第閑話 花冠式の騒動―夜会の場合
花冠式が無事終了し、その後の夜会に参列している貴族たちの多くに衝撃が走っていた。
知らぬ者にとって、それは無理なからぬことと言える。
この国の第一王女であるシルヴェリアが、売上最上位とはいえ一娼館の支配人とダンスを踊っているとなれば、さもありなんだ。
ごく一部の事情を知るグレン王国の中枢を担う者たち以外の貴族にしてみれば、どれだけの売り上げがあったところでたかが娼館にすぎないのは当然のことである。
グレンの初代国王が始め、この国の歴史とともに存在する花冠式。
そういう前提があるからこそ、たかが娼婦の叙勲式に、貴族である自分たちも参加してやっているという想いは、若い世代を中心にはっきりと存在する。
とはいえ娼婦とはいえ世界でトップクラスの美女たちが集まる、花冠式に参加する事そのものが嫌なわけではない。
建国から百年の歴史を積み重ね、生まれた時から貴族であることが当たり前の世代の中に、建国者たちの持っていた感謝の気持ちなど疾うに摩滅している者たちが増えてきたというだけのことだ。
また貴族のご令嬢達は花冠式が娼婦のためのものという性質上、基本的に参加しない。
だがその夜会に、グレン王家が揃って参加するとなれば、独身の貴族たちにとっては欠席するなど論外となる。
未だ結婚相手の定められていない第一王女シルヴェリア、第二王女カリンの目にとまる事でもあれば、その貴族の人生は大きく変わる。
またアレン王子が出席するとなれば、年頃の令嬢を持つ貴族たちも親娘揃って参加するだけの価値が生まれる。
我が娘が王妃となる可能性が僅かでもある夜会に、参加しない訳がない。
それらの事情があって、今回の花冠式の夜会に参加している貴族の数と質は、ここ数年で最大の規模になっていた。
そんな中、王女と踊ることが赦される大貴族の若様たちを差し置いて、一娼館の支配人が真っ先に王女と踊っているのだ。
嫉妬の感情が湧くよりも先に、驚愕するのは仕方がない。
しかも王女自らが申し込んだに等しい状況であれば尚更である。
王族としての淑女教育を徹底されているシルヴェリア王女殿下が、さすがにはっきりと自分から男性にダンスを申し込むような馬鹿なことはしない。
――いやこれとても、胡蝶の夢でのシルヴェリア王女殿下の言動を知る者にとっては怪しい限りなのだが。
大国の王である現グレン傭兵王にしたところで、愛娘が件の支配人に何を口走り、その上で袖にされているかを知っているからには、その程度では驚きもしないだろう。
だがそんなことを知らない貴族の若様方にとっては、驚天動地と言っていい事態である。
シルヴェリア王女はダンスタイムが始まってすぐに、幾人もの大貴族の若様が恭しく申し込むダンスへの誘いをやんわりと断りつつ、支配人の前へ自ら赴き、その前でうろうろし始めたのだ。
それがどれだけみっともない事なのか、貴族であれば誰でも承知している。
それをやらかしているのがシルヴェリア王女殿下でなければ、誰もが冷笑を浮かべる行動であることは疑いえない。
そういう行為は市井の者たちが背伸びをして貴族の真似事をする宴会で、街娘が想い人に対してするような、洗練されていない行為なのだ。
貴顕の子女たるもの、例え壁の花であったとしても催促する様なことを絶対にしてはならないことくらい、貴族としての常識と言える。
――のはずなのだが。
並み居る大貴族の若様方から最初の一曲を共にすることを熱望されているシルヴェリア王女殿下が、その圧倒的な美しさを除けばまさに街娘のような表情で支配人の前で「誘え誘え」と催促したようなものだ。
その上その支配人は、周囲に侍らせている高級娼婦たちに促され、あろうことか溜息を付きながらシルヴェリア王女殿下の手を取ったのだ。
――しょうがねえな、という声が聞こえてきそうな表情で。
