第弐拾壱話 支配人の弟娣子
『お前の弟娣子だ。お前の言うことは私の言うことだと思えとだけ言ってある』
その弟娣子本人から、無言で手渡された手紙の文面だ。
簡潔に過ぎる一文を見て俺は膝が崩れそうになった。
いやあのな師匠。
おっと所有者か。
いや今はそんなことはどうだっていい。
一見、偉く整った顔の子供に『兄様』と呼ばれるくすぐったさもこの際置いておく。
所有者が突拍子もないって事は理解していたつもりだが、さすがにこりゃねえよと言いたくもなる。
手紙はいいが、その前に余計な一言を口頭で伝えてることは無視か。
おかげで久しぶりに本気で怖かったじゃねえか。
――くそ、情けねえ。
最初に逢う場所が俺の執務室じゃなかったらどうしてくれるつもりだったんだ所有者。
俺は相変わらず『戦闘力』なんざ皆無だし、状況次第じゃ殺されちまってたぞ。
……まあいい。
とにかく俺の目の前に一見無表情で佇む子供に見える存在は、所有者曰く俺の『弟娣子』らしい。
つまり俺はこいつにとって兄弟子となるので、『兄様』と呼ばれるわけだ。
うん、理屈的には矛盾はないな。
そうじゃねえ。
初見であれば無表情にしかみえないこいつの表情が、実はちょっと照れたような、感心したようなものになっているのがわかるのは、最初の本当に無表情なところを見ているからなのかね?
……問題の本質はそんなところではないんだが。
「兄様。……今日からよろしくお願いします」
まだ育ちきっていない小さな体で、ぴょこんとお辞儀する。
まあこの所有者の手紙がある以上、俺に拒否権なんぞありゃしねえ。
そりゃいいが、どうよろしくすりゃいいってんだ、いったい。
ここは娼館なんだぞ?
もちろん子供を働かせていい場所じゃあない。
働かないにしても、暮らす場所としてもよろしい場所とはいえねえだろう。
主に情操教育的な意味で。
……この弟娣子みたいな存在でも、そういう問題はあるのかね?
所有者にくっついてしばらく旅ができていたこと、此処まで一人で来れたこと、何よりもさっき見せた力の一端からしても、戦闘力としては相当な力を持っているのは間違いない。
正体からすりゃ当然とはいえ、羨ましい限りだ。
数年前の俺なら、素直に弟娣子として受け入れることには相当な抵抗があっただろう。
だがおかげさまで今の俺は、力の在り方が戦闘力だけじゃないってことを知ってる。
そういう力が必要な時や場所、なによりも人がいることも経験として得ている。
冒険者になりたくて娼館の支配人の立場に不満を持っていた、何も知らない頃の俺じゃない。
『胡蝶の夢』のみんなのおかげだから、偉そうなことは言えねえが。
まあとにかく、俺の弟娣子とやらは冒険者としてなら今すぐS級としても通用するだろうが、娼婦としちゃお話にならない。
それは何も年齢の話だけをしているわけじゃない。
所有者がわざわざ『娣子』と書いてくださっているように、まだジャリにも届いていないとはいえ俺の弟娣子は一応女の子ではある。
女の子でいいんだよな?
小汚ねえ旅装といい、棒っきれみたいな体といい、不愛想どころか無表情な顔といい、一見すりゃ冒険者か傭兵によくくっついてる小間使いの小僧にしか見えねえ。
だが荒れ放題にしちゃいるが手入れをすれば相当に綺麗であろう銀髪。年齢からは考えられないくらい落ち着いた斑の金瞳は大きく、顔のつくりもえらく整っている。
――見たままの姿で成長すれば、数年後には『高級娼婦』入りは間違いないだろう。
が、間違いなく娼婦は務まらない。
なぜならば目に見える姿は、首から下げられた首飾りがそう見せているだけだからだ。
おそらくは所有者の手による魔法道具で、本来の姿の特徴を捉えて人間のように見せているだけ。
子供に見えるのは、実年齢がそれくらいだからなのかね?
