第弐拾参話 軸足の再確認
真夏の深い蒼と強い太陽の空。
その下で『爆裂』の魔法が黒煙を噴き上げ、『雷撃』の魔法が自然の雷とは逆に、地上から天へと向かって稲妻を走らせる。
この世界に『魔法』が存在し、それを自在に駆使する『魔法使い』なる存在がいることは嫌というほど知っている。
お客様の中に幾人も居られるし、『賢者』、『大魔法使い』と呼ばれるライファル老師とも懇意にさせて頂いているわけだしな。
何よりも所有者――元俺の師匠は大げさではなく『世界最強の魔法使い』といっても異を唱える者はいないだろう。
まあ所有者をある程度以上詳しく知る存在はかなり限られてはいるのだが。
よって使えもしないわりには、いわゆる普通の『魔法』というものについても無駄に詳しい俺である。
一時期、心の底から憧れていた時期もあったし、かなり特殊とはいえ俺も今は一応『魔法使い』の一人だ。
「こいつは派手だな」
そんな所有者のでたらめな規模の魔法を見慣れている俺をして、思わず口に出すほどに大規模な魔法が惜しげもなく空撃ちされている。
『賢者の一番弟子』と呼ばれるルザフ様級であれば苦も無く連発できるだろうが、そこらの魔法使い様がおいそれとできる芸当ではない。
一緒に連れてきた胡蝶の夢の高級娼婦たちも、さすがにそうそうは見ることのできない光景に歓声をあげている。
こんなことが可能なのはこの場所だからだ。
この場所――グレン王国の遙か南、飛び地領であるセリス島。
セリス島はこの世界に数か所しか存在しない、『魔力の噴出点』の一つである。
俺は所有者にくっついて回っていた頃に、おそらくこの世界のすべての魔力噴出点を回っている。
その中でも地上に噴出点が存在し、広く一般の人々にも知られているのはここだけだ。
魔力の噴出点では自身に魔力を取り込むことは不可能だが、間欠泉的に噴出する魔力に干渉して魔法を発現させることは中級者以上の『魔法使い』にとってそう難しいことではない。
もちろん敵などは存在しないが、魔法発動時の見た目は派手なものだ。
自分自身の魔力ではとても発動できないような大魔法も発動可能ってことで魔法制御の鍛錬にはもってこいだし、その光景は所謂「花火」のように鑑賞対象に充分足るものとなる。
時にテラヴィック大陸に名を馳せる高名な魔法使いも訪れるとあって、お金持ちの観光客が常夏のこの島には常に溢れている。
花火見物ならぬ、魔法見物といったところだ。
まああっちでいう、海底山脈と海流の関係で常に大波が発生する海上ポイントに、お金持ちたちが大型船や高級クルーザーで集まって波乗りと宴席に興じるようなノリといえばいいのかもしれん。
セリス島には高難易度の迷宮も存在しており、観光地としても迷宮攻略都市としても、グレン王国だけではなくテラヴィック大陸の中でも有数の繁栄している大都市だ。
神殺しからの招待なだけに欠席できないと思っていた冒険者ギルド本部主催の宴席に、俺及び胡蝶の夢の高級娼婦たちは全員出席している。
冒険者ギルド本部主催だけあって剛毅なことに、胡蝶の夢のメンバー全員のここまでの転移魔法の往復代金はギルド持ちである。
まあそうでもなければンディアラナ浮遊渓谷群とまではいかずとも、とても馬車だのなんだので簡単に往復できる距離でもないしな。
この宴席にタイミングに合わせるように所有者が送り込んできた弟娣子が所有者から受けている命令も冒険者ギルド絡みってことで、胡蝶の夢を休みにして参加する大義名分もできたってところだな。
雇われが所有者の意に沿って動くってのは当たり前のことだしな。
所有者絡みの理由での休館ゆえに、休みであっても嬢たちの稼ぎは最低限保証される。
三枚花弁以下の嬢たちは、王都グレンカイナでみな思い思いに降ってわいた休暇に翅を休めていることだろう。
四枚花弁以上の嬢たちには申し訳ないが、『胡蝶の夢』として招待されたからにはいつもと違うとはいえお仕事の日。
ご予約をいただいていたお客様には泣いてもらわなければならないが、そのへんはまあ後日御納得行く形でフォローはさせていただく。
当然頭も下げたおしてきたのだが。
嬢たちもその辺は心得ていて、今日明日に予約くださっていたお客様へのフォローはわざわざ俺が言わなくてもそつなくこなすだろう。
念のためある程度までならサービスの許可も出すには出すが、そういうのは店がやったというより、嬢たちが自分の判断でやったという方がお客様の受けがいいのは当然だ。
あざといといわれようが、大金を出してそのあざとさをこそ愉しみに来られている方々にはそのくらいでちょうどいいのだろう。
なかには天然で、駆け引きに長けたハズの貴顕の方々を右往左往させてしまうのもいるが。
……本当に天然なのかね?
