第拾弐話 落籍希望者様の場合
「村に帰って。――あんたと話すことは何もないわ」
いつもにこにこと笑っている印象の強いティファ嬢が、俺でも見たことねえような醒めた表情で目の前の落籍希望のお客様――ティファ嬢の幼馴染らしい――に拒絶の言葉を投げつける。
ティファ嬢は胡蝶の夢の嬢の中じゃ、残念ながら上の方にいるわけじゃない。
胡蝶の夢に来てまだ二年だし、「花弁なし」の中での売上は安定している方だが、「一枚花弁」にあがるには正直ちっと厳しいだろうと俺は見ている。
そうなると今の稼ぎで引退するには、まだ10年くらいはかかるはずだ。
金髪碧眼ではあるが、双方ともちょっとくすんでいる。
顔だちも街娘としてみれば整っているものの、別嬪ぞろいの娼館では十人並みになっちまう。
スタイルも床技術も他所の箱の嬢に後れを取るこたねえが、御大尽が一晩買いで独占したくなるというよりゃ、市井のお客様が時間売りで遊びたくなるような雰囲気。
この世界における今風とでもいうのか。
「花弁なし」の嬢たちにゃこういう感じが多い。
「花弁なし」の値付けに応じたお客様層に一定の人気はあるが、それ以上には行けない線がどうしても存在する。
こればっかりは残酷なもんで、やる気があろうがなかろうが関係が無い。
覚悟のあるなしも関係ない。
金で買える以上、その金を出したくなる何かが無けりゃあ上には行けない。
娼婦ってのは、金で買う商品だってことは、どう言い繕ったところで真実の一面なのだ。
幼馴染という特殊な事情があるとはいえ、ティファ嬢にしてみりゃ身請け話は本来、一考の価値がある話なはずだ。
よっぽど嫌な相手であれば拒否もありだろうが、妾の立場であっても高い金出して落籍した女を、男は基本大事にする。
胡蝶の夢はその辺のアフターフォローもばっちりだし、身請けした胡蝶の夢の娼婦にバカやるようなのは、今はもう存在するまい。
所有者に問答無用で血祭りに上げられた馬鹿が、過去には何人かいたってなあ聞いている。
その効果が覿面で、グレン王国だけじゃなく他国にも身請けした娼婦の扱いには、きちんとした法律が設定されるようになった。
だいたい娼婦にしてみりゃ、身請け話ってのは憧れの一つな筈なんだがな。
だがその話が舞い込んできたティファ嬢には、とりつく島もない。
「な、なん」
「帰って」
喜んでもらえると思っていたのだろう幼馴染の疑問の声を最後まで言わせず、これもまた聞いたことの無いような冷たい声を被せる。
驚きの表情を浮かべているお客様――ティファ嬢の幼馴染であるロック青年はその年若さに似合わぬ落ち着きを本来は身に纏っている。
迷宮に比べりゃ、地上は安全だから落ち着きもするんだろう。
「花弁なし」とはいえこの年で娼婦を身請けしようってんだから、それ相応の収入を得られる立場に、その年で辿り着けているって事だ。
――B級の冒険者。
グレン王国南部の大型迷宮「旧世界の天蓋」の攻略拠点である、「迷宮都市カズン」で最近名を上げているソロ冒険者だ。
ソロでB級ともなればかなりの稼ぎだろう。
たった二年でB級になり、「花弁なし」とはいえその落籍金を用意できるとなれば相当なものだ。
俺はその辺疎くて知らねえが、この王都グレンカイナでも冒険者ギルド関係であればそれなりに名は通っているはずだ。
ラジュリス様みたいなS級ってなもはや人外の化け物が放り込まれるカテゴライズであって、英雄とかそういう連中の事を指す。
A級の連中だって、竜は無理でも名付の魔物をソロでぶち転がせるような連中だし、子供でも知っているような有名パーティーや軍団のトップ張っているような連中だ。
S級、A級ってのはそこらをふらふら歩いている存在じゃない。
――娼館で女取り合って騒ぎ起すような立場じゃねえんだ、本来は。
「才能に恵まれて大成した冒険者」ってやつの現実的な到達点が、B級とでもいやいいか。
この若さでそこに届いているんなら、事によっちゃ化け物どもの仲間入りできる可能性もある有望株と言っていいだろう。
だからこそ胡蝶の夢への紹介状を書いてくれたんだろうしな、「神殺し」は。
あの爺さん、有望な若手大好きだからなあ。