何でもありな所有者の魔法に今更驚いたりゃしないが、さすがにこれは驚くというか困惑する。
俺の『弟娣子』とやらの正体は、巨大な銀狼。
人語を解し、魔力を宿した――『魔獣』と呼ばれる魔物の上位種。
にもかかわらず背後のルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の視線が痛い。
女の子とはいっても魔獣ですよ? お前ら俺をなんだと思ってるの? 獣もありの人か?
――事は数刻前に遡る。
週末の昼下がり。
俺は眠い頭を無理やり働かし、欠伸を噛み殺しながら書類仕事を片っ端から片付けていっている。
しゃきっとしててもそう回転の速い頭じゃねえだけに、山のようにある書類をさらりと処理するなんていう洒落た真似はとても俺にはできない。
愚直に時間をかけて、一枚一枚進めていくしかない。
そんな最近、わりとよくある状況下。
「もっとかまえ」
……いやあのなルナマリア?
確かに店に灯が燈るまでは好きにしてりゃいいし、それまでにまだ結構間がある時間帯であることは認めるのにやぶさかじゃねえ。
毎度毎度ノックもせずに俺の執務室へ入ってくることも、この際目を瞑る。
今夜もご予約頂いているんだから、昼間は寝とけよと思わなくもないけどな。
まあ最低限の睡眠さえとってりゃ、体力面は俺の魔法でなんとでもなるんだけどよ。
けどお前ら、本来なら寝ている時間に起きだしてせっせと仕事に精を出してる俺の邪魔するために、お前らまで早起きする必要もねえだろうと思うんだが……
「だって最近、支配人仕事ばっかりなんだもーん」
そうだなローラ嬢。
『猫の接吻』との提携が本格的に動き出したし、ヴェロニカ嬢のシステア侯爵家の復活以降、担当文官のなんたら子爵がやたらと俺の意見を聞いてくるし、『黄金の林檎』の業突く張りばあさまは何かとうるさいしな。
冒険者ギルド本部からは、なにやら御大層な壮行会? とやらへの招待状は届いてやがるし、処理するよりも積みあがっていく仕事のほうが多いんじゃないかってな惨状だ。
シルヴェリア王女殿下とカリン王女殿下の来訪すら、ご無礼にもお引き取り頂いているほど忙しい日が続いている。
……仕舞にゃ無礼討ちになるんじゃねえかな、俺。
いやだからほんとに忙しいんだって。
とはいえ自分が決めたことだからこそ、いいかげんにはしたくねえしな。
「お仕事の邪魔はしませんから……ここにいさせてもらってはいけませんか?」
そうきたかリスティア嬢。
いやお前ら三人に囲まれて落ち着いて仕事しろっていったって、そりゃ無理なんじゃねえかと言いたくなるんだが……
まあおとなしくするとこいつらが言うのであれば、おとなしくはしていてくれるのだろう。
「それくらいはよかろうが、けちくさい」
「そーだそーだ。――仕事と私とどっちが大事なの?」
やかましい。
あとローラ嬢、その手の質問は冗談でもお客様にはするんじゃねえぞ?