まあ、深淵は除きこまない方が賢明かもしれん。
ちらりと視線を投げると、「きょとん」という表現が一番しっくりくる様子で、リスティア嬢が首をこてんと傾げる。
うんまあ、これが天然だろうと計算づくだろうと、もうどうでもいいやとなるお客様の気持ちはわからないでもないか。
俺の背後にはいつものように、胡蝶の夢が誇る『五枚花弁』、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢が続き、その後に『四枚花弁』の嬢たちが続く。
今までと違うのは、俺のほぼ真横に弟娣子であるリンが並んでいることだ。
傍目には娼館の支配人がものすごい美少女を連れているという、あんまりよろしくない絵面なんだろうが、正体を知る俺はそういう目を向けられても苦笑いだ。
次々と発動する大魔法を見て、「おいしそう」という感性が兄弟子には理解できません。
さすがに巨大な銀狼が隣をのっそのっそついてくることにももう慣れた。
毎朝の散歩の賜物といっていいだろう。
踊りの達者な魔獣というのもどうかと思わなくもないのだが。
そのリンの正体がばれているわけではないのだが、胡蝶の夢一行はまわりの視線を集めている。
そりゃあな。
俺の後ろに続く、世界一の娼館の嬢たちが、この島の気候に合わせた格好――俺にいわせりゃまあ水着だ、こいつは――をしていれば、彼女らが主として男性陣の注目を集めるのは順当だ。
宵闇こそが似合いの胡蝶の夢の嬢たちだが、たまにはこんな強烈といっていい日の光の下でこういう格好をしているのも悪くない。
お日様の下でこうして笑っている彼女らこそが、本来あるべき姿なのかもしれん。
だがそれぞれの嬢の目的のために夜の女となっていたって、今昼の光の下で笑っている彼女たちの本質は何も変わっていないように見える。
そうだと思いたいだけなのかもしれないが。
日焼けだなんだは嬢たちの好みに応じて、俺のユニーク魔法でどうとでもなるのは夏のンディアラナ浮遊峡谷群への慰安旅行(と呼んでいるのは俺だけだが)で実証済みだから心配は要らんしな。
ほぼ全員が必要以上に肌を晒していない衣装を選択しているのに、妙に色っぽくなってしまうのは、これはもうお仕事柄仕方がないところだろう。
リンがいかにも子供の体躯でありながら誰よりも煽情的()な衣装になっているのは笑いどころなのだろうが、笑ったらまた三日ほど巨大な尻尾ではたかれ続けることになるのでそこは堪える。
人工的とはいえ賢者モードを発動しているからには、愚かなことをするわけにはいかない。
セリス島の刺すような日差しと、高温のわりに湿度が低いため、スコンと抜けたような青空と空気にはこういう衣装がよく映える。
コバルトブルーの海もすぐそばだしな。
「何か感想はないのか? ん?」
「あの……似合います、か?」
「支配人はこういう格好の方が照れるよね? なんで全裸ではだめでこういう中途半端なのがいいんだろ~?」