その有望若手冒険者が、常の冷静さを失って呆然としている。
有無を言わせぬ、とはこういう事を指していうのだろう。
ティファ嬢はそれだけ言って視線をロック氏から外し、これ以上一言もしゃべらないとばかりに口を噤んでいる。
馬鹿にでもわかる、完全な拒絶。
――こりゃこの場はどうにもならん。
「お客様。お客様のご用意いただいた落籍金はティファ嬢を落籍ていただくのに十分な金額です。――が、ただ買われるのとは違って落籍は本人の承諾が必須です。ここは一旦仕切り直させていただいてよろしいでしょうか?」
ティファ嬢がそういうタイプだと見抜けてなかった俺の手落ちだ。
フォロー入れさせてくれ。
ここは一旦仕切り直さなきゃ、悪い方向へ拗れかねん。
これは落籍希望のお客様が嫌いなパターンじゃない、逆だ。
だからこそ、身請けされたくないという一番厄介なパターン。
「じゃ、じゃあとりあえず今日は僕がリ……ティファ嬢を、か、買う事は可能ですか?」
だからそれはこの場じゃ最悪の手だって言ってんだろうが(言ってない)
ティファ嬢は知られたくねえんだ、娼婦としての自分を。
――お前さんにだけは。
そんなこと、見たとこ朴念仁っぽい旦那にゃわからねえんだろうけどな。
偉そうに言ってるけど、俺にもよくわかっちゃいませんがね。
「あんたが、あたしを買うって? ふ、ふふふ。何をして欲しいのあたしに。――何でもしてあげるわよ。あんたが……あんたの中にいるあたしが欠片も残らないくらい、上手にね」
案の定、ティファ嬢の様子が、その一言で一変する。
全ての感情が抜け落ちたような能面みたいだった顔に、今度は逆に全ての激情が綯交ぜになったような表情が浮かぶ。
ぱっと見笑っているような顔なのに、まるで泣いているみたいだ。
「ティファ嬢」
とはいえこれ以上は、お客様に対して取っていい態度じゃあねえ。
どれだけ思う事があるにしても、此処では胡蝶の夢の嬢としての最低限のルールは守ってもらう。
「……失礼いたしましたお客様。ご無礼をお許し下さい」
俺の一言でティファ嬢の顔からすべての表情が抜け落ち、元に戻った無表情のまま馬鹿丁寧に他人行儀な謝罪の言葉を口にする。
ほんの一瞬前とは、まるで別人にしか思えない。
「……は、い」
俺の言葉ではっとしたティファ嬢に無表情で謝られたことが、ロック氏には一番堪えた様だ。
こりゃあれだな。
俺も人様のこた言えねえが、朴念仁というかデリカシーが無い類の男だな。
だがその分、信頼できそうな気はする。
「大変失礼いたしましたお客様。すこしティファ嬢を落ちつかせますので、別室でお待ち願えますか?」
俺の言葉に操り人形のようにカクリと頷いて、店員に案内されて別室へと素直に移動してくれた。
今のティファ嬢の様子が、よっぽどショックだったんだろう。
たぶんすごく喜んでもらえると思って、必要額が貯まったその足ですっ飛んできたんだろうってのは想像に難くない。
尻尾が生えてりゃ振ってただろうってな、胡蝶の夢に来た時の様子でわかる。
何の打算も計算もなく、幼馴染を苦界から救い出す事を目標に今日まで冒険者として踏ん張ってきたって訳だ。
足元が崩れたような思いしてんだろうな、今。
だがそれ以上にきつい思いしてるのが、今俺の目の前でうなだれているティファ嬢だ。
「ティファ嬢……」
「どうしよう支配人。ロックが来ちゃった。――もう遅いのに、ね」
俺の呼びかけに、絞り出すような声でティファ嬢が答える。
俯いちまって、俺の方を見ることもない。
「遅くはねえだろう」
そう言ってはみるものの、ふるふると左右に首を振るだけだ。
自分の気持ちもまだ、把握しきれちゃいないんだろう。
遅くなんてない。
二人ともまだ若いし、これからじゃねえか。
だがそういう事でもないんだろう。
幼馴染としてだけではなく、ロック氏が胡蝶の夢に顔を出し、お客様と娼婦としての関係を最初につくっておいたらまた違ったのかもしれない。
脇目もふらず、一心不乱に今日を目指したロック氏の愚直さは嫌いじゃないが、この際は悪い目が出ているとしか言えない。
ティファ嬢にしてみれば、完全に過去の人間関係は切れてしまったと思っての二年だったのだろう。
