第玖話 クーラ嬢―引退者の場合
「いらっしゃいませ!」
「「「いらっしゃいませー」」」
入口の大扉を開くと同時に、女将がお客様の来店を歓迎する声を威勢よく上げる。
即座にそれを追うように、広い店内を注文取りや配膳に動き回っている女性店員たちの声が唱和された。
結構混んでいる上、自分も忙しく動き回ってる割によく見ているもんだと感心する。
まあこの手の接客商売で、お客様がみえられたときに歓迎の挨拶をするのは基本中の基本だ。
そこを外してる店はろくなもんじゃない。
それは胡蝶の夢でも、店員たちに徹底している。
――お客様は神様です。
お客様が言うことじゃあねえとは思いもするが、店にとっちゃ忘れちゃならないことだ。
胡蝶の夢のお客様ときた日には、邪神な方々が多くて困るが。
女将の声に即座に全員が追従するあたり、女性店員たちの教育も行き届いているようで、さすがだというべきだろう。
女将の年の頃は三十路手前。
元胡蝶の夢の人気嬢であった、クーラ嬢の今現在のお姿だ。
この酒場の大将、ガイルの旦那の奥さんでもある。
忙しい酒場を取り仕切るのに少々くたびれてはいるようだが、まだまだ看板娘と言っても通るであろう美貌は維持されている。
少しくすんだような白群色の髪と、それを少し濃くした浅葱色の瞳。
気の強そうな細面に、切れ長の瞳はあいも変わらずお美しい。
大型酒場の女将として働く日々はハードな反面、体型維持に気を配ってもいられないのだろう、現役当時の引き締まった躰は、少し年相応に緩んでいるようだ。
娼婦としての体型維持と、大型酒場の女将として必要とされるタフさはまたまったく別のものなんだろうしな。
別に娼館じゃあるまいし、女将が体の線が露骨に出る衣装を身に着けているわけじゃあないが、俺は自分が持つユニーク魔法の特性上、その手の変化にはすぐ気がつく。
正直に言わせてもらえば、今くらいのほうがそそるってなお客様も結構いるんじゃないかと思う。
ちょいと崩れ始めた、もともととびっきりの躰ってのには妙な魅力があるものだ。
――腐る直前の桃が一番旨い……なんて例えた日には張り倒されるから口にはしねえが。
まあ少々崩れたとはいえ、多くのお客様を夢中にさせた、腰から尻にかけての絶妙なラインはご健在、と。
娼館とはまた違った方向性のお客様の視線は、男の性としてそこへ引き寄せられている。
自分もその範疇に含まれているからあれだが、男ってなあ変わった生き物で、直接的ではないエロってやつにもキッチリと需要がある。
どうあっても直接的な娼館だけで、男のすべての欲望を満たすのは無理なのだ。
――触れられないからこその愉しみ方ってやつは、上級向けとでもいやいいのか。
娼婦はとっくに引退しちゃいても、女としちゃまだまだ現役ですな。
今頃厨房で一生懸命鍋を振るっているだろうガイルの旦那も、相も変わらずあのでけえ尻に敷かれてんだろうなあと思うと、あんまりうらやましくもならねえ。
『昼間鍋振って稼いだ金で、夜腰振りに来る』ってな、ガイルの旦那が胡蝶の夢のお得意様だった頃に、恋敵連中に揶揄されていた言い回しだ。
うまいこと言うもんだと苦笑いしていたもんだが、結果きっちりクーラ嬢を嫁にしたんだから、どっちとも一生懸命振った甲斐があったってもんだ。
いや振ったからクーラ嬢落とせたってわけでもねえんだが。
客の入りは八割方ってところか。
この時期この時間帯としちゃ充分な入りだろう。
商売繁盛で何よりだ。
元「胡蝶の夢」の人気嬢の一人だったクーラ嬢が女将を務めるここは、王都グレンカイナの五大酒場の一つに数えられる「今日こそ呑め」
「黄金の豊穣」、「銀月」、「世界樹の葉」、「狐の夜宴」という他の四大酒場と並び称されるまでの位置に、たった二年で到達した、新鋭の酒場だ。
五大と称される他の酒場は、吟遊詩人による歌唱、踊り子によるダンスなどのショー、綺麗な姉ちゃんが酌をしてくれるサービスなんかも提供している。
