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チョコレート・ハウス 死  作者: 猫又


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援軍

 もちろん。

 死に至らしめるには美里の攻撃はわずかなものだった。

 ミニボトル二本分ほどのガソリン、美里の手にあった小さいナイフ。

 だが皮膚には一瞬で焼け溶けた化繊の生地がべたりとはりつき、神経をわしづかみにされるような痛み。

 飛び火して焼けた手のひらや顔の火傷を冷気を含んだ風がなでていく。

 ひりひり、ちくちくと黒羽の体全体を神経に障る痛みが襲う。

 小さい傷だが尖ったナイフが刺さり、そしてそこを一瞬でも火で炙られ毒のような痛みが足に広がる。

 最初から決死の思いで戦うならばその痛みは小さいかもしれない。

 相手がアキラならば徹底的に力で対抗しただろう。

 だが完全に舐めていた。

 どれだけ賞賛された殺人鬼でも所詮は女で非力だ、という思い。

 なのに返り討ちに合った。

 その事実に黒羽は動揺した。

 神経に障る痛みが黒羽の気持ちを萎えさせる。

 そしてあれだけ傷ついた美里の顔が、自分を見下ろしている。 

 まさに。今。自信満々の顔で。


 そしてもうすぐ駆けつけるだろう美里の援軍、美里よりも暴力性の濃い殺人鬼の存在に黒羽は慌てる。

 地面に体をこすりつけ、手でぱんぱんと叩く。

 ずきずきという全身の痛みと焦燥感で黒羽の戦意は体の火と同時に消失した。 


「お姉ちゃん、マジ、かっけえ。そのゲス顔」

 声がして美里が振り返った。

 振り返った美里に飛び上がるほど驚いたのは藤堂だ。

「美里!! 大丈夫か!」

 美里はふっと笑って、それから少しだけ顔をゆがめた。

「ええ」

 と美里が言った瞬間にどかっとアキラが黒羽の体を蹴り倒した。

 地面に転がった黒羽の横顔を鉄入りのブーツで踏みにじる。


「気持ちは分かるけどさー。美里が泣いて喚いて許しをこうような姿を見たかったんだろ? いやー、分かる。分かるよ? 俺も一回見てみたい。まあ、でも無理だな。この人、絶対そういうのしないだろうなぁ」

 とアキラがぐりぐりぐりと黒羽の顔を踏みながら言った。

「俺もしない。黒羽、お前もすんな。分かってるだろ? 絶対、許さねえからな」

 声のトーンに黒羽の全身に鳥肌がたった。

 笑顔でアキラが怒っている。

 黒羽はエイミの言葉を思い出した。

「アキラに仕掛けるなら失敗は駄目よ? 特にお姉様を巻き込むならね? アキラはお姉様が大好きなの。分かる? お姉様に会いたい、それだけがアキラの生き甲斐だった。それがかなった今、アキラは人生で最高に幸せなの。邪魔する者は恐ろし目にあうわ。アキラはイカレテルから」

 そう言ってエイミはふふふと笑った。


 頭がおかしいのはアキラだけではない。

 黒羽の主人であるエイミも、それに付き従うエイミの下僕どもも、あの執事も。 

 エイミを諫める事もしないエイミの一族も。

 それに自分も、と黒羽は思った。

 少女の屍体を愛でる自分が変態なのは十分に承知している。

 可愛らしいその屍体が腐っていく課程は何度経験しても悲しい。

 それを永遠に腐らない少女として作品にしてくれたエイミには心から感謝している。

 今の恋人は黒羽のすべてである。

 彼女が死をもって黒羽の恋人になりたいと望んだ時にはどれほど『 』に感謝しただろう。そしてそれを叶えてくれたのはエイミだ。

 だが今は自由に彼女に会えない。

 エイミの許しがなければその姿を見る事もできない。

 いつか一緒に暮らせる日が来ることだけを望んで黒羽はエイミの忠実な部下として働いている。そして自分が死ぬときには彼女の体と自分とをトゲトゲの鉄線でぐるぐる巻きにして、そして焼いて欲しい。それが黒羽と恋人の結婚式だ。

 そして二人は未来永劫一つになる。


ああ、自分がおかしいのは承知だ。

 だが万人に石を投げられ侮蔑されても、屍体を愛する自分は変えられない。

 そして屍体になって自分に愛されたいと願った恋人。彼女もまた変態だろう。

 二人は奇跡とも言える出会いをしたのだ。


 それでもエイミはさらにアキラの方がイカレテイルと言う。

 頭のおかしさを競うわけではないが誰もかれも頭のおかしい集団の中で、もっとも強い殺人鬼とはいえ特別イカレテイルようには思わない。

 アキラがエイミの元にいるときにも何人も殺した。

 食材になったり、海の底に消えたり、いろんな処置がされたが皆死んで消えた。

 結局、ただの人殺しではないか。

 人を殺すなど誰にでも出来る。

 人殺しなどどこにでもいる。

 一番普通の人間ではないか。


 

 にやにや顔のアキラが自分を見下ろしている。

 黒羽はそんな事を考えながらアキラを見上げた。

 鉄板入りの靴で顔の横っ面を蹴られて、黒羽の体は地面に半回転した。

 うつぶせになった背中をどかっと踏みにじられる。


「藤堂さん、美里を連れて先に帰っててよ」

 とアキラが言った。

「君は? この男の始末をするのかい? 笹本さんのキッチンに運べばすぐだろう」

 と藤堂が言った。 

「うーん、笹本さんは残念がるだろうけど、食材にはしない」

 と言ってアキラが笑った。 

「どうするの?」

 と美里が言った。

「まあ、同じような事さ。美里、顔、すげえ不細工になってっぞ」

「そう?」

 と美里は頬に手をやった。

「アキラ君がそう言うなら美里、先に帰ろう。傷の手当てもしなくちゃ」

「うん」

 美里は素直にうなずき、アキラを見た。

「あんまり無理しないでよ」

「お前に言われたくねえな」

「そっか」

 ふふっと笑う美里を藤堂が気遣いながら連れて帰る。 

 二人の後ろ姿を見送りながら、

「ちっ」 

 とアキラは舌打ちをした。

「マジ、あの男も邪魔だな」


 それからアキラは再び黒羽を見下ろした。 

 にやにや顔が消えて、冷たい瞳だった。

 

「殺すのか」

 と黒羽が言った。

「まさか」 

 とアキラが言った。

「そういえば、あんた美里の殺しの証拠を握ってるってマジ? 隠し撮りしたって皆が言ってるけど? 本当?」

 黒羽は首を振った。

「そこまではしない。ただ君がエイミ様の元へ戻ればそれでよかっただけだ。何も殺し合いまでするつもりはなかった」

「美里を半殺しにしといてよく言うぜ」

「あれは……ちょっとかっとなって……」

「ふうん」

 アキラが面倒くさそうに答えたので、その一瞬を隙とみて黒羽の体は素早く起き上がった。背中に乗っていたアキラの足を跳ね上げ、ごろごろと横回転でアキラから遠ざかろうとした。

「ぶはっっ」

 と叫んで、気がついた時には首を真横から切り裂かれていた。

 だが傷は浅い。

 首から暖かい液体が流れ出たが、痛みはなかった。

 体の向きを変えようとした瞬間に、頭を酷く殴られた。

 そして黒羽は暗闇に落ちていった。


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