今更来られても、っていう気持ちが全く理解できないって訳でもない。
だけどな。
「俺ぁな、ティファ嬢。娼婦ってのは正直きつい仕事だと思ってる。苦界以外の方々にゃあ嫌われたり、蔑まれたりする事なんざしょっちゅうで、それを否定もできゃしねえ」
せいぜい俺に出来るのは、他所の箱みたいに無理した嬢が身体壊すことが無いようにすることくらいだ。
「だがな? 俺はそんな嬢たちを憐れむ野郎だけは絶対に許さねえと決めてる。蔑もうが嫌おうが好きにしてくれていいが、憐れむことだけはな……」
いつだったかシルヴェリア王女殿下にも言ったが、それが正しいんだか正しくないんだかなんざ知らん。
俺がそれを赦さんってだけだ。
つらい、そりゃ当たり前だ。
汚らわしい、そう言われたって言い訳できねえ。
それでも笑い飛ばして、笑い飛ばしたふりして夜を越える嬢たちを上から目線で憐れむ連中とだけは仲良くはできない。
「だけどなティファ嬢。――お前さんが、お前さん自身を憐れむことには怒りもできなきゃ、止めも出来ねえんだよ」
本当の意味でのつらさを知らない俺が、自己憐憫なんてやめろとも言えない。
嬢が自分を憐れんじまったら、言えることなんか何もないんだ。
「なあティファ嬢。娼婦ってなあ、そんな取り返しがつかねえか。目の前に差し出された手でも、振り払った方が相手の為になっちまうような、救いようのない存在か?」
ティファ嬢の中でそうだというなら、それはもうどうにもならない。
どこまで行ったって俺には、毎夜己の躰を売るって事の辛さなんてわからない。
覚悟のあるなしじゃない。
選択の余地がねえとか、今更って話でもない。
ただただ他人事のくせに、俺が寂しいってだけだ。
自分じゃ何にもできゃしないくせに、そんなことねえって歯を食いしばって夜を越してる嬢たちに、笑ってそう言ってもらいたいだけの甘ったれだ。
だけどよ。
肝心の嬢が自分を憐れんで、そこから一歩も動けないってんじゃあんまりだ。
そんなんじゃ、いつかそんな娼婦の手を取りたいって思ってる男の立つ瀬がねえじゃねえか。
ただただ苦界から幼馴染を連れ出したいって頑張った男の日々が、報われなさすぎじゃねえか。
こりゃあ男の勝手な言い分だ。
女の辛さなんてわからないくせに、「手遅れだ」なんて惚れた女の口から一番聞きたくねえってだけだ。
「……そうよ」
俺にとっても無慈悲な答えを、絞り出すようにしてティファ嬢が呟く。
「知ってる支配人? 私たち「花弁なし」が一晩で相手するお客様の人数。知ってるよね、その度に魔法かけてくれるもんね」
そりゃあ知ってる。
その度にローラ嬢が「いやになっちゃうわ~」とか言いながら俺の執務室に大事なとこまる出しではいってきやがるからな。
ある程度お客様の間に時間を取っていたって、一晩で二人や三人って訳にはいかねえ。
時間売りの嬢ってな、そういうもんだ。
「それだけじゃないわ。「花弁付」の娘たちと違って、私たちがお相手するお客様たちは、肉体的な欲望を満足させたいだけの人がほとんどよ。入れて出して、満足して帰るの」
返す言葉もねえよ。
そうやって俺たちゃ御代を頂いてるんだ。
だけどそれは高級娼婦だって根っこは変わらねえんだ。
金で買っておきながら、恋人気取りのお客様だってある意味大変だろう。
共通しているのは、そういうお客様にいい気分で居てもらわなけりゃあ、娼婦の価値なんざないって事だ。
「文句を言えた立場じゃないわ。私は私でさっさと終わってくれるように、お客様好みの声を出して、お客様好みの動きをして、お客様好みの事を何でもするのよ? なんでも……」
だから心をやられちまう嬢もいる。
それでも笑っていられるのは、どっかで割り切っているからだってのもわかる。
そこへもう諦めちまった、忘れたふりをしている過去を引っ提げた男が現れたら、反射的に拒絶したくなるものなのかもしれない。
「もうロックが知ってる私じゃないの。――だからもう、遅いの」
「悲劇のヒロイン気取りの所を悪いがな? ティファよ、お主阿呆じゃの?」
「高級娼婦のお客様が上等で上品だなんて思っていたら、上に来たらびっくりして泡吹きますよ?」
