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チョコレート・ハウス 死  作者: 猫又


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危機

 バッグの中からぴりりりと携帯電話の着信音がした。

 美里がちらっとそれに視線を走らせた瞬間に黒羽が怒怒怒怒怒、と怒りにまかせて美里の方へ距離を寄せた。すぐそこに黒羽の両腕が迫ってきている。

 美里は右手の釘打ち機を投げ捨てバッグの中の電話を手にした。

 耳にあててすぐに、

「エイミ、久しぶりね」

 と言って黒羽を見た。

 黒羽ははっとしたように大きな体に急ブレーキをかけた。

「お姉様ぁ? 連絡いただいて嬉しいわぁ」

 電話越しにでもキンキンとしたエイミの甲高い声が響くので黒羽はぎりっと唇を噛んだ。

「笹本さんて仕事が早いわね、こんなにすぐに電話もらえるなんて」

「今、何してるの? お時間よろしい?」

「今? 今からあんたの黒くて大きな犬を噛み殺してやるところよ」

「あらぁ」

「飼い犬が可愛かったら、今すぐに引き上げてご主人様の足下で蹲るように言い聞かせなさいよ。この街でうろちょろされたら迷惑だわ」 

「黒羽? 戻ってこないと思ったらぁ、お姉様の所なのねぇ。もう~みんなお姉様が大好きなんだからぁ」

 美里は目の前で微動だにしない黒羽を見上げた。

「話はね、アキラとのごたごたをこっちに持ってくるのはやめて頂戴って事。私は趣味の記録を残しておくタイプじゃないから、私をつけ回して動画を撮ってくださらなくても結構よ。アキラに言うことをきかせたいのなら、あの子の方を狙うべきね」

「アキラの弱みはお姉さまだけよ。うちの黒羽は賢い子だから、そこんとこは理解してる。アキラを動かすのならお姉さまを狙うのが一番だもの」

「そちらに何人クズな奴隷がいるのか知らないけど、うろちょろするなら片っ端から殺してやるわ」

 エイミはクスクスと笑った。

「うちの子たちは今までお姉様が暇つぶしに殺してきた人間とは違うのよぉ。殺人鬼を気取っているけど、はっきり言ってお姉様は素人だわ。でもそれを理解した時にはもう遅いわ」

「あはははははは!」

 と美里が大きな声で笑った。

「お宅の子達、プロの殺人鬼なの? すごーい。殺し屋の派遣業でもしてるのかしら? エイミ、あなた遣り手婆ぁね」

「お姉さまって本当に素敵、黒羽がそこにいるんでしょう? なのにどうしてそう強気発言できるのかしらぁ? 黒羽がお姉さまを縊り殺すのなんて簡単よ。お姉様の屍なんて素敵! ぞくぞくしちゃう。エイミが綺麗に飾ってあげるわ! そしてずっとエイミの側に置いておいてあげる。そしたらアキラも戻ってくるわね」

「ではやってみればいいわ」

 と美里がエイミに言い、そして続けて黒羽に、

「私の屍を引きずって持って帰れば飼い主がご褒美をくださるそうよ」

 と言った。

 美里は電話を地面に落としたと同時にバッグの中の釘打ち機を手にした。

 発射する瞬間にはすでに黒羽の巨体が目の前だった。

 釘打ち機の威力は黒羽の体を吹き飛ばすことはないが、一歩だけ後退させる。

 美里は後ずさりしながら釘打ち機を打つ。黒羽の腕や肩に釘はめり込んでいるのだが、黒羽の前進は止まらない。

 釘の十本や二十本が体に刺さっても、黒羽はひるむこともない。

 そして釘打ち機にも限界がある。

 釘を装着しなおす暇はなく、ただカートリッジが空っぽになっていくだけだ。

 黒羽の体の釘が打ち込まれた箇所から少しだけ血がにじんでいる。

 その箇所はもう数十カ所に及んでいるが、黒羽の分厚い筋肉は釘をそれほど問題視していないようだ。

 黒羽は太い長い腕を振り上げた。

 巨体に似合わず俊敏な動きでその腕を振り下ろす。

 それは美里に当たりはしなかったが、その衝撃だけで美里の細い体がふらっと揺れた。

 美里の釘を打つ手が止まり、続いてまた黒羽の腕が美里の顔をめがけて振り下ろされた。

 顔面に強烈な痛みを感じたまま、美里の体は二、三メートルほど後ろへ飛んだ。

 一瞬息が出来なくなり、酸素を確保しようとする間に黒羽が近づいてくる。


 美里は自分の屍をと言ったが、それは許されない事を黒羽は知っていた。

 生きたまま確保するのが最優先だ。そうでないとアキラを釣る道具にはならない。

 エイミがかねてから美里とアキラの両方を手に入れたがっている事を黒羽は知っていた。

 この女には教え込まなければならない。

 誰が支配者で誰が力があるか。

 エイミに服従するのはもちろんだがその前に自分の前に触れ伏させてやらなければならない。

 自分の靴を舐めて許しを請うような人間にしなければならない。 

 この女だけは。


 年をとった女。しかも生きている。暖かい肌。動く鼓動。汚くしゃべる唇。やかましい笑い声。うるさい甲高い声。凹凸のある肉感的な体。生暖かい吐息。波打つ黒髪。

 そしてなにより表情のある強い瞳。


 すべてが汚らわしい。

 見たくもない、触りたくもない。

 だがこの女には犬の糞でも食わせてやらなければ気がすまない。

 泣きながら地面に頭をこすりつけて謝罪をしなければ自分の気持ちはおさまらない。


 カノジョヲコワソウトスルナンテ。 

 

 黒羽の一撃は美里を酷く傷つけた。

 黒羽がずんずんと近寄ってくる間にも回復する事はなく、動こうとはしているが頭がうまく働かないようでもぞもぞとするだけだった。


「……クソ……やろう……ぜってえ、おまえの恋人ってやつをばっらばらにしてやっからな……」

 と美里がつぶやいた。  

 美里は仰向けにぶっ飛ばされた体をようやく動かしてうつぶせ状態に丸まった。

 ずんずんと近づいて来る黒羽の靴が視界の隅に見える。

 その靴が片方見えなくなったと思ったら、すくい上げるような形で腹を蹴り上げられた。

「ぐはっ」

 と美里が言って、腹の中の物を嘔吐した。

 よく焼いたステーキ肉の破片とモンブランケーキがぐちゃぐちゃになって胃を駆け上がり、そして胃酸ごと吐き出す。

 それを見て黒羽の体が後方へ下がった。

 道路にげええと嘔吐する美里を不快げに見下ろす。

 ポケットからハンカチを出して鼻と口を押さえる。 

 近寄れば酸味臭がするのは想像できる。

 生きた女の嘔吐ブツや、嘔吐した後の臭い息に近寄るのはごめんだ。

 だから嫌いなんだ。

 生きた女は不潔で、汚い。


「残念だったな、殺人鬼。お前は弱い」


 黒羽は四つん這いでまだげえげえと嘔吐いている美里の足の方へ寄り、美里の細い足を片方つかんだ。

 ぐっと力任せに引っ張る。

 運ばれるままにアスファルトが美里の顔をこすり、頬が傷ついている。

 殴られた衝撃で片目は腫れて赤黒く変色しているし、唇からは血が流れている。

 美里の体はうつぶせの格好のまま黒羽に引っ張られていく。

 美里の爪がガリガリとアスファルトをひっかくが、どうにもならない。

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