俺のすぐ後ろにいるルナアリア、リスティア嬢、ローラ嬢が案の定自分の衣装の感想を俺に聞いてくる。
この手の質問の正解を導き出すのは難易度が高い。
あと最後の。
思っても聞くものじゃない、そういうのは。
大体一回、そのへんをうっかり熱く語ったら引いてただろうがローラ嬢。
ルナマリアはシンプルな黒のセパレート。
リスティア嬢は青のなんかフリフリ。
ローラ嬢は前から見ればワンピースっぽいんだが、後ろから見ればセパレートに見える不思議な白いのを身につけている。
全員パレオ? も装着している。
「あー、まあ似合ってる……と思うぞ?」
褒めすぎても嘘くさいし、似合っているのは本当だから無難な返事を返しておく。
芸がないことはわかってはいるが、こういうところでさらりと気の利いた台詞が言えるようになる自分は想像できない。
「気がきかんのう」
「がっかりです」
「もうあきたなー、そういうリアクション」
や か ま し い
いや正直わかんねえんだよ、水着の種類なんて。
色が黒ですね、とかフリフリですね、とかなんか不思議な形ですね、しか言えんわ。
「まあのう。支配人が真顔で「白い肌に黒が映えるね」とか言い出したら笑うが」
「わ、私は喜びますよ? よ?」
「あははははは私はムリ~絶対笑う~」
お前ら……
いやまあ確かに言われるとおりか。
自分でも笑うわ、そんなの。
だいたいそんな台詞を吐けるのは、歯がきらりと光る奴だけだ。
この三人との会話を、『四枚花弁』の嬢たちに笑われるのにももう慣れた。
「僕は? 僕は似合ってる?」
当然俺の前にでて振り返り、そこらのお嬢様方を真似たのであろうポーズをとる弟娣子殿。表情は相変わらず無表情なのだが。
いかん不意を突かれたので、俺も真顔で固まった。
美少女の姿だけ見ていれば、背伸びをして大人なデザインの水着を付けた微笑ましい格好といえなくもない。
海に入ると間違いなく上が脱げるのが定番だろう。
だがそれに重なるように巨大な銀狼の正体も見えているので、思わず素になった。
正体の巨大な尻尾と、それに連動した幻影のアホ毛がぶんぶん振られているのもそれに拍車をかける。
「……ちょっと大人っぽ過ぎるかな?」
「そう。……姉様たちみたいに胸がないからかな」
かなりオブラートに包んだ俺の感想を伝える。
予想に反してしょんぼりされた。幻影の方はぺたぺたと自分のすとんとした胸部を触っている。
嬢たちから非難めいた空気が醸し出されるがそんなこと言われてもな。
この質問しているのの正体、巨大な銀狼なんですが。
「いや、うん、まあ、そのうち育つよ」
「兄様はらしさを好む。覚えた」
「リンは理解がはやいの」
「さすがは兄妹弟子ってことなんですかね?」
「というかこれは支配人がわかりやすいってだけなんじゃないかな~?」
なんか俺ローラ嬢の尻尾踏むような真似したかな?
覚えはないんだが、どうも今日はアタリが厳しい気がするんだが。
全裸派としては水着衣装に反応を示す俺が気に入らないんだろうか?