悪い笑顔で冗談だとはわかるが、男がしてほしくない質問としちゃ結構上位にあると思うからな。
確かに最近、仕事としての会話やユニーク魔法をかけるという接点は持っちゃいたが、ルナマリアの言うように『かまう』――他愛ない私的な会話や時間をあんまり持ててなかったってのは確かか。
いや以前はこんなもんだったような気もするんだが、ここしばらくは呑む機会も増えたりしていたから、そう感じるようになっちまってるんだな。
『胡蝶の夢』の売り上げ上位嬢のケアをするっていう意味においては支配人としての仕事の範疇ともいえるんだろうが、そういうことでもねえな。
言われて初めて認識するってのも間の抜けた話だが、俺自身もその状況を「味気ない」と感じてしまってんだから世話はない。
「寂しい」と言ってしまったら何か負けな気がするから、心の中でも言わねえが。
「……おそらく店開くまでには終わらんぞ。それでもいいか?」
俺の言葉に、言いだしていたルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢が驚いた顔をしている。
自分の意志の弱さに自信がある俺としては、仕事中は一人になるという形に拘っていたところがあるのは自覚がある。
そうでもしないと、いつまでたっても仕事が終わる気がしない。
わりと融通の利かない俺が折れることが想定外だったのか、許可に対して即応できていない。
こういうところはいつも思うが可愛らしい。
「おとなしくしとけよー」
三人の反応に何となく照れくさくなる。
誤魔化しがてらにかけた言葉に、無言で三人が首を縦に何度も振っている。
いや、一言も発するなって意味じゃねえよ。
笑わすな。
吹き出しそうになるのを堪えながら、再び書類に目を落とす。
量が膨大ってだけで、ややこしい書類自体は優秀な店員がきっちり仕上げてくれている。
ほとんどミスらしいミスもないし、俺の仕事は確認と決済だ。
ミスのチェックももちろんだが、正しい数値とその報告の中から『違和感』を見つけ出して、『胡蝶の夢』の運営方向の判断をしていくのが一番重要な仕事といえる。
やろうと思えば適当に承認印を捺して済ませられる仕事ではある半面、それをしちゃ終わりだとも思ってる。
だからこそきちんと集中してやらにゃならん仕事だ。
申し訳ないが、ちゃんと集中しなければとても俺には務まらん。
動く気配がするのでふと目をやると、三人ともそれぞれこの部屋で過ごす場所を定めたようだ。
可能な限り物音を立てないように各々の場所へ移動しようとしている。
素直に来客用のソファに座っておく気は無いんだな。
なんか気儘な猫みたいだ。
結構デカい俺の執務机、俺から見て右側の端に椅子を引っ張ってきて座り、机に手と顎を乗せているローラ嬢。
首をコテンとさせた拍子に目が合うと、ふにゃと笑われた。
なにがそんなに楽しいんだかな。
リスティア嬢はローラ嬢の逆側で、机に寄りかかるように座っている。
右手を机につき、俺よりも高い位置にある腰を机に浅くおろしている。
視線は俺のほうへはむけず、窓の外を見ているようだ。
その横顔と、左手で黒髪をすく仕草が様になっているので、机に尻をのせるんじゃねえよという文句は呑み込んだ。
見惚れさせられたら負けだ、負け。
三人の中では一番小さいルナマリアは、とことこと俺の椅子の背後に回り、その小さな体を俺の椅子の背もたれに預けている。
背もたれ越しにだが、ルナマリアの重みが感じられてなんだかおもしろい。
こっちが体を深く沈めるとわずかに引き、そのあと緩やかにもう一度体重をかけてくる。
なんとなく平衝がとれている感覚が気持ちいい。
油断すると眠くなりそうだ。
たかが体重のかけ具合で、顔も見えないのにルナマリアの存在を感じられるこの感覚は、どういえばいいのかね。
まあしかし三人が三人とも、長い時間を過ごすに適した場所と格好とは思えないが、本人がそれでいいなら口を出すこともない。
とびっきりの美女三人にこんな風に囲まれながら、仕事に集中できる俺は俺で大したもんだと自画自賛しながら、今度こそ書類に集中する。
ふと笑いがもれる。