その中では「今日こそ呑め」だけが、純粋に呑んで食うだけの店だ。
ガイルの旦那の料理は旨いし、値付けも適正よりゃちょっと安いくらい。
酒の品質もいいし、お高価いものも揃えちゃいるが、大衆向けの酒をできるだけ安価で提供することに特化している。
良い店としての条件はそろっちゃいるが、それだけでたった二年で五大酒店の一角に数えられるようになれるわけもない。
そこには当然仕掛けがある。
くるくると店内を動き回っている女性店員たちは綺麗どころを揃えている。
彼女らは別に踊るわけでもなけりゃあ、隣に座って酌してくれるわけでもねえが、その衣装はかなり扇情的だといっていいだろう。
とはいっても、ただ露出している肌面積が広いってわけでもない。
露出度で言うのなら、踊り子なんかの衣装のほうがよっぽど肌面積は広い。
だが極端に胸を強調したデザインのトップスと、かなりのミニスカート、そしてそのスカートとの間に少しだけ素肌を見せるサイハイソックスの組み合わせが、開店時から王都グレンカイナ中で話題になるほどに当たった。
「絶対領域」ってやつは、異世界になっても通用するもんだと感心させられたもんだ。
まあ見えそで見えない、プラス運が良ければごく偶に見えるの組み合わせに破壊力があるってのは、男であれば認めざるを得ないところだ。
運よく見えた時のために、下着はお貴族様か高級娼婦でもなきゃ身に着けることはないような代物を用意してるしな、ガイルの旦那は。
――これは別に俺が地球の要らん知識を持ち込んだわけじゃねえ。
正しくはヒントくらいにゃなっちゃいるんだろうが、ガイルの旦那ほか数人と酒飲み話で、それぞれが思う「そそる格好」で盛り上がったのを元に、ガイルの旦那他数名の現地の方々が具現化させた代物だ。
衣装担当したガイルの旦那の友人は、今じゃ結構有名な仕立て屋になっている。
うちの嬢たちの衣装を頼むこともあるしな。
酒場として適正価格で酒と肴を楽しみながら、そういう格好をした別嬪さんらと軽い会話程度を楽しめるというコンセプトが、まあ有体に言えばうけた。
その結果、「今日こそ呑め」が四天王と言われていた大手酒場の一角に食い込むことになったわけだ。
最近では模倣店も出てきちゃいるようだが、まだまだ老舗として人気が衰えているわけじゃないのは、この客の入りを見ていればわかる。
この手のある種高尚()な趣味が受ける素地があるのは、グレンの王様が頑張って平和を維持してくれてるおかげと言える。
荒くれ者が多いこの国で、お預けくらうようなコンセプトに文句言うような層は、冒険者にしても正規兵にしても女将絡みの人脈のおかげでここには基本近づかないしな。
冒険者ギルド長と王国元帥が「たまに顔を出す」店で馬鹿やろうって兵はめったにゃいない。
まあ中には胡蝶の夢ですら騒ぎ起こすような御仁もおられるから、完璧だとも言い切れないのだが。
おかげで娼館通いや他の大手酒場で姉ちゃんに酌してもらうのはかみさんが怖いが、たまにゃあ目の保養をしながら旨い酒を呑みたいっていう中流層に受けているってところか。
こういうコンセプトを楽しめる連中は冒険者、正規兵を問わずいるようで、結構な大物も人脈によらずにお得意様にもなっているようだ。
今日はたまにゃあ外で呑むかってことで、ルナマリア、ローラ嬢、リスティア嬢と一緒にお邪魔させてもらった。
ここの常連さんたちはたまに俺が胡蝶の夢の嬢たち連れて飲みに来ることもご存じなんで、要らん騒ぎにならなくて済むので重宝させてもらってる。
せっかく外で呑むのに、個室に引きこもってたんじゃあ意味がねえし、かといって勝手のわからない店に胡蝶の夢のトップ3連れていけば、間違いなく騒ぎになりやがるしな。
その点、大将も女将も俺たちをよく知ってくれていて、常連さんらも慣れてくれているここは居心地がいい。
「こりゃまた珍しいじゃないか、支配人。今日はなんか記念の日かい?」