やんわりであったとしても袖にされたことには違いない、大貴族の若様方にとっては屈辱の極みである。
不敬の咎で首を切り飛ばしてやりたいところであろう。
だが当の本人は主人にお手する忠犬の如く、本当に嬉しそうにその御手を差し出した。
シルヴェリアに獣人の如く尻尾が生えていたら、それが盛大に振られていたであろうことは疑いえない。
誰もがそうと理解できるほど、常に貴族の若様たちに見せるお淑やかなそれとは全く違う、とびっきりの笑顔であったのだ。
愛娘に対する支配人の態度に怒気を見せるかと思えた現傭兵王も、苦笑いしてそれを眺めている始末である。
この時点で目端が利く老獪な貴族や大手娼館の関係者達は、胡蝶の夢とその支配人が只者であるはずがないことに思い至る。
己らが仕える王は寛大だが、理由もなく愛娘をただの平民と親しくさせるほど甘い人物ではないのだ。
つまりそこには傭兵王をしてそうさせるだけの何かがある。
胡蝶の夢と誼のない貴族たちは一族からお得意様を出すことの算段を、大手娼館の関係者らは提携をはじめとした協力体制の構築を模索し始める。
目端の利く者たちにとっては、己の属する国の頂点がこれを己らに晒すことの意味を考えざるを得ない。
――王家の彼らに対する扱いを知っておけ、とそう言われているようなものだ。
だが未だ若く、屈辱を感じる機会などないままに育ってきた若様方には、常であれば利いた目端を曇らせるには十分な光景であった。
上手いのかと思いきや、目を覆わんばかりの酷いダンスを見せられた。
憤懣やる方無いのは、そんなかろうじて足を踏まずに済んでいるような拙いダンスでありながら、憧れのシルヴェリア王女殿下がくすくすと笑いながら、慌て顔の支配人のリードにその身を委ねていることだ。
――惚れてもいない男に見せる表情ではないことは、馬鹿でもわかる。
あまり感じたことのない「嫉妬」という感情を胸に、名残惜しそうな表情で踊り終えたシルヴェリア王女と、ほっとしたような支配人のところへ歩を進める数人の若様方。
無粋の極みである嫌味が喉まで出かかった状況で、若様方はそこで繰り広げられる舌戦に呑まれて口を噤んだ。
結果として彼らは、敬愛するシルヴェリア王女殿下の不興を買うという愚行に出なくて済んだ。
「最初に支配人をお借りして申し訳ありませんでした」
踊っていた時とはまた違ったとびっきりの笑顔で、シルヴェリア王女が支配人の傍に当然のように侍る「五枚花弁」三人に優雅に礼を述べる。
「もったいないお言葉です、王女殿下。今宵のダンスの最初程度であればいくらでもお連れください。我らが主にとっても王女殿下にお誘いいただくことは名誉な事ですので」
常の言葉遣いとはまるで違う口調で、膝を折って艶やかな微笑みを返すルナマリア。
「我らが主はいつまで経ってもこのような場に慣れぬため、ダンスは拙いもので失礼いたしました。王女殿下の見事なフォローに感謝いたします」
ローラも間延びした話し方などおくびにも出さず、同じく膝を折って王女の言葉に常とはまるで違った上品な笑顔で答える。
「どこでどなたと踊っても、我らが主は必ず最後に我々の所へ戻ってくださいますから。我ら僕も同じです。これから私どもは御贔屓様方とのダンスになりますので、よろしければ王女殿下が主の相手を続けていただければありがたいですわ」
嫋やかとしか言いようのない表情ではあるのに、周りの温度が下がったかと錯覚させるようなリスティアの笑顔である。
言うまでもないことだが支配人は彼女らの主ではないし、彼女ら「五枚花弁」が支配人の僕であるはずもない。
「登城行列」のコンセプトをそのまま引きずっているだけであるのに、妙な説得力を感じさせるのは三人の支配人に対する態度ゆえか。