「変わんないっていうか、そっちの方が酷いの多いよねー、大金出してるっていうのが見え見えの人とかさー。私は今でも時間売りだから、元とろうと必死な人多いよー」
男としてもう言えることはこれ以上ないのかと天を仰ぐ気持ちになっていたところへ、いつもの三人が何の前振りもなく乱入してくる。
一応深刻な空気だったはずだが、あっという間に三人の「五枚花弁」の空気に持っていかれる。
ティファ嬢、口空いてんぞ。
閉じろ閉じろ。
やーめーろって、唐突なお客様批判は。
それだけの金貰ってるんだから。
というかほんとノックもなく当たり前の様に乱入してくんなお前らは。
ティファ嬢があまりの事に固まってんじゃねえか。
俺だって胡蝶の夢の嬢としての愚痴だったら、甘えんなって笑い飛ばすところだが、幼馴染への想いっていう大事なもんが絡んでるからしょうがないだろ?
――しょうがなくない?
「自分を憐れんで、相手の為って身を引くなら好きにすればよいがな。そんなことをすれば遠からず潰れるぞ。お主も、相手も」
「え?」
ルナマリアがティファ嬢に畳み掛ける。
駄目になるのは、ティファ嬢だけじゃなく、相手もなのだと。
「ティファちゃんが相手に刻み込むことになるのよねー。惚れた女さえ救えなかった間抜けな冒険者って傷。目的を見失っても迷宮へ潜る冒険者って、遠からず死んじゃうんじゃない?」
「それが目的というのなら理解できなくもないです。――悪女ですねティファ」
「そんな……」
ああ、なるほどこうすりゃいいのか。
相手が嫌いな訳じゃなく、相手の為を想って身を引こうとしてる相手にゃ、それこそが相手の為にならないって事を示せばいいのか。
ロックの旦那を見てる限りじゃ、出鱈目言ってる訳でもないしな。
「だいたい相手に迷惑かけるなんて、私位になってから言うがいい。私を身請けしたら、王弟殿下の恋敵じゃぞ。のお支配人?」
「俺に振んなや」
「だけど……私はもう何人も……」
「数ってそんな重要~? 前の彼氏に抱かれてるのとそんなに変わらないと思うんだけどなー。気持ちが無い分まだいいかも? ねえ支配人?」
「だから俺に振んなや」
「そんなの一番大事な人に上書してもらえばいいんですよ。女ってそういう生き物でしょう? 過去なんていま大事な人に全部塗り潰してもらいなさいな。ね、支配人」
「それにゃあ同意かなあ」
言い方といい、そこにある含みといい、言いたい事は山ほどあるが、これを俺が否定するわけにもいかない。
リスティアだけが肯定的な意見を返されたことに、またぞろ三人でぎゃーぎゃーやっている。
――飽きんなお前らも。
「支配人は……ううん、支配人としてじゃなく、男の人としてそれでいいんですか?」
三人に勝てるわけがないことを悟って、俺に問いかけてくるティファ嬢。
そりゃそうだよな、同じ娼婦なんだ、娼婦としての自己憐憫なんて鼻で笑われちまう。
「嫌に決まってんだろう、そんなもん!」
反射的に出たでかい声に、ティファ嬢はびっくりしている。
聞きようによってはひどいことを言っているように聞こえるだろうが、俺の事をよく知っているルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢は笑って聞いている。
だから言ってるだろうが。
それが平気だっていう男がいたらお目にかかってみたいもんだって。
だがよくない、嫌だって事と、嫌う、離れるって事とは別なんだ。
別だって事を、俺は胡蝶の夢で知った。
「――だけどそれでもそいつが好きなら、どんな過去でもそれごと俺の女にするしかないだろ」
ティファ嬢の目が見開かれる。
「五枚花弁」の三人は満足そうに笑ってやがる。
――いわせんな。
「ロックの旦那も同じだと思うぜ? なんなら試すか?」
しばらく沈黙した後、ティファ嬢は頷いた。
本人は気付いちゃいないだろうが、もうそこにはついさっきまでの悲壮な空気は存在しちゃいない。
大したもんだよ、御三方。
ロックの旦那を通しておいた部屋へノックをして入る。
「支配人さん……リリア、いやティファ嬢はなんて?」
落ちつかなげに座っていた、胡蝶の夢の豪華なソファから腰を浮かして尋ねてくる。