女将自らが俺達四人を奥よりの空いた席に案内してくれながら、話しかけてくる。
その一角は常連ばかりで固めているので、俺たちが呑むのにもちょうどいい。
幾人かは顔見知りがいて、軽く会釈をしてくれるが、ルナマリア、ローラ嬢、リスティア嬢が一緒にいることに少々驚きの表情を見せても騒ぐような方々はいない。
一応三人ともフードとか被っっちゃいるしな。
「そういうわけじゃねえけどよ。たまにゃあ外で呑むかってことで、お邪魔させてもらったよ。――相変わらず商売繁盛のようで何よりだ」
特に今日は何かがあってってわけじゃないのは本当だ。
ただちっと気になる噂を俺が耳にしたってのはあるが、三人は俺が呑みに行くと言ったら当たり前のようについて来たってだけだ。
この三人に揃って休まれるのは胡蝶の夢としちゃ痛いが、そもそも俺が外に用事があるときは基本的に胡蝶の夢は閉める。
定期定休日以外じゃ年に何度もないことだが、支配人が不在で胡蝶の夢を開いて、万が一問題が起こった日にゃ目も当てられん。
店が開いている限り、支配人は店に居るべきだ。
幸い自分のユニーク魔法のおかげで、体調不良でお休みってことだけはありえねしな。
「おかげさんで。……しっかし相変わらず仲がいいねえ。「胡蝶の夢」のトップ3引き連れて安酒呑み行けるのなんか、世界広しとはいえ支配人だけだろね」
確かにそれはそうだろうな。
胡蝶の夢の外で会いたいってな要望は、それこそ三人のご贔屓さん達から金に糸目をつけずに頂いちゃあいるが、誰も三人の首を縦に振らせた方はいない。
――まあ役得だ、役得。
「自分の店を安酒とか言いなさんなよ」
「王宮の夜会と比べっちまえば、五大酒場揃って安酒場さ。料理の腕と酒の品質で負ける気はないけど、素材が違うからねえ」
女将は豪快に笑い飛ばす。
ガイルの旦那の腕と目利き、自分たちのサービスの質を卑下しているわけじゃない。
確かに王宮の夜会で出される素材は桁違いだし、そこに参加することが可能な三人を連れてる俺に対する冗談の一つか。
「まあ誰か一人だけと行った日にゃ、大騒ぎになるんだろうからしょうがないか。――あんたらもブレないねえ」
それは確かに後が怖いな。
女将の言葉に、三人は苦笑いだ。
大先輩の前では、この三人でも普通に小娘みたいになるから可愛らしい。
――思ってみりゃ、俺はこういう三人を見るのは好きなんだな。
「まあゆっくりしてっておくれな。申し訳ないけど旦那はご覧のとおり忙しくて顔出せないけれど、支配人と姫三人が来てることは伝えとくから」
「ああ、ガイルの旦那にゃよろしく。あとは好きに呑んでるから気にしねえでくれ」
「はいよ」
ひらひらと手を振りながら、女将は仕事に戻ってゆく。
くそ忙しそうではあるが、楽しそうでもある。
胡蝶の夢を引退した嬢が、今を幸せそうにしているのを見るのはやっぱりほっとする。
自己満足ってことはわかっちゃいるが、正直なところでもある。
だからこそ、俺の立場でできることはできるだけしたいとも思う。
してやりたいじゃねえ、俺が勝手にしたいだけだ。
「いつ来ても大変そうじゃが、いつ見ても格好いいのう、女将さんは」
「ねー。胡蝶の夢で色気振り撒いてたクーラさんの時もカッコ良かったけど、旦那様の店を切り盛りする女将として纏ってる空気もいいよねー」
「こういうのも憧れますよね? 私たちも考えちゃいます?」
前の妄想の続きかよ。
確かに三人ならサマにはなるんだろうけどよ。
俺の役どころがねえぞ。
ガイルの旦那みたいに料理なんざ出来ねえからな俺は。
「ふむ、料理は私が作るし、酒はリスティアが専門じゃしな。ローラは女性店員率いて今の女将さんのポジションがぴったりじゃろうし、ありかもな」
そういう配役かよ……
「お酒のことなら任せてください。オリジナルのお酒も造りますよ!」
そんな特技持ってたのかよリスティア嬢。
えらい値が付きそうだな、それ。
ただそれ真っ当な酒なんだよな?
