第80章
80.
前世の知識として魔族や魔王と言われる者たちは、やたらその世界を滅ぼしたり世界征服を企てたりしたがる訳だが(もう、怪獣は必ず東京に上陸したがるのと、基本一緒よね?)この世界の魔族たちは基本的に出不精で、南方の魔族の地に引き籠って出てきたがらない。
別に引き籠りではない、多分。
理由は幾つかある。
一つはこの世界で最も住み易い気候の温暖な地を占有し、気候の厳しい北方に進出する事にメリットを見出せないからだった。どんな生物でも気候の変化の緩やかな東西方向での移動より、南北での伸張の方がハードルが高いのだ。
前世の世界同様、温暖化が進めば状況が変わってくるのかもしれないが。
また、何より魔族と呼ばれる種族の人口が決定的に少ない。単に劣悪な食糧事情が人口の増加に歯止めを掛けているのであれば、多少気候が違っていても支配地域が増えれば比例して人口が増えるのだろうが、魔族の出生率は何百年にも亘って上昇する気配も傾向もなく、独りよがりな魔族自身も別に『我が儘な身内』が増える事を望んではいない。
最後に、魔族の住む南方と人間の住む北の大陸の間には、多くの獣や魔獣の住まう巨大な樹海が広がり、大きく海路を迂回しない限りはどちらの側からも辿り着く事も出来なかった。
故に人間の魔族に対する理解や知識は、限りなく乏しい。
唯一、遠い昔にもたらされた『魔導書』と呼ばれる書籍を通じ、魔族が確立したとされる魔法体系のごく一部を垣間見る事が出来るだけだった。
「うぅーん・・・」
ミーシャは丸まっていた小柄な身体を伸ばすと、毛布の中からピコピコと動く三角形の狐耳と、それに続いてまだ眠たげな顔を覗かせた。ミーシャの伸びに引っ張られて、ベッドの反対側で寝ているグレンから毛布が引き剥がされ、今度はグレンが寒そうに体を丸めた。
春はまだ浅く、頑丈が取り柄のグレンもパンツ一枚では流石に肌寒い。
リングハートの郊外、ルトビア王家所有の別宅の主寝室。
真ん中にアルティフィナを挟んで、三人は狭いベッドで川の字になって寝ている。
(因みに隣のベッドは、ここ長らく放置されていた)
『狭い!うざい!』とコトの後でグレンがアルティフィナから蹴り落とされる事もあるが、暑さ寒さには鈍感なアルティフィナも冬は人恋しいのか、比較的大人しくしている。
(・・・だとすれば、春の訪れと共に、今後グレンが追い出される確率は高くなる訳だが)
ミーシャは再び毛布に潜り込むと、無防備なアルティフィナの脇腹に頭と狐耳をごしごしと擦り付け、余りのくすぐったさに身を捩ったアルティフィナが結局、無意識にグレンを蹴り落とした。
「ぐはっ!?」
意図せずして、肺から空気が絞り出される。
別宅の寝室の窓を覆う木の板の隙間から、朝日が一条の光となって横たわるグレンの目の辺りを照らしていた。突然訪れた心地良い夢の終焉に、冷たく硬い木の床の上で思わず顔を顰めたグレンだが、朝日の角度からすれば如何やら、そろそろ剣の素振りの時間でもある様だ。それに朝の小一時間の鍛錬の後には、三人分の朝飯を作る必要もあった。
たとえ鍛錬が理由だろうが余り朝食が遅いと、アルティフィナが何を言い出すか分からない。そういう不必要なリスクは負わないのが、大人の対応と言う物だろう。
グレンは首を振って立ち上がる。
最近は『自分が積極的だった翌朝は、蹴り落とされない』という、新たな法則の発見を為したつもりだったのだが。(自分としては、過去の『発見』より信憑性が高い気がしていた)
おかしい。
否、所詮は錯覚だったのだろうか・・・?
まぁ、そうだよな。
グレンは、あられもない姿を辛うじて毛布で覆ったアルティフィナの、一応は幸せそうな寝顔を見下ろすと、いつもより少し早い鍛錬に打ち込む事を決めた。
ベッドの二人を起こさない様に、静かに自分の脱ぎ捨てられた衣服を集める。
自分がベッドから落ちた(落とされた)音でも目を覚まさないのだから、無駄な様な気はしないではないが。そう。だが考える事が、必ずしも良い結果を生むとは限らない。(その辺りは、体感的に良く理解はしている)
だから、取りあえずは素振りだな。
グレンは最後にもう一度、アルティフィナの寝顔を暫し見つめると、そそくさと部屋を後にした。
『わたしはいつか、帰ってくるわ。だから、それまで大人しくしていなさい』
わたしは、逆手で掲げたジェラールホーンを握る右手を、静かに開いた。
別にわたしには少し煩いぐらいではあるけれど、まるでマンドラゴラを引き抜いた様な絶叫が響く。
『悪龍の化身』と呼ばれた古の剣は周囲に長く怨嗟の叫びを残し、打ち捨てられた古井戸の奥底へと落ちて行った。
相変わらず、・・・美しくない。
わたしは、待て、が出来ない子は嫌いだ。
何よ、ちょっとだけ待ってなさいって、言っただけじゃない?
ほんの、何百年か。
それはきっと魔族にとっても、古の魔剣にとっても然したる時間じゃない。
ほんの、微睡の間。
温かな、ベッドの上で過ごす、そんな時間・・・?
「・・・ふぅ、う、ん」
アルティフィナは、薄っすらと目を開ける。
何か、遠い日の夢を見ていた。
きっと、無邪気だった子供の頃の、暖かな午睡の夢?
それとも・・・?
思い出せない。掬おうとする指の隙間から零れ落ちる、白い々々細かな砂の様。
アルティフィナはベッドの上で、ゆっくりと身体を起こした。毛布を退けると、腰の辺りにミーシャがしがみ付いている。取りあえず、ミーシャの髪を撫でながら考える。
でも。
さぁ、夢は、もう置いてきたのよね?
ならばもう、起きなきゃ、ね!