ローラ嬢、ルナマリア、リスティア嬢以外にはいつもどおり動じない俺に見えてるはずなんだがな。
人工的永続賢者モードは発動中なわけだし。
「ようこそおいで下さいました、『胡蝶の夢』御一行様。主がお待ちです、こちらへ」
馬鹿なことを言い合いながら呼ばれた場所へ向かっていると、痺れを切らせたものかこの宴席の主催者の使いが俺たちの前に現れた。
さっさと来いということなのであろうが、このくそ暑い中執事服に身を包んでいるのは大したものだ。汗はかいているが、暑そうな顔は決してしてみせないあたりいい仕事人なのだろう。
「承知しました。――よーし、みんなは宴席愉しんで来い。ただ狩りは禁止。純粋に愉しんでこい」
さすがに主催者の所まで胡蝶の夢全員で伺うわけにもいかないので、解散宣言をする。
狩り禁止令に「えー?」という抗議の声も上がるがそれは本当に禁止だ。
狩り――ここでお客様を見繕うのは本当に禁止だ。
健全に男女の駆け引きを愉しんでおられるところへ、猛獣解き放つような真似は出来ません。
俺たちを呼びに来た執事さんが不思議そうな顔をしているが、胡蝶の夢の嬢たちを制限なしで好きにさせたらほんとにこの会場は狩場になっちまうんですよ。
それが商売抜きというのであれば無粋なことは言わないが、皆が愉しんでいる空間でお客様探しとなればさすがに無粋が過ぎる。
胡蝶の夢としてはありっちゃありなのかもしれんが、ガルザム老の顔を潰すわけにもいかないしな。
じゃあおいしいもの食べよっかー、などと思い思いの方へ移動していく嬢たちと違い、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢は俺についてくるつもりのようだ。
弟娣子殿は言うまでもない。
まあそうだろうとは思っていたけどな。
「お招きに預かり光栄です」
通された巨大な大天幕は内部が三階層になっていた。
第一層は自由な空間、いわゆるクラブのような場となっており、男女ともに踊ったり口説いたり口説かれたりしているようだ。
第二層は食事や酒を愉しめる場となっており、一層で合意した二人ないしは集団が楽しそうに騒いでいる。
通された第三層は俺たちしかおらず、あるいはこの会談のためにしつらえられた空間なのかもしれない。
そこででっぷりと太った冒険者ギルドセリス島支部のマスターと、王陛下からセリス島の総督を任じられているわりと若い文官が待っていた。
ここのギルドマスターはスポンサーが名誉、肩書を欲しがったパターンらしい。
こういうのは実務担当者と話をした方がはやいんだが、名誉、肩書を欲しがるようなお方はこの手の席では前に出たがるというのもまあ順当か。
こういう騒がしい空気は嫌いじゃないが、焚きこめられている香の臭いに覚えがある。
他人様の宴席に嘴突っ込む気はないが、普通の宴席でこういうのはあまり好きじゃない。
「御足労かけて申し訳ない。先の壮行会でも胡蝶の夢の方々は目立っておりましたな。流石は王都一、すなわち世界一の娼館の方々です」
言葉こそは丁寧だが、「娼館」というものを馬鹿にしている空気を隠そうともしていないギルドマスターが口を開く。
その眼は俺の背後に立つ三人に向けられており、まあわかりやすい視線だ。
初対面でこういうのはいつものことなのでいちいち腹も立たない。
綺麗な女性ってのは四六時中こういう目にさらされるのもうんざりするものなんだろうなとは思う。
まあ御仕事柄文句を言うことでもないのだろうが。
……俺もズルしてなければ視線は本能で引き付けられちまうから、これについては偉そうなことを言えたもんでもないな。
「お褒めいただきありがとうございます」
褒められたことは確かなので、とりあえず礼を述べておく。
ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢も俺と同じでこういう対応には慣れたものなので嫣然と微笑んで見せているが、我が弟娣子殿が御立腹だ。
毛を逆立てるんじゃありません。
野生に近いだけに「侮られている」という空気は敏感に感じ取れるものらしい。
こんなのでいちいち怒っていたら娼館なんてやってられないんだよ、弟娣子殿。
「ですが素人の女性もよいものですぞ? 今この会場にいる女性たちは流石にお貴族様はおられませんが、みな裕福な家の子女たちです。気が向けば遊んでみてはいかがです? 己の男としての魅力だけで女を口説くこともたまにはよいのでは?」
こちらが辞を低くすると余計なことを言い出すのもいつものことか。
まあ美女を引き連れて歩いている(ように見える)俺に、何か言いたくなるのはわからなくもないんだがな。
娼館の支配人ってのも、思っておられるより大変なんですよ?