仕事なんてな好きでやっててもくそ忙しいとイライラするもんだが、こんな妙な状況下なのに、かえって落ち着いて集中できるってのもおかしなものだ。
判断が重要視される仕事において、穏やかな気持ちでそれに臨めるっていうのは大事なことなのかもしれないな。
『五枚花弁』を三人も侍らせてそんなこと言った日にゃ、御贔屓筋から縊り殺されかねないが。
すくなくともへっぽこ冒険者トリオであるザガクリフ、カシムラーダ、リヴィスの三人からは蹴りくらいは頂戴するだろう。
そういえばあいつらとも最近呑んでないな。
冒険者ギルドの『壮行会』とやらに来るのであれば、その場で呑めばいいか。
へっぽこ連中が呼ばれているのかどうかは不明だが。
そもそもなんの『壮行会』なのかもわかっちゃいないが、ガルザム老からの招待状だけに断るわけにはいかないだろう。
まあいい、仕事を進めよう。
正午はとうに過ぎ、夕暮れに向かって日は西にかなり傾いている。
『胡蝶の夢』がある通りからは結構離れた市場通りからの喧騒が遠く、窓越しにさやさやと届く。
週末であればさぞや買い物客で賑わっているのだろう。
今夜ご予約いただいている、お気に入りの嬢への贈物を買ってくださっているお客様もおられるかもしれない。
取りようによっちゃみっともなく映るのかもしれないが、贈物を選んでいるときの気持ちは、意中の彼女に手伝いで貯めたお金で贈物を買う小僧とそう変わるもんでもないだろう。
贈る相手を思い浮かべながら選んでいる時の、足元のおぼつかないような浮かれた気分は俺も嫌いじゃない。
そのお客様を気持ちよくお迎えするために、この時間から階下で準備を進める店員たちの気配も伝わってくる。
ぱたぱたと、俺たちの仕事場を駆けまわっている空気。
骨惜しみせず、毎日毎夜『胡蝶の夢』を美しく、夢を見せる場所として維持してくれている頼りになる仲間だ。
厨房では今夜の酒の肴が用意され、麦酒やワインが冷やされているのだろう。
そう思えばそんなはずはないのに、俺の執務室にまで旨そうな匂いが届くような気がしてくるから不思議なものだ。
誰も言葉を発しない執務室に、俺のペンの音と、判を捺す音が定期的に響く。
あとは互いの、僅かな身動きの際に生まれる微かな衣擦れの音。
聞こえるはずもないのに、互いの吐息や心音が「気配」として伝わっているような気がする、不思議な感覚。
無音ではないが静かな午後の執務室で、思いのほか効率的に仕事が進む。
取るに足りない、他愛もないことを頭の片隅で考えているくせに、深く静かに集中できていることがわかる。
不思議な感じだが、時間の経過も曖昧になって、いつもより仕事がはやいのか遅いのかも判断がつかない。
ただ落ち着いて、きちんと一枚一枚の書類を判断できていることだけは間違いない。
不意に背中で、ルナマリアが鼻歌を歌い始める。
どこかで聞いたことがあるのは間違いないが、題名までは思い出せない。
――ったく、おとなしくしておくといってただろうが。
そう思いはするものの、別に大声でがなり立てているわけでもない。
穏やかな響きが完全な静寂よりも心地がいいので良しとする。
声はとびっきり綺麗なのに、俺でもわかるくらいところどころ音を外すのが面白い。
相変わらず音痴はなおってないのか。
少しだけ、笑う。
ルナマリアに合わせるように、あるいはフォローするようにリスティア嬢、ローラ嬢も鼻歌を歌い始める。
やめろや、つられて俺までやったら笑いもんだろうが。
楽しそうだから、止めたりはしないけどな。
『五枚花弁』三人によるやけに豪華な、そのくせちょいと外した鼻歌を聞き流しながら、昼下がりの仕事は順調に進む。
一人でせっせと「集中、集中!」言ってる時より効率いいのが釈然としないが、まあそんなものかもしれないな。
結果が伴っていりゃ、文句をつける筋合いでもない。
「……完了」
驚いたことに、明日までかかるかなと思っていた仕事が粗方片付いた。
残っている数件は担当店員の話を聞かねばならないから、今進められるのはここまでだ。
「本当か? ではもうしゃべってもよいな?」
だから静かにしてろってのは、一言もしゃべんなってことじゃねえよ。
