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【第12回ネット小説大賞SC賞受賞】異世界娼館の支配人 ~夜噺百花~【マイクロマガジン社様でコミカライズ】  作者: Sin Guilty
第伍章

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番外編 つなぎたい手【新春仕事始エピソード】

 これは支配人(マネージャー)胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)での夜噺を語り始める少し前のお話。


 この世界にも当然存在する新たな年、その時に行う『仕事始め』

 初売りを迎える『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』での出来事。


 市井の皆は新年を寿ぎ、新たな年への希望を胸に再び働き始める日。

 過ぎし年の反省と経験を糧に、新たな目標を定めその一歩目を印す日。

 

 同時に誰もが、正直に言えば「今日から仕事か~」という泣き言もこぼす日でもある。


 そんな日を、支配人(マネージャー)と嬢たちがどんな風に過ごすのか――




 夜更け。


 だが年の終わりから新年にかけての数日間、娼館『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』に灯は燈らない。

 それはなにも『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』に限った話ではない。

『大陸の性都』、『世界で最も淫らな街』とまで呼ばれる、グレン王国の王都グレンカイナ、その夜街すべての店々の灯が落ちるのだ。


 ――年が終わり新しい年を迎える神聖なる数日間、不浄の場を開くわけにはいかない。


 そんな信心深い理由からだということは、『傭兵王国』とも呼ばれるグレン王国ではありえない。

 その証拠に夜街としては稼ぎ時であるこの時期、グレン王国などよりもずっと信心深く慎み深いと心の底から信じている他国の夜街は元気に営業中なのだ。

 

 そもそもグレン王国において『夜街』は不浄の場やただ欲望を発散する場所ではなく、『仲間』たちが働く場だと見做されている。

 傭兵たちが、生きて再び戻ってこようという気にさせてくれる、故郷のあの娘や、今はもう届かない想いの代替を引き受けてくれる『心の預け場所』

 

 建国後二百年を閲すれば、他の国々と同じように見下す層も顕在化してきてはいるものの、大貴族や有力な商人ほどその傾向が薄いのはグレン王国らしいと言えるだろう。

 その中でも一番建国時の考えが変わっていないのが王家だというのだから、二百年程度の時では『傭兵王国』の在り方を変えるにはまだまだ足りないというべきか、グレン王家が特殊だというべきか。

 

 王家と誼の深いものはみな、間違いなく後者だと断言するだろう。

 

 まあ現王家の王弟(ガイウス)、未だ嫁ぎ先の確定していない第一王女(シルヴェリア)及び第二王女(カリン)、次代のグレン王国を担う王子(アレン)が特殊な立ち位置とはいえ一娼館に出入りしている事実がある以上、反論の余地もないだろう。


 それが知られつつも、そういうこともあらあなと笑い飛ばす『傭兵王国』国民の気風はいまだ健在だ。

 

 さておき、グレン王国においても稼ぎどきのはずの時期に『夜街』の灯を落とさせるその理由。

 それはその年を生き抜き、新しい年を迎える時間くらいは『仕事してんな、騒ごうぜ!』という建国王の一言がすべてだ。

 

 傭兵稼業で仕事を軽んじるはずなどない。

 喩えなどではなく命のかかった仕事だ、誤謬がそのまま死に直結する。

 

 そしてそんな傭兵団が『国獲り』を成し得るはずもない。


 仕事を軽んじることなく、大事にするからこそ。 

 

 休むべき時は大事な誰かと、それが無理ならせめてそばにいる仲間とキッチリ休んで次の仕事に備える。

 そんな時間があるからこそ、命を賭しての仕事に笑って臨めるのだ。

 稼ぎも効率もすっ飛ばして、わかりやすく『命懸けの仕事』をしている傭兵や冒険者たちには通りのいい理屈なのかもしれない。

 

 稼ぎ時を公的に封じられる商売人たちは苦笑いだが、逆にいえばグレン王国であればその程度だ。

 もっともグレン王国の『休む』は『騒ぐ』と同意語であり、その酒と肴の準備で充分とはいかぬまでも商いにはなっているからこそともいえる。

 