どこぞの砂糖菓子頭の妄想みたいに、毎夜酒池肉林ってんなら羨ましがっていただいてもいいんですが。
それはそれで大変だと思うんだがな。
とりあえず職権乱用ではなく、実力で女の一人も口説いてみろと仰るわけだ。
しかし俺はそんなに職権乱用しているように見えるのか? 傍から見れば常に『五枚花弁』三人をひきつれて歩いているように見えるのだろうし、仕方がないのか。
こいつらが勝手にくっついてきてるだけなんですよ、って言いまわるほうが敵を増やしそうだし、そもそも信じてももらえないだろうから諦めることにする。
「怒ると怖いのがおりますので、危うきには近づかぬようにしておきます。君子を気取るつもりはありませんが、見えている地雷を踏み抜く趣味はありませんので」
そんな甲斐性も技術もないが、正直なところを言えば一度くらいは挑戦してみたくはある。
やったとしても結果は見えているし、その上要らんお叱りを受けるだけなのが分かっているのでやりはしないが。
よって丁寧にお断りさせていただく。
「地雷?」
「いえ、戯言です」
うっかりこっちにはないであろう言葉を出してしまった。
あるとすれば埋火あたりだろうが、あったとしても軍部のものでなければ知らない言葉である可能性が高いか。
それよりも――
「ですが、一言だけ。軽い酒程度であればまだしも、己の男としての魅力だけで口説けと仰るのであれば、この手の香や薬の類は無粋ですね」
そういって別に何のアクションも伴わずに俺のユニーク魔法を発動させる。
これでこの大天幕に充満した、その手の香や薬は一切の効果を失ったはずだ。
香や薬自体はなくせないので、それを吸った人間すべてからその効果を消す。
丸二日くらいは消し続けるだろうから、これで問題ないだろう。
突然素になった階下の人々から、ざわめきが伝わってくる。
愉しく酒を呑んでいただけの方々には申し訳ないところだ。
女を本気で口説こうが、金で買おうが、駆け引きの結果騙し騙されようがそれは当人同士が好きにやってくれりゃあいい。
そこへ嘴突っ込むほど不粋ではないつもりだ。
ただし正しい対価を払え。
それは金であろうが、真摯な自分であろうが、偽りのリスクであろうが構わない。
――掠め取るな。
「こ、これは……」
魔法の発動は感知できなくても俺が何かをしたことには気づいたようで、ギルドマスターが動揺している。
いいから本題に入ってくれないかなと思っていたら、ずっと黙って興味深そうにしていた総督が口を開いた。
「さて、壮行会だけではなく、わざわざこちらにお越しいただいたのにはもちろん理由がございまして……お願いがあるのです」
「私の権限でお応えできることであればいいのですが」
それはそうだろう。
お願いもないのに胡蝶の夢の高級娼婦を全員招待するような剛毅なことはやらないはずだ。
どこぞの王家でもあるまいし。
何事もなかったようにさらっと話をするあたり、王陛下にこの要地を任されているだけはあるのか。
「これから我ら冒険者ギルドが開始する『大攻略』をささえる柱となってほしいのです」
先の『壮行会』と関連があるのは当然のことか。
セリス島にある大迷宮の最下層と思われていた、その先が発見された。
今まで最下層と思われていた場所よりも凶悪な魔物と罠に溢れ、それ故にこそ見返りも膨大な新天地が目の前に開けたのだ。
『冒険者』という生き物は、その際リスクよりもリターンの方を考える。
得られる富はさておいても、先が発見されれば最下層まで踏破してやろうとするのが冒険者の性ともいえるしな。
先の壮行会とやらでは、主に若手の冒険者たちが、ギルドやこの攻略の出資者たちの煽りに熱狂的にのっていた。
手練れといえる連中は流石に安易にとらえてはいないようだったが。
ガルザム老は苦笑いだったな。
王都グレンカイナ支部のマスターとしては、水を差すわけにもいかないのだろう。
老練な冒険者たちほどよくわかっているのだ。
先人が存在しない、地図すらない迷宮攻略の難しさというものを。
だがまあそういうのは嫌いじゃない。
己で決めた規律に沿って、支払うべき危険を承知の上で、名誉や富を追い求める生き方は、一度は憧れたものだしな。
呑み仲間の三馬鹿トリオ、ザガクリフ、カシムラーダ、リヴィスが無理しておっちぬようなことがなければいいが、お調子者だからなあ、あいつら。
なまじっか腕が立つだけに、本来人では無理な領域まで辿り着いてしまうかもしれん。
まあお願い――支える柱となるというのは、俺のユニーク魔法を、深層攻略で疲弊するであろう冒険者たちに使ってほしいということで間違いない。