飲んだら「竜殺しの英雄」と「賢者の弟子」が我を失って決闘始めるような代物じゃないよな?
「私そういうの得意ー。ここと人気を二分するような衣装も考えちゃうよー」
いいかローラ嬢。
素っ裸は衣装とは言わねえし、それはもう酒場じゃねえ。
可愛い衣装を着たいってことで、艶を売るのは躊躇われるけどそういうところで働いてみたいっていう素人の別嬪さんも集まらねえぞ、それじゃあ。
いや意外とローラ嬢の小物とか正装のセンスがエロ可愛いってのは知っちゃあいるが。
「……俺のやることねえじゃねえか」
思わず口をついて出た言葉に、三人が会心の笑みを浮かべる。
いかんつい本音が漏れた。
どうもシンシアの姉さんの罠にはまってから調子が狂ってやがる。
もっといや、三人で来ない未来予想図で呑んだ夜からか。
「……ほう。支配人は私たち三人の店に居場所が欲しいのかえ?」
「ふっふっふ、支配人もまぜてほしいのかなー?」
「い、意地悪いっちゃダメです。支配人には支配人してもらえばいいじゃないですか。仕入とか売上管理とか経費管理とか私たち出来ませんし」
俺にとっちゃ助け舟だが、またしても一人だけ同調しなかったリスティア嬢が二人から責められているのを溜息交じりで眺めることしかできない。
店関係をやるとなったら、今とあんまり変わらねえなあ。
まあ俺のユニーク魔法が疲労回復程度にしか使えない仕事なだけ、今よりゃいいか。
――俺が自分のユニーク魔法が役に立たないほうがいい、なんて思うようになるとはね。
まあそういう下支えの部分をやるのは嫌いじゃねえし、適材適所だな。
意地張ってもしょうがねえから正直言うけど、まぜてもらえるんだったら何でもやりますよ。
食中毒だのなんだの、酒場にとって致命傷な事は俺がいりゃ発生しようもねえしな。
――とはいえ
「俺らがここの商売敵になってどうするよ。元仲間の商売を邪魔することはできりゃ避けねえか?」
「お、支配人は想像とか妄想とか言わずに、具体的な将来図として考えておるのじゃな。私との約束を忘れておらぬようで感心じゃ」
やかましい。
こういう話は真剣にするからこそ面白いんだろうが。
もたもたしてたらほんとに三人とも嫁にしちまうぞ。
「そうなったらへっぽこ冒険者が一押しかなー」
へっぽこいうなや。
まあ確かに討伐クエストとか受けれそうもないけどよ。
「世界を旅して周るのが一押しです!」
それもいいけどな。
そうなると俺は完璧にヒモなんだよなあ。
勤労が美徳とかまでいう気はないけど、最低限は自分で稼ぎたいもんだ。
四人揃って引退後の道楽と考えりゃあいいんだろうけどよ。
どうも最近呑めばこの手の話ばかりだし、呑む機会も以前よりゃ増えてきてる。
まあ俺自身楽しめちゃいるし、それで三人が機嫌よくいられるんならありっちゃありなんだけどな。
――どうにも会話がループしがちでなあ。
まあ酔っぱらいの会話なんてそういうものだと思いもするが、昔馴染みが顔合わすともう何百回したんだって話題で盛り上がるって話とよく似てて、なんだかなという思いもありはする。
ルナマリア、ローラ嬢、リスティア嬢が笑ってりゃあまあいいか。
何より俺が楽しいんだから余計な事はいいとする。
酒呑むときは馬鹿でいい。
そうやって笑って呑んでいると、入り口付近でちょっとした騒ぎが起こった。
女性店員の拒絶の声と、客の下卑た笑い声。
本来この手の酒場じゃ日常茶飯事と言っていい光景なんだろうが、冒険者ギルド長と王国元帥が噛んでるこの店じゃあ滅多にあることじゃない。
――やっぱり噂通りか。
いい具合に回っていた酒を、自分のユニーク魔法で完全に体内から消し去る。
一瞬で素に戻るこの感覚は嫌いじゃないが、酔っている自分がどれだけ正気じゃないかを思い知らされてぞっとすることも確かだ。
この席まで巻き込まれることはないだろうが、三人を酔った状態のままにしておくのも怖いので、申し訳ないが素に戻させてもらう。
「なんじゃ、やっぱりこの手の騒ぎがあるのを聞きつけておったのか」