 御愁傷様と言わざるをえないのは、振る舞い酒や肴を手配する、王国付きの官僚たちであろうが、毎年のことともなれば慣れてもいる。

 この時ばかりは下っ端から高級官僚、果ては大貴族であっても公的な職を得ているものは民衆のためにわかり易いサービスを提供する側となる。

 手当も出るし、そういうものだとこの国に仕えるものたちの多くは思っている。

 

「毎日の仕事だって民衆へのサービス業だと思うんだが。公僕っていうくらいなんだから」

などと嘯く水路管理局第八管区職員もいるが、彼が理屈ではなく気持ちでも物事の側面を捉えられるようになるのはもう少し先の、別のお話だ。


 正しさとは一つではない。

 瓢箪を二つに分けた断面は、どう切ったかによって千変する。


 人の数だけ正しさがあると知ることが、仕事をするということの第一歩かもしれない。

 その中で絶対に譲れぬ己の正しさを見出すこともまた、仕事には必要なことなのだが。


 『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』の支配人(マネージャー)が当代となってからは、本当にその年の営業を開始する一日前、『仕事始め』を行うようになっている。


 本当にお客様をお迎えすることはないが、嬢たちや店員(スタッフ)たちは普段の仕事をカタチだけ執り行い、商売繁盛や安全、各々の能力向上を祈るまあ言ってみれば儀式のようなものだ。


 嬢たちは支給された新しい衣装やアクセサリーで身を飾り、社交室(ラウンジ)には最上級の酒と料理が用意される。

 華やかな娼館の一夜が、お客様不在のまま再現されるというわけだ。

 嬢は嬢の、店員(スタッフ)店員(スタッフ)の己の仕事を行う中、お客様役は自ずと支配人(マネージャー)に押し付けられる。


 その『仕事始め』の様子が嬢との寝物語や店員(スタッフ)たちの噂話で市井に流れ、いつも通り尾ひれがつき、結果支配人(マネージャー)に呪詛の念を向ける男衆が増えることになるわけだ。


 その男衆の中に王弟だのS(クラス)冒険者だの天才魔導士などが加わるのは今少し先の話。


 そんな儀式も大騒ぎの末無事終わり、明日からはまた非日常の日常が始まろうとしている最後の夜。

 

 今春の『花冠式(コロナット・ソレムネ)』で『四枚花弁クアトゥル・フォリュムフロリス』となることが確実視されている二人の嬢が、『蝶の泉(パピリオ・フォンス)』でその翅を明日に向けて整えている。

 

「明日からはまたお仕事だねえ」


「そうね」


 一人はファルラ嬢。

 獣人(セリアンスロープ)

 銀虎族の美しい毛並みをもつ、明るくて人懐っこい嬢である。


 もう一人はルクレツィア嬢。

 亜人(デミ・ヒューマン)

 森林長寿族の抜けるような白い肌と艶やかな髪を持つ、冷静で調律された弦のような心地よい緊張を周りにもたらす嬢である。

 

 容貌的にも性格的にも全くといっていいほど共通点がないこの二人は、娼館『胡蝶の夢』においては誰もが知る御神酒徳利(なかよし)である。


 唯一の共通点といえば『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』の嬢としては珍しい薄い胸か。

 だがそのことを思い浮かべるだけならばまだしも、口にした愚か者がどういう目にあわされるかを知る者は少ない。


 はっきり言葉にして見逃されているのは、今のところ支配人(マネージャー)だけだろう。

  

「頑張るしかないよねえ」


 えへへと微笑(わら)うファルラ嬢は、いつも通りに見える。

 ルクレツィア嬢と――恐らくは支配人(マネージャー)とそのそばにいる数名を除いては。

 

