番外編 異世界娼館の聖なる夜 【X’masエピソード】
これは支配人が胡蝶の夢での夜噺を語り始める少し前のお話。
聖夜など存在しないテラヴィック大陸、グレン王国の王都グレンカイナでただ一つ、年が変わる少しだけ前の日になぜか休館して夜通し内輪で騒ぐ、『世界一の娼館』での出来事。
本来の意味や意義などまるで関係なく、ただ好きな人と一緒にいることを喜べる日。
好きで一人で過ごしているのに、なぜだか寂しさを感じてしまう日。
だけども誰もが、自分の心の中に住む大切な人を想いながら過ごす、特別な日。
そんな日を、支配人と嬢たちがどんな風に過ごすのか――
「うあ、気持ちわる……」
一階の社交室、その片隅で目を覚ます。
体調管理に特化したユニーク魔法を持ちながら、宿酔いになるとはなんという不覚。
とはいっても毎年この日はこんな感じだ。
いつもであればそんなに酒が過ぎることはないし、少々過ぎたところで宴席が終わった時点で体内の過剰アルコール成分をすっ飛ばすのですぐ素面だ。
まあ余韻を楽しみたいという場合もあるが、そういう時はいい酔い方をしているのでそんなに害はない。
昨夜みたいに身内で大騒ぎするとつい油断する。
酔っぱらったまま寝てしまうものだから、魔法を使う暇がないのだ。
ま、起きた瞬間の宿酔いの気持ち悪さは甘んじて頂戴するが、起きてさえしまえばすぐに回復できるというのは我ながら便利だ。
二日酔いを気にせず呑めるというのは、俺を含めた胡蝶の夢の嬢たちの特権のひとつだろう。
胡蝶の夢では一定の時刻を過ぎれば蠟燭や燈火の火は消され、魔法のものだけに切り替わる。
嬢たちの私室はその限りではないが、万一火が出たところで所有者が建てたこの『胡蝶の夢』の建物は燃えたりはしない。
一応念のためという規律だが、あれだけの乱痴気騒ぎの中でもいつも通りそうなっているのはさすが胡蝶の夢の店員たちだと感心する。
どんな宴席であっても、裏でそれを支えてくれる連中がいることは忘れちゃならん。
貧乏くじだと誰もが思う仕事を笑顔で引き受けて、いつものように矜持をもってこなしてくれた昨夜の店員にはなにかフォローをしておかなきゃならないな。
蝋燭や燈火は消えているが、まだ魔法の光が燈っているってことは、夜明け前ってことか……
テラヴィック大陸じゃ何の意味もない、年越し月の24の日。
年の瀬の今頃に、「クリスマス・パーティー」なるものをわざわざ胡蝶の夢を休館してまで開催するのは所有者の意向だ。
あっち、それも俺のいた国を詳しく知らなけりゃやるはずのないのがこのイベントだ。
つまり所有者も俺と同じ立場なのかと意気込んだら「アンタが昔言ってただろ?」とかわされた。
確かにそういう話をした記憶もあるし、俺が『胡蝶の夢』の支配人となってからこのパーティーは始まっているから、本当のところはわからない。
まあ今更の話だ。
所有者が俺と同じ世界の人間であろうが、別の世界からこの世界に来た人間であろうが、この世界の人間でありながら俺の世界のことを知っている存在であろうが、そんなことはもはやどうでもいい。
俺の命の恩人で、胡蝶の夢の所有者。
俺にとってはそれで十分だ。
さてと、今日の夜には胡蝶の夢はいつも通り灯を燈す。
宿酔いでお仕事になりませんってわけにはいかないから、みんながおねむの間にユニーク魔法をかけて回ることにする。
ったくみんなして高級娼館の嬢と店員とは思えない潰れっぷりだ。
日頃の鬱憤をここぞとばかりに晴らす連中も多いから、まあわからないでもない。
別に所有者の名のもとに厳命しているわけでもないが、こういうノリの時におかしなことをやらかす男性店員は胡蝶の夢にはいない。
惚れたはれたはなくもないんだろうが、酔いに任せてそういう邪な想いをもっていると百戦錬磨の嬢たちには一発で見抜かれちまうし、正直そういうのを身内の宴会に持ち込むのが嫌だと思ってくれている連中が多いんだろう。
日常にそういう欲望がもういいってくらい溢れかえっているものだから、特別な日にはスパッと切り離して騒ぎたくなるものなのかもしれない。
あるいは世間様とは逆で、娼館らしいといえるのかもな。
聖夜が性夜なんてのはあっちではよく言われていたが、娼館では逆だというのも面白い。
その割にゃ、昨夜の宴席は悪乗りが過ぎた気もする。
ここ数年で要らん知識を身につけた嬢たちが、やれサンタコスだのトナカイコスだの用意してやがった。
まさか店員と組んで経費処理してるんじゃあるまいな。
いやまあ、仕事にもつかえそうだから書類が回ってくりゃ通すことは吝かじゃないが。
きちんとトナカイコスの嬢が八人しかいなかったのはどっから情報仕入れているもんだか……出所はだいたい予想がつくけれども。