「残念ですがお断りします」
そんなことに付き合うつもりはない。
冒険者として、無理して稼ぐしか大切なものを守れない奴もいるかもしれん。
胡蝶の夢の嬢たちと同じように、他のいろいろなものを諦めて、死の覚悟を決めて迷宮に挑んでいる者もいるのかもしれん。
だが俺はそんなに万能じゃなくて、夜街全体どころか胡蝶の夢と提携店を回すだけで精一杯の人間だ。
両手で持ちきれないものを抱え込むと、ろくな事にはならない。
共感できるから、言っていることが正しいからと自分の手に余るものに手を出して、本当に自分の大切なものが疎かになるのは愚の骨頂。
だから俺は選択する。
それが傲慢でも、残酷でも、自分のより大切な方を常に間違えることの無いように選ぶ。
それでも後悔することの方が多いくらい、現実ってやつは手厳しい。
「な、なぜです? 如何に世界一の娼館の支配人職とはいえ、我々の出す条件の方がよほど……」
「条件云々は置きますが、私は好きでこの仕事をしております。それ以外に理由が必要ですか?」
確かに条件はいいのだろう。
今の給料の倍ではきかない条件だって、あっさり通るのかもしれない。
だが俺が「逆凪」に耐えられるのは、金や地位じゃないのは自分が一番よくわかっている。あの時に思い出すのがそんなものじゃとても持たない。
そもそも所有者の店ほっぽり出して転職なんて考えたこともない。
「世界の発展に貢献する冒険者をささえることよりも、金のために体を売る娼婦の世話の方が大事だと――」
「何が大切かは、俺が決める」
お前はもう黙ってろ、ギルドマスター殿。
アンタがそうやって蔑むうちの嬢たちは、金には代えられないものがあるからこそ、それを護るのに必要な金のために体を売ってんだよ。
アンタが冒険者たちを、冒険を大事にしていることはよくわかった。
だが自分の大事と他人の大事を比べるな。
「なんとか、協力だけでもお願いは出来ませんか?」
総督が再びフォローを入れるように言ってくる。
「胡蝶の夢の所有者が彼女を冒険者として登録し、攻略に協力させる意向のようです。彼女が胡蝶の夢と迷宮を行き来するついでであれば、できることは致しましょう」
それは所有者の思惑でもそうなのだろう。
我が弟娣子殿を送り込んできたのも、そのためのはずだ。
所有者――師匠がとっくに見つけていた最下層の先へ、今の『冒険者ギルド』が挑めば大きな被害が出る。
それを知っているからこそ、弟娣子殿を送り込み、旧知の『神殺し』と組ませて探索させようという腹積もりのはずだ。
さすがにギルドも初探索は手練れで組んだパーティーで慎重に行うだろうしな。
その組み合わせであれば、セリス島の迷宮程度であれば何とかなる。
本当の最下層にたどり着いたとしても、弟娣子殿がいれば問題はないだろう。
「こ、こんな小娘――」
「ありがとうございます」
目に見えるもの、自分の価値観が全てだとおもっているギルドマスターが何やら言いそうになるが、総督がそれを途中で遮る。
現時点では俺からこれだけの言質をとっておけば十分だということだろう。
やっかいなことをひきうけちまったなと思案していると、外で大きな騒ぎが起こる。
何が起こったのかと外に出てみれば、見世物として行われていた大魔法が暴走したらしい。
年に何度か発生しているとは聞いてはいたが、わざわざ今日でなくともよかろうに。
稀に大事故が発生しようが無くなりゃしないのは、『花火』と同じだな。
セリスの花ってわけだ。
「食べていい?」
ぱっと見て大惨事になりそうな大魔法の暴走を前に、俺の袖を引っ張りながら、弟娣子殿が妙なことを言う。
「僕の好物。魔法、魔力」
クエスチョンマークを頭に浮かべて見下ろすと、めったに浮かべない笑顔を浮かべて言われた。
いや、あの「おいしそう」っていう感想、喩とかじゃなくてそのまんまの意味だったのか。
何それ。
そんな魔獣がいたら『魔法使い殺し』みたいなものじゃないか。
「それでどうやって所有者に負けたって?」
如何に桁外れの力を有しているとはいえ、所有者――師匠も『魔法使い』にカテゴライズされる存在だ。
魔法や魔力を「好物」といって喰らえる魔獣にどうやって勝ったんだあの人。
まあ何でもありなあの人のことだし――
「なんか魔法を自分にかけてびゅんびゅん動くやつで、ぽこぽこにされた……」
あー……
そういうこともできるのな、所有者。
要らんトラウマを刺激したみたいで、本体幻影ともにぷるぷるしている。
おい、お前ら三人もぷるぷるしてるのはどういうこった?