 そして今、ファルラ嬢の隣にいるのはルクレツィア嬢だけである。


「もっとお休みが続けばいいのにね」


 鈴の転がるようなその声で、常はお客様の心を圧し折るような毒舌を振るうのがルクレツィア嬢だ。

 今のような、いわゆる気弱な台詞を口にすることを想像できるものはそう多くないだろう。


「だめだよー、そんなこと言っちゃ」


「ごめんなさい」


 どうみてもルクレツィア嬢の方が落ち着いていて、この手の会話は役どころが逆ではないかと思われるのだが、この二人の場合はいつもこうである。

 ルクレツィア嬢がわかりやすい弱音や甘えを口にして、それをファルラ嬢がお姐さん気取りで嗜める。


 そして励ますように、互いに手を繋ぐ。

 

 明日は『初売り』

 

 人の身でありながら、商品として売られる己の体と時間と技術に思わぬところがないわけではない。

 覚悟を決め、慣れはすれども完全に消え去ることなどありはしない。


 新年となり、どこか生まれ変わったような気持ちになっていても明日――いや日付はもう変わったので今日――からはまた、娼婦としての夜が積み重なっていくのだ。


 そればかりはどれだけ支配人(マネージャー)の魔法で嬢たちの体を清潔に、健康に保ったとしてもどうしようもない。

 支配人(マネージャー)本人もいっているように、彼の魔法は「心には効かない」のだ。


 体をどれだけ清潔で健康に保たれても、己の心が己の体を汚いと思ってしまえばそれが自分にとっての真実となってしまう。


 それは死に至る病だ。


 嬢たちは死ぬわけにはいかない。

 あるいは死ぬよりもつらい覚悟を決めて、それでもどうしても譲れないものを持っているからだ。


 だから嬢たちはみな、各々の手段で己の心を(よろ)い、保つ。

 ルクレツィア嬢にとってそれは、ファルラ嬢とともにいること、そして手をつなぐことだ。


 誰にも言ったことはない。

 周りからは「本当は弱いファルラ嬢をより弱いふりして支えている」などと穿った見方をされたりもしている。

 それほどに日頃のルクレツィア嬢は毅然として、揺ぎ無く見えるのだ。


 かくありたいと思う己を、必死で保っているだけなのだが。


 ルクレツィア嬢は最初、ファルラ嬢を嫌っていた。

 自分と同じく『一族のために所有者(オーナー)と契約した』身でありながら、初魅せに向けての指導を受けながらめそめそと泣く姿に幻滅していた。


 亜人(デミ・ヒューマン)獣人(セリアンスロープ)の違いはあれど、一族のために己が身を売っても誇り高くあれる仲間を期待した自分を嗤いさえしていた。


 でもだけど。


 初魅せの後支配人(マネージャー)の魔法を受けても、『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』でどれだけ自分の体を洗っても、とりかえしのつかない穢れを得た己の体に気が狂いそうになっていたとき。


 同じように泣きながら『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』にやってきたファルラ嬢との出逢いが、ルクレツィア嬢を今のルクレツィア嬢にした。


 ルクレツィア嬢は心で、ファルラ嬢は目に見える形で泣くだけで、自分たちは二人ともただの弱い女の子であったことを思い知った夜に逢えたのは奇跡だったと、ルクレツィア嬢は今でも思っている。

 

 ルクレツィア嬢は自分の心と矜持(プライド)を保つことに必死だった。

 自分以外の娘が『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』に入ってきたことで、強烈な自尊心が狂いそうになっていた自分の心を保たせたのだと思っている。

 

 そのことだけでもファルラ嬢には感謝してもいいくらいだ。

 

 でも思う。

 

 今思い返してもルクレツィア嬢は自分のことで手いっぱいで、他人のことを考える余裕など欠片もなかった。

 

 自分が馬鹿にした娘に、弱いところを見せるわけにはいかない。

  

 そんなちっぽけな想いで、だけどそのおかげで何とか踏みとどまれたのだ。

 

 でも弱いと、情けないと自分が勝手に断じていたファルラ嬢は違った。

 

 いつもよりみっともなく泣いてもいた。

 震える体を隠そうともしていなかった。

 

 だけどファルラ嬢がルクレツィア嬢と同じように、落ちるはずもない心にこびりついた穢れを落とそうとして訪れた『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』に、自分と同じ初魅せを終えたルクレツィア嬢を見つけた時。

 