「まーまールナマリア。今回は私たちが勝手について来ただけで、文句言うところじゃないよー?」
「支配人と呑む機会が出来たんだからそれで良しとしましょう」
「わかっておるわ。しかしこの店で騒ぎを起こすとなると……」
騒ぎと同時に俺の魔法を三人にもかけたので、俺が今日この店に来た意図を瞬時に理解したようだ。
別にガイルの旦那や元仲間の女将に頼まれたってわけじゃあないが、最近この店で性質の悪い客が騒ぎを起こしていると聞けば気にもなる。
余計なお世話かもしれないが、気楽に呑める数少ない店の空気が悪くなるのは俺としても好ましくない。
ルナマリアの言うように、この店で騒ぎを起こすとなれば王都グレンカイナの新入りだろう。
流れてきた傭兵団あたりだろうと予想していたが、あたりだったようだ。
ガイルの旦那や女将は、勝手にこの国の重鎮たちの名前を出して、厄介な客を追い払うわけにはいかない。
あくまでもそれは人脈による暗黙の了解であって、あからさまに用心棒として使っていい名前ではないのだ。
だからこそ、新参者には通用しないこともある。
一方で暗黙の了解とはいえ己の名前を意に介さない存在を、怖いおじいさんたちは容赦してくれない。
時間の問題で怖い人たちが出張ってくるのは間違いないが、知ったからにはそれまで嫌な思いをするお客様や店で働く女の子たち、ガイルの旦那や女将さんを放置しておくこともないだろう。
俺が少々余計な真似をしても、結果としちゃその傭兵団の上層部には感謝されるはずだ。
仕事が欲しくて流れてきたんだろうから、雇主候補と揉めたくなんかはあるまいしな。
「ちょっと待っててくれ。この店のルールを守らないことがどれだけ自分たちにとって不利益か、ちょっとお伝えしてくる」
こういう時は三人とも素直に従ってくれるからありがたい。
どれだけすげえ人たちを虜にしているとはいえ、荒事においてはただの女の子だ。
飛び切り綺麗なだけ、巻き込まれれば事は大きくなるしかないしな。
出来ればここへも一人で来たかったくらいだが、あんまり過保護が過ぎると三人ともへそ曲げやがるしまあしょうがない。
三人を残して席を立とうとすると、常連席に座っていた先客の何人かが先にすっと立ち上がった。
こちらへ向き直り、フードを外して軽く会釈してくる。
――ああ、もう怖いおじいさんが動いていたか。
冒険者ギルドの中でも知った顔だ。
その中の約一名の顔色が悪いのは、つい最近ちょっと怖い目にあったからだろう。
俺があわせたわけじゃないが、トラウマになってなけりゃあいいが。
リスティア嬢が軽く目を合わせると、厳めしい顔がちょっと崩れたみたいだから大丈夫か。
本来この程度の任務に駆り出されるお立場じゃあなかろうが、この前の件の罪滅ぼしを師匠に厳命でもされたかな。
「……先に動かれておったの。それとも支配人が動いたことを受けて、重い腰を上げたのか?」
いやそりゃないだろう。
同じ時期に情報を捉まえていて、即動いたのが今日だったって事だと思う。
この手の情報は正規軍よりも冒険者ギルドのほうが耳が早い。
娼館の支配人である俺の耳に入った情報であれば、冒険者ギルドマスターの耳には確実に入っていたはずだ。
まあ「竜殺し」が出張ってるんなら、お行儀の悪い新入りも素直に引き下がるだろう。
傭兵団の団長殿はちょっと嫌な汗をかく程度で済むはずだ。
ただの娼館の支配人が場を収めようとするよりゃよっぽど話がはやいし、ややこしいことにもならねえだろう。
こうなりゃでしゃばる意味もない。
酔いを消し飛ばす必要もなかったな。
傭兵稼業やってるような連中で、グレンの「竜殺し」を知らないやつなんかいない。
案の定、行儀の悪い新入りはすごすごと引き下がったようだ。
胡蝶の夢で馬鹿やってる時はどうかと思ったが、やっぱり大したもんだ「英雄」様の値打ちってのは。
「見直したか?」
「何がですか?」
御贔屓様のかっこいいところ見てどうかと思って聞いてみたが、リスティア嬢はきょとんとしている。