「残念ながらどうしても嫌だ、と。胡蝶の夢といたしましても、良いお話なのですが、本人がここまで嫌がっていては如何とも……」
「そんな……なんとかならないんですか支配人さん」
必死の表情だ。
なぜそうなるかが、まるでわかっていない顔でもある。
「残念ながらどうにも。夜街は慣れておられないようですが、嬢に振られたらすいと身を引く。それが粋というものでもございまして」
「そんなのどうでもいいですよ。じゃあ今夜からもリリアは……」
自分が振られた事なんかよりも、その結果ティファ嬢の状況がまるで変わらない事こそを憂う、か。
ちゃんと聞いてるか、ティファ嬢よ。
「今までの事は気にならないので?」
「辛い思いをしたのはリリアで僕じゃない。自分の力が及ばなかった頃の事を気に病むくらいなら、これからどうするのかを考えます。――そうだ支配人さん。僕が身請けしなくても、その、娼婦から解放することはできませんか?」
「……さすがに聞いた事はありませんが、できることはできますね」
クソ意地の悪い質問にはこれ以上ない男前な答えを頂いた。
俺に言えるかなあ、今みたいな台詞。
しかしそんなことはどうでもいいとばかりに続けて出された提案に、さすがに二の句を継ぐのにしばらく固まっちまった。
結構長く娼館の支配人をやっちゃいるが、こんなご提案はさすがに初めてだ。
「リリア……ティファ嬢への働き口の紹介と、当面の生活費を含めればどれくらい上乗せすればいいですか?」
「いえ、それ位はこちらで負担いたしますが……お客様のメリットは? まさかティファ嬢が胡蝶の夢から解放されればそれで満足だと?」
どうやら冗談なんかじゃなく本気のようだが、ここまでくると正直理解の範疇を越える。
無期待献身、我欲が全くないっていうのも正直薄気味悪い。
他人が口出しする事じゃねえんだろうが、惚れたはれたじゃなく、本当にロック氏が聖人みたいなお方で、憐れみからティファ嬢を救い出そうとしておられるってんなら、話は少々変わってくる。
さすがに邪魔したりするつもりはねえが、そんな理由で救われたらティファ嬢もたまったものじゃねえだろう。
人は飯だけ食って生きてるんじゃない、どうしても捨てられない矜持ってもんは必ずある。
女として執着されていないのであれば、それはそれでティファ嬢は拒むだろう。
それをめんどくせえとは思わない。
頼むぜロック氏、納得いく理由を聞かせてくれるんだろうな。
「そんなわけないじゃないですか! 紹介してもらった働き口教えてもらって、そこへ毎日口説きに行きますよ!」
……。
正直、本気で二の句が告げなかったのは久しぶりだ。
しばらく口も空いて、馬鹿面晒していたはずだ。
大金出して身請けしておいて、そんなことは全く関係なく一から口説く覚悟ですか。
それでそれを惜しいなんて、欠片も思ってない顔ができるんですか。
恋に狂った男ってのも、かっこいいじゃないか。
これを聞いてるティファ嬢の顔が見たいわ。
いや正直に言えば、ルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の顔が見たい。
お前らどんな顔してるんだ、今。
一人前の男にここまで言わせるティファ嬢もすげえな。
自己憐憫なんてしてる場合じゃねえだろ。
「ストーカーじゃないんですから」
思わず笑って言っちまった。
「なんですそれ?」
自分がものすごい発言をしたことにはとんと気付かず、聞きなれない言葉に不思議そうな顔をするロックの旦那。
いや失礼。
あんたみたいなかっこいい殿方に、冗談でも言っていい事じゃないです。
「いや失礼を。――って事らしいが、ティファ嬢。どうするね」
もう充分だろ。
これでも断るってんなら、もう好きにすりゃいい。
余計な嘴突っ込むのはここまでだ。
奥側の扉があいて、曰く言い難い表情のティファ嬢が入ってくる。
今の話全部聞いていたんだろうから、さもありなんだ。
それを見てロックの旦那は素直に驚いている。
今自分が試されていたなんて露ほどにも疑っちゃいない――っていうよりそんなこと思いつきもしねえんだろう。
もう降参しちまえよ、ティファ嬢。
あんたの幼馴染は大した御仁だぞ。