言葉の端々に棘に似た何かが含まれているとはいえ、四人の美女の表情も声も穏やか極まりないものである。
にもかかわらず、嫌味の一言でも投げかけようと意気込んだ貴族の若君たちを沈黙させるに足る空気が場に充満している。
「――よろしいのですか? 貴女方が他の男性と踊っている間、私が支配人を独占させていただいても」
お前など相手にならぬといわれているような気がして、シルヴェリアは挑発し返す。
どれだけ穏やかで美しくあってもシルヴェリアはグレン王家の血を継いでいる。
売られた喧嘩は高値買取がグレン王家の基本姿勢なのである。
「いつもの事ですわ、王女殿下。「五枚花弁」などと過分な位をいただいておりましても私共は娼婦ですから。もし愛しい人がいたとしても、買っていただいたお客様の色に染まってみせるのが私どもです」
だが即座に返されたリスティアの返答に、眉を曇らせる。
己は何不自由ない一国の王女であることに対して、娼婦の身である彼女らにそういう意味での自由はない。
本来は王女という立場こそが、一娼館の支配人に想いを寄せることを阻む壁になるのが常識だが、現実がそうではない以上、彼女らに対する遠慮にはなってしまう。
「それで本当によろしいのですか?」
蔑みはしない。
もちろん憐れんだりもしない。
だがどうしても新品のシルヴェリアにとって、想い人がありながら他人に身を委ねることへの抵抗感はぬぐえない。
――好きな人がいるのであればなぜ?
そういう素朴で純粋な疑問が、どうしても胸の内にある。
いつの間にやらダンスの話のはずが、何やら怪しい暗喩の応酬になりつつある。
とりあえず沈黙を守っている支配人は相当に居心地が悪そうだし、「五枚花弁」と「王女殿下」の緊張感あふれる会話に、百戦錬磨のはずの「四枚花弁」の娼婦達も沈黙を守っている。
「軽蔑なさいますか?」
穏やかな笑顔を浮かべたまま、ローラが確認する。
自分たちはそれで全く問題などないという気持ちが、その表情にはあふれている。
「――いいえ。自分ではない女の人の在り方に口を差し挟むことは二度といたしません。……教えていただきましたので。ですが私も私の在り方を変えるつもりはありませんわ」
シルヴェリアも、もう理解している。
支配人と彼女らの間には、自分の幼い想いなどでは測れない絆ともいうべきものがあるのだということは。
だからといって自分の考え方を変えようとは思わない。
自分はグレン王家の第一王女だ。
グレン王家の者は、欲しいものは自分の力で得るのだ。
そうやって御先祖は、不可能と言われ続けて最後には国さえも手中にした。
想い人一人くらい手に入れられなくて、なにがグレンの第一王女か。
「それでよろしいかと存じます。私たちはどなたのどのような色にでも染まって見せます。それが娼婦というモノですから。……ですが最後に染め直していただくのでいいのです。――どんな色も上書きしてもらうの……支配人の色に」
シルヴェリアの宣戦布告ともいえる言葉を受けて、ルナマリアが自身の艶やかな唇を、己の舌でそろりと舐めながらなまめかしい台詞を口にする。
その表情、その仕草には、どんな女でも選り取り見取りなはずの男たちを夢中にさせるに足る艶が備わっている。
丁寧な物言いが崩れた後半の台詞には、その声が聞こえる範囲にいた男どもの股間を刺激するだけのものが確かに存在した。
刺激されたのはお客様候補の股間だけではなかったが。
「おいおいルナマリア。そりゃダンスの話だよな? ええ?」
ルナマリアをダンスに誘おうと寄ってきて、面白そうに話を聞いていた王弟ガイウスが引き攣った笑顔で突っ込みを入れる。
確かにもはやダンスの話などとは到底思えない、直接的な物言いだ。
「さてどうでしょう?」
完璧な流し目を一瞥くれて、支配人の腕を取ってしなを作るルナマリア。