大変だなあ、ラジュリスの旦那。
胡蝶の夢に迷惑かけてから「リスティアがどこか冷たい」と嘆いておられるようだが、その辺の失地回復はせっせと胡蝶の夢に通って頑張ってくれ。
またのご来店をお待ちしております。
「出番を取られて不満かえ?」
「んなこたねえよ」
余計な事しなくて済むならそれに越したことはない。
積み上げてきた人間関係が、わざわざ言わなくても俺たちの身内によくしてくれるってのはありがたい話だしな。
「じゃー、支配人はここで呑みなおししておいてねー。私たちは騒ぎで冷えちゃったお店の空気をちょっと温めてくるねー」
「後でお店の衣装でお酌しますから、待っててくださいね?」
そういって、女将のところへ三人揃って交渉へ行く。
あの三人が飛び入りで店員やってくれるってんなら、二つ返事で了解だろう。
「五枚花弁」である三人にゃ、この店の女の子たちも憧れてるって聞いてるから、妙な軋轢も生まないだろうしな。
元仲間のために骨を折ろうってないい心がけだが、実はこの店の衣装を身に付けたいだけじゃねえだろうな。
お客様たちに愛想振り撒くだけ振り撒いた後で、その衣装のままこの席に戻ってくるつもりみたいだが冗談じゃねえ。
どうにか逃げる算段を始めていると、着替えに入った三人の代わりに女将が俺の席にやって来た。
客も増えてきてるのに仕事はいいのか、若女将。
「相変わらずお人よしだね、支配人もあの子らも」
余計な世話焼きはばれてるようだ。
「今回俺はなんにもしてねえよ。あいつらはこの店の衣装着てみたかったんじゃねえかと疑ってんだが、どう思う?」
「それもあるかもねえ」
そこは女将も苦笑いだ。
女の子ってのはどうしてもそういう部分はあるしな。
ああいう露骨に男の視線を意識した衣装であっても、巷で「可愛い」となると着てみたくなるものらしい。
あの三人であればさぞかし似合うんだろう。
それに触れられるとなれば、今晩で胡蝶の夢のお客様も増えるかもしれんな。
「ま、できりゃあ今回みたいな困ったことがあったら、はやめに教えてくれればありがたい」
余計な世話焼きがばれているんなら、この際本音も伝えておく。
手遅れってことは滅多にはないだろうが、知らない間に事が取り返しのつかない事態になるってのは御免蒙りたい。
「遠慮してたわけじゃないんだけどね。支配人がよくしてくれるのはありがたいよ。実利が有りすぎて嘘くさく聞こえちまうかもしれないけど、もうとっくに引退した嬢のために骨折ってくれるってことが、娼婦上がりの私らにとっちゃ本当にありがたいのさ」
「そう言ってくれると救われるよ」
女将のいわんとすることはよくわかる。
この国の重要人物たちのとの誼があるだけに、俺の言動はどうしたって実利が絡む。
だからってやらないってのもおかしな話だ。
「支配人やあの子たちにゃあ、私らの助けなんて言ってしまえば必要ないとは思うけどね。なんといっても「力」が必要なら所有者がおられるわけだしさ。――だけど覚えといとくれ。支配人やあの子らが困ったら、私らは吹けば飛ぶような力でも貸すからね」
「実はそういってほしくて余計な真似してんだよ」
「はいはい。素直じゃないのは師匠譲りかねえ」
弟子は師匠に似るもんなんで、すいませんね。
素直な俺ってのも大概気持ち悪いが、素直な所有者なんて考えただけでぞっとする。
お互いに所有者をよく知る女将と顔を見合わせて、二人して吹き出した。
こんな想像してるなんて知れたら、所有者にはまた呆れられるんだろうけどな。
所有者が作ってくれた人の縁ってやつが、俺には大事だ。
俺にとっちゃ何のつながりもない異世界で、それだけがよりどころと言ってもいい。
誰彼かまわずいい人でありたいとは露程も思わない。
俺は身内にさえいい顔できりゃあそれでいい。
あれだけの力を持っている所有者でさえ、基本的なスタンスはそうなんだ。
体調管理くらいしか取り柄のねえ俺なら、なおのことだ。