「なんでそんなにあたしがいいのよ。本当にもう綺麗な躰じゃないのよ? 今のあんたならもっといい女いくらでも選べるでしょ?」
「そんなの僕にもわからないよ。でも僕はリリアじゃなきゃ嫌なんだ」
さっきまでのとりつく島もなかったティファ嬢の態度が一変していることに、ほっとした様子でロックの旦那が話されている。
ティファ嬢をそうさせたのはご自分なんだが、感謝の視線を俺に送ってくるのはよしてくれませんかね。
「身請けされたとして……あたしにどうしろってのよ」
「一緒に居て貰っちゃダメ?」
いっぱしの冒険者なのに、子犬系ですか。
これモテるんだろうな、酒場とかでも。
全く気が付いちゃいないんだろうけどよ。
「嫁になれっていうの? 元娼婦のあたしに」
「リリアがよければだけど……嫌なら一緒に居てくれるだけでも……」
「なによそれ」
「形なんてどうでもいいんだ。僕はリリアが好きだから、一緒に居てくれればそれで」
「……」
止めは入りましたー。
おお、ベタな台詞でも積まれた覚悟の上で言われると破壊力が違うんだな。
ティファ嬢が盛大に赤面してやがら。
「僕が迷宮に潜って稼いで、リリアが料理作って待ってくれていて、はやく寝て早く起きて……。冒険者が嫌なら、畑耕したって、商売したっていいんだ。此処みたいに綺麗じゃない、小汚い暮らしになるかもだけど、それでも、僕は……」
「ばかね。ほんっとにばか」
「ごめん」
「でもいいわ。あんたがあたしでいいって言ってくれるんなら、ずっと一緒にいてあげる。――誓うわ、これから死ぬまで、なにがあっても私はあんただけの女でいるわ。……あんたはたまには遊んでもいいわよ。支配人に言っておいてあげようか?」
「ぼ、僕も死ぬまでリリアだけでいいよ! ……というか、まだ女の人知らないし僕」
「え? うそ? ほんとに?」
「……うん。……リリアがいいんだ、僕」
「ほんと、ばか」
おい胸焼けがするぞ。
これ最後まで黙って聞いてなきゃならんのか。
別にそんな罰ゲームめいたきまりはない。
俺は黙って部屋を出た。
身請けを承諾した以上、もうティファ嬢は胡蝶の夢の嬢じゃねえ。
まあ胡蝶の夢の一部屋貸すくらいは、支配人の権限のうちだろうさ。
部屋をでると、当然の様にルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢の三人が待ち構えている。
なんだお前らは俺の保護者かなんかか。
まさか所有者からそういう指示受けているんじゃないだろうな。
もしそうだったら、さすがに情けなくて泣くぞ。
「どう思う」
とりあえずは形になった。
今この瞬間に要らん意地を張って、お互いの本音を台無しにすることは回避できた。
だけどティファ嬢――リリアのわだかまりが無くなった訳ではないだろう。
ロックの旦那にそういうわだかまりが無いのが救いだが、だからこそ地雷を踏んだりすることもありそうな気がする。
「思ったところで私たちにはどうにもならん。ここからは二人の問題じゃ」
「そだねー。特に今回はティファちゃん側の問題だからねえ」
「物語ならここでハッピーエンドなんですけどね。人生はおじいちゃんとおばあちゃんになって、死んでしまうその日まで続きますから」
そうだな。
こっから先は余計なお世話か。
まあ男と女なんて、世界中で言えば秒単位でくっついたり別れたりしてるんだろうからな。
手前の事も満足にこなせていない俺が、これ以上は野暮ってもんか。
「いい女は想い人をいい男にするがな。いい男も想い人をいい女にしてくれるもんじゃ。男と女は寄り添うてなんぼよ」
言うじゃねえかルナマリア。
茶化すにゃ惜しい、いい台詞だ。
「今寄り添って歩むことを選べた二人ですから、大丈夫だと思いますよ? 喧嘩したり、一度離れたりしながらでも、最後は一緒に居られると思います。――そう信じたいです」
だな、リスティア嬢。
今日出せた答えを、いつでも出せりゃあ大丈夫か。
「どうせどこぞの支配人が余計なお世話も焼くんだろうしねー」
いやあのなローラ嬢。
胡蝶の夢の支配人としちゃ、最低限度の出来ることをだな? するのも仕事のうちってやつでな?