 ファルラ嬢は自分自身よりもその嬢を――ルクレツィア嬢を支えることを優先してみせた。

 自分だって満足に立てていないのに。


「獲物を獲るためにはね?」


 そういって、ファルラ嬢はルクレツィア嬢に震えながら話しかけてくれた。

 前振りも何もなく、ただ話し出しただけの拙いものだった。

 

「じっと我慢しなきゃダメなの。蟲が体を這おうとも、蛇が足元を通ろうとも、気配を消して確実に獲れる瞬間を待つんだよ……」


 正直何を言っているのか最初はわからなかった。

 狩りをしたことの無いルクレツィア嬢ゆえだったが、今の自分たちの立場を狩りに例えようとしていることだけは理解できた。

 

「それに比べれば、ずっといいよね。だってもう、獲物は獲れてるんだもん。我慢して、我慢して、我慢の果てに逃げられちゃうなんてことはないもん。私の我慢は、もう報われてる」


 そう言って。

 

 ルクレツィア嬢がなにも知らずに嫌った笑顔で笑って見せてくれた。

 まだ自分だって震えているくせに、泣いているくせに手を繋ぎながら。


 その時に思ったのだ、矜持(プライド)って何だろうと。

 言葉や自己欺瞞じゃなく、一族のためだと泣きながらでも心の底から言える。

 こんなにつらい時なのに、自分以外の誰かを震えながらでも励ますことができる。


 それに比べて、自分の思っていた『誇り高い己』のなんと卑小なことか。

 

 そう思ったらルクレツィア嬢も素直に泣けたのだ。

 何がつらくて、苦しくて、穢れてしまった自分を憐れんで震えていたのだと素直に言えた。


 ファルラ嬢は自分もくしゃくしゃに泣きながら、ルクレツィア嬢の泣き言を全部聞いてくれた。

 自分の泣き言も教えてくれた。

 

 その時から、ルクレツィア嬢にとって、ファルラ嬢の笑顔は支配人(マネージャー)のユニーク魔法にも、いや他の何にも勝る絶対となった。


 そうやって二人でいくつもの夜を越えて、今や高級娼婦(クルティザンヌ)四枚花弁クアトゥル・フォリュムフロリスにも手が届こうかという『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』の『ルクレツィア嬢』と『ファルラ嬢』を築き上げてきたのだ。


 だからルクレツィア嬢にとって新しい年を迎え、明日――今日から再び『ルクレツィア嬢』として夜を越えていくためには絶対に必要な儀式だったのだ。


 自分がつなぎたいと思う手と、つなぎあうことが。


 それはなんでもないことのように叶った。

 儀式の様な、おまじないのような、他愛無い大切。


 それがあるから今日からまた、頑張って行ける。

 望んだ仕事でも、望まない仕事でも、笑ってやるべきことをこなしていける。


 仕事だと、思える。


 泣きたいときに、隣にいてくれる人がいるから。

 つなぎたいときに、手をつないでくれる人がいるから。


 そう思って、「今年もよろしくね」と伝えようとしたタイミングで、『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』の扉が開く。

 

「おーいそこのゆりゆり。いつまでも浸かってるとのぼせちまうぞ」


 支配人(マネージャー)の声がする。

 夜半も過ぎて、『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』内に部屋を与えられた嬢たちもみな明日に備えて部屋に戻ったのだろう。


 まだ『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』でのんびりしている二人を確認に来たのだ。

 ゆりゆりとはひどい言いがかりではあろうが、こっちの世界の存在には()()意味が通る言葉でもない。


 酒吞み話で支配人(マネージャー)が要らんことを教えている、ルナマリア、リスティア、ローラあたりからその手の話を聞いてでもいない限り。


 支配人(マネージャー)の声は呆れ三割、心配二割、はよ寝ろ五割といったブレンド具合だ。

 その声に緊張や色欲の色はまったく見られない。


 確かにファルラ嬢もルクレツィア嬢も全裸というわけではない。

 ないが上等な薄絹の湯着一枚で透明な湯に浸かっている姿は充分煽情的といっていい。


 だがいつも通り、支配人(マネージャー)の態度は冷静そのもので、女として無防備な二人に、男としての反応を全く示さない。

 その態度はもしも二人がこのまま全裸で抱きつこうが、蕩けた表情でしなを作ろうが全く変わることはないだろう。


 いや下手を打てばうんざりどころか素の表情で「服を着ろ」といわれかねない


 今更二人に支配人(マネージャー)を誘惑しようという気はないとはいえ(過去にやってみてまるで通用せず、二人ともかなり落ち込まされた実績はある)、人気嬢としては忸怩たるものを感じるのもまた事実だ。