それに合わせてローラもリスティアも、支配人の身体の各所に蛇のように手を這わせて見せる。
その様子を見て、支配人の背後に控える胡蝶の夢の「四枚花弁」たちが抑えきれない反応を示す。
「やっぱり……」
「五枚花弁になるとあるのね……」
「本気で目指すわ」
などという不穏な囁き声が聞こえてくる。
期せずして支配人と王弟ガイウスの額に青筋が浮かんでいるが、まさか支配人も己の執務室のように振る舞う事は叶わない。
ここは王宮なのだ。
「勘弁してくれよ。――嫉妬でどうにかなりそうだぜ支配人?」
ルナマリアに求婚しては袖にされている王弟ガイウスは、その原因を特定して天を仰いだ。
その表情は牙を剥いた笑顔であり、獅子が笑うのであればこのような顔だろうと思わせる覇気に溢れたものだ。
女の扱いに慣れているガイウスには、女の本気がよくわかる。
そういう女を自分に染めるのは男としての喜びではあるが、ルナマリアに己の男が通用しないことは嫌というほど思い知っている。
自分が誰かに嫉妬するという新鮮な経験を、半ば以上愉しんでいるのが王弟ガイウスというグレン王家の鬼子たる所以なのかもしれない。
「――夜の蝶達の戯れなれば、どうかご容赦を」
青筋を立てて嗤うガイウスに、恭しく首を垂れる支配人。
支配人の立場であればそう言うしかないであろう。
内心はルナマリア、リスティア、ローラの悪乗りに怒鳴り散らしたい想いではあるのだが。
まさか「登城行列」の際、お客様に向かって怒鳴り上げたようなことをするわけにはいかない。
ここは忍の一字である。
「――でしたら!」
支配人がいろんな意味で嫌な汗をこらえていると、しばらく沈黙を保っていたシルヴェリアが常にない大きな声を出した。
両腕を下方向に突き出すようにするその仕草は、シルヴェリアが興奮状態になっている証左。
王家の家族が傍にいれば「あ、まずい」と思ったことは間違いないだろう。
周りの男衆以上に、ルナマリアの言葉が刺さっていたようだ。
「でしたら私を、私の躰を最初に染めるのは支配人がいいです! そして誰にも上書きされないように私が精進します! それで……それで私の勝ちだわ!」
一国の王女が、軽々しく口にしていい言葉ではもちろんない。
ダンスの話ですよー、というのも今更無理がある。
何よりもここは前回の支配人の執務室とは違い、グレン王国のほとんどの貴族が参列している夜会の場であるのだ。
シルヴェリアの常にない大声が聞こえた者は多い。
先ほどからの会話に興味を持って見守っていた連中も多くいたのだ。
結果、一瞬の沈黙の後、声にならない騒ぎが会場中に広がってゆく。
常ならぬ姪の様子に、面白そうな表情を見せる王弟ガイウス以外は、みな一様に驚愕の表情を浮かべるしかない。
花冠式の夜会は公的な場だ。
これはその場で、第一王女が求婚をしたに等しい行いなのである。
ダンスの相手を女性から男性に求めるなどという程度ではない。
「――っ!」
勢いが余ったわけでも、反射的に言ってしまったというわけでもない、意志の光をシルヴェリアの瞳に見て、常に余裕を保っていたルナマリア、リスティア、ローラも初めて動揺を見せる。
――藪をつついて大蛇が飛び出た。
おそらくはそういった心理であるだろう。
女の本気は、男に効く。
三人はそれをよく知っている。
常であればつらつらと言葉を紡げる三人が、揃って二の句が継げないなどめったに見れることではない。
「おお、言い切りよったな馬鹿娘め。さすがグレンの血を引くだけあって勝負どころを心得ておるわ」
騒ぎの場から少し離れた玉座で事の推移を見守っていた傭兵王が嗤う。
騒ぎが始まるまで傍に控えていたカリン第二王女とアレン王子は、シルヴェリアの宣言を聞くと同時にすっとんで行った。
王妃も心配してその後を追って行っている。
傭兵王だけが玉座から動かず、諦観の表情で事の推移を見守っているのだ。
