけたライファル老師とむさくるしく呑みすぎて、今日のルナマリアたちとの約束を俺は反故にすることになってしまった。
所有者と呑むときは俺のユニーク魔法の使用を禁止されるから、宿酔いがどれだけツラいものかを一年一度思い出す日になるのだ、いつも。
「次に逢う時までにゃあ、一番を決めておきなさいよ」
いつ言われたのかははっきり覚えてはいないが、朝起きたら案の定いなくなっておられた所有者に酒の席で言われた言葉なのは確かだ。
その後にも何か言われた気がするが思い出せない。
まあ一年後までに思い出せばいいかと思いながら、俺は宿酔いでガンガンする頭を抱えて呆れ顔のルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に世話されている。
所有者、本当に俺のユニーク魔法使っちゃいけませんか?
次話 閑話 幸せな結末
4/2(日)投稿予定です。
今回のお話で第伍章はおしまいです。
閑話をいくつか(おそらく五話くらい)挟んで、第陸章へ入ります。
閑話の間は毎週更新を何とか維持しようと思っています。
第陸章のテーマは『胡蝶の夢』に関わる外側の人たちを軸にしたお話にしようかと思っています。
メインはアレン王子になる予定。
今回顔見せだけしてすぐにいなくなってしまった所有者は、この物語のメインストーリーに深く関わるキャラクターです。
そのあたりのプロットは出来上がっているので、一気に書いてしまいたい気持ちも在るのですが、そうすると完結してしまうので……
今は支配人と所有者、ルナマリア、リスティア、ローラ、シルヴェリア、カリンたちの最終的なお話に説得力というか、重みをもたせるためにも『胡蝶の夢』における非日常の日常噺を積み重ねていければいいなと考えております。
今後もお見捨てなきよう、お付き合いいただければ嬉しいです。
---------------------------------------------------
追記
4/2投稿予定だった「閑話 幸せな結末」を来週日曜日4/9に延期します。
勝手申しますが申し訳ありません。