「心配するな」
ルナマリアが小さい背のくせに、俺の背を結構強めに叩く。
意外とお前力強いんだからもうちょっと遠慮しろよ、咽るじゃねえか。
「女が、なぜ男なんぞに惚れると思うとる?」
「なんでよ」
わからないから素直に聞く。
お前らにかかっちゃ、男なんて形無しだってなあ、よく知ってる。
俺なんて居なくても、お前ら三人は何も困らんだろうしな。
「肝心な時に頼りになるからじゃ。日頃は女が強くてよい。そのほうがうまく回るもんじゃろう。だから殿方はここ一番だけ決めてくれればそれでよいのよ。女はそれで脳をやられて、後の苦労を楽しいと感じてしまう厄介な生き物らしくてな?」
ほれなんとか言わんか、と言わんばかりのルナマリアから目を逸らして、いつもの俺らしい言葉を口にする。
「――俺にはそんな甲斐性はねえなあ」
「腰抜けめ」
「がっかりです」
「ここまでいってもだーめーかー」
やかましい。
あの他愛無い約束は、何度も口に出すもんじゃない。
それがあることを暗黙の了解にして、酒の肴にするくらいでちょうどいい。
今日。
おっかなびっくりではあるが、お客様と娼婦としてじゃなく、幼馴染同士でもなく、「男と女」としての人生を送りだした二人を、ちょっとだけ羨ましそうに俺達は見送る。
ちょっとだけ、俺達がそうなる明日を想像するくらいは赦されるだろう。
それで俺達は通常運転に戻る。
当たり前だが今日も日は暮れる。
夜の帳が降りりゃあ娼館「胡蝶の夢」の燈は灯り、看板嬢であるルナマリア、リスティア嬢、ローラ嬢はご予約いただいてる御贔屓筋と閨を共にする。
その間俺は胡蝶の夢の嬢たちの身体壊さんように、手前のユニーク魔法をぶん回しながら、各種のトラブルをひいひい言いながら片付ける。
それが俺達の日常だ。
それでも俺達はこんな感じで、馬鹿言って過ごしていくんだろう。
頑張んな、ロックの旦那。
胡蝶の夢のとびっきり達にいわせりゃ、男の魅せ処はいざという時で、そこさえしめとけば、後は女が上手くまわしてくれるもんなんだとさ。
俺は支配人としてまだまだ頑張るから、ティファ嬢をこれからずっと笑わしてやってくれ。
落ちついたら一度呑みたいもんだ。
怖い連中除いて、気の利かねえ男二人でな。
次話 常連客様の場合
近日投稿予定です。
読んでいただければ嬉しいです。
夢の3万ポイント目前!
皆さんブックマーク、評価、感想ありがとうございます。
読んでくださっているみなさんのおかげで、未踏領域へ日々突入して行っている気分です。
ものすごく書いてゆくモチベーションになっています。
少しでも楽しんでもらえる物語を頑張って書いていきますので、どうかこれからもよろしくお願いします。
現在投稿中の
「いずれ不敗の魔法遣い」も出来ましたらよろしくお願いします。
http://book1.adouzi.eu.org/n5757cx/
某新規サイトにも別の物語を投稿したりしております。
作者名一緒なので、お暇な時にでも探してみて下さったら喜びます。