 その()()()()を知らぬ者には、自分の魅力がまるで通用しないようにしか思えぬのだから無理もない。

 慰めは確実に自分たちより格上の嬢たちであっても同じ結果に終わっていることだ。

 ルナマリア、リスティア、ローラという『五枚花弁(クインケ)』三人のそういう魅力、手練手管が通用しない相手に己が通用しなくてもやむなしと何とか納得させられる。


 好きな仕事ではない、やむにやまれぬ事情があって始めた仕事であるにもかかわらず、そういうことを感じてしまう自分の心が面白いと思う。


 もっともそういう風に考えられるようになったのは、ここ最近のことだ。

 それにもしも『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』以外で娼婦をやっていたら、今のこんな考えになれていたかどうかもまるで自信はない。

 

 だからこそ思うところがあるにしても、二人が支配人(マネージャー)に対して持っている感謝の気持ちは軽いものではない。


 娼婦という仕事を深く知れば知るほど、その想いは強くなる。

 皆に共通してその想いがあるからこそ、『胡蝶の夢(パピリオ・ソムニウム)』の嬢たちは、少なくとも見た目は仲良く笑って過ごせているのかもしれない。


 某トップ嬢三人の影響も大きいことは否定できないが。


 その支配人(マネージャー)は『胡蝶の泉(パピリオ・フォンス)』に確認に顔を出すことがあっても、決して足を踏み入れることはない。

 職権としてそれを認められており、嬢たちのほぼ全員がそれを拒むことなどないというのにだ。


「俺はこう見えても君子のつもりなんでな。危うきには近寄らんのだ」


 とは支配人(マネージャー)の言だが、花弁付嬢の裸体どころか誘惑さえも歯牙にもかけない支配人(マネージャー)に危うきなどあるのか? というのが嬢たちの正直なところではある。


 ――実は他の嬢の裸見たことで、後で()()に怒られたり拗ねられたりするのが「危うき」なんじゃないのかな~


 というのがファルラ嬢とルクレツィア嬢の共通見解である。


 口にはしない。

 自分たちも支配人(マネージャー)に劣らず、一応賢者のつもりではあるので余計なことは口にはしないのだ。


 支配人(マネージャー)には聞かれても平気だが、()()の方に聞かれたらとおもうとちょっと嫌な汗が出る。


「ゆりゆりってなんですか?」


 なのでファルラ嬢は無難な質問を支配人(マネージャー)へ返す。

 自分たち二人を指しての言葉だということは理解できるが、その意味が分からない。


 知らない言葉なので当然なのだが。


「なんでもない。支配人(マネージャー)の戯言」


 それに答えたのは意外にもルクレツィア嬢だった。

 ということはルクレツィアは言葉の意味知ってるんだ! と思って隣を見て、ファルラ嬢はらしくもなく固まった。


 びっくりしたのだ。


「なに?」


「……ルクレツィアが赤くなってる」


 そこには声こそいつも通り冷静なものだが、どんな遊び慣れたお客様を相手にしても表情を変えない、蕩けた貌どころか赤面すら見せないといわれているルクレツィア嬢が、盛大に真っ赤になっていたからだ。

 

「こいつはファルラ嬢、ルクレツィア嬢の御贔屓筋に嫉妬されちまうなあ」


 某三人を除いて、嬢たちには本当の心の動きをあまり見せない支配人(マネージャー)も結構本気で驚いた表情を見せている。


 これはこれでレアだなあ、とファルラ嬢は思うが、自分が一番ルクレツィア嬢と仲がいい自信はあってもルクレツィア嬢のこんな顔は初めて見るものだ。


 驚きで思考が止まってそのまんまを言ってしまった。


 ――ゆりゆりってそんな破壊力のある言葉なの?