お前らもそれでぶっ倒されたのか。
――ご愁傷様です。
とりあえず大魔法の暴走は、弟娣子殿がおいしくいただくことで犠牲者もなく終息した。
これあっという間にうわさで広がるんだろうな、暴走する複数の大魔法を苦も無くおさめた美少女冒険者ってな……
まあ本当に冒険者として動くんだからそりゃいいのか。
その場にいた全員を呆然とさせた弟娣子殿は、今俺の隣で未だにご機嫌よろしくないらしい。
めずらしく幻影の方はふくれっ面の表情を浮かべて、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢三人の、リン曰く「姉様」とやらに文句を言っている。
「姉様たちはなぜ怒らなかったの? 僕なら齧る」
さっきの会話のことを言っているのだろう。
弟娣子殿にしてみれば、俺もルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の三人も、自分に優しくしてくれる人ばかりな胡蝶の夢も馬鹿にされたと感じているのだろう。
それは間違いじゃない。
にも拘らず、俺のみならず自分でも尻尾を巻くくらい怖いはずの「姉様」たちが怒らないのが不満でもあり、不思議でもあるのか。
「んー? 支配人が代わりに怒ってくれたからの」
「自分の代わりに怒ってくれる人がいるというのは、有難いことのなのよ?」
「齧るなら支配人を齧らせてほしいかな~」
ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の答えに、弟娣子殿は本体も幻影も首を傾げている。
そういう機微はまだ小さい弟娣子殿にはわからんか。
三人が妙にご機嫌なのが逆に怖いが、まあそういうことだ。
俺が本気で怒らないのも、胡蝶の夢の連中ならあの程度は笑い飛ばすと知っているからだ。
蔑まれたり侮られたり、不浄と嫌われるのはお仕事のうちだ。
肘入れるくらいのことは、やってもいいとは思うからやるけどな。
齧るより齧られる方が、などとやいのやいの始めた三人は放置する。
小さいリンの前で怪しい話をするんじゃねえ。
しかし所有者――師匠が封じた部分に、人の手が入り始めたな。
あの人の目的がなんなのかは知らんが、おかしなことにならねばいいんだが。
日が暮れても胡蝶の夢に灯が燈らんような時代にだけはなってくれるな。
とりあえずはせっかくのこの場を愉しんで、さっさと胡蝶の夢へ帰ろうか。
今夜はみんな完全にフリーだから、のんびり吞めるな。
次話 真夏の夜
いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。
書籍版を読んでくださった方々も、本当にありがとうございます。
なろう版にいないキャラなども出てきておりますが、今後なろう版にも登場させていく予定です。
今年は皆様のおかげで実現した、慣れぬ書籍化作業で更新ままならぬ状況が長く続きましたが、来年はもう少しマシになると思います。
できましたらこれからもよろしくお願いいたします。