『大体クリスマスって何なんですか、支配人?』
『こんな角大きな生き物って、魔物ですよね? 聖なる夜に魔物が空を飛ぶってなんかおかしい』
『私たちはトナカイ? ですから支配人が鞭打ってくれるんですよね? ね?』
最後のリスティア嬢だけ何を言ってるのかわからん。
大体なんで俺がサンタポジションなんだ。
酔っぱらった状態で、赤と緑と白のもこもこ衣装に包まれた嬢たちにいろいろ質問されて適当に答えた記憶がある。
確か……
『古代文明で最も普及した書物の大元の生誕祭だよ!』
……。
嘘は言ってないな、セーフ。
所有者がどういう立場でこのパーティーを指示しているのかはわからんが、なんとなく意図はわかるような気がする。
この世界の神様も、俺のいた世界の神様と一緒で祈ろうが縋ろうが実際の問題を解決なんかしちゃくれない。
だからこそ嬢たちは胡蝶の夢で体を売っているんだし、神も仏もあったもんじゃないってのは夜街で働く人間ならみんなもうよくわかっている。
自分を救えるのは自分だけで、神頼みなんてするだけ無駄。
そんなことをしている暇があったら、文字通り己の身を張って稼ぐ方がはやい。
彼女らがどうしても譲れない、守りたいものは、そうすれば何とかなるものだからこそ、心の救済とか魂の安寧とか言っている場合ではないのだ。
だけどずっとそう実利的に生きていけるほど人は、心を持つ者は強くは在れない。
心の骨休めはどうしたって必要で、そういう時にばか騒ぎする理由としては、異世界の、それも本義から大きく外れたイベントが似合いなのかもしれん。
祈ったこともないから、救ってくれなかったことに文句を言ういわれもないしな。
本物は知らんが、少なくとも俺のいた国のお誕生日席の人は懐が深いから、聖なる夜に娼婦が騒ぐことも苦笑いで赦してくれるだろう。
マグダラのマリア――罪の女のように、うちの嬢たちを悔悛させるつもりは俺にはないから、その辺はお目こぼし願いたいところだ。
胡蝶の夢の嬢たちは当然目的を果たせば娼婦を辞める。
それは当たり前のことで、続けている連中はどうあれ、各々にしかわからない目的をまだ果たせていないからこそ続けているのだ。
だけど。
自分が娼婦であったことを誇れとは思わない。
忌まわしい記憶となるのも、当たり前のことだといっていいだろう。
それでも。
誰にも理解してもらえなくても。
自分を蔑んで、憐れんで、神様にでも縋らなければ救われない存在だとは思ってほしくない。
自分が体を売ってまで果たした目的とできれば一緒に、笑って暮らしてほしいと思う。
こんな宴会の一つや二つでそれが可能になるとは思っちゃいない。
だけど胡蝶の夢での暮らしが、思い出すのも忌まわしいものだけにならないようになってくれればと思いもする。
ただの自己満足、自己欺瞞なんだろうけどな。
所有者はその気になれば可能なのだろうが、その圧倒的な力で片っ端から人を救う様なことを決してやらない。
だけど己のすべてをかけてでも何とかしたいと思っている相手には、ほんの少しだけ手を差し伸べる。
それも全員じゃない、運よく所有者に出逢えた相手にだけだ。
俺だってその一人だ。
一緒に旅していた頃には、自分に力もないくせになんで救えるだけ救わないんだと食って掛かったこともある。
でも今ならば何となく、わかる気がしないでもない。
まだまだ答えには至れちゃいないが、ここで支配人をやらせてもらっていることには感謝している。
『また小難しいこと考えてるね』
と所有者には笑い飛ばされるんだろうけどな。
まあ、昨夜はみんな笑っていたから良しとする。
サンタクロース役としてみんなに配ったプレゼント、経費処理したら所有者にしばかれるかね? 自腹だと結構きつい。
そうして再び、娼館『胡蝶の夢』には灯が燈る。
まったくもって風情にも浪漫にもかける支配人の心配事で娼館の聖なる夜は明けるが、それも似合いか。
今宵からはまた神に祈らず己を頼み、どうしても譲れないもののために「罪の女」とされてもいくつもの夜を越えてゆく。
お互いほんの少しずつ、支えあいながら。
たまにはこんな風に、笑いながら。
何とか間に合いました。
なんてことないクリスマス特別話です。
暇つぶしにでも読んでいただければ。
今年は皆さんのおかげで拙作が書籍化されるという、夢のような出来事がありました。
本当にありがとうございました。
来年もできればよろしくお願いいたします。
目指せ累計入り&二巻発売!
300位の壁って、近づけば近づくほど険しくて燃える!
できましたら今までと変わらぬ応援よろしくお願いいたします。