なんで俺の言うことをそう極端に受け取りがちなんだ、ルナマリアは。
いやまあ同じことをやってんだから、リスティア嬢もローラ嬢もそりゃ同じか。
何曲も鼻歌歌っておいて、しゃべらないもへったくれもないような気がするけどな。
「でももうどっかにお出かけする時間はないね~」
「それでもお話しするには充分ですよ。ですよね? ね?」
確かに今から寝るには中途半端な時間だし、今日はこのまま開店準備へ入ることになるだろう。
そう考えればリスティア嬢の言うとおり、お互いに『かまう』時間くらいは十分にある。
というかもう少し時間があったら、どっかに出かけるつもりだったのかよローラ嬢。
「そうだな。開店準備が始まるまではここで駄弁ってるか……」
やるべきことが一通り片付いたからには、俺としても否やはない。
なんか仕事中の空気でも俺にとっちゃ充分だった気もするが、この空白の時間はルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢がある意味生み出したようなものだしな。
俺の返事に、ルナマリアとリスティア嬢がいったん執務室から足早に出てゆく。
ルナマリアはお手製の菓子類あたりを、リスティア嬢は茶を淹れに行ったんだろう。
お仕事の後に、やけに華やかな午餐後茶会が催されることになりそうだ。
二人を見送りながらローラ嬢がくすくすと笑う。
「気合の入ったお菓子とお茶が出てきそうだね~。あ、着替えもしてくるかもしれないから、私も部屋に戻ろうかな」
「……そこまでするこたねえだろう」
「嬉しい時間には、着飾りたいものなんだよ~女の子は」
さようですか。
まあ好きにしてくれりゃいいさ。
俺もお前さんらのいろんな恰好見るのは嫌いじゃないしな。
夜の扇情的な恰好よりも、そういう時間に身に着ける服の方が似合ってるとも思う。
仕事としてそういう服を着させている、支配人の言うこっちゃねえとは思うが。
結局ローラ嬢も着替えに戻り、そのローラ嬢の予想通りルナマリア、リスティア嬢の二人は午餐後茶会に相応しい格好に着替えてきていた。
ルナマリアの髪、リスティア嬢の耳、ローラ嬢の首筋には、蝶の意匠のアクセサリーが付けられている。
こういう時間にはいつもつけてるな、それ。
贈り主としちゃ、嬉しくはあるんだが、少々照れくさくもある。
しかし着替えだ準備だで肝心の駄弁る時間が短くなるのはどうなんだと思わなくもないが、本人たちが楽しいんならそこに突っ込むのは野暮ってもんか。
会議じゃあるまいし、どうしてもしなきゃならん会話があるわけでもない。
長い短いではなく大事な時間を一番楽しめるってんなら、準備に九割、駄弁るのは一割でもそりゃそれでありなんだろう。
「……尋ねてよいか、支配人」
相変わらず沈黙が苦にならない時間がしばらく流れた後、ルナマリアが割と真剣な表情で俺に話しかけてくる。
珍しいこともあるもんだ。
かまえだなんだと言っていたが、今日の本題は実はこれだったのかね?
リスティア嬢やローラ嬢の様子から察するに、どうやらそうっぽいな。
何を尋ねられることやら。
「時に黙秘権を行使することもあるが」
「むう……」
茶化すと真面目に反応される。
こういうところがルナマリアは面白い。
「黙秘権は認められません~」
「そうですね。お茶とお菓子の分は答えてもらう権利があると主張します」
強制報酬だったのか、お茶とお菓子。
鼻白んだルナマリアをフォローするように、くすくす笑いながらローラ嬢とリスティア嬢が俺の黙秘権を剥奪する。
ルナマリア、リスティア嬢お手製のお菓子とお茶だ、報酬としちゃ充分だな。
給仕はローラ嬢がやってくれたことだし、俺には答える義務があるって事らしい。
『胡蝶の夢』のお客様なら喜んでお答えになられるだろう。
下世話な話だが、値付けしろと言われりゃ結構悩むレベルのサービスだ。
役得ってことは十分に理解してるから、黙秘権が認められない事は了承しよう。
「へいへい。――で、何を聞きたいんだ?」
降参の態で答える俺に、三人が顔を見合わせる。
思ったよりも真面目な質問か。