「優先順位を付けられるってのは大事な事だと思うよ支配人。それができない人は、結局誰一人救えなかったりもするもんじゃないのかね。私にとっちゃ旦那が一番で、旦那は私を一番にしてくれた。おかげで人生いろいろあったけど、私は今幸せだよ」
「こいつはごちそうさま」
「お粗末様。だけど一番じゃなくたって大事なもんは結構あってさ。できるだけ大事なもんは大事にしたいさね。――お互いにさ」
それもよくわかる話だ。
まあ肩ひじ張らずに、助け合えるところは助け合っていけたらいいな、お互いに。
弱ってる時にゃ、愚痴聞いてくれるだけでも助かるもんだしな。
「ま、私が今幸せだって言えるのは一番は旦那のおかげじゃあるけど、所有者や支配人、あの子たちのおかげもあるってことは確かだよ。だからできりゃあ、私たちも所有者や支配人、あの子たちの幸せな理由の一つになれりゃいいかな……と、おもう、わけ、なんだけ、ど……」
にやにや笑う俺の表情に気づいて、女将の声が尻すぼみになっていく。
らしくもなく、しゃべりすぎたってところか。
それだけこの店が困ったときに、助けようと動いてくれた連中がたくさんいたことが嬉しかったのだろう。
勘弁してくれ、にやにや笑いでも浮かべねえことには、うっかり涙目になりそうだ。
「……支配人もさ。支配人くらいの甲斐性があれば、一番が三人くらいいてもいいんじゃないかと思うんだけどね、私は」
おっと攻撃こそは最大の防御と来ましたか。
しかもよく知ってるだけに、一番弱いところを突いてくる。
「俺にそこまでの甲斐性はねえよ」
「馬鹿だね、無けりゃ捻り出すんだよそんなものは。――男だろ。大体一人を選ぶ度胸もないんだったら、無理矢理でも甲斐性付けるしかないだろ」
――男はつらいよ。
どう言い返そうかと考えていたら、店内が騒ぎに包まれる。
先刻のものとは違い、祭りが始まったときのような空気。
この店おなじみの衣装に身を包んだルナマリア、ローラ嬢、リスティア嬢が店内に姿を見せたからだ。
大したもんだ、場に出ただけでお客様を盛り上げる。
華があるってのは、ああいうのを言うんだろう。
「……あの子たちに惚れられてるってだけで、充分だと思うけどねえ。――いい女ってな、想い人をいい男にしてくれるもんさ。小難しいこと考えてないで、三人とも嫁にしちまいなよ。そっから化けりゃあいいじゃないか」
そういうもんかね。
まあ当面は騒がしい日々を続けていくよ。
悠長に見えるかもしれねえけど、俺は今の日々を悪くねえと思ってる。
困ったら泣きつくから、そん時はよろしくな?
「ま、外野の一意見として聞いといてくれればいいよ。――さって、あの子らのおかげで忙しくなるから働いてくるよ。しばらくは寂しいだろうけど、ゆっくり呑んで行っておくれ」
そういって女将は自分の仕事に戻ってゆく。
俺はそれを見送りながら、さてどうやってここから逃走しようかと思案を巡らせ始める。
まああの三人から逃げおおせるなんて、自分でもできるとは思っちゃいないけどな。
次話 人気嬢の場合
近日投稿予定。
次話で第二章が終了し、第三章に入る予定です。
第三章ではいろいろな立場のお客様との絡みを中心に書いていく予定ですので、二章よりも娼館らしい話にできると思います。
えぐくなり過ぎない様に注意が必要ですがw
二章でいろんな立場の娼婦と支配人の在り方を書いてみたのですが、思ったより夜噺っぽくならなくて焦っております。
三章で男の馬鹿さと救えなさと、ある種の可愛らしさをうまく書ければいいのですが。
できるだけ「いずれ不敗」と並行してある程度の期間で投稿できるよう頑張りますので、お見捨てなきようお付き合いいただければ嬉しいです。
感想やメッセージにお返事できなくて申し訳ありません。
すべて書いていく上ですごくモチベーションをあげてくれています。
自身の記録更新であるブックマーク数や、総合評価ポイントにもおろおろしております。
寄せて頂いた期待を裏切らないような物語を書けるように頑張ります。
今後ともよろしくお願いいたします。




