保険
「美里さん」
と声をかけられて、美里は振り返った。
美里は混雑する夕方のスーパーで夕食用の買い物をしていたところだった。
「あら、ええと、山田さんでしたっけ」
と美里が言った。
「ええ、山田です、美里さんは夕食のお買い物ですか」
笹本の店のギャルソンである山田がスーパーのカゴを持って立っていた。
「そう、何にしようかしら。毎日毎日悩むわ」
と言って美里が笑った。
「献立に悩む時はぜひうちに食べにいらしてください」
「そうねぇ、でも、あなた、エイミのとこの人間でしょう? 笹本さんの料理は美味しいけど、エイミの手下が入り込んでる店になんて行きたくないわ。知ってるでしょう? エイミと私、殺し合いの真っ最中なの」
美里の瞳がきらっと光った。
「それは存じてますが、あの店の中では休戦という不文律でお願いします」
「そう? 休戦地にしたいなら、笹本さんはエイミの手下を抱え入れるべきじゃなかった。あの店はもうエイミの店よ」
つんっと横を向いてから美里は野菜売り場の方へカートを押して歩いて行った。
その後を山田がカゴを下げたままついて歩く。
「何故、エイミ様といい関係を築けないんです? あなたは何にそんなに意地になってるんです? あなたさえうんと言えば、アキラさんも藤堂さんもそして笹本さんの店も守られるのに。それで皆が安全だ」
「つまんねえ男」
と美里が言った。
「は?」
「ねえ、山田さん、黒羽は元気?」
カクンと首を傾げて瞬き一つもせずに美里が言った。
その瞳は山田ではなくどこか遠くを見ていた。
山田は、
「あ、ええ、黒羽さんは……身体は何とか回復してきましたが、その」
と言葉を濁した。
山田の言葉に美里は眉をひそめ、
「生きてるの?」
と言ってから、きびすを返した。
カートを元の置き場に返し、買い物用のカゴも戻して店外出る。
紺色の軽自動車はアキラの物で主に深夜に獲物を物色しにいくときに使用するのだが、普段は美里が買い物に乗り回していた。
美里は車のドアを開けてバッグをどさっと後部座席に放り込んだ。
「美里さん」
追いかけて来た山田に、美里は振り返って、
「ついでだから、送りましょうか?」
と言った。
「え」
山田は躊躇している。
目の前にいるのはほっそりとした小柄な女であるが、あの巨体の黒羽ですら手こずった殺人鬼だ。
今や美里とアキラの殺人鬼姉弟はその筋で有名だった。
美里は殺し合いの最中と言ったが、エイミが肩入れしているのは間違いなく、エイミはこの美しい殺人鬼姉弟を手駒にしたくて仕方が無いのだ。
エイミにとっては美里もアキラも美しく、手際よく、恐ろしい、生きた芸術品なのだ。
美里は助手席の方へ回り込んできて、ドアを開けた。
「どうぞ、エイミの所までお送りするわ」
「いえ……まだ、用事が残って……」
「私が恐ろしい?」
美里はぎょろっと目を剥いて山田を見た。
「ねえ、山田さん、誰も彼もが私にエイミのお人形になれと言うけれど。そのエイミに一度も会えないのは何故なの? 面接もしない雇い主の所であなたは働けるの?」
美里の態度に押されて山田は助手席へふらふらと乗り込んだ。
美里はバンッとドアを閉めたが、山田の後部座席のドアを開けた。
身体を半分乗り入れるような格好の美里の方へ、山田は首だけで振り返った。
その瞬間、首筋にかすかな痛みが走った。
まずい、と思った時には遅かった。
山田の首は細い結束バンドによってヘッドレストの金属の部分にきっちりと繋がれてしまっていた。
「美里さん!」
動くと山田の首が絞まる。
「慌てないで、これはタダの保険。エイミの所へ案内してくれるでしょう? 運転中にあなたに何かされるのは困るの。事故なんか起こさないようにね?」
うふふと美里が笑った。