なんか最近、お互い間合いをじりじり詰めあっているようで面白いな。
基本受身な俺が偉そうに言えたもんじゃないんだが。
「率直に聞く。……支配人は、私たちの事が怖くないのか?」
やっぱりこういう時に代表して動くのはルナマリアなんだな。
何を聞きたいのかはわからなくもねえが、そんなことよりもお前さんら三人が今の距離感に落ち着いた話の方が、よっぽど興味があるんだけどな。
「女は怖えよ。それが自分好みのいい女ならなおさらだな」
とりあえずはぐらかした答えを投げてみる。
真面目に答えろとお叱りを受けるかと思ったが、三者三様に赤面しやがった。
余計な事を付けたすんじゃなかったな。
「あのな?」
冗談はおいて真面目に答えようとする俺に、三人もまじめな表情で居住まいを正す。
まあ、言わんとすることはわかる。
他にはないユニーク魔法を持っているとはいえ戦闘力という点では皆無に等しい俺が、本当に自分たちのことを恐れていないのかを聞きたいのだろう。
正体を知った上でも。
お互いその部分についちゃ、踏み込んで話したことはないもんな。
三人それぞれと、まあ仲良くなったきっかけの出来事の際にお互い暗黙の了解みたいになっているとはいえ、あえて触れてこなかった部分ではある。
「怖いっていう意味にもよるけどな。おそらく今ルナマリアが言っている怖さなんて言ってたら、一緒にいる事なんて誰もできゃしねえだろ」
そりゃな。
ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢がその気になれば、今の俺など簡単に命を奪われてしまうだろう。
俺の魔力検知範囲は所有者並みだが、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に関しちゃ馬鹿になっちまってて、寝てでもいりゃなにも反応もしなくなっちまってる。
……そういやそれで要らんことを知られたな、つい最近。
でもそんなもん、俺とルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢に限った話でもなかろうに。
人間なんてな、武器らしい武器なんざなくてもあっさり命を奪われるか弱い生き物なんだ。
厨房にある刃物。
日常的に使う鋏や槌の類。
それどころかペン一本やそこらに転がってる薪だって、本気になりゃ子供が大の大人の命を奪うのに足りる。
全力で警戒しているんならまだしも、家族として一緒に暮らして、鍵の内側で一緒に眠るってのはそういうことだ。
「一緒にいる、一緒に暮らすってのはそういうもんだろ。まあ確かにそういう視点からみれば、他人同士が家庭を築くってのは絶対の信頼の上に成り立ってんだな」
他人同士。
そこにゃ人と人とか、人と獣人とか、人と亜人とかあんまり関係ねえんじゃねえかな。
――たとえばそれが、人と『魔族』でも。
そんなことはどうでもいいんだ。
大事なのは、誰と一緒にいたいか、だろう。
怖いの怖くないの言い出したら、きっと誰もがだれもを怖いんだ。
「つ、つまり支配人は、私らと暮らせるんじゃな?」
いつだったか約束しただろうが。
嫁の行き手がなかったら、俺でよければもらってやるよって。
それを俺から違えるつもりはねえんだが、信じてもらえていないとは心外だ。
だいたいこういうことで言質とろうとすんな。
こういうのは察しと慮りが大事だろ。
リスティア嬢とローラ嬢も鼻息荒くしてるんじゃねえ。
「……寝込みに悪さされた記憶は、まだ新しいな」
だから言ってやった。
「あ、あれはじゃな……」
「……言い訳の余地がない~」
「ごめんなさい」
己が愚行を悔いるがいい。
大体俺のあの恥ずかしい過去を知っておきながら、何を今更「怖くないか?」だ。
あれを知られた俺に、怖いものなんてもうそんなに残ってねえよ。
……いくつかはあるにはあるが。
しかし男と女の思っている踏むべき手順ってな、実はけっこう違ってるのかもしれねえな。
まあそこをお互いに擦り合わせていくのも、醍醐味ってやつなのか。
今すぐどうこうなるわけでもない。
だけど以前ほど、絶対に来ない未来だと思っているわけでもない。