「ばか」


 支配人(マネージャー)の言葉に、視線を逸らしてしまう姿も常のルクレツィア嬢からは想像ができない。


 台詞もいつもなら感心してしまうくらいぽんぽん出てくる的確に相手の心をえぐる切れ味鋭いそれではなく、普通の女の子がテレて思わず言ってしまう定番のものでしかない。


 だからファルラ嬢も、いつも言っている「キレイで羨ましい」とか「涼しげでいいよね~」なんていう、羨ましい半分の誉め言葉とはまるで違った言葉を素直に言ってしまう。


「……かわいい」


「ばか!」


 その言葉を受けたルクレツィア嬢が顔だけではなく森林長寿族の特徴である長い耳の先までを真っ赤にして湯船から飛び出してしまった。

 同じ罵声――罵声にもなっていないものを、より大きな声で繰り返すなど、ルクレツィア嬢の御贔屓筋が目にすれば驚く程度では済まないものだろう。


 それ以上に『ルクレツィア嬢に蕩けた貌をさせる』ことに、ちょっと普通では考えられない金と時間と情熱を傾けている御贔屓筋にとって、今ルクレツィア嬢が見せた貌は値が付けられぬものだろう。


 えてしてそういう貌は、金で買えぬものなのである。

 そんなことは百も承知でそれを求めるのが遊び慣れた粋人たちの業ともいえるが。

 

「あのルクレツィア嬢があんな貌見せるのは、ファルラ嬢にだけだなあ」


 薄絹一枚、湯に浸かっていたからにはいろいろと透けている。


 赤くなるのは顔や耳だけではないらしく、本来真っ白なルクレツィア嬢の肌が湯の温度と羞恥で染まっているのが透けて見えるのは、女であるファルラ嬢から見てもかなりの破壊力を誇っている。


 自分がないものねだりで憧れるルクレツィア嬢のそんな姿を見てもなお、のほほんとコメントを入れる支配人(マネージャー)が憎らしくなって、つい余計なことを言ってしまう。


「……支配人(マネージャー)も見てるでしょ」


「おっとこっちが先にやきもちか?」


 無理している様子もなく、からからと笑う。

 支配人(マネージャー)はファルラ嬢とルクレツィア嬢が仲良くしていることを好んでいるようだ。


 出て行ってしまったルクレツィア嬢の方を、欲望をまったく感じさせない目で優し気に追っている。


「もう……なんでもわかってるような顔して。支配人(マネージャー)きらい」


「そりゃすまんね」


 自分が拗ねて見せたら、どんなお客様でも慌てふためいてくれるのに支配人(マネージャー)は涼しい顔だ。

 

 ――この人を本気で慌てさせたかったら、私たちが本気で落ち込んでないとダメだもんね。


 それはここ数年の付き合いでよくわかっている。


 ――この人を「テレさせる」ことが可能なローラ姉ちゃんやリスティアさん、ルナマリアさんはやっぱり別格なのよね……


 そんなことを思いながら、支配人(マネージャー)に要らぬ意地をはっても仕方がないとため息をつく。

 今日から始まる娼婦としての夜を、いろんな意味で支えてくれるのは支配人(マネージャー)なのだ。

 

「うそ。ほんとは感謝してるの」


 こんな状況で二人きりになるのは珍しいかな? とおもいつつ、この際だから日頃思っていることを伝えておこうと思うファルラ嬢。

 

 ――ルクレツィアは間違いなく脱衣場で待っていてくれるから、急がなきゃ風邪ひかせちゃうよね。


「このお仕事は辛いよね。でも支配人(マネージャー)のおかげで、私たちは自分さえ折れなければ元気で健康でやっていける」


「そりゃどうも」


 ――あ、ちょっとテレた。

 ――色気だ手練手管だには無敵なのに、素直なお礼にはテレちゃうんだ。


 ちょっと面白くなるファルラ嬢。

 まったく通じないにもかかわらず、なにかと支配人(マネージャー)に絡むトップスリーは、不意に見せる支配人(マネージャー)のこの貌が見たくて絡んでいくんだなとすとんと納得できた。 