先の愛娘の「一生懸命覚えます」の話を聞いてから、いろいろと悟りを開いたらしい。
「お怒りになられないのですか?」
脇に控えていた若い文官――ブライト・アルフォート子爵が恐る恐るといった様子で傭兵王に尋ねる。
外交官としての力を王自らに見いだされ、まだ若いにもかかわらず、また貴族としてはそう力を持った家の出ではないにもかかわらず、王の側近となっている青年文官である。
「何を怒るというのだ。――あれは今、戦をしておるのよ。戦でこれだけの戦力をぶち込んだから必ず勝てる、という事はなかろうが。それでも負けられん戦なら最大戦力を叩き込むしかない。それでも負けたら再戦よ。欲しいものを手に入れるためにはいつだって戦うしかないのはいつの世も同じ。――敵は強大なようだしな」
帰ってきたのは傭兵王らしい言葉だ。
どこか捨て鉢ではあるものの、楽しそうでもある。
「そうまでして手に入れる価値があると?」
ブライトは馬鹿ではない。
他の老獪な貴族や娼館の関係者と同じく、王家がこの状況を赦すという事で、今シルヴェリア第一王女殿下から形振り構わぬ求愛を受けている支配人が只者でないことはもう理解している。
シルヴェリア王女殿下から想いを寄せられることを同じ男としてうらやましいと思わなくもないが、それ以上に己が仕える王家がこれほど特別扱いする支配人の事が気にかかる。
「――ある。国としても充分にな。――だがたとえそういった価値がなくとも、あれが欲したのなら、それがあれにとっての価値のすべてであろうよ。我らはそういう血なのだ」
傭兵王は断言する。
「御赦しになられるのですか?」
そして支配人にその気があるのなら、シルヴェリア王女殿下の相手として認めるつもりでもあるようだ。
男としての嫉妬とはまた違った、己の仕事に、己の能力に自信を持っている者特有の感情が僅かに生まれる。
「気に食わんか?」
それを己の主には瞬時に見抜かれた。
「……正直に申し上げますれば」
誤魔化そうかとも思ったが、すぐに無駄だと悟って素直に言うことにした。
惚れた腫れたはどうにもならない。
だがその惚れられた女が「第一王女」であったというだけで、己の主人になるかもしれないという事が正直少しに気に食わない。
それは本質的に「貴族に生まれた」という事と変わらないという事には、聡いブライトをもってしても思い至らない。
己が貴族として生まれている身では気付かぬのも無理はないのだが。
「ふむ。だがあの支配人は我が王弟と対等の口をきき、我が娘二人共に惚れられておる。アレンも男として対抗意識を持っておるようだしな。王国軍元帥にして魔導軍軍団長のライファル老師と、冒険者ギルド長である「神殺し」ガルザム老に、対等の相手として扱われてもおる。そういう男が他におるか? この国以外でもよい」
初めて知る事実に、ブライトの口が開く。
常に沈着冷静なお気に入りの文官が呆然としているのが愉快なのか、機嫌よく傭兵王は言葉を続ける。
「他にもいろいろあるが、そなたならよく知っておるだろう。――ウィンダリアス王国のシステア侯爵家を復活させる件」
「もちろん」
外交官として自分も大きくかかわった案件だ。
それがどれだけ大きな案件であるのかを、よく知っている。
仕掛けは上々で、後は動き出すのを待つだけの状況になっている。
グレン王国一国で収まらぬあの絵図面を描いたのはいったい誰なのか、己の才に自信がある文官であるブライトは、強い興味を持っていたのだ。
いつか己の手で、このような案件を仕切ってみたいものだと。
「あれはあの支配人の仕込みよ。あの件でだれがどんな動きを見せたかは、そなたの方がよく知っておるだろう。支配人は現時点でもそういう男だ。知っておけ」
「……はい」
あの案件は絵図面が凄いのではない。