そういう中で、こういうごっこ遊びをするのも悪くない。
口にはしなくても、いつか来るかもしれない未来だと期待するくらいは赦されるだろう。
なんにせよ今日はここまでだ。
そろそろ今夜の開店に向けて、準備に入らなきゃならない時間になる。
今はまるで街の女の子のように赤面したり言い訳したりしている三人も、店に灯が燈れば高級娼館『胡蝶の夢』が誇る『五枚花弁』だ。
その美貌と色艶で貴顕のお客様の心を虜にし、一夜でとんでもない稼ぎを叩き出す『高級娼婦』
そして俺はその娼館の支配人。
日々の現実をきっちり生きているからこそ、狭間の休みはなにものにも代えがたく充実し、大切なものになる。
さあて休憩終わり。
きちんと今夜も頑張りますか。
言葉を交わすまでもなく、お互いそう認識したタイミングで俺の執務室の扉がノックされる。
うん、王女殿下姉妹がみえられる時間じゃない上、ノックしない常習三人が室内にいるからには至極真っ当だ。
うちの優秀な店員がノックをすっ飛ばす時は、間違いなくろくでもない事態が発生している時に限られるから、これは大したことではないのだろう。
「支配人、お客様がみえられています……あ、こら」
と思ったのだが、支配人の答えを待たずに執務室の扉が開く。
店員の制止も聞かずに執務室に一人の子供が入ってくる。
「所有者のご紹介だそうです。お持ちの封書の封蝋は本物です」
そういって、申し訳ありませんとばかりに苦笑いする店員には、その存在が見たままの子供にしか映っていないのだろう。
多少の無礼や、本来ならあり得ないはずの年齢であっても、うちの店員たちにとって所有者絡みであればあり得ない事ではないと理解している。
だが扉を閉めて退出した店員も、さすがにこれは想定できていないだろう。
俺の魔力感知は、のそりと執務室に入ってきた巨大な銀の獣を俺の目に映し出している。
それが店員が子供と思っていた存在の、本来の姿。
「あなたが兄様?」
確認と共に、人の姿の幻影は無表情のまま正体の巨躯がその牙を剥く。
「……師匠は試していいっていった」
人語を解する『魔獣』が、その強大な魔力を噴き上げる。
それと同時に、巨大な前足を一歩前に踏み出す。
まあ師匠、もとい所有者なら『魔獣』を弟子にしてたって今更驚きゃしませんがね?
元不詳の弟子、現娼館の支配人にこれをどうしろって?
死ぬ。
死んでしまう。
だが普通ならどうしようもないこの状況は、冗談みたいにあっさり片が付くことになる。
「誰を試すと?」
「まずは私たちが相手かな~」
「…………」
俺の目の前で、特に魔力を噴き上げるでもなく、真の姿を現すわけでもない三人の可憐な美女の氷点下の言(約一名は無言)に、人など紙の如く簡単に引き裂けるはずの『魔獣』が、二歩目を踏み出せずにあっさりと尻尾を巻いた。
そこから冒頭に続くことになる。
……いやリスティア嬢、無言が一番怖い。
心外ですとか言われましても。
次話 「弟娣子の目的」
できるだけ速やかに投稿予定です。
速やかにとはいったい、と言われないように頑張ります。
第伍章はある意味においてこの物語のもう一方の柱である「所有者」が絡んできます。
グランドストーリーと言いますか、この物語の一応の着地点へと向かう展開の序がこの章となります。
もっとも「異世界娼館の支配人」は娼館「胡蝶の夢」で毎夜繰り広げられる非日常の日常話が主軸です。
支配人と所有者の物語が終わったからといって完結ではありませんし、その展開だけを急いで追うつもりもないのですが、そろそろ一度提示しておこうかなという感じです。
まだまだ書きたい嬢達の物語や、文献資料、店員たちをはじめとした支配人とルナマリア、リスティア、ローラ、シルヴェリア、カリン達に関わる人々の物語もありますので、長く書いていきたいと思っています。
ここのところ遅いなどというものではない更新速度になってしまっている中あつかましいお願いですが、できればこの物語にのんびりお付き合いいただければ大変うれしいです。
もう少しすれば、書籍化に関してお伝えできることも増えると思います。
今後もよろしくお願いします。