「それにね。自分で汚いって思わなければ、ずっと()()()でいられる。だから本当にありがとね」


「ま、それが仕事だ、俺の」


 その言葉にはテレはない。

 「仕事」にはそういうものを介在させないのが、支配人(マネージャー)の在り方なのだろう。


「それに」


 自分たちでは足元にも及ばないと思わせられる三人の「五枚花弁クインケ・フォリュムフロリス」たちを二の句を継げなくさせるときの表情を浮かべて、支配人(マネージャー)が笑う。


()()()でいられるのは、俺の魔法は関係ねえだろよ」


「内緒だよ」


 見透かさないで! って言ってしまうと負けな気がしたので、精一杯おすまし顔で言い返す。

 通用なんかはしていないのは、くっくと笑う支配人(マネージャー)の表情から見ても明白だ。


 だけど女たるもの、意地の張りどころでは張らねばならない。


 ルクレツィア嬢と同じく、ファルラ嬢の湯上りの姿を見てもそういう反応を全く示さない支配人(マネージャー)を、さっき少しだけテレさせたことが今夜のファルラ嬢とルクレツィア嬢の戦果といえなくもない。


 ――私と、ルクレツィアがこうしていられるのは支配人(マネージャー)や、胡蝶の夢(うち)のみんなのおかげだもんね。だから今日からも頑張るよ。


 そう思いつつ、真っ赤になって逃げてしまったルクレツィア嬢を追いかける。


 

 

 貴女が泣きたい夜に、私が傍に居られてよかった。

 私の泣きたい夜に、貴女が傍に居てくれてよかった。


 お互いどんなに汚れていたとしたって、つなぎたい手は貴女の手。


 そんな相手が傍に居てくれることを、そんな相手の傍に居られることを幸いだと思えるから私は頑張れる。


 はじめは慰めあいだったかもしれないね。

 支えるために、支えてもらうためにつないだ手。


 だけど今はもう違うよ?


 理由なんかなくたって、貴女だから触れたいんだよ。


 ただつなぎたいからつなぐ手は、すごくうれしくて少しだけくすぐったい、不思議な気持ち。


 貴女もそうなら嬉しいな。


 世界中の人たちに、穢れた手、つなぎたくないって言われたって私は平気。

 だってあなたがつないでくれるもの。

 

 だから私は自分を憐れんだりなんか絶対にしない。――するもんか。


 それに助けてくれる人も、支えてくれる人もたくさんいてくれる。

 そしてこんな私だって、誰かを支えることもできる。


 それを気付かせてくれたのも貴女の手。


 だから私は、まずはしっかり自分で立たなきゃと思うんだ。

 でも隣にはいてね?

 そしてたまにはこうして、手をつなげたら嬉しいな。


 つらい夜も多いけどさ。

 なんとか頑張ろうね。


 今年もどうか、よろしくね。

 来年も再来年も、ずっとずっとよろしくね。


 おばあちゃんになっても、手をつなげたらうれしいな。



                                               Fin

おくればせながら、あけましておめでとうございます。


旧年中は大変お世話になりました。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。


新年早々深圳に来ております。

こっちはまだクリスマスソングが流れたりしていて、旧正月前の年末の空気です。


今日から本格的なお仕事が始まる方も多いかと思います。

大変だとは思いますが、お互い頑張りましょう。


仕事始めのテーマで何か書きたいなと思っていたので、ファルラ嬢とルクレツィア嬢のコンビでエピソードを書いてみました。

通勤・通学の際にでも読んでいただければ嬉しいです。


本編の方はできるだけはやく投稿します。

書きたい閑話系が多いので、今の章をひと段落させてはやく書きたいと思っています。

夜街ガイドブック『グレンカイナの歩き方:夜編』とか。


今後もよろしくお願いいたします。

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