それを可能ならしめる人脈と、それを動かすことができた事こそが凄いのだ。
それをブライトはよく理解できている。
「そなたは若いが優れた文官だ。娼館の支配人などと侮らずに、あの男のこの国への活かし方を模索してみよ。そのためはシルヴェリアも含め、我ら王家も好きに使って構わん。それでこそ才人だろう」
己の思い描いたあらゆる政略を実現可能とする力を持った男がいる。
確かに己の主が言うとおり、そんな男を使いこなせてこその才ある文官だ。
何よりも、そんな男とは組んで仕事がしてみたい。
どれだけ面白いことができるか、想像が止まらなくなりそうだ。
「まあ、妙な策を弄するより、懐に飛び込んだほうが簡単そうではあるか」
カリン第二王女とアレン王子が乱入したことでより大きくなった騒ぎを横目で見ながら、傭兵王がため息をつく。
いろいろと諦めることも多かったのかもしれないな、とブライトは初めて我が王に同情めいた感情を持った。
「しかし女性に振り回されているようにも見えますが……」
気になる点と言えば唯一それだ。
事が始まってから、件の支配人は常に中心から離れているようにしか見えない。
騒ぎの張本人であるシルヴェリア王女殿下にあそこまで言わせる時点で只者ではないのは確かだが、女に頭の上がらぬ相手では不安もある。
「そんな甘い男かあれが。そんな程度であれば我が娘がとっくに籠絡しておるわ。いやまあそんな男であればそもそも惚れぬのか。まあ見ておれ……ほれ怒ったぞあれは」
思わず口に出たブライトの言葉に、傭兵王が深いため息とともに指し示す。
その先では収拾がつかぬと見えた騒ぎが、あっという間に収まる様子が展開されていた。
それを見てブライトは、支配人と共に必ず仕事をしようと決意した。
――部下でも構わない、いや部下でこそいい。でかい仕事を歴史に残せそうだ。
と。
「――やめなさい」
引っ込みのつかなくなったシルヴェリア王女と、ルナマリア、ローラ、リスティアの子供じみた言い合いと、それを冷やかす王弟ガイウス、より混乱を大きくするカリン王女とアレン王子が、支配人のその一言でぴたりと全ての言葉を止めた。
王弟ガイウスとアレン王子は興味深そうに黙っただけだが、女性陣はみな一様に嫌な汗をかきだした。
支配人が本気で怒っている。
「今日の主役は、一年間頑張った結果の評価を受ける嬢たちです。それをこれ以上蔑にするようであれば……」
その言葉にかぶせるように、騒ぎの原因であるシルヴェリア王女、ルナマリア、ローラ、リスティア、ついでにカリン王女も一斉に謝罪の言葉を口にする。
今回「四枚花弁」となるファルラ嬢とルクレツィア嬢のとりなしもあって支配人が怒りを収めると、騒ぎの中心であった女たちはみな一様に胸をなでおろした。
――馬鹿な騒ぎで、想い人に嫌われていたのでは世話はない。
歴史ある花冠式の夜会、公式な行事の事であるにもかかわらず、この一件はグレン王国の正史には記されぬ逸史となった。
当時の事実を知る者はさもありなんと納得し、伝え聞いたものは「盛りすぎ」と相手にしなかったという。
正史ではなく昔話として残った一説がある。
――「なあ兄貴、ハーレム主の資質ってな、ああいうのを言うのかね?」
――「知らぬわ。娘二人とももっていかれかねぬ我の気持ちがお前にわかるか?」
――「わかりたくもねえなあ。想い人がハーレムメンバーにいる俺の気持ちは兄貴わかるか?」
――「わかりたくもないわ」
From『グレン大王と英雄ガイウスの嘆き』
すべてを手に入れたといわれるグレンの大王とその弟であり英雄と記される二人にも、ままならぬことがあったとされる昔話である。
詳細は逸失していて知られていないが、この会話の部分だけが残されている。
次話 新規客の場合
近日投稿予定です。
読んでもらえたらうれしいです。




